小千谷から(Ojiya kara)

新潟県中越大震災の、とある被災者からのメッセージ
(リンクはご自由にどうぞ。ただし転載はご遠慮ください。)

シチズンのショートムービーが流れないよ?

2007年10月24日 22時23分16秒 | 福山雅治
21:50ごろからリモコン片手にかたずをのんで待ってたのに・・・。
シチズンのショートムービー流れませんでした。
NHK以外のぜんぶのチャンネルチェックしたし、ビデオも録画してたのにうつってなかった。
ほかのローカルエリアでもうつってないとこがあったとネットで知りました。
東京とか大阪だけだったの?
楽しみにしてただけにがっかり。

*********

シチズンのサイト調べたらここは「一部の地域」だということがわかった



以下、シチズンのサイトより

シチズン時計株式会社(本社:東京都西東京市 社長:永井庸夫)は、本日、10月24日(水)21:52~21:54の間で、この秋より始動しているシチズンと福山雅治のコラボレーション 企画の1つとして、福山雅治×黒田秀樹共同監督作品である45秒のショートムービーを、 民放ネット局系列(北海道、関東、中京、関西、福岡)と街頭ビジョンでたった一度だけ放映します。また、21:52から携帯電話でもストリーミング配信します。

10月24日(水)21:52~54の間で、日本テレビ系列、TBS系列、フジテレビ系列、テレビ 朝日系列にて1回限りの放送

※諸般の事情により、CMの放送時間が変更となる場合がありますので、ご了承ください。
また一部の地域ではご覧になれない場合もあります。

◆関東
日本テレビ/東京放送/フジテレビ/テレビ朝日
◆関西
読売テレビ/毎日放送/関西テレビ/朝日放送
◆中京
中京テレビ/中部日本放送/東海テレビ/名古屋テレビ
◆北海道
札幌テレビ放送/北海道放送/北海道文化放送/北海道テレビ放送
◆北九州
福岡放送/RKB毎日放送/テレビ西日本/九州朝日放送






震災から3年~結びの灯火

2007年10月24日 16時58分23秒 | 新潟県中越大震災・地震
中越大震災から3周年のきのうは5:56をどこで迎えるか家族と相談。
子供が本町のイベント会場に行きたいというので、家族そろって出かけました。
日も短くなり肌寒くなりましたね。
あの日も寒くて星がきれいだったことを思い出します。
小千谷青年会議所が中心となってつくられた市民による手作りの灯篭にやさしいあかりが灯されました。




郵便局前では「中越大震災から3年、あのときありがとう」イベントが催され、あのときは伝えられなかった全国のみなさんや家族・友人・先生・近所の方々に対する感謝のメッセージを小学生→中学生→高校生→というように次々とリレーで伝えました。
取材陣もたくさんきていました。
この思いが多くの方々に届くことを願います。
みなさんあのときは本当にありがとうございました。


写真は多いほうが雰囲気がわかるかな、と似たような写真ですが貼り付けておきます。






実行委員のみなさん、大変おつかれさまです。
そしてこのようなイベントを開催してくださってありがとうございます。
5:56の黙祷ではいろいろなことが走馬灯のように思い出され、しぜんと涙がこぼれおちました。
あたりまえのしあわせをかみしめた一刻でした。





ひとつひとつゆっくりと見たいメッセージカードと灯篭。
灯篭は小千谷駅から市民会館までの商店街をあたたかく飾りました。
旭橋は青いイルミネーションが点灯されたそうです。





自衛隊の方々からは「小千谷に支援に入って感じたことは、この町の人はあたたかい。人と人との絆が大変強く、やさしさにあふれた町だ。」と感想を話されました。
最初は自衛隊のジープにびっくりしていた子供たちですが、迷彩服を着ている隊員に親近感をおぼえることに時間はかかりませんでした。
また我々大人も自衛隊の方が町に滞在してくれているだけで、心から安心できました。
多大なるご支援本当にありがとうございました。

仮設住宅に住んでいた方たちもほとんど出られて、新しい生活がはじまりました。
新しいコミュニティで生活される方が心穏やかに暮らせることを祈っています。




夜、集まれる人が集まって飲みました。
こうして心穏やかに語ることができるようになれたことがうれしかったです。





痛々しかった妙見の土砂崩れ現場も春に県道が復旧。
緑が増えたおかげでいくぶんやさしい感じになりました。

これからも少しずつですが、元気になっていく小千谷を伝えられたら・・・と思っています。。
今後ともよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。

塩谷レスキュー隊出動~

2007年10月24日 13時57分31秒 | 小千谷(新潟)
中越大震災発生当初から小千谷・川口地区を継続的に取材していた東京の新聞記者さんからひさしぶりにメールがきました。
「10.23に休みがとれたので(プライベートで)そちらに行こうと思っています」と。
地震で集団移転した川口町・小高地区の移転先を訪れたあと小千谷市塩谷に行きたいというので、私もいっしょに同行させてもらいました。

ちょうど泉田知事が帰られたあとだったようで、塩谷の住民の方はいつもの普段着に着替えて母子像のところで談笑中。
「こんにちはー」と乗り込んでいくと、「お~~~~一生会わねーと思ってたやつがきた」となつかしい顔を塩谷流に笑顔で歓迎。
そしてざっと近況報告をしたあと「やっぱり○○(記者の名前)に東京は似合わんのー」といじるいじる。

母子像に手を合わせたあと元区長の新居でお茶をよばれていたら、ピンポンがさわがしく鳴り、
「お~~い、お~~~~い」
となにやら興奮ぎみ。
「外人の車が池に落っこちそうになってるみてーなんだんが、なにいってるかわっがんねーんだてー。」
なるほど。大阪大学の先生が元区長のお宅に居合わせていたので通訳&男手が欲しいってことなんですね。

みんな野次馬根性でわくわくしながら軽トラに乗り合わせ現場に直行~。

言葉なんて通じなくても一目瞭然。
’わナンバー’の車を見つめて立ち往生の外人。
錦鯉見たさに棚田におりたはいいけど、どんどん道が先細りし、Uターンできなくなったので民家まで「ヘルプミー」しにきたようでした。



しかし塩谷んしょはやることが早い。
あっというまに車を持ち上げ立体駐車場みたいに向き変えちゃった。





あと1時間遅かったら真っ暗になってたよ?
きょうがどういう日だかDo you know?(笑)

集落に戻るとき、「助手席に乗る?」みたいな仕草をされたけど、やだよこえーよ(笑)ノーサンキューw

私も早く町に帰らなくちゃ5:56になっちゃう。
塩谷トンネルを抜けて家路を急ぐ車の中、なんだかほっこりした気持ちになれました。