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「林原家同族経営への警鐘」 林原健著 "人の話を謙虚に聴くことの大切さ”

2015-03-28 01:31:44 | 本の紹介
株式会社林原が1,400億円の負債を抱えて会社更生法により整理することになった。父の急死により社長業を19歳で引き継いだ。大学2年生になったばかりだった。50年社長を行い、会社を大きくしてきた。マルトースの製造、インターフェロンα製造、トレハロースの製造など画期的な製品を造って来た。
経理は実弟に全て任せていたため、不正帳簿がずっと続いて来ていたのを把握していなかった。メインバンクから監査人を置くように言われていたが、必要ないと判断して来た。取締役会も株式の全てを林原一族が持っていたことから、一度も開いていなかった。取締役会を開いたことにして重要な案件が議事録として社長の印を押していたが、それも把握していなかった。
同族経営の良さとして、研究開発に多くの投資が社長の判断でできたことにより、長期テーマについても研究ができたことが上げられる。会社更生法での整理に至った原因は経理を担当していた弟のコミュニケーション不足だった。兄弟との思いで根拠のない全面的な信頼をおいていた。チェック機構がなかった。林原の売り上げは280億円であったが、土地を多く所有していたため、1,400億円の借り入れがあっても十分担保があると思っていた。
ソニーでは井深氏と盛田氏、ホンダでは本田氏と藤沢氏のように良い関係で成長して成功したケースがあるが、大きな違いは林原は女房役が身内だったことである。

感想;
“驕れる者久しからず“の言葉があります。驕ってはおられなかったと思いますが、謙虚な気持ちが薄らいで行っていたのでしょう。監査人を置かなかった。取締役を開催しなかった。取締役会議事録を確認しなかったなどのやるべきことをやっていませんでした。「岡山では、林原健(社長)にものを言えるひとがいない」と言われるほどになっていたそうです。”実るほど頭が下がる稲穂かな“を実践することはとても難しいのでしょう。
本田宗一郎はラジエーターを空冷式に拘っていたそうで、技術者も本田宗一郎を説得できなかったそうです。その時、藤沢(女房役)が本田に「技術のことは技術者にまかせないのか」と伝え、水冷式に切り替えました。本田の拘りが会社に悪い影響を出し始め、藤沢は本田に社長を辞めることを迫り、それを本田は受け入れました。本来なら藤沢が社長を引き継ぐところを、本田と一緒に藤沢は副社長を辞任しています。林原にはそういう人がいなかった、そういう人を見出さなかったのも大きかったのでしょう。


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