幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「ナラティヴ・セラピー・ワークショップ」国重浩一著 ”抱えている問題を外在化(その人から離す)する会話(言葉)”

2024-05-16 10:37:10 | 本の紹介
・ナラティヴ・セラピーでは、その人をめぐる語りが豊かになるということがポイントになります。いくらつらいことであったとしても、通説通りの解釈に当てはめたような語りではなく、その人が今まで生きてきた人生の、いろいろな側面に関連づけて話すことができたら、豊かに語るということにつながるのです。

・何より興味深いことは、ニュージーランドには<不登校問題>がないんです。なぜかというと、子供が心理的要因で学校にいけない、とは見ないから、不登校問題ではないのです。学校に行かないっていうこと自体は、共通の現象としてありますが。それに対応方法は、親に対する支援が必要だということになります。または、食事を満足に取れないのであれば、学校で朝食を出そうかと。

・相手に文脈を提供する
 たとえば「自分はうつです」という表現を聞いたとしましょう。そのときに「何があなたをそういう状態にしているのでしょう?」と外的な要因を訪ねる質問をすると、そのように考えることができるようになるのです。そして、「実は・・・うちの夫が・・・」「実は、隣の人が・・・」という側面を表現する機会を持てるようになります。
 これは、相手にそのように語れる文脈を提供している、ということなのです。つまり、ここで考えるべきことは、相手にどういう文脈で語ってほしいか、どういう立場から語ってほしいのか、ということです。

・うつ病が人生に入り込んでいるとすれば、次のような質問を考えるkとおができます。
 ①うつがあるにもかかわらず、どうやって日々の生活を、なんとかやりくりしているんですか?
 ②うつがあるにもかかわらず、どうやって会社に行っているんですか?
 ③どうやって自分を奮い立たせているのですか?
 ④うつに抵抗するために、自分のためになることはどのようなことがあるのか教えてもらえないでしょうか?

・四苦八苦苦しみながらのことかもしれません。そこのところをゆっくりと語ってもらいたいのです。
 ①どんなふうにやってる?
 ②それをするために誰が協力してくれているんですか?
 ③それをどうやって身に着けたんですか?
 ④それをすることによってこの問題をどのようにできているのでしょうか?
 ⑤大きくならないようにしてますけど、まったくなくならないにしても、どの範囲までその目を逃れて食べるようにしているのですか?

・しっかりと問題からの影響を聞いたあとで、タイミングを見計らって、次のように問いかけることができるでしょう。
 ①そんなに今までつらい状況だったにもかかわらず、どうやって今までやりくりしてきたんですか?
 ②どうやって乗り越えてきたんですか?
 このような質問は、話のモードを大きく変えることになります。

・ナラティヴ・セラピーの語りとは
 その問題がその人に影響を及ぼしていない領域(ユニークな結果)を手がかりに、その領域はどのようなものか(ユニークな説明)、その領域はどのような意味を持つのか(ユニークな再描写)を求めていく。そしてその領域を維持、拡大することによってどのような可能性があるのか(ユニークな可能性)を探る。そしてそのことに対して、他の人の貢献を求めていく(ユニークな流布)ことである。

・「うつ」を外在化することができます。それは、あたかも「うつ」を擬人化するようなことになるかと思います。
 その時の表現をいくつかあげてみます。
 「うつ」
  ①は誰の力を借りているのですか?
  ②は何を味方につけているのかわかりますか?
  ③が嫌がることを一緒に考えてみませんか?
  ④を弱らせるためには何ができそうですか?

・別の例で、外在化する質問の例をあげてみましょう。自傷行為である「リスカ」(リストカット)です。若い子が自分の手首などをカミソリで切っているのを見て、なんでそんなことをしているのか、という話をするのではなく、次のように問いかけることもできるでしょう。
 「リスカ」
 ①と今後どのようにつきあっていきたいのでしょうか?
 ②がいろいろなことを要求してきたときに、どのようにしてこおわることができるのでしょうか?
 ③との適切な距離感というものはあるのでしょうか?
 ④がもっと切れと言ってきたときに、どんなふうに抵抗しているのでしょうか?

・自閉症の診断を受けて、博士号まで取得した人がいます。テンブル・グランディンという女性です。この人は、牛の屠殺場の設計をしているのです。なぜならば、牛があまりにも惨めに、恐怖におののいて殺されているのを見かねて、安らかに死ねるような設計をしたのです。

・歴史的に見れば、今私たちが当然としていることも、当たり前ではなかったことがいくつも見つかります。・・・
 ここで重要な点は、どんな歴史的な変遷を経ようとも、一度当然のこととなってしまったら、私たちは何も感じることができないということです。

・「今すぐやめた方がいい、不幸になると科学的に証明されている5つの行動」
 ①やたらとSNSを見る
 ②屋内に1日中いる
 ③物質主義になる
 ④いつも忙しくする
 ⑤創造性を押し殺す

①結婚式にお金をかけ過ぎない ...
②オンラインで相手を見つける ...
③ただし、ソーシャルメディアに依存しない ...
④映画をいっしょに見る ...
⑤パートナーのとりとめのない話に付き合う ...
⑥ケンカのときに「私たち」という言葉を使う ...
⑦パートナーを理想化する ...
⑧2人が一緒に楽しめることをする

・マイケル・ホワイトとディヴィッド・エプストンの説明を少し見てみましょう。
 「外在化」とは、人々にとって耐えがたい問題を客観化ないし人格化するよう人々を励ます一つの治療的接近法である。この過程において、問題は分離した単位となり、問題とみなされていた人や人間関係の外側に位置することとなる。人々や人間関係の比較的固定した特徴とされた問題はもちろん、生来のものと考えられていた問題も、以前ほど固定的ではなくなり、限定的な意味を減らしていく。
 このような外在化において、次のように人々の役に立つことがあると、マイケル・ホワイトは述べています。
 ①誰が問題に対して責任があるのかという論争も含め、人々の間の非生産的な葛藤を減らす。 
 ②問題解決の試みにもかかわらず存続する問題のために、多くの人々が持つに至った挫折感を帳消しにする。
 ③人々が互いに協力し、問題に対して一致団結して立ち向かい、そして人生や人間関係に対する問題の影響から身を引く方法の基礎を築く。
 ④人々が、問題やその影響から彼らの人生と人間関係を取り戻す新しい可能性を開く。
 ⑤「恐ろしくシリアスな」問題に対する軽やかでより有効な、さほど緊張しなくて済むアプローチの自由を与える。
 ⑥問題についてのモノローグよりもダイアローグを提供する。 

・外在化することの目的を引用して、振り返っておきます。
 外在化の目的は、人々が自分と問題は同じではないということを理解できるようにすることです。
 ①一つの方法は、人々が自分たちを記述するのに使っている形容詞(「私はうつっぽいんです」を名詞に変えて、この<うつ>は、あなたにどのくらいの期間影響を及ぼしているのですか?」とか(<うつ>は、あなた自身について何と言っているのでしょうか?」)と質問することができます。
 ②もう一つの外来か実践は、人々が問題を擬人化するように誘う質問をすることです。
  「その<いたずら小僧>は、どうやって君をだますの?」とか「<いたずら小僧?が一番やってきそうなときは、いつですか?」。
 このような質問を通して、諸個人と問題との間になんらかの空間が創造され、それによって、諸個人は問題との関係を改訂することができるようになるのです。

・ナラティヴ・セラピーでは、問題を中心化しない会話というものを、単なる雑談ではなく、他にどのようなものがあるのかということを探るためにも取り組んできました。雑談と言うものの意義を十分に認めたうえで、その人の苦しみや辛さに取り組むことができる会話とはどのようなものがあるのかに取り組んできたのです。
 問題が話の中心から外れること、つまり問題が脱中心化することとは、他のもの中心化されるということになります。さて、どのようなことを中心にして会話を続けることができるというのでしょうか。ナラティヴ・セラピーでは、次のようなものを会話の中心に置いていくように誘っていきます。
 問題が脱中心化されると、会話において中心化されるものは、問題の対処において適切な、人々の生活知識や生きる技術です。これらが、探求の焦点となります。

・外在化されるのは、問題だけではありません。内在化されていることの多い(つまり、あたかも個人の内面ないし個人に固有のものであるかのように見られやすい)、「力強さ」、「自信」、「自己評価」のような個人的特質も、ナラティヴ・セラピーの会話では外在化されます。

・ここで、「すごいですね」とか「立派ですね」のような誉め言葉を出したくなりますが、安易にほめるのはお勧めしません。なぜらな、そのような言葉は、先ほど述べて「そうでもありません」「そんなことありません」「自分はまだまだ」という言葉を発動させることになるからです。人の<力強さ>を認めるということは、それは「すごい」という誉め言葉を通じてするのではなく、その<力強さ>の詳細を知ることによって成し遂げられることができるのです。

・カウンセリングのトレーニングの場面を見ていて、私が感じることが多いのは、相手の話に合点してしまう段階が早いということです。相手の表現が、自分にとってすでに馴染みのある、既知のものであれば、早々と納得してしまい、その言葉を使って次に話を進めてしまうようなことがあります。
 そうではなく、大切なキーワードに関しては、少し立ち止まって、そのことをしっかりと語ってもらう必要があります。そのようなときには、次のように尋ねることができるでしょう。
 ①もう少し語られますか?
 ②もう少し詳しくお聞きしたいのですがいいでしょうか?
 ③もう少しイメージをはっきりさせたいと思ってます。もう少し教えてもらえませんか?
 ④そのことはあなたにとってどのようなことだったのか、少し例をあげて話してもらえませんか?

・同性愛が罪であるということは、聖書では触れていません、そこに根拠はないのです。
 すると、同性愛は罪であるとい考えがどこかの時点で組み入れられたということについては、そこに始まりを見出すことができるということです。始まりがあるととは、それが、普遍的なものではないということを示しています。

・ミッシェル・フーコーの仕事はこの思い込みを粉砕することをめざしていました。

・私たちは「有るか無いか」「ゼロかイチか」というような会話を避けるように心がける必要があります。人の語りを聞いていくと、全面的に否定しているかのように語ることが往々にしてあります。たとえば、「〇〇が、私の人生を『すべて』台無しにしたのです」というような表現を受けて、本当にすべてと思ってしまう前に、その「すべて」とは、どのようなことを示すのかを確認することは価値のあることです。たとえば、次のように尋ねることができるでしょう。
 ①「すべて」ということですね。それはどのことだったのですね。それでも、あなたが「すべて」と言いたくなっている気持ちについて教えてもらえないでしょうか?
 ②「すべて」と言うことですが、その「すべて」についてもう少し教えてもらえないでしょうか?

・ナラティヴ・セラピーでは、カウンセラーに「それだけのことを抱えて、あるいはそれだけのことに対応しながら、私の前に現れているのだ」という視点を持つように進めます。これは、相手という存在を、単なる問題に苦しんでかわいそうな人であるというところから、その人なりの力があり、それをなんとか発揮しながら生き述べてきた人であるという、視点の変更をもたらしてくれます。それは、相手にたいする敬意の気持ちであり、慈しみの思いにつながるのだと思っています。そして、そのような思いを持つことができると、相手に問いかける質問の質が変わるのではないでしょうか。

・問題の輪郭をつかむために、問題の程度を探求することについて考えてみましょう。
 この「問題」、
 ①はどの程度大きなものとしてあなたの前に立ちはだかってくれるのでしょうか?
 ②があなたに与える影響を示すような話を教えてもらえないでしょうか?
 ③の深さを1~10のスケールで示すとすれば、いくつであると感じますか? どうしてそのように感じたのか少しお話できないでしょうか?
 ④それは、どの程度深刻なことであると思えるのでしょうか?

・ナラティヴ・セラピーを身近なものにするためには、ナラティヴの質問で人は「答えてくれる」という感覚を積み上げる必要があると思っています。つまり、体感しないといけないのだと思うのです。慣れていない形式の質問を口にすることの難しさを感じ取ると共に、それに人が答えてくれるのだという体験が必要だということです。

・ナラティヴ・セラピーでは、語りには二つの側面があると見なします。一つを「行為の風景」、もう一つを「アイデンティティの風景」と呼びます。行為の風景とは、そのストーリーの<題材>であり、プロット(ストーリーの筋立て )を構成する一連の出来事を示します。一方で、アイデンティティの風景とは、その行為の風景「描写」に付属する意味合いであり、価値なのです。

・私たちは、話していくことによって存在していくのであり、語ることは、意味の生成であり、その人がそのように存在しているのだという声明となるのです。



感想
 本を読み、一つの例が浮かびました。
「姑(義母)と上手くいかないことを悩んでいる嫁(Aさん)の場合」
Aさんは、自分に問題があるからと悩みます。
 しかし、「元来嫁と姑は上手くいかない」ものであれば、上手くいかないのが普通ですから、悩む必要もないし、自分を責める必要もありません。
 悩むのは「嫁と姑は仲良くしないといけない」というデイスコースがあるのです。
また、そのデイスコースは間違っているのです。
 嫁と姑が上手くいくのは奇跡と考えると上手くいかないのが当然ですから、悩む必要はないのです。
 上手くいっている人は、姑も自分の両方のコミュニケーション能力がかなり高いと思っても良いのかもしれません。自分が高くても、相手が普通なら上手くいかないかもしれません。

禅宗で“人惑(にんわく)”という言葉があります。
親や先生や社会から間違った考え方を教わり、それがあたかも正しいと思い、自分の考えになり、自分を苦しめるのです。
禅宗では、人惑から自由になりなさいと教えています。

ナラティブセラピーのディスコースを”人惑”と考えると判りやすいと思いました。
一般に"言質(げんち)”と訳されているようです。
言質は「後々証拠になる言葉 」との意味ですから、分かりにくいです。

 会話により、抱えている問題を自分の性格などから来ている問題とせずに、自分と切り離して、問題を問題としてみていくことで、それまで見えなかった解決法が見つかったり、また、自分の性格や行動の問題でないと理解でき気持ちが楽になるのです。

 発達障害と診断されてショックを受ける人とホッとする方、その中間などいろいろおられるようです。
 ホッとする方は、それまで自分が悪いと自分を責め続けてこられたのです。
親や周りからもそう言われて育ったのです。
 しかし、病気あるいは障害だとすると、自分は悪くなく、その影響を受けているのにこれまで頑張ってきた勇士になるのです。

 カウンセラーの会話で問題を外在化していくのですが、自分で外在化していけばよいのかもしれません。いわゆるセルフカウンセリングです。

 問題が起きると“自罰”タイプと”他罰”タイプ、その中間など、人によりさまざまです。
 他罰の方が気が楽ですが、ずーっと他罰で終わりそうにも思います。
上手くバランスとることなのでしょう。
 ナラティブセラピーは「問題を外在化」してみる視点を与えてくれ、そして気持ちを楽にしてくれるように思いました。かつ外在化することにより、問題解決も進むかもしれません。

石川啄木の有名な詩の一部です。
外在化すると、それは「社会が悪い」のです。
 ただ、石川啄木の生涯の本を読むと、こつこつと働くのは苦手だったようです。
せっかく友人が紹介してくれた朝日新聞の校正の仕事もまじめにしなかったようです。しなかったのではなく、きっと苦痛でできなかったのでしょう。
 感性豊かな石川啄木にとっては辛かったのでしょう。理解して支えてくれるスポンサーがいればよかったし、今のように「詩集」で食べていける社会だったらよかったのです。
 友だちにお金を借りていますが、貸す方も返してもらうとは思っていなかったようです。そういう友だちがいたことは石川啄木の魅力を証明しているように思います。
 生活は困窮し、結核を患い本人も、妻も、子どもさえ亡くなりました。
そんな石川啄木の問題も外在化すれば、やはり社会に問題があるのでしょう。
当時生活保護の制度(昭和21年スタート)もありませんでした。
公的補助の仕組みがあればさらにどんな作品が生まれたことでしょうか。
 ハリーポットの原作者J・K・ローリング は離婚してシングルマザーで子育てをし、一時生活保護の公的補助を受けていました。それがなければ、ハリーポッターは生まれなかったかもしれません。

熟練ナラティヴ・セラピストによるワークショップを再現するシリーズ第一弾。ナラティヴ・セラピーの基本的な知識や背景について,外在化する会話法,ディスコース,脱構築や質問術にも触れながら,対人援助職や初心者向けに話し言葉で丁寧に解説する。ワークによる実践の具体例やデモも一部掲載し,参加者の声も多数紹介。

◆Journey with Narrative Therapyシリーズ 順次刊行予定!
ナラティヴ・セラピー・ワークショップ
 Book I-基礎知識と背景概念を知る-
 Book II-外在化と再著述を深める-(仮題)
 Book III-豊かな描写を目指す-(仮題)
 Book IV-海外のセラピストに学ぶ-(仮題)

目次

はじめに

ナラティヴ・セラピーのワークショップをするようになった経緯
講話することと、それを書籍化すること
根底に流れる姿勢を理解すること
本書の構成


第1部 ワークショップⅠ ナラティヴ・セラピーを知る
 イントロダクション
 第1章 ナラティヴ・セラピーと呼ばれるものとは?
  1節 ナラティヴ・セラピーとは
  2節 〈名〉の話
  3節 〈問題〉を存続させるもの
  4節 文脈の話

 第2章 ナラティヴ・セラピーの特徴的な技法とは?
  1節 外在化して会話を紡ぐわけ
  2節 相手に文脈を提供する
  3節 物語の構造

 第3章 ナラティヴ・セラピーの実践とは?
  1節 ナラティヴ・セラピーの進め方
  2節 アイデンティティ
  3節 ナラティヴ・セラピーの質問
  4節 外在化する会話
  ワーク「擬人化された問題にインタビュー」

第2部 ワークショップⅡ ナラティヴ・セラピーの背景にある理論を知る
 イントロダクション
 第4章 哲学的思想を基盤とする心理療法
  1節 哲学を基盤とするということ①
  2節 哲学を基盤とするということ②

 第5章 ディスコース・アプローチ
  1節 ディスコースと〈権力〉
  2節 ディスコースと〈生きづらさ〉

 第6章 脱構築するアプローチ
  1節 ディスコースと脱構築
  2節 脱構築と〈会話〉

 第7章 外在化する会話法
  1節 外在化する会話と〈問題〉
  2節 外在化する会話を紡ぐ

 第8章 ナラティヴ・セラピーの質問術
  1節 ナラティヴな〈問い〉とは
  2節 問題からの人の人生に対する影響を探索する
  3節 人からの問題に対する影響を探索する

 ダイアログ 【さゆりさん】「オレンジ色に見える世界」

 参加者からの声
  ●Q1 このワークショップはあなたをどこに連れていったのか?
   ナラティヴ・セラピーとの出会い―見えなかった共感的理解[八巻甲一]
   ナラティヴとの出会い―わかりにくさに魅せられて[浅野衣子]
   ナラティヴ・セラピストとしての立ち位置への模索、外在化を通しての会話とは? [藤田悠紀子]
   「私」を生きる物語へ[山下ゆかり]

  ●Q2 あなた自身の実践にどのように影響を与えたのか?
   ナラティヴ・セラピーを「教える」難しさ、「教わる」危うさ[木場律志]
   小学校教諭として[田崎さより]
   この瞬間(とき)の言葉に意味を与えた物語(ストーリー)―今、私が感じる思いを語る[藤森圭子]
   実践への影響[改田明子]

  ●Q3 実践報告(実践してみてどうだったのか? うまくいかなかったことも)
   「外在化する会話」を続けるために[眞弓悦子]
   ふだん使いのナラティヴを実践しての変化(うれしい変化、困った変化)[箱崎琢朗]
   マスクとふだん使い[荒井康行]
   アルコールや薬物に苦しめられたことのある方のためのナラティヴ・グループ・セラピー[藤田純司]
   アイデンティティと向き合う豊かな時間[髙野正子]
  ●Q4 ナラティヴ・セラピーの領域を超えたところでの可能性について思うことは?
   セラピーの領域を越えて(大学生のキャリア支援と対話の場)[箱崎琢朗]
   ナラティヴが開く可能性[髙野正子]
   ナラティヴ・アプローチとコーチング心理学[徳吉陽河]
   領域を超えたところでの可能性[改田明子]
   境域を超えたところ―ラボラトリー体験学習[園木紀子]
   ナラティヴ・アプローチの可能性―生産性の病からの解放[西垣真澄]

  引用・参考文献

最新の画像もっと見る

コメントを投稿