フリーターが語る渡り奉公人事情

ターミネイターにならないために--フリーターの本当の姿を知ってください!

御用学者の卵、孵化機としての研究会

2007-05-29 22:37:47 | 現状
(mixiの日記より、一部訂正のうえ掲載)(現在、工事中)

紳士クラブに媚びる20代男性
<この日記は長文の怒りの話です。> 

ある男性について、報告したい。 彼は御用学者の卵、そして、研究会Sはその孵化機である。

彼は、4年制の大学を出た後、8年ほど日雇い派遣の会社でアルバイトをしている。ちかぢか、文系の大学院に進学予定だという。
彼の父は現在失業中だが、もうすぐ職が見つかる予定なので、心配する必要はないとも言う。

で、その人は、たいへん上の世代の男性正社員に媚びている。
下は、5-60代の男性中心に運営されているある学術クラブに関しての会話である。
 
過労死・自殺についてをわたしたちはした。
その際、ききとり調査の目的とは別だが、相手の話の流れをさえぎらないほうがいいだろう。そう判断したため、「いや、もうその話はやめて」とはいえなかった。
うつでわたしがぼーっとしていたこともあって、彼はそのスキに一人で数十分もその件についてしゃべりおろした。
 
研究会Sにおける学力向上=家父長制を容認する学力
 
その研究会Sというところでは、Oという人が、職場のミクロな互いの気配りや不明瞭な役割分業などがわざわいして、過労死につながるという研究成果だった。
 その本はすでにわたしも目を通していた。そして、その上の世代の男性にとって甘口の味つけに警戒しなければと思っていた。
 あるとき、別のブロガーから知らされた。「70年代初頭、オイルショックのあと、先進諸国では、均等待遇も交えて女性の雇用化・職業化がすすんだ。それで、男性(モデル)の労働時間が減って、過労死と親和性のない職場ができあがった。だけど、日本はそうしなかった。男性の残業増加でそれをのりきろうとして、女性パートの待遇は改善しなかった。それで今がある」
 ミクロはともあれ、マクロ的にはこの視点は妥当だ。また、特殊日本的といった問題ではなく、世界的にいろんな過労死にあてはめて正当性を検証できるように作られているのもこの論の長所だ。
 かたや、ミクロ説のほうは、きめこまかな観察にもとづいている。この種の観察報告が統計的に誤差が小さいまでに集められれば、大きなデータになる可能性もある。
 わたしのほうから付け加えれば、子どもや若者の労働を奪って学校教育に閉じこめたことも、大人の労働の量と質の増加に拍車をかけている。
 
 ここでのポイントは、ひとつめには、それが上の世代の男性の「譜代」の正社員の利害にかかっていることだ。
 彼は、何の疑問も異説も紹介せずに、その説を宣伝していた。その研究会や、ほとんど同じ組織の別の部署といってもいいような労働組合のなかでの保身と出世のためだった。
 
平等幻想と出世志向 

彼は、非常に出世志向が強い。閨閥・門閥の話をしていて、そういう関係の本を読むと、勉強する気がなくなると言っていた。
 なるほど、彼にとっては勉強はそれ自体の必要性やいろんなことが分かってゆく面白さとは無縁なのだ。そして、旧宮家・旧華族・旧財閥・新華族族(小和田家・川嶋家・正田家など皇室に女を嫁がせて出世した家)のクラスにまで上り詰めることができる、と信じていたわけだ。
その人の出身校は幼稚園や小学校のころから選抜があったわけではなく、日能研や浜塾の思い出ばなしもない。失礼ながら出ている大学も無名で、伝統もない私立大学。東大・学習院の人ではない。
 なのに、そう信じて疑わなかったのか。いったいどこまでが公教育風の「みなが対等な条件で競争して‥‥」というタテマエを信じているのだろう。
 そして、上の世代の男性にかわいがられたいとはいえ、まだ大学院に進学する前から、オヤジにとって都合のよい学説をあこがれの目つきでヨイショし、それ以外の説をこの世に存在しないかのように扱うことができるのだろう。これは、裏切りだ。男性の職場独占の弊害については言及しないことによって、女性や若者の利益をそいでいるのだ。
こんなキャラが労働組合の活動家として、人を勧誘している。
 
進歩主義の傲慢

それも、人を上(外)からコントロールするためなら、卑怯な手口も使う。本人の自主性・内発性を尊重しない研究会や組合の気風に彼はすっかりなじんでいた。
 たぶんそうすることが成長・成熟だと思い、学校にも似た進歩主義の気風のなかでそれを当然視するようになっていたのではないか?
 
 彼が担当することになっている映画上映会について、ききとり調査のおわりのほうで話をきいた。
 「今時の20代で映画上映会なんて珍しいなあ。」
それにクラシックな日本映画というのも。今村昌平監督の作品を上映する予定らしくて、面白そう。
とかえって新鮮に思い、会場に足を運ぶことにしてみた。
すると、上映作品は数年前に話題になったマクドナルド批判の記録映画だった。
 その場にいる全員が上映予定作品を知っていた。ウソをつかれて、かつがれたのは、わたしひとりだった。。。。

欧米を崇拝する儀礼としての研究会 

おまけに、最近研究会のほうでマクドナルド労働者に関する定例会での報告があった。「だから」こちらもマクドナルド関係の映画を選んでみたと件の彼は言う。
 おかしい。マクドナルド労働の弊害なら、マニュアル批判という文化・コミュニケーション面での指摘が80年代からあった。
 最近アメリカで出たマクドナルド関係の本を研究会の関係者が翻訳したからといって、21世紀初等にやっとそれをとりあげる研究会も世のなかの流れから数十年遅れている。
 どうせやるのならなぜ15年前にやらないのか!
 それに阿諛追従する研究者志願とかいうこのアクテイヴィストの男性はなんなのだ。
 研究をするためには批判的な視点も、他の説との比較・検討も必要ではないのか? そもそも論文とか学会発表というのは、不確かなことを周囲に問うためのものではなかっただろうか?
いつからそれは信仰告白の儀式と化したのだろう。
 
二重思考で成長できた? 

タテマエはリベラル。ホンネは逆に家父長的・抑圧的・権威主義的。
 彼の話は、大学院生や文系研究者をまるで「神」扱いするものだった。軽く興奮した表情、酔っているようにも恋しているようにも見える目つき、うきうきしたとき独特の半ば踊る踊るような身振りを見ればそのことは伝わった。
 そして、自分を研究者と同じ「聖職者」とみなし、他の日雇い派遣アルバイトを「DQN」よわばりしていた。
 特にあるGという頭文字のつく会社で働く日雇い派遣は、バカばっかりだと彼はさも憎憎しげに叫ぶ。
 わたしと、行方不明になる前の彼氏はその会社で働いていた。何人かのマイミクさんもそこで働いている。その会社の関係者すべてをバカよわばりしてくれた。
 彼は、研究会や組合とのつきあいのなかかから、人を見下し侮辱・愚弄する文化をしっかりと身につけていた。
 欧米崇拝も、大学院へのフェテイシズムも、集団によって個人をおとしめることも、組織の外の人間への非人間的扱いも、当たり前にやるようになっていた。
 経験的に言って、だいたい学校とか大学とかに行くと、こういう自己中心・自意識過剰になる。 知識をつめこむばかりで、人の死に敬意を払うといった感情を破壊されてゆくと、だんだんおかしくなって、大学院進学のころにもなるとこういう状態の人もいるということだ。
 まあ個人の処世術としては正しいのだろう。
 表面では「若者をナメるな」「うちの組合は全然マッチョじゃない」言って、若い世代や女性へのウケ&モテをねらいつつ、ホンネは上の世代・男性にかわいがられるように振舞う。

自律性破壊運動 

教育問題に関しては、「中学・高校で、現代社会・世界史・日本史・政経は必須科目にすべき」だとさえ主張していたのには驚いた。
 どこまでも本人の主体性・内発性つぶしなのだ。アメリカの女性・マイノリティ中心の組合では、そういった「○○工場で何人組織化」といった外発的なやり口をもうやめているところもあるのだが‥‥。

 彼は、ニール、フレネ、シュタイナー、モンテッソーリなどの1920年代に成立した自由教育を敵視していた。
 それらの教育法は、社会的排除を推進する勢力なのだという。とりわけ、東京にある東京シューレという組織を強く憎んでいた。
 オルタナティブ大学の老舗として世界的に高名なアンティオーク大学では、一年の半分は働き、残り半分は座学をする。その大学からは、ハワイ出身の日系移民の労働組合アクテイヴィストも誕生していると、昔あるインタビュー集で読んだ。
 アンティオーク大学は、教育改革者ホレース・マンが設立した大学。以前は黒人奴隷を北部へと逃がす秘密の鉄道のあったオハイオ州イエロースプリングスに本拠地をおく。
 ここでは学生の意見・投票が開講科目に反映される。また、学生からテーマをとなえて少人数指導を受けることもできる。
大学のパンフレットに「うちの大学は公民権運動やレズビアン・ゲイ解放運動が盛んで‥‥」と書かれてさえいる。
 
 そういったフリー・スクールやオルターナティブ教育機関(なかには積極的に人種主義と取り組むスクールやプログラムもある)が「暗記をさせないので学力低下になる」とか、そういうところに行くと「社会問題に関心をもたず組合に入らないバカができて困る」といったことを彼はわたしにまくしたてていた。
これはたしが以前兵庫のほうにあるコミュニティ・スクールの寮に入っていた時期があると伝えたあとのことであり、これは心無いいやがらせ・中傷でしかなかった。

さようなら、研究会S,それに地域密着組合

まあいい。つまらないヤシはどこにでもいる。いくら知識をひけらかして相手がもっともらしいことを言っても、もう相手にはしないぞ。
子どもの権利を擁護するアンファニストであれば、こういう味方のふりをする敵とはつきあいを切ればいいのだ。
そして、研究会Sや、そこつながりの地域労働組合には絶対に所属しない。そこには一銭も会費を納めない。

これにはもうひとつの理由もあって、それは、以下のmixiでのコメント欄のやりとりを見ていただくと分かると思う。 

「知識よりも感情」ゆえに告発する

やはりわたしは一生フリー・スクーラーだ。「知識よりも感情(ニール)」の人間だ。
仮説を崇拝する儀礼のために、過労死や失業者の自殺や、生きられない賃金にあえぐ若者・女性の苦しみを見過ごすわけにはいかない。
ここは、知識よりも感情によって、研究会Sと縁を切る。
そして、この御用学者の卵による、隠蔽色の強い学説への熱狂的支持にまきこまれやしない。
人間、観念的な知識をもてあそんでばかりいると、脳がオーバーヒートして、ものごとの軽重を見失うこともある。それに対して何の警戒も批判も許されない研究会などつぶれてしまってもかまわない。
かつてニールは、アイルランド出身者らしい非知性主義によって「知識よりも感情」を世に問うた。
この記事でとりあげた組織・個人と関わったあと、彼の本を読むと、正気を失わないですむ。
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2007年03月06日
13:10
牧師@ログイン希少

こういう若者が成功すると八代尚宏みたいな御用学者になるんですね。芽をつんでおかないと。

2007年05月29日
22:17
Smile Slime

牧師@ロクイン稀少さん。コメントありがとうございます。
遅レスですみません。

この問題は、中高年男性のなかでの階層分化とも関わっています。
というのは、正社員以外を冷遇する人事管理のシステムは、中高年男性の自殺とも結びついているのです。

日本の会社は、「外様」の従業員にはたいそう冷たい。
だいたい転職すると、不利な条件に縛りつけられます。たいていの場合、正社員のなかで、一番給与も保障も条件のよくないところに、退社時までしばりつけるのです。 (若者・女性はもっとひどい条件で働いています。)
失業・倒産を経験した中高年男性は、低賃金・不安定労働よりも、貯金がわりに入ることもある生命保険のほうが妻子の生活を安定させられることを主な理由のひとつに自殺するという指摘もあるほどです。(もうひとつの原因は、妻子を養えないという「男の面子」問題。)
北欧では、失業率が上がったほうが自殺が減ったという報告もあります。とはいえ、自殺には保険金が降りないとか、セーフティ・ネットの充実とかいったシステム上の違いもありますが。

で、その日本の正社員中高年男性だけに甘く、ほかは極端に冷遇する仕組みを無批判に過労死問題を説明する仮説を、その研究会と、サヨク系人文科学の「信者」のような人たちは、まるで無批判でいるのです。
そのなかには、女性や若者も含まれるというブキミな光景です。
これでは、みなでよってたかって生存権をふみにじって遊んでいるようなものです。
アカデミック・ゲームのおぞましい一面とはこのことでしょう。

もう、ブログのほうでも、できれば固有名詞をあげてでも、批判したほうがいいかな、と思っています。
ちょっと、ひどすぎるので。

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いらないものが多すぎる

知識ばかりで感情のない冷たいインテリは、正社員以外を残忍に切り捨てる。そのための理論を作り、人の命も人権もちっとも大切にしない。にもかかわず、研究会のタイトルに「人権」と入っていたら、ブラックユーモアだ。
いらない。
いらない、もういらない。
すべての「クズ」たちのために、人を殺すシステムを批判・訂正しないようにさせる圧力として機能する知識なんて、いらなーーーーーーい!!!







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4 コメント

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Unknown (alan_smithee)
2007-05-31 17:47:24
私は理系の大学院を卒業して、ポスドクをしていますが、この人物のバカさ加減に呆れ果てました。

学者の世界は生き残り競争が厳しく、院に進学しても大学や高専のスタッフになれるのはごく一部です。こういう問題はここに書いて在ります。
http://d.hatena.ne.jp/kiya2014/20070522
また、このことはワタリさんが動物学の院に進学したとしても直面するであろう問題でもあります。

にもかかわらず、院に進学しただけで、しかももう三十路を過ぎているのに、ここまで自意識過剰になれるのは何なのでしょうか?

ついでに言うと、この人は文系の学問の中でも、(安倍晋三好みの)右派・保守的な思想が好きなようですが、こういう人は自分が三十路を過ぎても定職に就かず結婚もしないことについては、何の罪悪感も無いのでしょうか?

こういう家族がらみの問題について言えば、言っていることとやっていることが違う人が多すぎます。安倍晋三や高市早苗などは、伝統的な家族観を国民に要求したければ、まず自分が養子を10人でも20人でも引き取って、血の滲む思いをして自分で育て上げればいいのです。それが出来ない人間、あるいはこの院生のように適齢期の結婚よりも学者としての夢を優先した(それ自体は悪いこととは決して思いませんが、言っていることと遣っていることが違うことがもんだ印なのです)人物が、保守的な思想を持ち上げて家族に対して上から偉そうにモノをいうことに激しい怒りを感じます。
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年齢の間違い (alan_smithee)
2007-06-15 17:04:38
「大学を出て8年」というところから、この問題の人物を勝手に30代と計算して、間違って書いてしまいました。済みませんでした。それでも、この文章の経歴から察するに30代に近いと推察され、上で書いた問題点には変わりないでしょうが。
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Unknown (ワタリ)
2007-07-17 15:06:23
alan_smitheeさん、いらっっしゃいませ。
まだ書きかけの記事にコメントをいただき、ありがとうございます。
この記事は、あとで修正の予定なのですが、大筋は変えないので、今、スしておきましょう。

ここで紹介した人物は、自分では「中道左派」を名乗っています。
取材その他を通じてお話した印象では、かなり他人を見下しています。そういう「優れたものはごく少数のだけ。そこに自分も入る。」とする経済学的な「希少性の論理」は、おおかたの人たちをマイナス評価します。
それが連帯の障壁となることに、彼はとことん無自覚です。
彼は、わたしの労働・失業経験を聞き取るさい、「たったそれだけ(しか苦労していないの)?」と小ばかにしたニュアンスでたずねてきました。
相手もそれなりに派遣や自動車工場で苦労しているのですが、ほかにも長期失業で困っていて、絶対ブログに書いてくれるなって人もいたり、中卒・高卒で苦労していたり、ブラック企業で働いてさんざな目にあった人もいるのに…だいたい、そんなふうに苦労にランキングつけてどーすんの? 苦労の偏差値意識作って面白いの?って思ってしまいます。

この種の勘違いは、誰か詳しい人から何かを教えてもらって暗記すればOKという発想から来ているのだとわたしは見ています。
彼はまた、「知的好奇心が大事なんです」と主張します。一方、知的懐疑心や知的探究心はとぼしいようです。

こういう、先行研究をいろんな角度から検討し、新しい説を建てる気概のない研究者の卵は、今は組合の御用学者、出世すれば、ほかのどこかの勢力の御用学者になれると思います。
また、こうしたパーソナリティを歓迎し、それ以外の人間には敷居の高い研究会・職場の人権というところもどうかしていると思います。
後ほどくわしく書くかもしれませんが、たとえば、民族自然史研究会という、生態学・人類学・生物学等をミックスしたような話をする研究会があります。こういう雇用問題とは別の研究会の飲み会のほうが、大学院生の追い詰められた環境、現在進行中の大学改革による予算配分の不適当さなどについて、詳しい話をうかがえます。だからとかいって失礼な態度をとる人もいません。

こういう人を「育て上げ」てしまう研究会が、「ニート・社会的引きこもり対策」という、まるで雇用問題隠蔽策のような題目をかかげる組織と仲良くしているのも、利権のニオイを感じるような…。
いずれ、その点について、くわしく調査してみたいです。

返信する
おまけ (ワタリ)
2007-07-17 15:25:42
これは備考です。

ここで話題になっている人物は、予備校時代がよかったと言っています。
彼が昔通っていた某Kという予備校の、国語・小論文コースがよかったと言っていました。
そこの講師は、K塾の名古屋等で教えている著名なM講師がいい、と言っていました。

なぜいいかは詳しく聞かなかったのですが、そのへんにひとつの鍵があるという気がします。

以前、わたしも同じ系列の予備校に、社会的圧力によって押し込められたことがあったのです。
そこで、件のMという国語の講師は、強烈な反組合論者です。彼は、組合の存在そのものに反対しています。日本の自動車メーカーがイギリスに進出する条件は、一企業一組合というものでしたが、彼はそのはるか先を行っています。Mは、労働者の権利などどうでもいいわけです。
また、Mは、子どもの権利に反対する論者でもあります。あの石原都知事も応援している戸塚ヨットスクールを擁護しているのです。
第三世界の少年兵問題についてのMのコメントは、今も忘れられません。なんとMは、こう言ったのです。「その子たちは自由に麻薬をやれて、いいじゃあないか。」
ちなみに彼は元全共闘です。このサヨク的粋がりのために第三世界の子どもの権利を無視した物言いには吐き気がしました。

また、その予備校で小論文の講座をわたしも受けましたが、ハッキリ言って形だけでした。
一応、何かテーマと字数を定めて、場合によってはタイトルやサブタイトルもつけて文章を書いていきます。講評が帰ってくるのですが、三浪して文系の院に入った現代思想オタクっぽい講師が、「こんな文章ではダメ」と赤ペンでコメントするばかりで、どこをどんなふうに書き直せばいいかという指摘はなし。
「少なくない」のでは意味が通らない! だから「多い」と書かないといけない、など細部拘泥主義的、ニュアンス・文脈無理解的、強迫観念的な「指導」をしていました。そのアホらしさにウンザリしました。
その講師はまた特権主義者でもありました。自分が文化社会学をやっている。それは、旧帝大の院に入った自分のような小数の優れたものだけがやれることだという「希少性の論理」を彼は持っていました。
それなので、わたしがブルデューの「再生産」を読んでいるということを告げると、パニックになっていました。元登校拒否児に文化社会学の書を読む権利も能力もないはずなのに、秩序が乱れた! ってな顔をしていました。
また、以前400字づめで50枚の文章を書いた経験があったのですが、そのこともまた理解しがたいようでした。何かとわたしを嫌がり、つっかかったり無視するそぶりをするので、対応が大変でした。

この記事で批判した彼は、Kという塾の京都校に通っていたのですが、大方、同じような方針とノリのところだったのでしょう。
そこを面白くないとするか、サイコー! とするか。
人によって、ぜんぜん変わってくるのですね。



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