幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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「ソニー半導体の奇跡 お荷物集団の逆転劇」斎藤 端著 ”井深&盛田の思想が脈々と引き継がれている”

2021-11-20 10:35:35 | 本の紹介
・2005年に半導体事業本部の副本部長、2008年には本部長を拝命した私は、半導体技術についてはまったくの素人でした。

・CMOSイメージセンサーの方が高精細かつ高速に撮影できるようになるため、ハイビジョン放送や将来の4K放送時代に主流となる可能性がありました。

・CCDの危機を最初に警告したのは、CCDの生みの親である越智成之でした。
その越智が、しかもCCDイメージセンサーを否定しかねないCMOSイメージセンサー開発の重要性について、半導体事業本部だけでなく、本社の投資を審議統括する経営戦略本部にも啓蒙して回り始めたのです。2000年ごろのことです。

・事業面から啓蒙活動を加速させたのが、ソニー・コンピュータエンタテインメント社長で、当時は半導体本部長を兼務していた久夛良木 健でした。プレステ生みの親でもある久夛良木は、技術全般に造詣が深かったのです。
「将来の投資はCMOSイメージセンサーに特化すべきだ」

・唯一の楽観材料は、当時のイメージセンサー市場は今ほど大きくなく、大手半導体メーカーがどこもCMOSに興味を示していなかったことでしょうか。

・創業者の盛田もスピーチで語っていました。
「マネジメントの大事な気質は、ネアカであるかどうかが一番重要だと考える」

・半導体事業本部に異動して半年にならない2005年秋のことです。私は思ってもみないトラブルに巻き込まれます。CCDイメージセンサーのワイヤーボンディング不良による品質トラブルです。
最初は影響の軽微が偶発不良化だと思われていました。ところが、九州の大学にも協力依頼して原因究明を進めると、深刻な問題が浮かび上がってきたのです。
「どうしてヨウ素が入っているんだ」
原因究明でわかったのは、封止用樹脂に、本来入っていないはずのヨウ素化合物が存在し、これが水と反応して腐食性ガスを発生させ、金糸の結合部分が腐食し剥がれを起こすという事実でした。
生産工程削減のため、諷刺用樹脂をUV硬化樹脂に替えたことがことの発端でした。工程変化の際の確認プロセスでトラブルが起きたのです。
担当者はUV硬化樹脂への工程変更にあたってテストを繰り返しましたが、このときは特に問題はありませんでした。しかし、その後になって、材料メーカーが無断で、軟化材としてヨウ素化合物を混入させていたのです。材料メーカーの一存では変更できない決まりになっていたのですが、どうも樹脂の製造を容易にする目的だったようです。
材料メーカーを提訴したところで、先方に補償費を払う体力があるはずもありません。とにかく工程を元に戻したらしいのですが、ここでソニーも痛恨のミスをおかします。
ヨウ素が腐食性ガスを出すには水分が必要です。当時、ソニーが生産するCCDイメージセンサーのパッケージにはプラスチックとセラミックの2種類がありました。プラスチックは水分を通す一方で、セラミックは水をまったく通しません。
それならということで、プラスチックパッケージの製品は元の樹脂に戻す、ただしセラミックパッケージの製品はヨウ素が入った樹脂のままでも問題ないだろう、変更の必要なし、という判断をしてしまったのです。
たしかに実験室の中では、セラミックパッケージはまったく水分を受け付けませんでした。ところが、実際に使われるときには電気基板のはんだ付けされます。はんだ付けの温度は200度を超え、その工程でセラミックパッケージにクラックが入ることがあったのです。
結果的に、このクラックから水分が侵入して腐食性ガスが発生してしまいました。高温多湿のアジア地域などで頻発したと記憶しています。
セラミックパッケージは、民生用のカメラや携帯電話向けのパッケージに多く使われており、影響は甚大でした。セラミックもプラスチックと同様、工程を元に戻しておいてくれさえすれば-。後悔しても後の祭りでした。
一般に工程変更はさまざまな問題を誘発する恐れがあり、その全プロセスをトレースできるようにし、何かあればその原因を追究できるようにするとともに、不要な変更はご法度というのが品質管理の原則です。

・漢詩『盤根錯節(ばんこんさくせつ)に遇わずんば何ぞ以て利器を別たんや』
盤根錯節というのは、わだかまった根と入り組んだ節のこと。苦境に立って初めてその人の実力が知られるという意味です。

・ディスプレイカンパニーの中村末広からこう教わりました。
「前任者の不始末もすべて現担当の責任だ。すべてを背負って責任を持って立ち向かう気概がないといけない。その代わり、ヒット商品を生む技術なんて大体は過去の人たちが仕込んでくれていたものの中から出るんだ。それはそれでありがたく頂戴していい。それがトップマネジメントというものだよ」

・半導体事業本部の新本部長に着任した中川は、久多良木(プレステ開発者)体質の一掃から着手しました。
「俺に嘘つくな」(事実を正しく報告してもらいたい)
「無駄なことするな」(コストにもっと厳しく)
「人を信用するな」(別ルートで裏を取れ)

・東芝との交渉は終盤を迎え、あとは最終承認を得るだけとなりました。
「さあ、みんな揃って、ソニーマンから東芝マンになるか」
ところが、思わぬ処から反対の狼煙が上がったのです。
中川と並ぶもう1人の副社長、井原勝美です。民生用製品を担当する井原1人だけ、猛反対したのでした。
「ソニーはカメラやカムコーダーで業界のリーダーになっており、高い収益性を誇っている。この競争力の源泉の1つは、社内にCCDイメージセンサーをはじめとするデバイスを持っているからにほかならない」
「半導体部門を他社に渡そうというのは絶対反対。将来、角を撓めて牛を殺すようなものだ」
その後、JVの話は立ち消えになりました。
こうなると井原は、たとえ上司が相手でも遠慮などしません。ハワードや中川の短慮を鋭く責めたのです。調和型のハワードは、両副社長の納得いく方法はないかと宿題を出し、継続検討となりました。
井原の論理はまったく正しかった。しかし、その論理を、出て行けと言われている半導体部門から言い出すわけにはいかなかったのです。

・選択と集中の難しさ
成功するかどうかわからないグーグルテレビの開発になれないテレビソフトエンジニアは、たちまち疲弊してしまいました。・・・
ついに2012年3月期、ソニーのテレビ事業は1480億円という単年度赤字を計上し、テレビ事業始まって以来の不振の種を作ってしまいました。
少ない兵力を多方面に分散させて失敗した例です。
社内では鳴り物入りだったグーグルテレビは結局、アメリカで少し発売されただけで、欧州ではどこのメーカーからも発売されませんでした。

・社内から総スカンをくらい、金食い虫と批判されても、自分たちの技術を見極める力を信じ、会社の未来のために成功のシナリオを考え抜く、この岩間の精神は、デバイス部門のグループにによく根付いているように思います。
半導体事業部門の社員たちは、岩間を慕い続けました。CCDイメージセンサーが1000万本出荷されたとき、鈴木智行以下イメージセンサー事業部の主要メンバーは、再度お墓参りを行いました。墓石に最新のCCDイメージセンサーを貼り付けて報告したのです。この姿がNHKの番組『プロジェクトX』の中で放映されたのを記憶しています。

・裏面照射型をやろうぜ
光の感度を上げるために、フォトダイオードアレイの上にある配線層の側ではなく、フォトダイオードの下、つまり裏面から光を入れたらどうかと言うのが裏面照射型CMSイメージセンサーの発想です。
裏面照射型の原理じたいは古くから知られており、ハッブル宇宙望遠鏡のセンサーなど特殊用途では実用化が進んでいました。特殊用途使用では低温での使用に限定することができるうえ、加工精度が低くても歩留まりが悪くても価格に転嫁できます。低い温度では電子の動きも鈍くなるためノイズも少ないのです。
しかし民生用ではそうはいきません。常温の使用でもノイズを発生させないような新たな工夫が必要です。また、裏面を極限まで高精度で薄く削らないといけないので、技術的なハードルが高く、生産性も低いため高価になってしまいます。これが民生用で使われない主な理由でした。

・周囲も反対はするが潰しはしませんでした。ソニーの設立趣意書に「技術上の困難は寧ろ歓迎」とあるのを組織として受け継いでいて、10人程度の開発チャレンジは黙認されるケースが多いように思います。
「見込みのある開発は上司に内緒で開発。失敗したら闇から闇へ」
昔、ウォークマンを開発した大曾根幸三元副社長がこんなふうにおっしゃっていたのを聞いたことがあります。

・2008年6月1日にから半導体事業本部長に就任した私は、平山たちに1年後の商品掲載のスケジュール厳守を要求しました。
・・・
「多少は遅れるようなことがあっても、結果としては早く世に出すことになる。これはすべて私が責任を取って謝る。セットの人たちに叱られても仕方がない」
背中をこう押してあげれば、結果としては最速で準備できるはずなのです。

・他社製品につぎつぎ採用

・他社に活路を見出す
ソニー社内で「デジカメで動画を撮って楽しむ」という文化を形成するには時間がかかりそうな雲行きでした。
裏面照射型CMOSイメージセンサーの特徴を最大限に生かしたデジカメを、カシオと共同開発することにしたのです。

・ソニーマンの個性
自由に自分の価値観で作戦を立て、ある程度まで秘密裡に薦めていく。それぞれが個性を発揮するから、とがった作戦が生まれてくる。全員のコンセンサスを得て進めようとしていたら、皆が潰れてしまう。これが井深の言う「皆の潜在能力を発揮できるような組織運営」ではないかと思います。

・「大事な交渉は一度壊してからが勝負だよ。ここからが価格交渉の本番なんだ」
(大賀典雄元会長から)このように教えられていたので、慌てることはありませんでした。

・このころ、韓国のスマホメーカーもグループ内でCMOSイメージセンサーを内製し始めていました。ソニーにとっては、技術で追いつかれた時に突然注文が来なくなるリスクが出てきたのです。のちに定年退職した技術開発部長がいつの間にか韓国の会社にスカウトされた事実もあります。

・気がつけば、ソニーの裏面照射型CMOSイメージセンサーがスマホ業界の標準になっていたのです。

・300mm化実現の仰天アイデア
(当時の)200mmと300mmのシリコンウエハーサイズの違いは、コスト面で甚大です。ウエハー上に作成できる半導体チップの数はサイズの約2乗で多くなります(実際は周辺効率もありそれ以上です)。しかしそのコストは2乗まで増えない。つまりコストがべらぼうに違ってくるのです。
「300mmの設備は200mmの設備を転用するわけではなく、新規の開発です。わからないことがたくさんあります。開発部門でしっかり検討しないと無理です」
半分諦めつつ、それでも何か良い方策がないものかと皆、天を仰ぎました。
「これから正月休みだ。経営会議メンバーは休みの間も寝ずに考えてきてくれ」
私は仕方なく、会議をお開きにすることとしました。
すると正月明けに、この難問に解決策を提示してきた幹部が現れたのです。研究開発部門を担当する岡本裕です。
「自分の部下である研究開発の技術者を熊本(製造所)に異動させて、プロセス開発とラインの立ち上げを一気に行うしかない」
熊本への異動大作戦。命令された部下たちはたまったものではありません。
約170人がやってくるのです。しかも彼らは出向扱いといえ、厚木には帰るべき組織がもう存在しないため“片道切符”での熊本異動です。
「自分たちの力でCMOSイメージセンサーを世界ナンバーワンにしてみせる」
この高い志の前には、私の心配なぞは杞憂だったようです。

・福島はCMOSイメージセンサーの差異化技術で貢献のあった人物ですが、その後、サムソン電子に再就職してしまいました。当時社長だった平井一夫や人事担当執行役の藤田州孝も大いに驚きました。
「二度とこのようなことにならないよう対策するように」
鈴木や半導体部門の人事担当をこう責めたのを覚えています。
福島はサムソン電子では専務待遇の研究所長で、部屋付き、車付き、通訳兼秘書付きの厚遇だったそうです。日本の人材流出の典型であり、こういう残念なことになる背景にはソニー側の配慮に何か問題があったのはないかと反省したわけです。

・盛田の教え
「昔の石垣は石の大きさも不揃いで形もまちまちだ。しかしこれをうまく組み合わせれば頑丈な石垣ができ、小さい位置も小さいなりに大きい石がずれるのを支え合っている。同じ大きさに綺麗に切り揃えられた大きくて強い石だけでは頑丈な石垣はできない」

感想
ソニーが大赤字を出しましたが、その後V字復活を遂げ、今は売上/利益を更新しています。
そこには技術への取り組み、マネジメントのやり方、トップの考えが重要なカギを握っているように思います。
今も脈々と井深&盛田の思想が引き継がれており、その実践が行われていることが、ソニーの強みのように思いました。
トップには技術が分かる人がいないとまた自由闊達な意見を出せる場がないと、技術系の会社に未来は暗いように思いました。

そしてやはり人を大切にすることができるかどうかなのだと改めて思いました。