幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「面白くて眠れなくなる宗教学」中村圭志著 ”自分の信じている宗教を知る”

2019-10-06 03:37:37 | 本の紹介
・宗教は教えを信じたり実践したりするもの。宗教学はそんな信者たちの信念や実践を客観的に眺め、宗教ごとの違いや共通点を見ていくもの」

・宗教とは聖と俗の二元論で成り立っている世界である。

・「回心」と「改心」
 「改心」は道徳的に「私が悪うございました」と反省して心を改めることです。
「回心」とはそれまで神様仏様を信じなかった人が、人の向きを180度回転させて、神様仏様のほうを向くようになることです。

・ブッダを漢字で書くと仏陀となりますが、現代中国語ではフォトゥオという発音。これが古代にはポトとかプトに近い発音でした。それを聞いた古代日本人が、接尾辞ケを添えてという大和言葉をつくりました。

・大宗教はどれも、信者に自己中心からの脱却を促す教えを持っているからです。

・宗教団体によっては信仰 」
 そうした証言は、科学的・」統計学に無意味なものです。

・どんな宗教も、矛盾した両方向の戒めをもって信者を導いています。

・善い部分も悪い部分も複雑なネットワークをなしているのが「伝統」や「歴史」というものであり、宗教もまた、そのような複雑な伝統だと考えるべきでしょう。

・キリスト教 マクロには次の四つの流れを区別するのが便利です。
1)中東の各派
2)東方正教会
3)ローマカトリック教会
4)プロテスタント諸教会

・イスラム教 信仰対象(6っつ)
1)唯一複数の天使も信ずるべき六つのことです。
2)複数の天使も信ずるべきとされます
3)預言者
4)経典を信じる
5)来世つまり終末後の世界
6)定命つまり神が一切をご存知あることを信じます。

・五行(行うべき5つの事柄)
1)神とムハンマドを信じるということの告白。
2)サラート 1日5回、定められた時刻にメッカに向かって行う礼拝
3)ザカート(宗教的な献金・税金)
4)イスラム暦のラマダーン月の断食
5)ハッジはメッカへの大巡礼

・ヒンドゥー教
 神道などと同様、多数の神々を拝むのですが、最も人気のあるのはヴィシュヌ神とシヴァ神

・ヒンドゥ教の世界観は輪廻と解脱の二本立てになっております。

・仏教に取り込まれたインドの神々
 梵天、帝釈天 弁財天 毘沙門天

・梵我一如「大宇宙の本質(梵)と小宇宙である人間の本質(我)とはイコールなのである」

・ブッダ(仏陀)は「目覚めた者」という意味で、もともとは、悟りを開いた開祖の称号でした。それがやがて神格化され、カミサマのような存在となり、しかも宇宙中に多数のブッダ(諸仏)がいることになっています。つまり、釈迦の他に、阿弥陀、毘盧遮那、大日といったブッダが進行を集めています。中国や日本の浄土信仰では「南無阿弥陀仏(私は阿弥陀仏に帰依します)」と念仏を唱えます。阿弥陀仏は鎌倉の大仏にもなっています。奈良の大仏のほうは毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)で、これは宇宙の真理を表したブッダ。

・新来の一神教はそうした政治的な権力の横暴を糾弾しました。キリスト教もイスラム教も「一神教は人間の平等を保障し、多神教は人間を差別する」という通念をもっています。もっとも、いざキリスト教やイスラム教が権力を握ってしまうと、今度はそれらの宗教が権力をふりかざし、異教徒を差別するということを行ってきました。まさに「歴史は繰り返す」です。

・アニミズムの語源となったアニマとはラテン語で「魂」のことです。それはもともと息を意味する言葉だったようです。呼吸は生命の基本ですから、古来、人類は息を生命の本質と考えてきました。英語のスピリットも本来は息のことです。アニマと関係のある言葉に、アニマル(動物)があります。これも語源的には「息のある、生命のある」という意味です。そして絵を命あるもののように動かす技術をアニメーションと言います。

・聖書の天地創造の解釈で、ふるっているのは、日本の仏教哲学者である鈴木大拙によるものです。彼は戦後にアメリカの大学などで禅を抗議し、禅の国際的普及に努めたのですが、ある国際会議の席上で、創世記の天地創造の話を持ちだしたそうです。
「神は六日で天地を創った。だが、誰がそれを見ていたのか?」
そう大拙は問うのです。何のことだか分からない出席者たちはポカーンと口を開けて、大拙の次の言葉を待っています。大拙はおもむろに、「わしが見ていたんじゃ」と答えたというのです。
これは神話の解釈として、ひとつの重要な視点を投げかけた問答だと言えると思います。というのは、太古の神の業として書かれていても、それを読んでいるのは今の人間です。あなたや私がその神話を読んでいる。人間が生まれる前の天地創造の日々の様子を「見ている」のは、他ならぬ、その神話を今現在読んでいる「私」であり「あなた」なのです。
神話を「歴史の記録」として読まない以上、究極的には大拙のような読み方が常に出てくるはずです。神話は、遠くの他人のことを語っているのではない。あなた自身の心の問題を語っているのだ、と。

・宗教のコアにあるのは神仏の話-神話や神学-ですが、もう一つのコアと言っていいものが儀礼です。・・・ そういう意味不明の反復動作を儀礼と呼ぶわけですが、それでも、それは心を落ち着かせるとか、神仏を大切にする心を養うとかの目的があると言えます。・・・
いずれも、絶えず揺れ動く意識に囚われることを止めさせ、心を静かな境地にまで導き入れるための反復トレーニングだと言えるでしょう。

・地獄、煉獄、天国(キリスト教のカトリックでは、死者のほとんどは煉獄に行きます。
煉獄説は中世後期からある説なのですが、これには副産物というか副作用がありました。協会は、煉獄での罪滅ぼしが軽くなると言って教会への寄付を募りました。つまり、「煉獄の沙汰もカネ次第」になってしまったのです。
16世紀にカトリック教会の堕落を批判して始まったプロテスタント諸教会では、煉獄説は取りません。自分が死後・終末後がどうなろうと、神様次第である。神様の意図を検索するのはよしにして人間は生前のことに励めばいい。という精神でやっています。

・(宗教活動には)三つの救いがあります
1)人々の連携
2)「神仏やご先祖様の霊の働きで、事態が改善する」というマジカルな期待を持たせてくれるという救いです。
3)回心の救いというのが、宗教の公式教養の「救い」ということになるようです。

・芥川龍之介作「蜘蛛の糸」は「赤い鳥」という児童文学雑誌の創刊号で発表

・佐野洋子作「100万回生きた猫」国内だけで200万部販売
 この物語がすごいのは、二度と生まれないという落ちが一種のハッピーエンドとなっているとこころです。

・実際、宗教改革以降に起きたドイツ地域の宗教戦争は破壊的なものでした。人口は減り、商業は打撃を受け、ドイツの発展を遅らせたと言われています。

・自分と宗教とは無縁だと思っている人のほうが、自分が無意識に受け入れている根拠なき信念について無知なままにとどまり、宗教を通じて信念の問題と取り組んでいる人のほうが、「自分の信じていることは正しいのでしょうか」と絶えず神仏と対話することによって、信念の相対性を自覚し続ける、ということすらあるのです。

・宗教の歴史は批判の歴史
古代のユダヤ教徒は多神教の偶像崇拝が人々の搾取につながることを批判しました。ユダヤ教の伝統の中に現れたキリストは、ユダヤ教の神の律法の進行がかえって偽善を生んでいることを批判しました。そして後発のイスラム教は、ユダヤ教やキリスト教が神の教えを人間が勝手に煩雑化したものではないかと批判しました。近代の宗教改革の中で、プロテスタントは従来の教会の腐敗を批判しました。
釈迦はバラモン教の呪術的権威やカースト的秩序を批判しました。大乗仏教の運動家は釈迦以来の教団が形式主義に陥っていることを批判しました。念仏の行者たちは従来の仏教がエリートにしかできない複雑な修行の受圧の中にあることを批判し、儒学者は仏教が家をないがしろにしていると言って批判し、日本の国学者は儒教も仏教もわざとらしい理屈に溺れていると言って批判しました。
こういう批判の精神を受け継ぐ形で、近現代の世俗の社会が誕生しました。

・宗教学の領域
 ・宗教社会学 デュルケム、マックス・ウェーバー
 ・宗教心理学 ウィリアム・ジェイムズ、ジークムント・フロイト、ユング
 ・宗教人類学 タイラー、クロード・レヴィ=ストロース

感想
宗教の歴史は批判の歴史とのこと。
なるほどと思いました。
批判から新しいことが始まり、批判され既存は身を正すのでしょう。

宗教は生き方、考え方を考えるうえでも重要なのだと思います。

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