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兵庫県斎藤知事に県議会の全会派が「辞職申し入れ」… “不信任の議決”を避けたい「議員たちの思惑」とは? ”斎藤知事が自ら辞職することはない”

2024-09-10 15:03:18 | 社会
 県職員への「パワハラ疑惑」の渦中にある兵庫県の斎藤元彦知事に対し、9日午後、県議会で知事与党と目される「維新の会」が辞職の申し入れを行った。その他の4会派もすでに、12日に斎藤知事に対し辞職の申し入れを行うことを決定している。9月19日に開会する県議会の定例会初日を待たず、なぜ、このタイミングで申し入れを行うのか。この先、知事が辞職しなかった場合、県政の運営にどのような影響を与えるのか。 

なぜ県議会開会直前のタイミングでの「辞職の申し入れ」なのか?
 もし県議会で不信任決議案が提出された場合、現状、県議会の定員は86名なので、全員出席したとすると、仮に維新の会(21議席)が反対しても4分の3以上(議長を除く64名以上)の賛成多数で可決される可能性がある(地方自治法178条1項・3項前段参照)。 兵庫県議会の各会派にとって、9月19日の本会議開会まで待たずに議会の外で辞職要請を行う意味はどこにあるのか。 維新の会については、先の県知事選挙で斎藤氏を支持した手前、議場での不信任の議決に至り「踏み絵」を踏まされるのを避けたいという思惑が見え隠れする。しかし、他の会派はなぜか。東京都国分寺市議会議員を3期10年務めた三葛敦志(みかつら あつし)弁護士に聞いた。 三葛弁護士:「議員の立場としては、なるべく首長の不信任の議決を避けたいという思惑がはたらきます。 なぜなら、『武士の情け』『公開の場で辱めを受けさせない』といった配慮もありますが、首長が不信任決議に対抗して議会を解散する可能性があることによります。 その場合、県議会議員選挙が行われることになりますが、その選挙は選挙費用がかかることに加え、議決した自分自身が落選してしまうリスクがあります。 議員にはそれぞれ、取り組んでいる政策課題があります。任期まで務め上げることを前提に、志を持って活動してきたのに、首長の不祥事が原因で、任期満了を待たずに道半ばで議員を辞めなければならないリスクを負うのは、好ましい事態ではありません。 選挙が4年に1回行われることを前提として人生設計をしている議員も、少なくはありません」 議会が首長の不信任の議決を行うことは、同時に、議会を構成する議員も任期を全うできないリスクを負うことを意味する。だからこそ、首長への「武士の情け」のような配慮もあいまって、首長の側から自発的に辞職してくれることが望ましい、ということになる。

知事が「辞職しなかった場合」の“2つのシナリオ”

議会側の申し入れに従って知事が辞職すれば、新しい知事を選ぶことになる。あるいは、議会が9月19日開会の定例会で不信任の議決を行い、知事がそれに従って失職する場合も同様である。 では、知事があくまでも辞職を拒んで続投しようとした場合、どのような展開が考えられるか。シナリオは2パターンに分かれる。 第一のパターンは、議会が不信任の議決を行い、それに対し、知事が議会を解散した場合である。 選挙の結果、知事に反対する議員が過半数を占めた場合、議会は再度の不信任の決議を行うことが考えられる。再度の議決については決議要件が緩和されており、出席数の2分の1で成立する。この場合、知事は失職することになっている(地方自治法178条2項・3項後段参照)。 問題は第二のパターン、つまり、議会が知事に対し「辞職の申し入れ」ないしは「辞職勧告決議」を行うにとどめ、不信任案の議決を行わなかった場合である。 三葛弁護士:「その場合、知事は『レームダック』と化し、県政の運営はきわめて困難かつ不安定になることが想定されます。 たとえば、予算案を通すには、議員の過半数の賛成を得なければなりません(地方自治法211条、116条)。 知事が独自の政策を実現しようとしても、その政策的経費が認められる可能性は極めて低く、ほぼ絶望的かもしれません。 市議会議員を務めた経験から、肌感覚として、議会が不信任案決議をしようと思えば可能な状態、つまり議会で首長の味方をしてくれる(少なくとも不信任案に反対する)議員が4分の1より少ないというのは、首長にとって相当に切羽詰まって苦しい状態です。 ましてや、現状、知事は与党と目される会派も含め、すべての会派から辞職を要求されています。 それでも知事が留任しようとすると、県政の著しい停滞を招くのは避けられないでしょう。改めて県議会が不信任の議決へと動く可能性があります。 そして、事実上は、『死に体』となった知事に対し、『猫の首に鈴を付けるのが誰か』、つまり誰が引導を渡すのか、ということが注目ポイントとなります。 また、住民からの解職請求(リコール)の動きが出てくる可能性も考えられます。」 斎藤知事は、想定されるこれらのシナリオを前提として、県議会定例会初日の9月19日までに自身の進退について最終的にどのような判断を行うのか。注目される。

感想
 斎藤知事は少しでも長く知事でいたいのです。
「オレは知事だぞ!」と言いたいのです。
ですから、議会を解散するでしょう。
そうすると数か月知事で居られます。
ネットで調べると、112万8千円/月のお給料がでます。
粘って5か月いたら500万円入ってくるのです。
ほぼ日本人の世帯主収入です。
 強い力が働かない限り、辞めないし、不信任決議されても議会解散です。
困った知事を選んだ県民と維新、それと推薦した自民党の責任ですから。
維新だから大丈夫と思うと、こういうことがあるのでしょう。

学歴や肩書より、その人の人格から判断しないといけないのでしょう。

「日本語おもしろ雑学」坪内忠太著 ”知らないことばかり”

2024-09-10 09:50:50 | 本の紹介
・「敗軍の将、兵を語らず」の兵は部下のことではない?
「兵法」の「兵」

・「さいさきが悪い」というのは、どこが変?
「さいさき」は漢字で「幸先」だから、後に続くのは「いい」でなくてはならない。

・下手くそな役者のことを、なぜ、大根というか?
どんな食べ方しても、どんなにたくさん食べてもお腹を壊さないことだ。絶対に当たらないのだ。

・あたたかい部屋を漢字で書くと、「暖かい部屋」か「温かい部屋」か?
暖かいはおもに気温、温かいは物の温度を表すと覚えておいてもいい。

・刺身はどう見ても切り身なのに、なぜ「刺す」か?
一般の人には何の魚かわらない。そこで、昔は、魚の尾鰭を切って身に刺して出した。だから「刺身」というのだ。

・「その一言で夫婦の絆が深まった」は間違い。どこが?
絆とは牛馬をつなぎとめる綱のことで、それが「人と人との結びつき」に転用されたものだが、綱だから深くはならない。「強くなる」「太くなる」「固くなる」という言うべきである。

・「五里夢中」と書いたので間違い。なぜ?
「五里霧中」

・「袖振り合うも多少の縁」は間違い。どこが?
「他生」

・嫌な相手を「虫が好かない」というが、この虫は何の虫?
(道教では)人体には3匹の虫が住みつき、いつもその人を監視している。そして、時々抜け出し大帝のもとにむいて、その人の行状を報告するのである。日本では、江戸時代になって、この3匹に、それぞれ3匹の仲間がいるとし、合計9匹の虫が体内で蠢(うごめ)いて快、不快、上機嫌、不機嫌などの感情(や意識)を引き起こすと考えられた。
 そこから。「虫が好かない」「腹の虫がおさまらない」「虫酢走る」「虫の知らせ」「虫がいい」「泣き虫」「弱虫」などの言葉が生まれた。

・「志望校に合格して有頂点になる」は間違い。なぜか?
「有頂天」

・なぜ、別れる時の挨拶は「さようなら」か?
「左様(然様)ならば、おいと申す」と言っていた。その言葉が省略され「左様なら」だけが残ったのである。

・「なおざり」と「おざなり」を上手く使い分けられるか?
なおざりは等閑と書く漢語で、なすこともなくうかうかと過ごすこと。
一方、おざなりは漢字で御座なりと書き、その場しのぎでいい加減にやることである。

・酔っぱらうことをなぜ「トラになる」というか?
昔、酒のことを竹葉といった。そして、竹藪につきものの動物はトラだから。

・「今年は台風の当たり年」というのは、少しおかしい。なぜか?
「当たり年」は、本来、果物の収穫順調なことを指してzいうのであって、そこからいいことがたくさん起こった時に使う。

・夫婦の縁を結ぶ目に見えない絆を、なぜ「赤い糸」というのか?
中国・北宋の説話集『太平広記』の「赤い糸」
https://mag.japaaan.com/archives/173088
「小指には運命の赤い糸…」の伝承の起源は中国の摩訶不思議な恋物語にあった?

・「君は僕にとってかけがいのない人だ」はちょっと変?
「かけがえのない人」
「かけがえ」とは「掛け替え」で、床の間の、掛け軸の「掛け替え」のこと。「掛け替えがない」のだらか、他のものにかえられないということだ。
「かけがえのない人」は、だから、とても大切な人である。これに対し、「かけがいのない人」は「賭けるほどの甲斐がない人」だから、どうでもいい人だ。

・「あの人の話は、いつも口先三寸だ」は間違い。なぜ?
「舌先三寸」

・常識はずれを無茶というが、「茶」が無いことがなぜ常識はずれか?
昔から、日本人の習慣として、お客が来たたお茶を出して接待するのが常識になっている。だから、用件に気を取られ、うっかりお茶をださないと「著もださない!」とその非常識を責められた。そこから常識はずれを「無茶」というようになった。

・操業が古いだけの店を「老舗」とはいわない?
「しにせ」は大阪で使われていた「仕似せる」が語源の言葉だ。
 これは文字通り真似ること、すなわち、セインぞ代々の商売のやり方をそのままに守っているという意味である。そうすることで客の信用が築かれ、おのずと店が長く続く。古いだけで、儲けのために商売のやり方をその時々で買えた見せ(企業)は、老舗と言わない。

・皇居吹上御苑の入り口を、なぜ半蔵門というか?
江戸時代には、この門の前部に伊賀忍者の棟梁・服部半蔵の屋敷があり、一朝有事の時は、半蔵が守ることになっていたので半蔵門と呼ばれた。

・あの人はいつも「的を得た発言をする」は、どこが変?
「的を射る」

・結婚式の祝辞でよく聞かれる「鴛鴦(えんおう)の契り」とは?

・四字熟語の「自我自賛」は明らかな間違い。なぜ?
「自画自賛」

・「あの言い方には怒り心頭に達した」は間違い。どこが?
「怒り心頭に発する」

・この四字熟語「画竜点晴(がりょうてんせい)」はどこが間違っているか?
「晴」ではなく「睛」、「睛」はひとみである。

・ヒマワリの花は本当に太陽の方を向いて回るか?
ヒマワリは、太陽の無機に首を回す不思議な花ということでつけられた和名だが、この動きはつぼみの期間の成長期だけの現象で、花側咲くと動かなくなる。

・「寸暇を惜しまず勉強した者は合格する」は間違い?
「寸暇を惜しんで」である。

・「箱根では大名行列の催しが古式ゆたかに行われた」は間違っている?
「古式ゆかしく」

・「みんなに激を飛ばす」は、気持ちがわかるが字が違う?
「檄を飛ばす」

・「焼けぼっ栗に火がつく」はこれでいいのだろうか。どこがおかしい?
「焼けぼっ杭(くい)

・「インド株でぼろ儲け。濡れ手に泡だったよ」はどこが変?
「粟」

・「進退谷まる」と書いて「しんたい〇〇まる」と読む。何と読むか?
「きわまる」

・人にこびへつらう人を、なぜ「ゴマすり」というか?
すり鉢で擂り粉木を使ってゴリゴリつぶした。すつと凹んだところにつぶれたゴマがこびりつく。その容姿が、むやみに他人に追従する人物に当てはまるようだというので「ゴマすり」という言葉が生まれた。

・希望者が多いことを「目白押し」というが、なぜ目白か?
小鳥のメジロである。この鳥は枝に横一列に止まり、まるで大勢で押しくらまんじゅうしているように見えることがある。これを目白押しと。

・バカのことを、なぜアホウというか?
アホウは漢字で阿呆と書くが、もともとは阿房(あぼう)だった。阿房とは阿房宮(きゅう)のことで、秦の始皇帝が転嫁を統一した後、建造した巨大宮殿である。・・・
「後宮の美紀3,000人」だ。この史実から、日本では、はたはずれにバカなことをする者を「阿房」というようになり、さらに関西地方では、「阿保」と字を書きかえて使われるようになった。

・人生の栄枯盛衰ははかないという故事は「一睡の夢」でいいか?
ご飯が炊き上がらないくらいの短い間だからこれは「一炊の夢」書くのが正解だ。「「盧生の夢」「邯鄲の夢」ともいうが、一睡の夢」は間違いだ。一睡の夢」は間違いだ。

・なかなか結末に至らないことを長丁場というが「丁場」とは?
丁場は、江戸時代の、宿場と宿場のことである。その距離はマチマチだが、時に遠いところを、駕籠かき人や飛脚が「長丁場」といっていた。

・「あの人が社長だとはゆめゆめ思わなかった」はよくない言い方。なぜか?
「ゆめゆめ」は漢字で「夢々」ではない。「度々」だ。だから、「ゆめゆめ思わなかった」は「夢にも思わなかった」とはならない。「努」は「けっして」という副詞なので、「努々」は「けっしてけっして」だ。だから禁止表現の「してはならない」が次に続く。「あの人が社長でないとはゆめゆめ思ってはならない」ならいい。あるいは素直に「あの人が社長だとは夢にも思わなかった」でもいい。

・キリスト教ではなぜ、お祈りの後「アーメン」というのか?
「然り!(その通りだ)とだけいって済ますことにした。そのヘブライ語(ユダヤ人の母語)が「アーメン」である。これがそのまま、古代ユダヤ教から派生したキリスト教にも受け継がれた

・「社長は多忙で取りつく暇もない」は間違い。どこが?
「取りつく」とは「取りすがる」だから、「暇に取りすがる」では意味が成り立たない。正しくは「取りつく島がない」だ。
もともとは広い海で、船頭が、船を寄せておく島のないことをいい、そこから相手がつっけんどんなことにも使うようになった。

・「このたわけもの!」と人をののしるが、「たわけ」とは?
「たわけ」を漢字で書くと「田分け」である。
何人もの子どもに田を分けてやると、一人の面積は小さくなる。その子が自分の子どもに分けるとさらに小さくなり、さらにとどんどん小さくなって、とうとう農業を続けられなくなる。
 だから「田分け」は愚か者のすることであり、そこから、「たわけもの」という言葉ができた。

・「前者の轍を踏まないように頑張れ」には間違いがある?
「前者」がダメ・「前車の轍を踏まない」だ。轍とは車輪の跡で、「前車の轍を踏む」とは、前に通った車の跡をそのままなぞることだ。そのままなぞるのだから、前の人と同じ過ちを繰り返すことになる。だから踏まない、のだ。

・相談することを「打合せ」というが、なぜ「打つ」か?何を打つのか?
コンサートでは、演奏が始まる前に音合わせが行われる。オーケストラえはコンサートマスターのバイオリンにみんなが音程を合わせる。雅楽でも演奏前に、打楽器を打ち鳴らし、弦楽器、管楽器の調子を合わせる。これが「打合せ」だ。

感想
 全部で286個が取りあげられていました。
 日本人なのに日本語知らない、間違って使っているとつくづく思いました。

 また、その言葉の語源を知ると面白いですね。
阿呆と馬鹿は関西と関東ではニュアンスが違います。
関西で阿保とは”愛らしい”ニュアンスもあります。
桁違いのこと、想像できないことをするからの意味があったのでした。