どんぴ帳

チョモランマな内容

はくりんちゅ104(H電力編スタート!)

2008-02-16 23:17:08 | 剥離人
 T県T市、冬になれば一日中どんよりとした雪雲が垂れ込める寒い所だ。

 私と渡、そしてTG工業の尾藤の三人を乗せたタクシーは、夜のT市内を走っていた。
 タクシーの運転手は、かつて『オロナミンC』の広告塔だったコメディアン『大村 崑』にそっくりで、私は彼が気になって仕方がなかった。もっとも気になるのは大村崑に似た彼の顔では無く、彼の実に怪しい運転作法の方だったが。
 今夜は時折みぞれが降る愚図ついた天気で、タクシーのフロントガラスにはピチャピチャとみぞれがへばりついていた。
「ギッコ、ギッコ」
 ワイパーが二往復する。
「ギッコ、ギッコ」
 また二往復する。
「ギッコ、ギッコ」
 また二往復する。そしてそれが気になる。強烈に気になるのだ。大村崑はそのワイパーの『入/切』を、なぜ『手動』で行うのか、異常に気になるのだ。
 通常の車のワイパーには、『INT』という操作位置がある。これは『インターバル』の略であり、ワイパーの間欠動作を選択する場合に使用する。そして大村崑はこのINTポジションを使用していない。
「カチャ、ギッコ、ギッコ、カチャッ!」
「カチャ、ギッコ、ギッコ、カチャッ!」
「カチャ、ギッコ、ギッコ、カチャッ!」
 大村崑の左手が、実に忙しなく動き続ける。猛烈に気になって仕方が無いが、なぜか聞けない。大村崑にそれを聞いてはいけない雰囲気なのだ。
「カチャ、ギッコ、ギッコ、カチャッ!」
 彼は職人の様にひたすらワイパーを操作し続け、我々は目的地の料理屋に到着した。
「常務、あの運転手はどうしてワイパーを手動で操作しまくっていたんでしょうね?」
 私は思わず渡に訊いてしまった。
「壊れとったんやろ」
「・・・」
 結局、なぜ彼が手動でワイパーを動かし続けるのかを私は訊くことが出来ず、その夜の酒宴は今一つ気分が乗らないままだった。

 翌朝、ホテルをチェックアウトした我々は、H電力TS火力発電所の構内に居た。
「うわぁ、やっぱりこっちは寒いですなぁ」
 渡が尾藤に声を掛けた。
「そらぁ、この辺りはこれが当たり前ですわ。木田さん、二月はもっと寒いでぇ!」
「ははは、そうですか。水、凍りますかね?」
「そんなもん、みんな凍りまっせ!そらぁ寒いでぇ」
 尾藤も渡も、他人事の様に笑っている。どうせこの二人は現場に来ることも無いので、気楽な物だ。私は苦笑いをしながら、コートの前をしっかりと合わせる。
 地面にはうっすらと雪が積もり、革靴の底からじんじんと冷気が伝わって来る。
「ここでっせ」
 尾藤は事務所の扉を元気良く開けた。
「どうも!TG工業の尾藤でございます!」
 元々甲高い尾藤の声が、さらに高くなる。
「おお、尾藤さんか」
 作業着を着てメガネを掛けたやや神経質そうな男が、机の上の書類から顔を上げた。
「山上係長、今日はFRP(繊維強化プラスチック)を剥がす業者を連れて来ましたので、打ち合わせをお願いします」
 山上は少しだけ書類を脇に整理すると、ヘルメットを手に取り椅子から立ち上がった。

 事務所から歩くこと数分、山上は発電所の中心部に我々を案内した。
「ここの上にあるミストエリミネータと、そっちの煙道をやってもらいます」
 山上は頭上の高い構造物と、地上数メートルに横たわる四角い大蛇を指差した。
「『みすとえりみねーた』ってなんですか?」
 私の質問に尾藤が笑う。
「排煙脱硫装置のことですわ。知りまへんか?」
 私の横で、渡が苦笑いをしている。渡も分からないに違いない。
「中は見られますか?」
 もちろん運転中のプラントの中が見られるなんて、本気では思っていないが、駄目元だ。
「はははは、木田さん、それは無理でっせ」
 尾藤はまた笑い、山上は少し心配そうな顔をした。
「じゃあ、施工箇所の図面を見せて下さい」
「後で送りますわ。それにしても木田さんは心配性やな」
 尾藤はわざと大声で言うと、山上に満面の笑みを向けた。
「山上係長、ご安心下さい。こう見えてもR社さんは、きっちりとした仕事をするんですわ」
 山上は軽く頷くと、表情を和らげた。

 この時、私はもっと食い下がって、この構造物の詳細を調べておくべきだった。