小千谷から(Ojiya kara)

新潟県中越大震災の、とある被災者からのメッセージ
(リンクはご自由にどうぞ。ただし転載はご遠慮ください。)

新潟県中越大震災から5年

2009年10月24日 00時28分45秒 | 新潟県中越大震災・地震
今朝、寝室にまっすぐに朝陽がさしこんだときに「5年前もこんなふうにいい天気だったなぁ・・」と瞬時に思い出しながら目をさました。
いつもと同じ日常だけどやっぱり今日は特別な感じがした。
新聞やテレビのローカルニュースでは「あれから5年」の特集が組まれ、被災地の様子がレポートされるが全国ニュースでは完璧にスルー。
一日中あの人の初公判の話題で持ちきりだったように思う。
夕方5時ごろから気持ちがそわそわしだす。
お米をとぐためにキッチンへ立った。
水が出る・・・と意識した。
5:56すぎても電気が消えない。ガスがつく。
あたりまえだけどありがたい。
そんな繊細な気持ちになっていたときに、なんと地震がきやがった。
6:30ごろ。
動いていたら気づかないくらい小さい地震だったけど、
「なんで今くるかなぁ?」と思わず口にしてしまった。
こどもは部屋で遊んでいて気づいてないようだった。


自分が描いた灯篭を見に行きたいというので本町に連れていった。
そこで神戸の消防士さんに再会。
あの地震から継続的に小千谷を応援してくださっているその想いに涙ぼろり。
「今地震あった?だいじょうぶ?」と遠く離れたところからメールをしてくれた人もいた。
地震速報のテロップを見てその人は「(10.23の夕方にくるなんて)なんでだよ!」ってつい口にしたという。
ありがとう。

中越大震災を取材してきた記者さんからもメールがきた。
「そちらに行けずもどかしい気持ちを抱きながら今特集紙面をつくっています。」と。
「何年経ってもあの地震直後のあの感覚忘れられないです。」と。

私たち、ここに住んでる者はいっしょに地震を乗り越えたという想いを共有できる仲間がまわりにいるけど、当時ここで取材をされた記者さんたちは、まわりに中越大震災のことを知る人などいないわけで、こみあげるものが私たち以上にあるのかもしれないなぁって思った。

こうして何年経っても思いを馳せてくださるってことに感謝したい。
ほんとうにありがたいことですね。





しずかな・・しずかな夜です。
ふつうに暮らせることに感謝。
一日一日をいとおしく大切に過ごしたいと思ったそんな5年後の10.23でした。


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8 コメント

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Unknown (ほね)
2009-10-24 07:55:03
盛んにテレビで「節目」って言うのが気になってね。
リアルに体験した人間にとって節目なんてのは絶対に無いんだけどね。

昨日はウチも夕飯食ってから出かけてきましたよ。
直前の地震でビビッたけど。
だってねぇ否応なしに思い出すもん。

娘二人の灯篭は直ぐに見つかって持ち帰ってきたけど同級生は「オラちの娘んがん、いっこ無ぇっやぁ~」と商店街をウロウロしてましたとさ(苦笑)

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あれから五年 (あぼかど)
2009-10-24 09:28:07
あっという間に駆け抜けた5年でした。

先日の国体会場で、地震直後と復旧後のプチ写真展があって見てみたら。。。
涙ドバーでした
理由わかんないけど、しばらく涙が止まらなくてその場に立ち尽くして一人で泣いてた。
良かった、誰も周囲にいなくて。

灯篭は仕事帰りに、見てきました。
帰ろうとしたら、久々に会った昔の職場の先輩に会い長々立ち話。
やっぱり地震の話は未だに尽きないんだよね。

普通に暮らせることに感謝。
思いを馳せてくれる人がいることに感謝。
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私ですら (かんこ)
2009-10-24 14:16:46
こんにちは。
ここんところ仕事がハードで残業続きです。昨日もいつの間にか「その時」を過ぎてしまいました。ようやく仕事が終わって、何気にニュースチェックしたときに、地震があったことを知りました。「何でこの日なんだよ!」ってほとんど人のいないオフィスで拳を握りました。
今週は朝礼当番に当たり、そこで地震のことを話しました。話しているうちに心臓がドキドキしてきて、「あー、私ですらまだダメなんだな」って実感した次第です。
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今年は (豊念)
2009-10-24 23:33:15
ごぶさたです。5年目の我が家は、つれあいは小千谷の実家。息子は新潟市の某予備校の寮。そして、私は仕事で、栃尾の某学校にいました。
 あの人同じく、寒いほどの夜でした。今日24日の夕焼けも、なんかあの日を思い出させた。。。
 でも、なんとかやってます。柏崎にも行けるし。

 ただ、仕事柄もあるけれど、自死の話がいつになく入ってくる今年です。やはり、あれこれと考えます。自分にできること、これからもやります。
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しあわせってなんだっけ?なんだっけ? (おぢやのおやぢママ)
2009-10-25 03:38:04
■ほねさん
「節目」ね。
私は「復興」が気になったな。

言葉は重いね。
軽々しくつかえないし何も知らない人につかってほしくないみたいな気持ちにもなるよね。

灯篭さがしはオリエンテーリングみたいだったね。
行きかう友達から情報もらったりして。
楽しかったです。
写真ありがとう。

■あぼかどさん
プチ写真展、私も見ました。
きっと私たちの体の中には「堰」があるんだろうね。
どこでその「堰」がきれるかは人それぞれ違うんだろうけど
きれたらドバー!
とまらないんだなぁ。
私も深夜泣いたせいで今朝は目が腫れておりましたw

元気がなかった友達の笑顔がうれしい今日このごろ。
またうまいもん食べながらくっちゃべったり飲んだりしたいね!

■かんこさん
遠方の方は現在の被災地の状況を肌で感じられないですからね。
その分ご家族やお友達、親しい方を思うがゆえ、もどかしい想いをされてる方もいらっしゃるのでは?と思います。
朝礼でお話されたことについても、ドキドキされてるかんこさんとは対照的に「??」とピンときてない方もおられるんでしょうね。

■豊念さん
おひさしぶりです。
この小さな町に外人数人のグループがみられるようになったら「あぁ・・10月だなぁ。鯉買いつけに来てるんだなぁ」と。
10月だと思うだけでちょっと胸がざわつくんですよね。
あのときの肌寒さや山の色づきを忘れることはできないですしね。
痛ましいニュースも耳に飛び込んでくることが多く驚きます。
最終的には自分との闘いになるのでしょうか。
がんばりすぎず、ささやかでも大切なものが見つかるといいですね。
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ごぶさたです (まめ)
2009-10-27 16:58:26
ご無沙汰しております。
以前おぢや祭りのときにコメントさせていただきました。

結びの灯の時期には行ったことがなく、一度は参加してみたいなと思ってはいるのですが、時期的に無理なので、いろいろなサイトで見させてもらってます。


実は9月の連休に、お邪魔してました。

次に行くのはお正月・・・
祖母の一時外泊のために戻ります。

正直、おぢやのおじいちゃん、おばあちゃんは元気!!

杖をついた状態でも、ご近所回りをがんばってしてくれるので、施設にいる祖母も嬉しがっています。

また、おじゃましますね
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Unknown (みゅー)
2009-10-27 18:28:31
本町に行けば灯篭が灯っているなぁ、とおもいながら5時半過ぎに出掛けてきました。
5時56分には皆さんと一緒に黙祷、思わず涙が出ましたね。

帰り道、
「あの時も急いでこの道を帰ったなぁ、ここの石垣が崩れて・・・」なんて思いだしながら帰りました。
今は石垣も崩れていないし壊れた家もありません。
何も無く一日が終わるというのは本当にありがたいことです。
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Unknown (おぢやのおやぢママ)
2009-11-02 09:43:46
■まめさん
シルバーウイークにおかえりになられてたんですね。
まとまったお休みがとれないとなかなか帰省もむずかしいのでしょうけど、今はネットで離れた町の様子が見られるようになったので身近に感じられますよね。

まめさんのような方がおいでだと町のちょっとした風景の写真を掲載するのもいいもんだな、と意欲が出てきます。

小千谷もゆっくりですが色づいてきましたよ。
明日は雪マークですが降るかなぁ?
冬囲いをしている家庭もおおく見られるようになりました。

まめさんが帰ってこられるのをお祖母さまも楽しみにしておられるでしょうね。
ご家族でゆっくり過ごせたらいいですね。

■みゅーさん
信号が消えていた交差点。
’危ない’と書かれた壁。
段差になった道路。
家の前のテント。
救急車と自衛隊の車がひっきりなしにすれちがう・・。
本町の光景だけでもいろいろと思い出しました。
平穏で暮らせることに感謝ですね。
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