「木田さん、ちょっといいかな…」
川久保が神妙な面持ちで、話しかけて来る。
「…何ですか?なんとなく嫌な予感がするなぁ。どちらかと言うと、聞かない方がイイ気がする」
川久保は、人の良さそうなクマのプーさん顔で苦笑いし始める。
「何で分かるの?」
「思いっ切り顔に出てるじゃないですか」
「わははは…」
川久保は笑って誤魔化すと、私について来るように言った。
「どーせフェノールフタレイン反応(コンクリートの健全性を確認する検査反応)が出ないとか、そんな所でしょ?」
躯体への階段を上がりながら、私は川久保にボヤく。
「あれ、分かっちゃった?」
「分かりますよ、そりゃあ。そもそも右手にフェノールフタレイン溶液が入ったスプレーを持ってるじゃないですか」
川久保は笑いながら槽内への階段を下りると、須藤と正樹がハツった壁面の前に立った。
「見ててね」
川久保はそう言うと、フェノールフタレイン溶液をハツリ面に噴きかけた。
「…あれ?」
「ね、変わらないでしょ」
「ちょっと貸して下さいよ」
私は川久保からスプレーを受け取ると、自分でハツリ面に溶液を噴きかけた。
「うわっ、これ本当に変色しないよ…」
1パーセントのフェノールフタレイン溶液を噴きかけて、ハツリ面が赤紫色に変色しないと言うことは、コンクリートの中性化した部分の除去が、完全に完了していない事を意味する。
健全なコンクリートは基本的に『アルカリ性』であり、酸などに長期間侵されると、コンクリートは徐々に『中性化』して行く。中性化したコンクリートは、内部の鉄筋が非常に腐食しやすい状態になり、やがて腐食した鉄筋は錆で膨張し、内部からコンクリートを突き崩すことになる。
下水処理場においてそれを促進させるのは、汚水から発生する硫化水素であり、今回の我々の仕事は、その中性化したコンクリートを、ウォータージェット工法によって除去する事だった。
試薬の反応が出ないからと言って、決して須藤と正木のハツリ深さが浅い訳では無く、仕事が雑な訳でも無かった。むしろ、試験ハツリの時より、彼らは深めにハツっていた。
「どうしてだと思う?」
川久保は腕組みをして考えている。
「とりあえず試験ハツリの時は、きっちりと反応しましたよね」
「そうだね」
「ハツってすぐの壁面をやってみませんか?」
私は川久保に提案をすると、正木がガンを撃っている場所に近づこうとした。
「プシュッ、プシュッ、プシュッ!」
エアラインマスクのウレタンホースを手で握り込み、エアーを遮断して合図を送る。
「キュぅううううん、プシッ!」
私の足元にあったタンブルボックス(ガンのオンオフを制御する装置)が、高圧エアーを吐き出し、超高圧水を遮断する。
肩にガンを担いでいた正木が動きを止め、我々の居る方を振り返った。