幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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「言い訳関東芸人はなぜM-1で勝てないのか」ナイツ塙宣之 聞き手 中村計 ”笑いを生みだす努力”

2020-10-11 01:58:00 | 本の紹介
・この20年、いや、小学4年生のとき、幼稚園でウンコを漏らした話をタネに『ウンコの歌』を作って「お笑いデビュー」してからというもの、目が覚めている間中、考えて続けてきたことを。何を考え続けてきたか。どうしたらウケるか。この一点です。僕はそこだけに生きる意味を見出し、そのお陰で、日本人に生まれた以上、平等に訪れるだろういくつかの人生の山を乗り越えることができました。

・それで、クラスメイトがまたからかってきたとき、ここぞとばかりに叫びました。
「そうだぜ! 俺はウンコ野郎なんだぜー!」
そして立ち上がり、熱唱したのです。
<そうー、あれは5年前のある日~、俺はウンコを漏らしたんだぜぇ~、ベイビー>
クラスは大爆笑、僕は恍惚としていました。最強の鎧を手に入れた気分でした。おれはもう無敵だ、と。

・(M-1)第一回大会は1603組が出場しました。以降、回を重ねるごとに参加者が増加していきました。第四回大会で2617組と一気に2000の大台を突破し、翌年の第五回は3376組、その翌々年の第7回は4239組、ここで初めて夏の高校野球の地方大会参加校数を超えました。

・漫才師の間でバイブルのような存在になっている「神竜の研究」というDVDがあるんです。その中で島田紳助さんも同じような理由で練習しないほうがいいと話していました。このDVDは、サンンドウィッチマンが「これを観れば、誰でもM-1の準決勝まで行ける」と言うほど、確かに、参考になることがたくさん語られています。

・相手の言葉をきちんと聞いてから反応する。これは漫才の基本中の基本です。ますだおかだはそこが抜群にうまかったですね。

・大阪では老若男女関係なく、そこかしこで日常会話を楽しんでいる。それが、そのまま漫才になっていいるのです。中川家が仕上がり感を嫌うのは、その感じを大事にしているからだと思います。日常会話を練習する人はいません。そうしたら、そもそも日常ではなくなってしまいますから。大阪の街で、つい隣の人の会話に耳を傾けてしまうことがあります。小学生がお母さんに、普通に「なんでやねん」とぼやいたり、女子高生が「もう、ええっちゅうねん!」とゲラゲラ笑っていたり、これは本物のツッコミなのだと感動してしまいます。

・間違っていることでも、「ボケ」という括りの中に入れることで、人間はこんなに自由になれるのだ、と。僕は松本人志さんを見て、生まれて初めて「許された」と思いました。自分を初めて肯定できたのです! 「松本チルドレン」と呼んで欲しいくらいです。

・僕らは2002年に漫才協会に入りました。それからというものは昼間は寄席で高齢者を相手にし、夜は小さなライブハウスで若い人を相手にしていました。そのため、お客さんの求めるものにギャップがあり過ぎて、テンポもネタも一向に定まりませんでした。

・第一期に限っていうと、10回中6回はしゃべくり漫才系のコンビが優勝しています。コント漫才は2003年のフットボールアワー、2004年のアンタッチャブル、2007年のサンドウィッチマン、2009年のバンクブーブーの4組です。フットボールアワー以外は、非関西弁のコンビです。そして、第一期において非関西弁のコンビで優勝したのは、じつにこの三組だけです。つまり、関東言葉のしゃべくり漫才で戴冠したコンビは誰もいなかったのです。

・僕はそれまで、芸人たるもの、いわゆる努力のようなことはすべきでないと思っていたんです。どこか、カッコ悪いことだと思っていた。自分の才能を信じてこの世界に入ったのだから、そんなことをせずとも口を開けて待っていれば、誰かが美味しいものを選んできてくれるに違いない、と。とんでもない思い違いでした。

・先輩方は、なかなか芽がでない若手に必ずと言っていいほどこうアドバイスします。とにかく一本でも多くのネタを書きなさい、と。その通りでした。僕も今だったら、同じことを言います。漫才師ならネタを書きなさい、と。

・僕にとってM-1は消したい過去でした。何度も触れましたが、一度もウケたことがないからです。あの出囃子が、呪いの音楽のように聞こえたこともあります。
番組冒頭、審査員として一言ずつあいさつをする機会がありました。隣の立川志らく師匠が「(師匠の立川)談志が今降りてきています」とおっしゃったので、僕も負けずに「内海桂子師匠がちょっと今降りてきてるんで」とボケました。アドリブです。
そうしたら、司会の今田耕司さんが「まだお元気ですから!」とすかさずツッコんでくれ、会場がどっと沸きました。
M-1の決勝の舞台で、初めてウケました。僕の初ゴールです。

感想
関西弁がしゃべくり漫才に適した言葉のようです。
それと吉本出身の芸人がとても多いので、M-1優勝者に関西系の芸人さんが多いようです。

私も小さいときから、吉本新喜劇の笑いと藤山寛美さんの松竹新喜劇の泣き笑いを見て育ちました。
自然にその笑いが自分に入っているのか、関東系の笑いはいまひとつの感じを持ちます。
漫才もよく聞いていました。javascript:void(0)
落語家では、何と言っても桂枝雀さんが抜群でした。
漫才では、中田カウス・ボタンさんが面白かったです。

大阪では車内などでよくしゃべっています。
関東では静かで、時に女子高生が話すくらいか、朝の車内だとケンカでしゃべっているくらいです。

講演など話す機会がある時は、笑いを入れようと思うのは、小さいときから笑いの環境にいたからかもしれません。

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