明日へのヒント by シキシマ博士

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母が他界しました

2011年10月19日 10時20分38秒 | 介護の記
母が、先週の金曜日(14日)早朝、入所していた施設にて永眠しました。84歳でした。

このブログでもこれまでに何度か書いてきたとおり、母は70歳の時に脳梗塞を患って右半身が不自由になり、それ以来、家の中のごく短い距離を4点杖を突いて移動する以外は車椅子利用者になっていました。
幸いそれ以外の障害はなく、体は不自由でも周囲に作り出す明るい雰囲気はそれ以前と変わらず、脳梗塞後に通い始めた週2回のデイサービスでも職員さんたちの受けが良かったようで、その施設のホームページに最も写真を多く載せてもらているのが私の母のようです。
(今回、遺影のために選んだ写真も、数年前にデイサービスで写してもらったものを使用させてもらいました。とても楽しげに呑気に笑っている写真です)
私自身が6年半前から在宅の仕事を本業とするようになった理由の一つは、母の介護をするためだったのですが、実際には母を通じていろんな人と繋がりを持つことができ、私のほうが逆に多くの恩恵・充実感を得ることとなっていました。

3年くらい前から、連れ合い(つまり私の父)に認知症が表れ始めました。
こちらのほうは進行が早く、間もなくして家での介護は難しくなり、病院や施設をいくつか転々としたあと、最終的に母が利用しているデイサービスと併設する特養へ入所となりました。(この辺りの経緯は、このブログの以前の記事に書いたとおり)
この頃は、私自身も気持ちに余裕がなく、しばし母にも辛く当たってしまいました。
母のケアマネージャーさんの勧めで、母のほうも特養ホームへ入所の申請をしたのは昨年の夏。(今にして思えば、この時のケアマネさんの助言が最良の方向へ導いてくれたことになります。感謝です)

そして今年の1月に父が他界。(この経緯も以前書いたとおり)
この頃から母の食事の量が減り、少しずつ体力の衰えが見えてきました。でもそれは、長年連れ添った者を失った失意による一時的なことと思っていました。
そんな時に、特養から「入所できますよ」との申し出が。
これは先送りすることも可能で、家族としては今のままの生活をもう少し続けたい気持ちもあり、少し迷いました。
が、なるべく多くの人の中で介護されるほうが母にとって良いだろうという結論に至り、申し出を受けることにしました。
入所したのは5月10日。
週2回のデイサービスに通っていたのが1階で、入居するのは同じ建物の3階です。
これまで慣れ親しんだ職員さんたちにいつでも会える環境に入居できたのは、母にとっても安心で、ここでならゆったりとした毎日を送れるだろうと思いました。
私としても、イライラしたりせずに余裕を持って母に接することができるようになり、ちょくちょく面会に行き、時には1階に連れて行ってデイサービスの様子を覗かせたりしました。幸福な時間でした。

しかし、入所後も母の食は細くなる一方で、筋力なども少しずつ衰えていきます。
入所から1か月半くらい経ったある日、「医師からの話があるので来て欲しい」との電話がありました。
2日後、妹とともに施設に出向き、そこで医師から聞かされたのは「膵臓癌がかなり進行している」というショッキングな事実でした。
今にして思えば、昨年の後半くらいからそれに因る症状は出ていたような気もします。
それを、連れ合いを失った精神的ダメージに因るものと見誤っていたのです。

やがて、固形物は食べられなくなり、日中でもウトウトしていることが多くなり、頻繁に発熱するようになりました。
10月に入ってからはベッドから起きることがなくなりました。
そして、14日の早朝に「呼吸してないようです」との電話を受け、私と妹はすぐに駆けつけたのです。
が、もうすでに呼吸は無く、体も少し冷たくなってきていました。

医師が到着して死亡が確認されたのが午前10時。
死亡診断書に記された死因は膵臓癌でしたが、予てから医師に言われていたような、激痛に苦しんだ末の死にはならなかったのが幸いです。
右半身が不自由なために思うように寝返りが打てず(数時間おきに姿勢を変えてもらってはいましたが)、寝たきりになってからはそのための腰の痛みとイライラが相当あったと思いますが、激痛というほどではなかったと思います。
入所してからわずか5ヶ月の死はあっけ無くもありますが、無駄に苦しみが長引くよりは良かったと思います。

互助会に連絡し、車が来て遺体を運び出すまでの小1時間、現在の介護職員はもとより、春までお世話になっていたデイサービスのほうからも、何人ものスタッフが次々に母に最後の別れをしに来てくれました。
あらためて母の人望の高さを実感させられました。母は幸せだと思いました。

思えば、70歳のときに脳梗塞を患って以来ですから、人生の6分の1以上を不自由な体で過ごしたことになります。
よく頑張ったと思います。もう楽になって良い時なのでしょう。

それから親戚への連絡など葬儀のための準備は慌しかったですが、1月に父を送った経験があるので、比較的冷静にこなすことができたと思います。
16日に通夜、17日に葬儀・告別式、私が喪主を務めて行いました。
天気にも恵まれ暖かく、お蔭様でこの上なく良い葬儀にして戴きました。
父の時と同じく家族葬にしたのですが、近所の回覧板が回る範囲にだけは隣組長さんから通知してもらったところ、その殆どのお宅が申し合わせ、車を乗り合わせて通夜に列席してくれました。
ご夫婦で来てくださった家もあり、椅子の数が足りなくなるほどでした。
母が近所の人たちからこんなにも思われていたのかと、その事実を目の当りにして、私も妹も溢れ出る涙を禁じ得ませんでした。
そして告別式には、遠路を自転車を漕いで来てくれる人がいたり、母と最も仲良かった人が来てくれたり。
もう、これ以上は望みようもないほどの良い形で母を見送れました。
だから、出棺前の喪主挨拶の途中で、不覚にも、こみ上げるものを抑えられずに声を詰らせたのは、悲しみではなく喜びのせいだというのは嘘ではありません。

こんな風に穏やかに綺麗に一生を締めくくれた母は幸せだと思います。
もちろん、家族として心残りが無いはずはありませんが、それよりも何故か今はとても清々しい気分でもあります。
母が結んだ様々な人との良き縁を、引き継いで行こうと思っています。

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2 コメント

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ご無沙汰しております。 (よもじぃ)
2011-12-05 23:27:05
ハガキいただきました。
お父様とお母様が亡くなられたとのことで、久しぶりに拝見させていただきました。

長い間、お疲れ様でした。大変お気の毒とは存じますが、しかし考えてみれば、いろいろ(介護等)と、自身が犠牲にされていたこと(やりたいことができない等)もあったかと思います。
これからは自身の道を思う存分、進みたいように歩いていけるのではと、考えてしまいました。

こういう内容のブログにコメントはなかなか難しいのですが、あくまでも、皮肉、嫌み等ではございません。

落ち着いたら、また飲み食いに行きたいですね。遊んでください。

ではでは
ありがとうございます (シキシマ博士)
2011-12-15 12:15:26
よもじぃさん、お気遣いありがとうございます。
久し振りにコメントを貰ったのに返答が遅れてしまいごめんなさい。
自分のブログでありながら、最近ではたまにしか覗いていないもので。

お陰さまで、母にはやれるだけのことをやり尽くせた感があるので、今のところ悲しいとかいう気持ちはありません。
たしかにもう、パズル制作の合間の気分転換に母と話す、などということが出来ないと思うと少し寂しくもありますが。
よもじぃさんも言われるように、これからは自身の道を思う存分…と思っていたのですが、意外と自由な時間は増えないですね。
良いのか悪いのか、締め切りに追われて母のことを忘れてしまうくらい忙しい毎日を過ごしています。

まだ少し手続きなどが残っていますが、それが落ち着いたら、介護関係の手助けとなるようなこともやってみたいと思っています。
ではまた!

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