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反貧困運動? ちょっと待って

2007-08-18 19:47:09 | 現状
反貧困運動というものが、最近起こっている。http://antipoverty07.blogspot.com/

この運動のネーミングを始めて知ったとき、違和感が走った。
どうして反貧困をやるのだろう。貧困ってそんなに悪いことか。

いったい、反貧困とは?
・貧困者の苦難を隠蔽するのも反貧困だ。
・ホームレスを公園から排除するのだって反貧困運動とも言える。
・失業者・半失業者に対して就業者が「仕事に対して無責任」「ヤル気がない」などと責めたり裁いたりするのも反貧困だ。
・「自分が悪いから日雇い派遣労働者になった」と日雇い派遣の人を、正規雇用の人間が攻め立てるのも反貧困だ。
・四国八十八箇所をめぐるお遍路さんを、落ちこぼれ・乞食と陰口をたたくのも反貧困の運動だ。
・インドの修行者を貧乏ったらしいと非難するのも反貧困だ。
・安いアパートや銭湯を取り壊して、ワンルームマンションばかり作るのも反貧困だ。

その貧困が政策的に押し付けられ、また本人たちが苦痛を感じているのなら、そこから脱却すべく個人的または社会的に努力をすることは構わないとわたしは考える。
ただし、望んだ貧困、共同体から認められる貧困(巡礼者・出家修行者など)、本人が誇りに思ったり満足できる貧困、やむをえないけれどしばらくはその状態であってもよいような貧困(道端ぐらし)、貧困層から起こってきた文化(パンク・ロック、ヒップポップ・ダンス、伝統諸宗教)などまで否定・破壊するのだとすれば、いただけない。

ひとくちに貧困といってもいろいろなものがある。
賃料200万円の六本木ミッドタウン・ヒルズに住まう人たちだけが価値があるのではない。
日雇い派遣労働者にむかって、悔しければがんばって六本木ヒルズに住めるようにしろと説教するような反貧困運動であってはならない。

実は、この反貧困運動を担っておられる方たちに取材しているわけではない。なので、その正確な目的やニュアンスなどまでは、分からない。

それでも貧困に反対するという運動の名前の付け方は、いかにも貧困者やその文化に敵対的・好戦的だ。
この運動の名前に金持ちにあこがれ、それゆえに貧乏を憎み、貧乏を罪悪視する視点を感じ、違和感と疑問を抱くのはわたしひとりだろうか?

貧乏をタブーとして恐れたり、忌避したりするところから貧乏からの自由も貧乏への自由も生まれない。
貧困を見据え、貧困であっても誇りをもって生きていけるようにすることが大事ではないだろうか。
貧困だからといって、罪悪視したり、社会的タブーとする考えがもしもないか弱いならば、ホームレスへの排除も、フリーターへの中傷も和らぐのではあるまいか。
好むと好まざるとを問わず、道端ぐらしをしなければならない状況は誰にでもある。それに対して反対するとは、ホームレスが町からいなくなるようにベンチに仕切りをつける発想と親和的である。
フリーターがいけないなら、自衛隊に入ってサマワ駐屯地に行けという政治家の発言があった。これだって、反貧困運動である。

相対的に金のある弁護士がこういう慈善をやるのは、勝手にやればいい。
しかし年収50万とか100万とか0円の人たちがそれに賛同するというのは、わたしには理解しがたい事態である。なおかつ、目の前が真っ暗になる運動である。




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2 コメント

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その人が望む生活とは (みれい)
2007-08-29 23:34:56
 はじめまして。
これについては
生活に支障がないのが「貧乏」、生活に支障があるのが「貧困」と分けたほうがいいのかも知れません。

派遣でも食事を取っていなくてふらついていては「こんなのよこすな!」と派遣会社に電話を入れられてしまいます。

 野外生活を望む人と野外生活を望まない人の両方を尊重するには、様々なライフスタイルがあると思っておく必要があるのでしょうか。
個人的には北関東の全日本貧乏協議会のウェブマガジン「耐乏PressJapan.」はムック「つくばスタイル」にライフスタイルの提案という点では引けを取らないと思っています。
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生活とは? (ワタリ)
2007-09-03 23:31:20
みれいさん、ご意見、それにサイトの紹介も、ありがとうございます。

みれいさんのご提案、ちょっと分かりにくいのです。
なたのご意見によると、生活に支障があるかないかで、貧乏と貧困を分類するってことですよね。
それじゃ、その生活というのはどういうイメージなのでしょう?

それがもしも、地球環境と共存しえない先進国の中流の生活のことを指しているのだとしたら、賛成できかねます。

こうした反貧困運動の問題点は、貧困に敬意を払わないこと、それに先進国の中産階級的な生活水準を絶対視している点にあると思われます。
そういった生活は、派遣労働者や発展途上国の伝統的な生活よりも豊かだとか、世界中がそれを受け入れるべきだとでもいうのでしょうか?
それはとてもすごい、強引で傲慢な発想ではないでしょうか?

なお、この運動を提唱したのが人権派弁護士だという点にもわたしはひっかかっています。
おそらく彼がまだ小さかったころには、六本木ヒルズ族よりも、医者や弁護士のほうが社会的地位が高かったはず。
そして、バブル期には資産を株につぎこめた世代の人間です。
そういう人が反貧困運動をやるというのは、貧困によって脅かされる人たちの人権を守ろうとしているのだと思うのです。
すでに貧困状態にある人たちは、すべて悪であり、不幸であり、あってはならない存在でしょう。
人はすべからく出世すべき、まずは弁護士に、次は株でもうけるなり派遣会社で設けるなりして、六本木ヒルズやミッドタウンへ。
それができない人は、終わりのない教育・啓蒙によって道徳的に善導しねkればならない。
それがこの人権派弁護士の基本的な考えと推測されます。
要するに、「自分も貧困になるかもしれない。だから近所の公園にホームレスがいたり、家族親族に派遣労働者がいるのはイヤだ」とする、貧困者差別をする層の人権は大事だが、それによって名誉を傷つけられたり、搾取されたりする側の人権はどうでもいいのでしょう。

たとえ百人の会議で99人に反対されても、わたしは反貧困運動などという貧困者の尊厳をふみにじる社会運動には到底賛同しないものです。




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