たとえ万人に受け入れられなくても、一部の人の心には大きな意味を残す映画がある。
この映画はそれだと思います。
昭和の繁栄の象徴のように生まれた巨大団地が、まだ活気を呈していた1981年。
小学校を卒業した悟は、団地の敷地内だけで生きていくことを決意する。
団地の外にある中学には通わず、独自の信念で規則正しい生活を送り、本を読み、肉体を鍛錬する。
母親に温かく見守られ、やがて団地内のケーキ屋に就職し、団地内に住む同級生と恋をし、すべて順調に展開していくかと思われた。
しかし、時代の変化と共に団地は廃れ、小学校卒業時に107人いた団地内の同級生は、1人また1人と他の土地へ引っ越していく。
それでも悟は外の世界に踏み出さない。
それは、小学校卒業前のある出来事が原因していた…
(原作:久保寺健彦/監督:中村義洋 120分)
監督・中村義洋と主演・濱田岳のタッグといえば、「アヒルと鴨のコインロッカー」や「フィッシュストーリー」「ポテチ」など、伊坂幸太郎原作作品の映画化で定評があります。
今回のこの作品は伊坂原作ではありませんが、最も期待して観に行った客層は過去の伊坂原作作品のファンに間違いないでしょう。
そして、そのほとんどの人が、今回は辛口の感想を述べているようです。
たしかに、伊坂作品のような意外性のある展開や爽快感を期待すると肩透かしを食らうでしょう。
でも、少数派だと思いますが、私はこの作品が大好きな一人です。
悟の言動は、時に偏執的にも思えるけれど、それが自己のトラウマと闘う必死さに基づくものだと知れば、応援せずにいられなくなります。
トラウマのない幸福な人生を謳歌している人には無縁かもしれないけれど、なんらかの心の傷を抱える人なら、悟に共感できるでしょう。
「団地の中だけで生きる」と悟が言うたびに、「本当は外に出たい。でも怖いんだ」という心の叫びが聞こえると思います。
たしかに、隣に住む幼馴染みとの関係や、同級生とのベッドシーンなど、あそこまで描写する必要があったのかなとも思います。
けっこう良い思いしてるじゃんと思えてしまい、悟のトラウマや孤独感がかすんでしまった感が否めません。共感しにくくなります。
私がマイナス点を付けるとすれば唯一この部分です。
でも、幼馴染みも同級生の彼女もやがて去っていきます。
ケーキ屋の師匠も店を去ってしまう。
悟の周りから人が消え、団地は老朽化して寂れていく。
しかし、物語はここから、悟のトラウマ克服までの道のりを鮮やかに映し出します。
知り合った外国人少女が虐待を受けていることを知った悟は、彼女を救うべく立ち上がります。
それまで自己完結した世界にだけ向けられていた悟の意識が、はじめて外に向けられるのです。
〝自分以外のものを守るため〟の勇気が、つまりは〝自分自身の箍(タガ)を外す〟ことになるんですね。
この悟の姿は、中村監督の「フィッシュストーリー」に登場した〝正義の味方〟を思い出させますが、そんなにカッコよくはありません。
いや、その命がけの勇気は〝正義の味方〟に匹敵するくらい充分にカッコいいですね。
思えば、トラウマがあったからこそ悟は団地に留まっていたいたわけで。
団地に留まっていたからこそ、少女を救うことができた。
きっとこのように、どんな生き方にも役割があって、その役割を果たす時はいつか必ず訪れる。
たとえ今日はむなしく終わっても、自分の役割を果たすべき未来は待っている。
その日に備えるために今日がある。
そう思うと、なんだかすごく希望が沸いてきますね。
あきらめず生きていれば、いつか必ず時機がおとずれる。
だから焦らず、その時のために日々備えておくんだ。
地道な努力は無駄にならない。
きっとすべてを克服できる時が来るから。
悟の18年間が、力強い説得力を持ってそれを私に実感させます。
さらに…、
急逝した母が残した日記に綴られていた、ひたすらに悟を信じ続けた大きな愛情。
そう、そんな愛情を今度はきみが誰かに注ぐために、旅立つ時が来たんだ。
もう大丈夫。今のきみならどこに行っても大丈夫だ!
住み慣れた団地を去って行く悟の背中に、心からのエールを送りたい。
がんばれ!
中村監督、すばらしい作品をありがとうございます。
この映画はそれだと思います。
昭和の繁栄の象徴のように生まれた巨大団地が、まだ活気を呈していた1981年。
小学校を卒業した悟は、団地の敷地内だけで生きていくことを決意する。
団地の外にある中学には通わず、独自の信念で規則正しい生活を送り、本を読み、肉体を鍛錬する。
母親に温かく見守られ、やがて団地内のケーキ屋に就職し、団地内に住む同級生と恋をし、すべて順調に展開していくかと思われた。
しかし、時代の変化と共に団地は廃れ、小学校卒業時に107人いた団地内の同級生は、1人また1人と他の土地へ引っ越していく。
それでも悟は外の世界に踏み出さない。
それは、小学校卒業前のある出来事が原因していた…
(原作:久保寺健彦/監督:中村義洋 120分)
監督・中村義洋と主演・濱田岳のタッグといえば、「アヒルと鴨のコインロッカー」や「フィッシュストーリー」「ポテチ」など、伊坂幸太郎原作作品の映画化で定評があります。
今回のこの作品は伊坂原作ではありませんが、最も期待して観に行った客層は過去の伊坂原作作品のファンに間違いないでしょう。
そして、そのほとんどの人が、今回は辛口の感想を述べているようです。
たしかに、伊坂作品のような意外性のある展開や爽快感を期待すると肩透かしを食らうでしょう。
でも、少数派だと思いますが、私はこの作品が大好きな一人です。
悟の言動は、時に偏執的にも思えるけれど、それが自己のトラウマと闘う必死さに基づくものだと知れば、応援せずにいられなくなります。
トラウマのない幸福な人生を謳歌している人には無縁かもしれないけれど、なんらかの心の傷を抱える人なら、悟に共感できるでしょう。
「団地の中だけで生きる」と悟が言うたびに、「本当は外に出たい。でも怖いんだ」という心の叫びが聞こえると思います。
たしかに、隣に住む幼馴染みとの関係や、同級生とのベッドシーンなど、あそこまで描写する必要があったのかなとも思います。
けっこう良い思いしてるじゃんと思えてしまい、悟のトラウマや孤独感がかすんでしまった感が否めません。共感しにくくなります。
私がマイナス点を付けるとすれば唯一この部分です。
でも、幼馴染みも同級生の彼女もやがて去っていきます。
ケーキ屋の師匠も店を去ってしまう。
悟の周りから人が消え、団地は老朽化して寂れていく。
しかし、物語はここから、悟のトラウマ克服までの道のりを鮮やかに映し出します。
知り合った外国人少女が虐待を受けていることを知った悟は、彼女を救うべく立ち上がります。
それまで自己完結した世界にだけ向けられていた悟の意識が、はじめて外に向けられるのです。
〝自分以外のものを守るため〟の勇気が、つまりは〝自分自身の箍(タガ)を外す〟ことになるんですね。
この悟の姿は、中村監督の「フィッシュストーリー」に登場した〝正義の味方〟を思い出させますが、そんなにカッコよくはありません。
いや、その命がけの勇気は〝正義の味方〟に匹敵するくらい充分にカッコいいですね。
思えば、トラウマがあったからこそ悟は団地に留まっていたいたわけで。
団地に留まっていたからこそ、少女を救うことができた。
きっとこのように、どんな生き方にも役割があって、その役割を果たす時はいつか必ず訪れる。
たとえ今日はむなしく終わっても、自分の役割を果たすべき未来は待っている。
その日に備えるために今日がある。
そう思うと、なんだかすごく希望が沸いてきますね。
あきらめず生きていれば、いつか必ず時機がおとずれる。
だから焦らず、その時のために日々備えておくんだ。
地道な努力は無駄にならない。
きっとすべてを克服できる時が来るから。
悟の18年間が、力強い説得力を持ってそれを私に実感させます。
さらに…、
急逝した母が残した日記に綴られていた、ひたすらに悟を信じ続けた大きな愛情。
そう、そんな愛情を今度はきみが誰かに注ぐために、旅立つ時が来たんだ。
もう大丈夫。今のきみならどこに行っても大丈夫だ!
住み慣れた団地を去って行く悟の背中に、心からのエールを送りたい。
がんばれ!
中村監督、すばらしい作品をありがとうございます。
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