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よろこび多いまち喜多方のおばあちゃま -瓜生岩子物語 ”日本のナイチンゲールと呼ばれた”

2024-07-14 09:14:14 | 本の紹介

<内容紹介>
 動乱の幕末、官軍の大軍に攻め込まれた会津は市街戦となったが、その惨事を見過せず独り犠牲者の看護に尽力。 敗戦に無気力化した人々に働く喜びを与え、孤児や女性、老人らの味方として学校や病院を建設。 貧しい農村の悪習、堕胎に取り組み、磐梯山の大噴火、明治三陸沖大震災でも救援活動に邁進した瓜生岩子の生涯を描く。



弘化2年(1845年)17歳の春、高田在の名主佐瀬氏の次男茂助を婿養子に迎え、若松に呉服店を開く。やがて1男3女をもうけ、商売も順調に進むかにみえたが28歳の時、夫茂助が喀血。以後夫の看病、子供の世話、夫に代わっての商売と精一杯の人生を歩む。こうした矢先、頼りとする叔父が他界、番頭が店の金を持ち逃げするなど不幸が相次いだ。7年間の臥床の末に夫は死亡し、翌年には母も他界。なす術もなく母と同じ運命を背負って熱塩の瓜生家に再び身を寄せたのである。絶望に打ちひしがれた岩は、母の菩提寺示現寺の隆覚禅師に「尼になりたい」と訴えると、逆に「お前より不幸な人は大勢いる、もっと不幸な人のために捧げなさい」と諭され、師の貧者救済の教えに立ち直ったという。

感想
 この人を知りませんでした。
郡山の高齢者大学の6回の講座でこの人を取り上げていて、さっさくネットで調べ、この絵本を図書館から借りて読みました。

 たまたま郡山で講演することがあり、30人参加者で、この人のことを知っている人を尋ねたらお一人だけでした。
瓜生岩子さんと同じ喜多方出身でした。
若い人だったので、ご存知ないのかもしれませんが、郷土の偉人はやはり知っておきたいものです。
 
 そう言えば、埼玉県の三大偉人を知らない埼玉県民の方が多いです。

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