明日へのヒント by シキシマ博士

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「虹色ほたる ~永遠の夏休み~」 哀しくても、生きる甲斐があるんだ

2012年05月17日 12時50分24秒 | 明日のための映画
試写会で観る機会にめぐまれ、あまり予備知識の無いまま鑑賞したのですが、心揺さぶられました。
すばらしい映画です。
長く記憶に残る作品になると思います。

夏休み、小6のユウタは亡き父との思い出があるダムのそばの山里に一人でにやって来る。
しかし突然の豪雨に遭い、濁流に足を滑らせて意識を失う。
気がついたユウタが目にしたのは、ダムに沈む前の村の光景。30年以上前にタイムスリップしてしまったのだ。
ユウタはそこで、さえ子という女の子に出会う。
さえ子はユウタを不思議がることもなく、従兄として家に迎え入れられる。
かくして、この時代でのユウタの生活がはじまる。
ケンゾーら、村の子供たちと昆虫採集や川遊びをするうちに、ユウタはすっかりこの生活に馴染んでいく。
しかしある晩、ユウタはさえ子の泣き声を聞く。
さえ子はある悲しみを抱えていた…
(監督:宇田鋼之介 105分)


丹精に描き込まれた最近のアニメに慣れた目には、この作品の簡略化されたキャラは、最初は馴染みにくいかも知れません。
しかしそれは固定観念に過ぎず、すぐに慣れて来るでしょう。
観る者の…、とりわけユウタがタイムスリップした昭和52年頃を知る者の記憶とシンクロさせるためには、キャラの簡略化・省略化は正しい選択だと思います。
キャラの絵を簡略化した分、観る者の目は自然と背景画に向けられます。
そしてそこを駆け回る子供たちの姿に、観る者の記憶は同化するのです。
山の傾斜、地形の起伏、街灯のない夜の暗さなど、3D映画などでは到底表現できないリアリティが目の前に展開します。
アニメは静止画を観るものではないのだから、整った絵より、動きで何が伝えられるかが重要だと思うのですが、その意味でこの作品は秀逸です。

ユウタ・さえ子・ケンゾーの声優も良かったですね。
ユウタの声は武井証くんだったんですか。
「いま、会いにゆきます」から何年経つんだろう?
もう14歳なんですね。早っ。

そして、そういう設定の上で明かされていく、ある一つの真実。
交通事故死した父の記憶と、さえ子が抱える悲しい記憶。
さえ子の悲しみを知ったユウタは…

これから観る人のためにネタバレは避けましょう。
一言で言うならば、子供の魂の成長の物語ということになりますが、その表現がとにかく秀逸です。
〝生〟を肯定する力強くて真っ直ぐなメッセージが、観る者の心を強く揺さぶります。

昨年大災害に見舞われ、今も放射能の脅威に晒され、さらに今すぐ東京に大地震が起きても不思議でないという。
そんな時代に私たちは生きている。
そんな中で、生き残るための対策を講じるのもいいけれど、もっと根本的に考えなくてはいけないのは、私たち人間は果たして生きるに値する存在なのかということ。
地球とか環境とかに許されている存在なのかということです。
そこを間違えたままだと、たとえ放射能や地震は乗り越えても、地球や自然は新たな脅威を次々に私たちに突きつけて来るでしょう。

幾千万のホタルが舞い跳ぶ美しい自然をダムの底に沈めてまで、人間の欲だけのために開発をして、私たちは果たして幸せになれたんでしょうか?
地球や自然がいつまでもこんな横暴に目を瞑ってくれてると思えますか?
そんなはずはないですよね。

人間以外の存在と環境を分かち合って、自分以外の誰かと喜び哀しみを分かち合って。
子供たちはどんなことがあっても今を、未来を生きる。哀しみも苦しみも抱えてなお生きるだけの価値が、そこにはきっとある。
大人はそれをちゃんと実感させてやらなければいけない。
実感できるだけの環境を、生きる甲斐を、大人はちゃんと守っていく義務と責任があるんだ。
…そうすることが、この世で人が今後も存在を許される、最低限の条件だと思うのです。

人がそういう存在であり続けるならば、ホタルは奇跡だって見せてくれる。
きっと。


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