・私が確かに生きているという瞬間-今日という日だけがあるのです。過ぎた昨日には戻れませんし、明日の未来はどうなるか見当もつきません。季節も、雲や月の形も、一日として同じ日はない。それが
現在(いま)“という時間なのです。
・“私”という人間は、この世にたったひとりしかいない。人はそもそも孤独なのです。
・私は重大なことは親に相談したりしません。人のいいなりになると、その後で、人のせいにしてしまうからです。
・あの頃(戦中)は、どんな仕事も必ず悪-つまり人殺しや戦争に結びついていました。戦争に関係ないものは何だろうと考えたら、「美」に行きついた。だから、私は絵がそんなに好きでもなかったけれど、絵描きを選んだのです。
・善し悪しの教えを先ず疑い、自分でやってみて決める。損得より好き嫌いで物事を選ぶ。同じ事の繰り返しを嫌い、違う事を始める。
・仕事をするときは、常に不安と孤独の中。後ろへ戻ることもできなければ、前にも行けない。しかしもう後ろには代えれないから、前へ行くしかないというその繰り返しです。
・宙づりになってもしたいことはしろ。
・幸せ、幸せと皆言うけれど、幸せというのは不幸から生まれているのです。だから、幸せだと思った瞬間、堕落するに決まっている。もうそこが頂点だから。不幸があった時は、死のうかと思うほど嫌じゃないですか。でも不幸は、次に踏み出す力をくれる。不幸がそう人を幸せにするのです。
・安全な道には驚きがない。
岐路に立ったら、私は困難な道を選びます。人生は、Y字形になっていて朝から晩まで選ばなければなりません。その時私は困難な道を選ぶ。そのほうがずっと発見がある。具合のいい時はいい気になってもうそれ以上にはなれません。困難な道はしくじりも多い。でも、しくじった時に、次の道が開けてくる。
・どんな雑草でも、自分の力で死ぬまで生きている。それを見ることが、今の私の刺激です。
・息の耐えるまで感動していたい。
・「自分の前に止まった車には乗らなければならない」という鉄則を決めていました。わざわざ追っかけないけれど、せっかく自分の前に止まったんだから車に乗ってみよう、と。
・私は、私の好きなように生きている。誰でもない私でありたかった。だって一回しか生きられないんだから。
・自分を突き飛ばしたら、そこから何か生まれて来るのではないか。
・不安の中に身を投げていなければダメだと思っております。いつも不安の中に身を置いて、昨日をぶち壊していくということです。ですから学ぶよりも「壊す」というのが私のやり方です。そして、過ぎたことを忘れることです。
・人がいけないと言うことは、まず、やってみよる。
・私どもは自分というものが、大体わからないんです。やはり一生涯、自分は何者であるかを探り続ける、そしてさまよっているのが人間ではないでしょうか。
・一生は毎日が初体験
・どんなに悔やんでも過ぎたその日をとり返す事は出来ない。人は日々のしくじりと悔恨を背負いながら、二度と返らぬ時の流れに身を委せて生きるのだ。
・物忘れしたり、よろけたりするたびに、みっともないとか悔しいじゃなくて、「ああ、これが私の中の住み始めた『死』だな」と思う。これから先、どうこわれていくか、興味津々でおかしくなります。
・私が私のために生きられる世の中であってほしい。
・天災地変は自然がおこしたことだから、ある意味平等です。でも戦争は人間が造るもの。必ず弱者が虐げられます。だから反対しなきゃ駄目なのです。
・日本が危険な瀬戸際にいるように見えます。国家権力に反抗するには、相当な勇気と智恵がいります。下手をすると牢獄に繋がれる。何をするか、わかりませんよ。国家が野心を持つと。
・戦争人災です。戦争は他殺です。
・私にとっての最大の未知はあの世、見ることも、これについて聞くこともできません。ですから、今からあの世に行けることを非常に楽しみにしております。
・自分などもともとなかったのだ、心さえも妄想だ、捨てることだ、としきりに思う。
・私はその日その日の現在に寝中し
無欲脱欲を忘れず
何物にも執着せず
私流の生き方を求めて歩き続けて参りました。
これが私の生きた道です。
・死は終わりではなく次の生命の始まり。
・夏の陽を吸収した筒状花の種は黒く熟成し、黄色の花びらは白く枯れ、畠は収穫期を迎えていた。軍勢の顔はうつむき、もう太陽を向く者は居なかった。かさかさになった葉が体を包み、下の葉は大地を掴んで杖となっておいた体をささえていた、死の行軍を見るような戦慄が、私の体をつらぬいた。
ひまわりの畠の終焉は、その時の私の何かを変える程の衝撃だった、ひまわりは頭に黒い種をみのらせ、生涯の栄光の時を迎えていたのだ。大地を見つめる顔は敗北で敗北でなく、そのやせた姿にも解脱の風格があった。その顔一杯の種は、次の生命を宿し充実していた。
・死が生涯の華々しい収穫の時だという事を、ひまわりから学んだあの日を私は忘れない。
感想;
目からウロコのような物事のとらえ方でした。
今を自分がやりたいことにつかう。
好き嫌いに拘り、好きなことをやっていく。
どんなに悔やんでも過ぎた日は取り戻せない。
まさに今、この瞬間を大切にしたいと改めて思いました。
死が生涯の華々しい収穫の時
どんな収穫を得るのか、これからの人生チャレンジしてみたいです。
ロゴセラピーでは、「あたかも二度目の人生を生きるかのように今を生きる」と考えます。
これまでの知識や経験を生かして、今の人生を二度目のように生きていきたいと思います。
http://inorinohinshitu.sakura.ne.jp/logo.html
人が創る品質 -ロゴセラピー(ヴィクトール・フランクル「夜と霧」)-
現在(いま)“という時間なのです。
・“私”という人間は、この世にたったひとりしかいない。人はそもそも孤独なのです。
・私は重大なことは親に相談したりしません。人のいいなりになると、その後で、人のせいにしてしまうからです。
・あの頃(戦中)は、どんな仕事も必ず悪-つまり人殺しや戦争に結びついていました。戦争に関係ないものは何だろうと考えたら、「美」に行きついた。だから、私は絵がそんなに好きでもなかったけれど、絵描きを選んだのです。
・善し悪しの教えを先ず疑い、自分でやってみて決める。損得より好き嫌いで物事を選ぶ。同じ事の繰り返しを嫌い、違う事を始める。
・仕事をするときは、常に不安と孤独の中。後ろへ戻ることもできなければ、前にも行けない。しかしもう後ろには代えれないから、前へ行くしかないというその繰り返しです。
・宙づりになってもしたいことはしろ。
・幸せ、幸せと皆言うけれど、幸せというのは不幸から生まれているのです。だから、幸せだと思った瞬間、堕落するに決まっている。もうそこが頂点だから。不幸があった時は、死のうかと思うほど嫌じゃないですか。でも不幸は、次に踏み出す力をくれる。不幸がそう人を幸せにするのです。
・安全な道には驚きがない。
岐路に立ったら、私は困難な道を選びます。人生は、Y字形になっていて朝から晩まで選ばなければなりません。その時私は困難な道を選ぶ。そのほうがずっと発見がある。具合のいい時はいい気になってもうそれ以上にはなれません。困難な道はしくじりも多い。でも、しくじった時に、次の道が開けてくる。
・どんな雑草でも、自分の力で死ぬまで生きている。それを見ることが、今の私の刺激です。
・息の耐えるまで感動していたい。
・「自分の前に止まった車には乗らなければならない」という鉄則を決めていました。わざわざ追っかけないけれど、せっかく自分の前に止まったんだから車に乗ってみよう、と。
・私は、私の好きなように生きている。誰でもない私でありたかった。だって一回しか生きられないんだから。
・自分を突き飛ばしたら、そこから何か生まれて来るのではないか。
・不安の中に身を投げていなければダメだと思っております。いつも不安の中に身を置いて、昨日をぶち壊していくということです。ですから学ぶよりも「壊す」というのが私のやり方です。そして、過ぎたことを忘れることです。
・人がいけないと言うことは、まず、やってみよる。
・私どもは自分というものが、大体わからないんです。やはり一生涯、自分は何者であるかを探り続ける、そしてさまよっているのが人間ではないでしょうか。
・一生は毎日が初体験
・どんなに悔やんでも過ぎたその日をとり返す事は出来ない。人は日々のしくじりと悔恨を背負いながら、二度と返らぬ時の流れに身を委せて生きるのだ。
・物忘れしたり、よろけたりするたびに、みっともないとか悔しいじゃなくて、「ああ、これが私の中の住み始めた『死』だな」と思う。これから先、どうこわれていくか、興味津々でおかしくなります。
・私が私のために生きられる世の中であってほしい。
・天災地変は自然がおこしたことだから、ある意味平等です。でも戦争は人間が造るもの。必ず弱者が虐げられます。だから反対しなきゃ駄目なのです。
・日本が危険な瀬戸際にいるように見えます。国家権力に反抗するには、相当な勇気と智恵がいります。下手をすると牢獄に繋がれる。何をするか、わかりませんよ。国家が野心を持つと。
・戦争人災です。戦争は他殺です。
・私にとっての最大の未知はあの世、見ることも、これについて聞くこともできません。ですから、今からあの世に行けることを非常に楽しみにしております。
・自分などもともとなかったのだ、心さえも妄想だ、捨てることだ、としきりに思う。
・私はその日その日の現在に寝中し
無欲脱欲を忘れず
何物にも執着せず
私流の生き方を求めて歩き続けて参りました。
これが私の生きた道です。
・死は終わりではなく次の生命の始まり。
・夏の陽を吸収した筒状花の種は黒く熟成し、黄色の花びらは白く枯れ、畠は収穫期を迎えていた。軍勢の顔はうつむき、もう太陽を向く者は居なかった。かさかさになった葉が体を包み、下の葉は大地を掴んで杖となっておいた体をささえていた、死の行軍を見るような戦慄が、私の体をつらぬいた。
ひまわりの畠の終焉は、その時の私の何かを変える程の衝撃だった、ひまわりは頭に黒い種をみのらせ、生涯の栄光の時を迎えていたのだ。大地を見つめる顔は敗北で敗北でなく、そのやせた姿にも解脱の風格があった。その顔一杯の種は、次の生命を宿し充実していた。
・死が生涯の華々しい収穫の時だという事を、ひまわりから学んだあの日を私は忘れない。
感想;
目からウロコのような物事のとらえ方でした。
今を自分がやりたいことにつかう。
好き嫌いに拘り、好きなことをやっていく。
どんなに悔やんでも過ぎた日は取り戻せない。
まさに今、この瞬間を大切にしたいと改めて思いました。
死が生涯の華々しい収穫の時
どんな収穫を得るのか、これからの人生チャレンジしてみたいです。
ロゴセラピーでは、「あたかも二度目の人生を生きるかのように今を生きる」と考えます。
これまでの知識や経験を生かして、今の人生を二度目のように生きていきたいと思います。
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