DonkeyMの部屋

Donkeyはロバ。格好良くなく、足も遅い。「のろま」とか「馬鹿」といった意味。日々の感動、怒り、愚痴等を記事にしたい。

私は無職者ではないのだ!

2016-03-25 11:06:08 | 雑感

 息子の就職の保証人欄にサインした。職業を書く欄があり、職業欄に何と書くか、一瞬躊躇した。退職して働いていないのだから、日本流に言えば、明らかに無職となる。何も迷うところではないのだが、無職と書くのはどうもあまり気持ちの良いものではない。

 ところで、ドイツ語教室で、職業を聞いたり、答えたりする練習があった。先生に職業は何ですかと聞かれ、受講者は高齢の人が多いことから、当然、「無職です。」と答える。そうしたら、先生は、それは違います。あなたたちは年金で生活しているわけでしょう?だったら、年金生活者(レントナー)と答えるのが正しいと言います。北欧の人たちには、年金をもらって生活していると、堂々と言える、そんな空気が流れているようだ。年金を積み立てていたのだから、それはもらって当然なのだが、日本では、年金で生活しているというと、社会に対して、あるいは、自分に対してどこか後ろめたさみたいなものを感じてしまう。この辺の感覚の違いが、日本と北欧の大きな違いなのだろうと思う。

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あられ

2016-03-25 09:44:51 | 雑感

 あられとは、賽の目に切った餅を乾かして火であぶって焼いたり、油で揚げたりして食べる昔ながらの食べ物だ。私の場合は、主に火であぶって食べるのが好みだ。

 私の子どもの頃(昭和30年頃)は、我が家には籾殻燃料とする竈があった。米を脱穀した後に残る籾殻を使う竈で、内側は二層構造になっていて、外側に籾殻を入れ、内に紙等を入れて火をつけると籾殻が燃え始めるという代物で煮炊きに良く使っていた。我が家は米作農家だったので、籾殻には不自由せず、ほとんど一年中、この竈で煮炊きしていたものだ。籾殻を少し入れ、火をつけて、その上であられを炒る。金網でできた籠のようなものの中に、あられを入れ、全体に火が回るように振りながら加熱していくと、あられが膨らみ、はじけ始める。そのうち、ほんの少し入れた筈のあられが膨らんで籠一杯になる。頃合を見計らって、ボールに取り出し、醤油を掛けて出来上がり、香ばしい匂いに包まれる。

 昔、近所にお店はなく、私のおやつと言えば、このあられと蒸かしたサツマイモに決まっていた。後に、即席ラーメンなどが登場したが、思い出に残るといえば、やはりあられが一番だった。他に食べるものはなく、また、食べ始めると後引くもので、いつもボールは空になるまで食べ続けたものだった。

 ガスというものが普及すると、竈はなくなった。そのため、あられを美味しく炒ることが難しくなり、炒って食べることがなくなった。その代わりに、油で揚げる食べ方が主流になった。その後、かなりの期間が経過し、紙袋にあられを入れて電子レンジで過熱すると、程よい湿気でよく膨らみ、美味しいあられたできることがどこからともなく伝わってきた。試しにやってみると、あられが上手に膨らみ、美味しく食べることができ、それからは我が家では、あられは紙袋と電子レンジで作るものと定着した。

 結婚してからも、暮れには実家で行われる餅つきに参加し、餅をもらって帰ってくる。そして、半分は雑煮用、半分はあられ用にした。賽の目に切り、干してあられを作るのだが、近所の子どもたちには全く馴染みがなかったらしく、不思議そうに眺めていたものだ。暮れ、正月のあられ作りはずっと続いていた。しかし、東京では気温が暖かいこと、あられを干す空き部屋がないことから、あられを作ることができなくなった。そこで、最近は作ったあられをもらってくることになった。

 息子たちもあられは好きで、良く食べた。あられの味を知ったものは、懐かしい味として心に残るらしい。餅を搗いて、少し乾いて硬くなったところを賽の目に切って、一ヶ月近く乾かして、それでようやくあられが出来上がる。とても手間暇の掛かる代物で、今でも作っている人は本当に少ないのだろうと思う。

 姉の家の近くで、せんべいとあられを製造販売する会社があり、彼岸参りに姉のところを訪れると、必ずといって良いほど、土産にあられをくれた。しかし、2年位前に、姉が「あられの会社は倒産してしまって、もうあられは買えなくなってしまった。」と済まなそうに話したものだった。手軽に買えるあられがなくなったことは、本当に残念なことだった。

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