小千谷から(Ojiya kara)

新潟県中越大震災の、とある被災者からのメッセージ
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三度目の冬

2006年12月08日 00時58分17秒 | 新潟県中越大震災・地震
スーパーで買い物をしていたら知ってる人に会った。
「お~!」と軽く挨拶。
仮設住宅へ住んでたその方。
「おかげさまで災害復興住宅へ引っ越すことになりました。」
と。
ほんの立ち話なので詳しくはきけなかったけど、年内には引っ越してきれいなところでお正月を迎えるのかなぁ。

授業参観などで小学校へ行くたびにグランドの仮設住宅が気にかかる。
あの方はもう引っ越されたのだろうか?
玄関をちらっとのぞく。
除雪につかう大きなスコップが出ていた。
「あ、まだいらっしゃるんだなァ。」
慌しいので家路を急ぐが
(もう山には戻らない(戻れない)んだろうなぁ。)
(あの方も復興住宅へ引っ越されるんだろうか。)
と思ったりする。
「こんにちは~」と ふらっと寄ってみようと思うのに足が重い。
すでにそういうことが3-4回あった。
声をかけてみたい気持ちと「いや距離を置いたほうがいいのかな。」という気持ちが交錯する。

震災直後にボランティアで被災者と心を通わせた若者が就職のために中越を離れた。
彼が言う。
「気になる人って好きな人とか友達とか家族だと思うんだけど、僕は中越に気になる人がたくさんいる。
吉谷のあの○○さんは元気だろうか?」って。

四六時中笑顔ではいられないかもしれないけど、こうして気にかけてもらえるということが”張り合い”につながるんではないかな。
あの急性期(2004年10月23日~2005年前半)のことは全国から応援に駆けつけてくれた人たちの心にずっと残ってるんじゃないかな。

先日いっしょに”宅呑み(外じゃなく家で呑むこと)”した知人は仮設から仮設へ引越しをした。
最初に入っていた仮設が撤収することになったので近場の仮設へうつったのだといっていた。
仮設で3度目の冬を迎える。
ただ彼は来年、平場に新居を構えることが決まっている。
まだ30代。若いから。
そんな彼が言う。
「地震は僕にとってはもう思い出したくない 語りたくない ことだ。」と。

こうして被災地もだんだんとデリケートになっていく。
風化させてはいけないけど、「もうそんな話は忘れたい」と思う人もいるのだ。

それぞれの冬。
みんなが心穏やかに過ごせたらいいなぁと思う。