周りは知らない人ばかりと思うのはどういうときだろうか?
相手をどこまで知れば知っていると言えるのか、基準は非常に曖昧だ。知っている知らないは主観的で、知っていると思うか、知らないと思うかによってかなり違ってくるらしい。実は、最近、テニスのサークルをやめた。これは単に妻の介護のため、テニスのサークルに参加するための時間を確保することが困難になったという事情によるもの、サークルの人たちと気が合わなくなったというものではない。やめてみて、改めてサークルの人たちはどんな人だったのだろうと考えてみる。会うと普通に挨拶し、テニスをする。相手がどういうテニスをする人かということはかなり鮮明に分かっているが、個人的な状況、心情、家族構成、はたまたどんなことをしている人か、全く分からないことばかりだ。
それでは、ジムで顔を合わし、テニスしたり、卓球したりする人たちについて、私は何を知っているのだろうか?これも同様で、テニスや卓球のプレーに現れる人柄については、それなりに色々知っているが、個人的な生活の状況については非常に曖昧な情報しか私の頭の中にはないことに気が付いた。
このように考えていくと、それでは知っている人っているのだろうか?甚だ怪しくなってきた。2,3年前に、初めて姉がネギを嫌いであると知った。「えー。そうだったの?」と思い、びっくり仰天。しかし、良く考えてみると、どんな食べ物を好きなのかということは未だに知らない。物心付いてからずっと付き合ってきたはずなのに、これはいったい何としたことか!他の兄弟について何を知っているのかと問い直してみると、実は何も知らなかったということに改めて気が付いた。
妻や息子たちはどうか?これもかなり怪しい。知らないことばかりなのだ。何をどうしたいと思っているのだろうか?私は、いったい人とどう関わってきたのだろうか?実は、いつも自分の中だけで完結していて、人はどうでも良かったのかも知れない。だから、相手のことが何も分からないのかも知れない。
長男が婚約したと聞いて、最初に思ったことは、仕事は?出身大学は?親の職業は?どこに住んでいるか?でも、それを知ったところで、相手のことが分かったと言えるのだろうか?多分、本質的なことは何も分からないままになってしまうのではないだろうか?尋ねてみなくてはならないことがたくさん出てきた。今週末、長男が婚約者を連れてくるらしい。これは忙しくなりそうだ。
いや、待てよ!妻に色々聞きたいことが出てきた。何も知らないことばかりだから、これから色々聞いてみよう!