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「会社は頭から腐る 企業再生の修羅場からの提言」富山和彦著 ”「性弱説」/人はなぜ不正をするか?”

2024-05-27 14:23:23 | 本の紹介
・「なんだ、結局は人材育成ということか」と思われた読者もいるだろう。しかし、こうすれば日本企業の経営力が上がるという特効薬はない。本物のリーダーを地道に育てる、あるいは、育つ仕組み・環境を作っていくしかないのだ。

・経営や企業統治を担う人々の質が劣化しているのではないか。
 産業再生機構で企業再生の仕事に従事し、何より感じたのが、この思いでした。

・困ったマネジメント、困ったエリート層が、社会や会社を「ゆでカエル」のようにじわじわとダメにしている。こうしたマネジメントの脆弱さが、現場にしわ寄せを与えようとしている。私には、そう映ります。実際、数多くの経営現場、「経営医学の臨床現場」を駆け回り、そういう企業を多々見ることになったからです。

・人間は物事を認識するに際しても「見たい現実を見る」生き物である。

・産業再生機構での再生の修羅場で見た人間模様。これらを通じて見えてくるのは、ほとんどの人間は土壇場では、各人自身の動機づけの構造と性格に正直にしか行動できないという現実であった。
 そこに善も悪もなく、言い換えればインセンティブの奴隷となる「弱さ」にこそ人間性の本質のひとつがある。性悪説でもなく、性善説でもない、「性弱説」に立って人間を見つめたときにはじめて多くの現象が理解可能となってくる。

・集団として同じ方向を向いた組織の力は、個々人への頭のよし悪しや能力の上下などを、吹き飛ばしてしまうくらいのパワーを生み出すことを知った。小賢しい組織論やスキル論などよりも、人間集団を正しく動機づけることのほうが、いかに大きなインパクトを持つかを思い知らされた。そして企業組織の強さの根源が、よくわかった。それは、動機づけられた現場人材たちが、こまごまとした職務規定や指示命令なしに、自発的な創意工夫を相互補完で臨機応変に目的を達成していく力にある。私がこれが日本の会社というものかもしれない、と思った。日本企業を支えているのは、実は現場の力ではないかと考えるようになったのだ。

・管理職やそれに準ずる中高年オジサンの頭数は思い切って減らした方が業務遂行能力も意思決定スピードも的確性も向上する。

・多くの企業で、一人でできることにあまりも多くの人間が関わる仕組みになっている。

・人それぞれの性格と仕事の特性が一致していないと、能力に関係なく、よい仕事は達成されないのだ。

・経営が送り出すメッセージに対して、ただちに心から反応し、動機づけられて行動する人間は多くない。経営者がそのメッセージをどこまで本気で送っているのか、それに素直に乗っかかることが自分にとって得か損か、自分にとって気分のよいこと悪いことか・・・。まずは値踏みモードに入るものである。
 こんなとき、人々は経営者の本音が最も出る部分、すなわち人事、それも制度ではなく固有名詞の人事を見ている。難しい制度論や戦略論をいじくりまわすことよりも人事一発のほうが人々の心に桁違いのインパクトを与えるのが現実の経営である。

・人を大切にするというのであれば、今、目の前にいる従業員も大事かもしれないが、次の世代も大事ではないか。いや、本当は次の世代のほうがもっと大事なのである。

・日本人は挑戦しない、新しいことをやりたがらないとよくいわれるが、これは日本人に問題があるのでも、個々の社員に問題があるのでもない。挑戦すれば報われるインセンティブが、日本の企業社会にはなかったということなのである。日本的インセンティブの中で生きていると、とにかく自分に傷つかないよう、慎重に動くようになる。また、みんなが認めた人間は、なるべく傷をつけないよう、まわりも気をつける。そうやって、予定調和的に偉くなる。本当の意味でリーダーにふさわしくない経験していない人が出世していく。そんな歪な仕組みが出来上がるのである。

・日本の企業の根幹的な競争力の力は、経営者の優秀さではなかった。いうまでもなく現場の強さにあったのである。

・困った経営者が上にのさばっていると、当然、現場にしわ寄せがくる。

・腐りかける会社のタイプ
①名門企業の没落でもったいないのは、そこに本来、優秀な人材が多数いるにもかかわらず、それらの人材を生かし切れていない点である。
②本来トップを支えるはずの中間層がごっそりと抜けており、足軽しかいない状況である。
③組織は、全体として「決めてもらうこと」「リードしてもらうこと」が得意な人の集まりとなってしまっている。

・実はモチベーションの多くは金銭的なものではない。仕事のやりやすさ、やりがいというのは、非常に大きな要素のひとつなのだ。

・その会社は何のためにあるのか、が忘れられたとき、悲劇は起こる。

・リーダーを目指すなら比較的若いときから、負け戦、失敗をどんどん体験したほうがいい。

・女性、若者、学歴のない人間は“眠れる資源”だったという幸運

・池田晶子さん

・リーダーに必要なのは、「人間性×能力=人間力」であるが、そのベースにあるのは、どれだけ一人ひとりの市井に生きる人々の切ない動機づけや、喜怒哀楽というものが理解できるか、ということでもある。

・作家の城山三郎さん

・経営者の決断は、最後はその人の世界観や哲学観による。

・経営というのは常に革新・改革を続けていくことである。昨日までのことを毎日毎日よりよくするということは、変えていくということである。人間は基本的にはしんどいことをやりたくないし、変わりたくない。だから、重い歯車を回すのが仕事になる。

・マネジメントやリーダーは、自分の仕事の責任の重さ、それも真の重さを認識しておかなければならない。なぜなら、それは他人の人生に影響を与えてしまう仕事だからである。

・リーダーは、情と理、人間的要素と算数的要素の中で、のたうち回っていくことになる。半永久的に矛盾がある構造の中で、苦しみ、もがきながら、自分の柱をつくっていくのだ。そして、「観」は出来上がる。人生観であり、価値観であり、世界観である。

・経営において最終的に最も大事なものは、マネジメントする人の志です。経営の仕事は、社会や他人の人生に大きな影響を与えます。経営の単位が企業であれ、国家であれ、使命のために体を張る覚悟がなければ、引き受けるべきではありません。リーダーとは、そういう存在です。「後世への最大遺物は、勇ましい高尚なる生涯である」という内村鑑三の言葉を、私は最も愛しています。

感想
 「性弱説」の言葉は、「人はなぜ不正をするか」への回答のように思いました。
権威者からの指示だと酷いことでも人はしてしまうのです。
ヒトラー一人ではユダヤ人600万人は殺害できません。
ヒトラーの指示に多くの人が従いました。

森友学園なども安倍元首相の意向を汲んで責任者の指示で部下が記録の改ざんをしたようです。
その責任者は出世し、実際に改ざんした人は、苦しみ自殺しました。

多くの会社で不正なことが引き続き起きています。
一人ひとりは不正を行わない良き人ですが、権威者からの指示があると不正を行ってしまうのです。
もちろん行わない人もいますが、ほとんどが行ってしまうようです。

性悪説で考えるのではなく、性弱説で考えると納得できます。
そして自ら苦しむのですが。

経営は人創り、その通りだと思います。
目の前の今の人だけでなく、外部の人のことも考える。
将来の人材を育てる努力を今しているか。
経費節約で、一番簡単な人件費を下げます。
しかし、それは未来の人材育成をしていないことになります。
影響がでるのは、3~5年後です。

医薬品製造所の不正が続いていますが、まさに経営陣が製造現場(試験含む)に派遣を導入し、3~5年の雇止めで更新せずを行ったからのように思います。
そして浮いた人件費以上の損失を出しているのです。
まさに経営陣の失策です。
見た目の利益は出ますが、現場に過酷な負担を与えているのです。

忘れてはいけないことが多く書いてありました。

人は弱いので人を守るために、性悪説で仕組みを作ります。
運用は性善説です。
それを理解する上で性弱説と「心理的安全性」で、マネジメントすることが良い会社を創るように思いました。

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