再びMさんからメールが来ました。
今度は琵琶湖を一周です。
いやぁ、走りまくってますね、Mさん!
スタート・ゴール地点の京阪電鉄『浜大津』駅
今回もここまで輪行したそうです。ここから反時計周りでスタート!
海みたいな琵琶湖
私も二十年前に、琵琶湖の横を自転車で爆走した(原付のおばちゃんを自転車で抜いた)記憶があります。(目的地は敦賀)
今回のルートは、浜大津駅~膳所城跡~瀬田の唐橋(日本三名橋かつ日本三古橋らしい)~彦根城~長浜城~道の駅「湖北みずどりステーション」でテント泊。
そして、Mさんと言えば『城』、これを押さえなければ始まらない程の『城マニア』です(笑)
彦根城の天秤櫓と廊下橋
彦根城天守(国宝)
長浜城天守
道の駅「湖北みずどりステーション」
ここでテント泊したそうです。
白髭神社の鳥居
自転車と琵琶湖の雰囲気がとてもイイ味を出してます。
走行距離206.9km、一泊二日の旅、お疲れ様でした!
さて、私も来年は与那国島と波照間島に到達してみたいと思っています。勝手にMさんに宣言してみました(笑)
顔を火照らせ、疲れ切ったハルとノリオが、フライトデッキに上がって来た。
「お疲れ様」
「木田さん、ハルちゃんはもう駄目だよ」
ハルはぐったりとしながらも、カッパを洗い始める。
「ノリちゃん、これで水分をしっかりと補給して」
私はノリオに財布から五百円玉を出して渡した。
「いいんですか?」
「うん、ハルさんと二人分ね」
船から降りれば、自動販売機まで歩いて行ける。
「じゃ、木田さん、ちょっと休憩してくるね!」
ハルとノリオは、甲板から降りて行った。
「!?」
振り返ろうとした私の目線の先に、カッパ姿の人間が目に入った。
「泉谷さん?」
泉谷がフライトデッキに腰を下ろしている。
「どうしたんですか?」
駆け寄った私に対して、泉谷は顔の前で、蝿を払うように手をヒラヒラとさせる。
「ガンの故障ですか?」
「違うよ」
泉谷は恐ろしく不機嫌だ。
「えーと、じゃあ何が?」
「無理だよ」
「?」
「暑くて無理だって、あんな場所」
「えーっとぉ…」
いくら何でも、作業を開始してからまだ十五分ほどしか経っていない。
「そんなに暑いですか?」
「おお、無理だよ」
泉谷は、両手を膝の上に置くと、がっくりとうな垂れた。
「まあ、無理強いはしませんけど、休憩しながらで構いませんから、少しずつでもやってもらえませんか?」
泉谷は返事をせずに、右手を一回だけペロンと挙げた。
「どっちの意味なんだか…」
私は小さくため息を吐くと、泉谷をそのまま放置した。
作業用コンテナの中で、トラブルで上がって来ていたガンを修理し始めると、いつの間にか泉谷の姿が消えていた。
「ま、それなりに職人としてのプライドがあるのかもな…」
私は勝手に納得すると、ガンの整備に集中した。
三十分後、ハルとノリオが、フライトデッキに戻って来た。
「!?」
二人の足取りがおかしい。二人ともフラフラとしながら、時折仰け反りながら歩いて来る。
「ブヒャひゃひゃひゃ、キヒひひひひ!」
「ひっ、ひっ、プハハハハハ!」
どうやら二人は笑が止まらないらしい。
「何がそんなに楽しいんですか?」
ハスキーのエンジン音に負けないように、大声で話し掛ける。
「うひゃひゃひゃひゃ、いやぁ、木田さん、早く下に行った方がイイよぉ、大変な事になってるから、うひゃひゃひゃひゃ!」
ハルは痙攣しそうなほど笑っている。
「大変な事って、見に行ったんですか?まさか事故じゃ無いですよね!?」
「うひゃひゃひゃ、ぐはははは、見れば分かるよ、ひゃははははは!」
ハルはさらに笑っている。
「な、ノリ子!」
「グハハハハハ、いや、本当に凄いモノを見ちゃいましたよ、ギヒヒヒヒ!」
ノリオも笑い転げている。
「ほら、木田さん、急いだ方がイイよ!早く!」
何故か私はハルに急かされて、エレベータの下を見に行くことになった。
「ま、どうせ見回るつもりだったからイイけどね…」
私はまたしても高温のミストに覆われた現場に入った。
「うわっ、息苦しい!」
これほど空気の存在を如実に感じる事は、滅多に無い。
「お?ガンだけか…」
やはり泉谷の姿が見当たらない。一体どこに消えたのか…。
「キュウウウうううん、バシューぅううううう!」
奥からジェットの発射音が聴こえて来る。
「お、須藤君はやってるみたいだね」
私は真っ白なミストを掻き分けながら前に進む。
「キュウウぅうううん…」
すぐにジェットの発射音が途切れてしまい、私は足場を歩く速度を速めた。
「!!!」
人が倒れている。いや、そうでは無い。
「須藤君!」
須藤は肩で息をしている。
「須藤君!?」
私は須藤の肩を揺すった。
「?」
須藤が顔を上げる。聞えはしないが、エアラインマスクの中で激しい息遣いをしているのが分かる。
「大丈夫?」
大声で話し掛ける。今、エアラインマスクのエアーを遮断するのは良く無さそうだ。
「どうしたの?」
須藤は足場板に着いている右手を動かすと、エアラインマスクのホースを探し始めた。私はオレンジ色のウレタンホースをすぐに見付け、須藤に手渡す。
「木田さん、駄目です!暑過ぎます!」
須藤は死にそうな声を出す。
「取りあえず一度、風に当たろうよ」
私は須藤を促した。
「だ、大丈夫です、やれます!」
須藤はそう言うと、足場に放り投げてあったガンを手に取り、再び作業を始めようとした。
「無理しちゃ駄目だよ、泉谷さんみたいに休憩を入れなよ!」
本当は泉谷みたいに休憩ばかりでは困るのだが、いきなり現場で倒れられても、それはそれで困る。
「や、やります!」
須藤はそう言うと、ガンを構えて作業を始めた。
「キュウゥウウウウイン、バシュぅううううう!」
ジェットの発射音が響く。
「バァーぼ、バァーぼ、バァーぼ、バァーぼ!」
ガンを回す音がする。
「バァーぼ、バァーぼ、バァーぼ、バァーぼ、キュゥウウウン、プシっ!」
ガンが停止する音がする。
「バタンっ!」
須藤の影が、再び小さくなる。
「なんか…、あれが作業のローテーションなのか?ガンを撃つよりも、ああなっている時間の方が長くないか?」
私は疑問に思いながら、フライトデッキに戻った。
「ぎゃははははは!どうだった木田さん!」
ハルとノリオがウキウキしている。
「何だか知らないけど、足場の上で『四つん這い』になってましたけど…」
「うひゃひゃひゃひゃ、うひゃひゃひゃ、ぐははははは!」
「きひひひひひひひひ、マジですか、うはははははは!」
ハルとノリオは腹を抱えて屈みこんでいる。
「いやぁ、俺も色んな現場を、色んな人たちとやって来たけど、足場板の上で四つん這いになっている人は、初めて見たよ」
「ぼ、ぼ、僕も初めて見ましたよ、キハははははは!」
またしても二人は爆笑している。
「木田さん、他所の人たちに見られたら、マジで笑い者にされちゃうから、何とかしてよ、うひゃひゃひゃひゃひゃ!」
私は少しだけ考えたが、確かに他所の職人に、あの光景を見せるのはあまり歓迎出来ない。
「じゃあ、明日から現場では『四つん這い禁止』にしますか?」
「ウヒャひゃひゃひゃひゃ、マジで腹が痛い!」
「キヒヒヒヒ、勘弁して下さい!」
ハルとノリオはさらに笑い転げている。
笑い転げる二人と私の横を、涼しい顔をした泉谷が、エアラインマスクを持って現場に下りて行った。
「お疲れ様」
「木田さん、ハルちゃんはもう駄目だよ」
ハルはぐったりとしながらも、カッパを洗い始める。
「ノリちゃん、これで水分をしっかりと補給して」
私はノリオに財布から五百円玉を出して渡した。
「いいんですか?」
「うん、ハルさんと二人分ね」
船から降りれば、自動販売機まで歩いて行ける。
「じゃ、木田さん、ちょっと休憩してくるね!」
ハルとノリオは、甲板から降りて行った。
「!?」
振り返ろうとした私の目線の先に、カッパ姿の人間が目に入った。
「泉谷さん?」
泉谷がフライトデッキに腰を下ろしている。
「どうしたんですか?」
駆け寄った私に対して、泉谷は顔の前で、蝿を払うように手をヒラヒラとさせる。
「ガンの故障ですか?」
「違うよ」
泉谷は恐ろしく不機嫌だ。
「えーと、じゃあ何が?」
「無理だよ」
「?」
「暑くて無理だって、あんな場所」
「えーっとぉ…」
いくら何でも、作業を開始してからまだ十五分ほどしか経っていない。
「そんなに暑いですか?」
「おお、無理だよ」
泉谷は、両手を膝の上に置くと、がっくりとうな垂れた。
「まあ、無理強いはしませんけど、休憩しながらで構いませんから、少しずつでもやってもらえませんか?」
泉谷は返事をせずに、右手を一回だけペロンと挙げた。
「どっちの意味なんだか…」
私は小さくため息を吐くと、泉谷をそのまま放置した。
作業用コンテナの中で、トラブルで上がって来ていたガンを修理し始めると、いつの間にか泉谷の姿が消えていた。
「ま、それなりに職人としてのプライドがあるのかもな…」
私は勝手に納得すると、ガンの整備に集中した。
三十分後、ハルとノリオが、フライトデッキに戻って来た。
「!?」
二人の足取りがおかしい。二人ともフラフラとしながら、時折仰け反りながら歩いて来る。
「ブヒャひゃひゃひゃ、キヒひひひひ!」
「ひっ、ひっ、プハハハハハ!」
どうやら二人は笑が止まらないらしい。
「何がそんなに楽しいんですか?」
ハスキーのエンジン音に負けないように、大声で話し掛ける。
「うひゃひゃひゃひゃ、いやぁ、木田さん、早く下に行った方がイイよぉ、大変な事になってるから、うひゃひゃひゃひゃ!」
ハルは痙攣しそうなほど笑っている。
「大変な事って、見に行ったんですか?まさか事故じゃ無いですよね!?」
「うひゃひゃひゃ、ぐはははは、見れば分かるよ、ひゃははははは!」
ハルはさらに笑っている。
「な、ノリ子!」
「グハハハハハ、いや、本当に凄いモノを見ちゃいましたよ、ギヒヒヒヒ!」
ノリオも笑い転げている。
「ほら、木田さん、急いだ方がイイよ!早く!」
何故か私はハルに急かされて、エレベータの下を見に行くことになった。
「ま、どうせ見回るつもりだったからイイけどね…」
私はまたしても高温のミストに覆われた現場に入った。
「うわっ、息苦しい!」
これほど空気の存在を如実に感じる事は、滅多に無い。
「お?ガンだけか…」
やはり泉谷の姿が見当たらない。一体どこに消えたのか…。
「キュウウウうううん、バシューぅううううう!」
奥からジェットの発射音が聴こえて来る。
「お、須藤君はやってるみたいだね」
私は真っ白なミストを掻き分けながら前に進む。
「キュウウぅうううん…」
すぐにジェットの発射音が途切れてしまい、私は足場を歩く速度を速めた。
「!!!」
人が倒れている。いや、そうでは無い。
「須藤君!」
須藤は肩で息をしている。
「須藤君!?」
私は須藤の肩を揺すった。
「?」
須藤が顔を上げる。聞えはしないが、エアラインマスクの中で激しい息遣いをしているのが分かる。
「大丈夫?」
大声で話し掛ける。今、エアラインマスクのエアーを遮断するのは良く無さそうだ。
「どうしたの?」
須藤は足場板に着いている右手を動かすと、エアラインマスクのホースを探し始めた。私はオレンジ色のウレタンホースをすぐに見付け、須藤に手渡す。
「木田さん、駄目です!暑過ぎます!」
須藤は死にそうな声を出す。
「取りあえず一度、風に当たろうよ」
私は須藤を促した。
「だ、大丈夫です、やれます!」
須藤はそう言うと、足場に放り投げてあったガンを手に取り、再び作業を始めようとした。
「無理しちゃ駄目だよ、泉谷さんみたいに休憩を入れなよ!」
本当は泉谷みたいに休憩ばかりでは困るのだが、いきなり現場で倒れられても、それはそれで困る。
「や、やります!」
須藤はそう言うと、ガンを構えて作業を始めた。
「キュウゥウウウウイン、バシュぅううううう!」
ジェットの発射音が響く。
「バァーぼ、バァーぼ、バァーぼ、バァーぼ!」
ガンを回す音がする。
「バァーぼ、バァーぼ、バァーぼ、バァーぼ、キュゥウウウン、プシっ!」
ガンが停止する音がする。
「バタンっ!」
須藤の影が、再び小さくなる。
「なんか…、あれが作業のローテーションなのか?ガンを撃つよりも、ああなっている時間の方が長くないか?」
私は疑問に思いながら、フライトデッキに戻った。
「ぎゃははははは!どうだった木田さん!」
ハルとノリオがウキウキしている。
「何だか知らないけど、足場の上で『四つん這い』になってましたけど…」
「うひゃひゃひゃひゃ、うひゃひゃひゃ、ぐははははは!」
「きひひひひひひひひ、マジですか、うはははははは!」
ハルとノリオは腹を抱えて屈みこんでいる。
「いやぁ、俺も色んな現場を、色んな人たちとやって来たけど、足場板の上で四つん這いになっている人は、初めて見たよ」
「ぼ、ぼ、僕も初めて見ましたよ、キハははははは!」
またしても二人は爆笑している。
「木田さん、他所の人たちに見られたら、マジで笑い者にされちゃうから、何とかしてよ、うひゃひゃひゃひゃひゃ!」
私は少しだけ考えたが、確かに他所の職人に、あの光景を見せるのはあまり歓迎出来ない。
「じゃあ、明日から現場では『四つん這い禁止』にしますか?」
「ウヒャひゃひゃひゃひゃ、マジで腹が痛い!」
「キヒヒヒヒ、勘弁して下さい!」
ハルとノリオはさらに笑い転げている。
笑い転げる二人と私の横を、涼しい顔をした泉谷が、エアラインマスクを持って現場に下りて行った。
その空間は、艦載機用エレベーターのさらに下層に位置していた。
立ち込めるミスト、反響するジェットの発射音、そして纏わり付くような熱気。
「うわっ、なんじゃこりゃ!」
そのエリアに入っただけで、息が苦しくなる。
「こりゃ無理だわ…」
自分の体内に熱が篭り始めるのが分かる。
人間は体表の汗を蒸発させる事により、自分の体温を適正な温度にまで下げようとする。しかしこの湿度100パーセントの空間では、一切汗は蒸発しない。それどころか、高温のミストが自分の体温を上昇させている気がする。
ほとんど視界の利かない狭い空間を、頭を屈めながらゆっくりと進む。作業着の繊維が、一気にこの空間の水分子を吸い込み、ネットリと肌に貼り付き始める。
「ドシゃっ!!」
「!!!」
何かが私の目の前に降って来た。
「・・・」
「・・・」
両手でガンを持ったノリオが、呆然と私の目の前で立ち尽くしている。
「な、何をしてるの?」
私はノリオのエアラインマスクのウレタンホースを握りこむと、ノリオに
声を掛けた。
「あの…、落ちました」
「はぁ?」
マスク越しなので、聞き間違えたのかと思った。
「今、この上の足場で撃っていたんですけど、隙間から落ちました」
「落ちたぁ!?」
私は頭上の足場を見た。確かに人が横になれば通り抜けるだけのスペースはある。
「この隙間から?」
「はい、ほとんど視界が利かないんで、気付いたら落ちてました」
私はノリオが飛び降りたのかと思っていたが、どうやら見事なまでに足場の隙間から綺麗に転落し、そのままの体勢で仁王立ちになっていた様だった。
「怪我は?」
「それは大丈夫です」
ノリオは苦笑いをしながら答えた。
「それよりも木田さん、死にそうに暑いんですけど…」
「ああ、無理はしなくていいからね、小まめに休憩を入れてもいいから」
「分かりました」
私はノリオが足場の上に上がるのを手伝うと、さらに奥に進んだ。
「!?」
ガンの音がしない。視界がほとんど利かないミストの中に、人影を探す。
「キュバっ!シュゥウウウウウ!」
ガンの発射音がして、濃厚な白いミストとその向こうの暗闇の中に、わずかに作業灯が見える。
「バァボ、バァボ、バァボ、バァボ!ザシューゥウウウ!」
ハルの均一なガン使いが聞こえて来る。
「パシュッ、パシュッ、パシュッ」
ハルのエアラインマスクのウレタンホースを三回握りこみ、
「近づくよ!」
という合図を送る。
「キュゥウウウウン」
ハルのガンの回転が止まり、エアラインマスクの目ガラスが私の方に向いた。
「大丈夫ですか?」
ハルは頷きながらウレタンホースを握りこむ。
「木田さん、半端じゃないよ、このエリアは…」
ハルもさすがにキツそうだ。
「これだけミストの抜けが悪い空間は、そうはありませんよ。とりあえず、小まめに休憩を入れながらやって下さい。絶対に無理はしなくてもいいですからね」
「うん、そうするよ」
ハルは頷くと、かなりキツそうにガンを構えた。
「いかん、もう俺も限界だわ」
私は急いでそのエリアから離れるために、足場の下を早足で移動した。
「ぷはぁああああ!」
錆びかけたハッチ潜ると、ようやく海からの涼しい風が当たる空間に出る。
「はぁー、はぁー、はぁー」
深い呼吸をして、肺の中の熱気を追い出す。
「いくらエアラインマスクで送気をしても、これじゃあ持たないなぁ。エアライン無しじゃ、せいぜい五分しか居られないよ」
まだ体の表面に、熱気が残っている気がする。
我々が作業をしているのは、艦載機用エレベーターの脇、その床にある四角いハッチを開け、梯子を降りたエリアだった。空母の喫水線(ウォーターライン)に近く、エレベータの真下に位置する。
エレベーターの塗装剥離作業の終盤、我々はまたしてもS社の伊沢の指示により、段取換えを行っていた。それが今の、陽の光りがほとんど射さず、風も通らない、地獄の様なエリアだった。
私はもう一つのハッチを抜けると、梯子を登り、エレベータの上に出た。
「ハルさんやノリちゃん、大丈夫でした?」
エレベータの上でウロウロとしていた須藤が聞いて来た。
「かなりキツそうだったけど、まあ何とかやってるね」
「自分もさっき下まで見に行ったんですけど、半端じゃなく暑いですね」
「まあ、『暑い』っていうよりも、『熱い!』って感じだからなぁ」
「?」
須藤には伝わらなかった様だ。
「早めに交代しますか?」
須藤は床に置いてある自分のエアラインマスクをちらりと見た。
「いや、あと三十分だから、取りあえずは定時に交代して」
「分かりました」
須藤はそう答えると、床に腰を下ろして海を眺め始めた。
この後、須藤は我々の間で『伝説の男』になるのだった。
立ち込めるミスト、反響するジェットの発射音、そして纏わり付くような熱気。
「うわっ、なんじゃこりゃ!」
そのエリアに入っただけで、息が苦しくなる。
「こりゃ無理だわ…」
自分の体内に熱が篭り始めるのが分かる。
人間は体表の汗を蒸発させる事により、自分の体温を適正な温度にまで下げようとする。しかしこの湿度100パーセントの空間では、一切汗は蒸発しない。それどころか、高温のミストが自分の体温を上昇させている気がする。
ほとんど視界の利かない狭い空間を、頭を屈めながらゆっくりと進む。作業着の繊維が、一気にこの空間の水分子を吸い込み、ネットリと肌に貼り付き始める。
「ドシゃっ!!」
「!!!」
何かが私の目の前に降って来た。
「・・・」
「・・・」
両手でガンを持ったノリオが、呆然と私の目の前で立ち尽くしている。
「な、何をしてるの?」
私はノリオのエアラインマスクのウレタンホースを握りこむと、ノリオに
声を掛けた。
「あの…、落ちました」
「はぁ?」
マスク越しなので、聞き間違えたのかと思った。
「今、この上の足場で撃っていたんですけど、隙間から落ちました」
「落ちたぁ!?」
私は頭上の足場を見た。確かに人が横になれば通り抜けるだけのスペースはある。
「この隙間から?」
「はい、ほとんど視界が利かないんで、気付いたら落ちてました」
私はノリオが飛び降りたのかと思っていたが、どうやら見事なまでに足場の隙間から綺麗に転落し、そのままの体勢で仁王立ちになっていた様だった。
「怪我は?」
「それは大丈夫です」
ノリオは苦笑いをしながら答えた。
「それよりも木田さん、死にそうに暑いんですけど…」
「ああ、無理はしなくていいからね、小まめに休憩を入れてもいいから」
「分かりました」
私はノリオが足場の上に上がるのを手伝うと、さらに奥に進んだ。
「!?」
ガンの音がしない。視界がほとんど利かないミストの中に、人影を探す。
「キュバっ!シュゥウウウウウ!」
ガンの発射音がして、濃厚な白いミストとその向こうの暗闇の中に、わずかに作業灯が見える。
「バァボ、バァボ、バァボ、バァボ!ザシューゥウウウ!」
ハルの均一なガン使いが聞こえて来る。
「パシュッ、パシュッ、パシュッ」
ハルのエアラインマスクのウレタンホースを三回握りこみ、
「近づくよ!」
という合図を送る。
「キュゥウウウウン」
ハルのガンの回転が止まり、エアラインマスクの目ガラスが私の方に向いた。
「大丈夫ですか?」
ハルは頷きながらウレタンホースを握りこむ。
「木田さん、半端じゃないよ、このエリアは…」
ハルもさすがにキツそうだ。
「これだけミストの抜けが悪い空間は、そうはありませんよ。とりあえず、小まめに休憩を入れながらやって下さい。絶対に無理はしなくてもいいですからね」
「うん、そうするよ」
ハルは頷くと、かなりキツそうにガンを構えた。
「いかん、もう俺も限界だわ」
私は急いでそのエリアから離れるために、足場の下を早足で移動した。
「ぷはぁああああ!」
錆びかけたハッチ潜ると、ようやく海からの涼しい風が当たる空間に出る。
「はぁー、はぁー、はぁー」
深い呼吸をして、肺の中の熱気を追い出す。
「いくらエアラインマスクで送気をしても、これじゃあ持たないなぁ。エアライン無しじゃ、せいぜい五分しか居られないよ」
まだ体の表面に、熱気が残っている気がする。
我々が作業をしているのは、艦載機用エレベーターの脇、その床にある四角いハッチを開け、梯子を降りたエリアだった。空母の喫水線(ウォーターライン)に近く、エレベータの真下に位置する。
エレベーターの塗装剥離作業の終盤、我々はまたしてもS社の伊沢の指示により、段取換えを行っていた。それが今の、陽の光りがほとんど射さず、風も通らない、地獄の様なエリアだった。
私はもう一つのハッチを抜けると、梯子を登り、エレベータの上に出た。
「ハルさんやノリちゃん、大丈夫でした?」
エレベータの上でウロウロとしていた須藤が聞いて来た。
「かなりキツそうだったけど、まあ何とかやってるね」
「自分もさっき下まで見に行ったんですけど、半端じゃなく暑いですね」
「まあ、『暑い』っていうよりも、『熱い!』って感じだからなぁ」
「?」
須藤には伝わらなかった様だ。
「早めに交代しますか?」
須藤は床に置いてある自分のエアラインマスクをちらりと見た。
「いや、あと三十分だから、取りあえずは定時に交代して」
「分かりました」
須藤はそう答えると、床に腰を下ろして海を眺め始めた。
この後、須藤は我々の間で『伝説の男』になるのだった。
午後六時過ぎ、一時間の残業を終え、ベース(B海軍基地)のゲートを出る。
横断歩道を渡り、ハルと一緒に商店街を歩く。
安全靴(鉄甲の入った作業靴)から普通の運動靴に履き替えてあるので、若干は歩き易いものの、慢性的な疲れが下半身を包んでいる感覚だ。
すでに夕方なのだが、街の中はじっとりとした熱気に包まれていて、行き交う歩行者は皆暑そうな顔をしている。
100円ショップの前で、ミニスカートを履いた高校生くらいの女の子とすれ違う。
「今の、めちゃめちゃ短くないですか?」
「うん、パンツが見えちゃいそうだったよね」
私もハルも、女の子を観察するのは大好きだ。
「ギギギぃー!」
中年のオバサンが乗った自転車が、けたたましいブレーキ音をさせて、ハルの真ん前で停車する。
「何だかねぇ」
ハルは苦笑いをして私を見る。
「こんな人ごみの中、歩道で人に突っ込んで来るなんて、変な人だね」
オバサンに聞こえるように、大声で言う。オバサンは忌々しそうに、自転車を降りると、早足で自転車を牽きだした。
「木田さんのこと、凄い目で睨んでたよ」
「うははは、ちょっと変なんですよ、あのオバはん。お、見て見て、向こうの女の人!」
「え?どれ?あの白い服の人?」
「そう、それそれ、結構綺麗だよ」
「どーれどれ」
ハルは信号待ちをしている女の人を見る為に、わざと歩行ルートを変更する。
「おー、確かに綺麗だったね」
「でしょ?俺は結構ああいうタイプが好きだねぇ」
「うん、いいよねぇ」
ハルとは女性の外観の好みが、比較的合う。
「あ、木田さん、あの人は?」
ハルが小さく指差した前方に、黒いタイトスカートの女性が歩いている。
「どーれどれ」
早足で歩いてその女性を追い越し、横目で女性を観察する。
「綺麗でしょ?」
「うん、かなり美人ですね。しかもあのタイトスカートがイイですね」
「うひゃひゃひゃ。似合うよね、あの人」
ハルと日課の女性観察をしながら、商店街から一本中の通りに入る。
ビルとビルの間の、狭い路地の様な道を進んで行く。
「木田さん、今日は何本いっちゃう?」
「うーん、十本くらいにしようかなぁ」
ハルとウキウキしながら路地を進むと、だんだん肉の焼ける良い香りが漂って来る。
「うーん、たまらんなぁ、この香り!」
「うひゃひゃひゃ、さあ食べるぞぉ!」
通りに出っ張っている赤色の屋台に、人だかりが出来ている。屋台の脇の提灯と、狭い通りに掛かる屋根の蛍光灯が、その一画を照らし出している。
屋台の前に立ち、人の列の隙間から、金属製のバットに並んでいる『ポンポチ(鶏の脂壷と言われ、尻尾の所にある部位)』と『タン』を取る。
「う、旨い…」
ポンポチの脂が口の中に広がると、顎の両脇がキューッとなる。
「いやぁ、旨いねぇ」
ハルも『ポンポチ』を齧り、『レバー』を左手に持っている。
「やっぱり十本は超えちゃうなぁ」
次々とバットにある串を手に取り、口の中に放り込んで行く。店の人間は、次々と串を焼き上げ、どんどんバットに追加して行く。
「やっぱり『つくね』も食べないとね」
左手に食べ終わった串を持ったまま、ハルは右手でつくねを取った。
私が『ハツ』を取ろうとすると、前の人が居なくなったので、最前列に立つ。左手の串を、カウンターの穴に挿入されている深いカップに放り込み、『ハツ』と『シロモツ』を手に取って、次々と口の中に入れて行く。次に『バラ』と『ひなどり』にも手を伸ばし、再び『ポンポチ』と『レバー』を食べる。
ハルもいつの間にか最前列で、次々と串から肉を齧り取っている。
「ふぅ、ご馳走様!」
すぐに焼き手とは別の店のオバサンが、渡した串の本数を数えてくれる。
「840円です」
千円札を出して、つり銭をもらう。
「840円です」
ハルも同じ金額だ。
「木田さんも14本食べたの?」
「ええ、今日もかなり食べちゃいましたね」
どれを食べても一本60円、それが相模屋の焼き鳥の値段だ。
「さ、お風呂に入って晩御飯を食べようかな」
「そうですね、晩飯の第二部が待ってるからね」
ホテルに帰って風呂に入り、再び外に出て二回目の晩飯を食べる。それが私やハルの食生活だった。
どんなにハードな仕事をこなしても、私とハルが痩せ細ることは決して無いのだ。
横断歩道を渡り、ハルと一緒に商店街を歩く。
安全靴(鉄甲の入った作業靴)から普通の運動靴に履き替えてあるので、若干は歩き易いものの、慢性的な疲れが下半身を包んでいる感覚だ。
すでに夕方なのだが、街の中はじっとりとした熱気に包まれていて、行き交う歩行者は皆暑そうな顔をしている。
100円ショップの前で、ミニスカートを履いた高校生くらいの女の子とすれ違う。
「今の、めちゃめちゃ短くないですか?」
「うん、パンツが見えちゃいそうだったよね」
私もハルも、女の子を観察するのは大好きだ。
「ギギギぃー!」
中年のオバサンが乗った自転車が、けたたましいブレーキ音をさせて、ハルの真ん前で停車する。
「何だかねぇ」
ハルは苦笑いをして私を見る。
「こんな人ごみの中、歩道で人に突っ込んで来るなんて、変な人だね」
オバサンに聞こえるように、大声で言う。オバサンは忌々しそうに、自転車を降りると、早足で自転車を牽きだした。
「木田さんのこと、凄い目で睨んでたよ」
「うははは、ちょっと変なんですよ、あのオバはん。お、見て見て、向こうの女の人!」
「え?どれ?あの白い服の人?」
「そう、それそれ、結構綺麗だよ」
「どーれどれ」
ハルは信号待ちをしている女の人を見る為に、わざと歩行ルートを変更する。
「おー、確かに綺麗だったね」
「でしょ?俺は結構ああいうタイプが好きだねぇ」
「うん、いいよねぇ」
ハルとは女性の外観の好みが、比較的合う。
「あ、木田さん、あの人は?」
ハルが小さく指差した前方に、黒いタイトスカートの女性が歩いている。
「どーれどれ」
早足で歩いてその女性を追い越し、横目で女性を観察する。
「綺麗でしょ?」
「うん、かなり美人ですね。しかもあのタイトスカートがイイですね」
「うひゃひゃひゃ。似合うよね、あの人」
ハルと日課の女性観察をしながら、商店街から一本中の通りに入る。
ビルとビルの間の、狭い路地の様な道を進んで行く。
「木田さん、今日は何本いっちゃう?」
「うーん、十本くらいにしようかなぁ」
ハルとウキウキしながら路地を進むと、だんだん肉の焼ける良い香りが漂って来る。
「うーん、たまらんなぁ、この香り!」
「うひゃひゃひゃ、さあ食べるぞぉ!」
通りに出っ張っている赤色の屋台に、人だかりが出来ている。屋台の脇の提灯と、狭い通りに掛かる屋根の蛍光灯が、その一画を照らし出している。
屋台の前に立ち、人の列の隙間から、金属製のバットに並んでいる『ポンポチ(鶏の脂壷と言われ、尻尾の所にある部位)』と『タン』を取る。
「う、旨い…」
ポンポチの脂が口の中に広がると、顎の両脇がキューッとなる。
「いやぁ、旨いねぇ」
ハルも『ポンポチ』を齧り、『レバー』を左手に持っている。
「やっぱり十本は超えちゃうなぁ」
次々とバットにある串を手に取り、口の中に放り込んで行く。店の人間は、次々と串を焼き上げ、どんどんバットに追加して行く。
「やっぱり『つくね』も食べないとね」
左手に食べ終わった串を持ったまま、ハルは右手でつくねを取った。
私が『ハツ』を取ろうとすると、前の人が居なくなったので、最前列に立つ。左手の串を、カウンターの穴に挿入されている深いカップに放り込み、『ハツ』と『シロモツ』を手に取って、次々と口の中に入れて行く。次に『バラ』と『ひなどり』にも手を伸ばし、再び『ポンポチ』と『レバー』を食べる。
ハルもいつの間にか最前列で、次々と串から肉を齧り取っている。
「ふぅ、ご馳走様!」
すぐに焼き手とは別の店のオバサンが、渡した串の本数を数えてくれる。
「840円です」
千円札を出して、つり銭をもらう。
「840円です」
ハルも同じ金額だ。
「木田さんも14本食べたの?」
「ええ、今日もかなり食べちゃいましたね」
どれを食べても一本60円、それが相模屋の焼き鳥の値段だ。
「さ、お風呂に入って晩御飯を食べようかな」
「そうですね、晩飯の第二部が待ってるからね」
ホテルに帰って風呂に入り、再び外に出て二回目の晩飯を食べる。それが私やハルの食生活だった。
どんなにハードな仕事をこなしても、私とハルが痩せ細ることは決して無いのだ。
艦載機用エレベーターの塗装剥離作業には、最大の難敵が一つあった。
「木田さぁーん、取れないよー」
ハルがコンテナの前で、悲しそうな声を出して私を呼ぶ。綺麗好きなハルにとって、カッパに付着したその汚れは、許しがたい物らしい。
「やっぱり取れません?」
「無理だよぉ…」
ハルは左手に業務用の大きいママレモン、右手にスポンジを持ったまま、憮然としている。
「しかも、拡がっちゃうんだよね、このグリス」
ハルのカッパにはどす黒いグリスが、ベッタリと大量に付着していた。
「やっぱりエレベーターのワイヤーはダメだなぁ」
ハルは尚もスポンジでカッパを擦るが、グリスは取れそうに無い。
キティホークの艦載機用エレベーターは、太いワイヤーによって駆動している。
我々の現在の任務は、そのエレベーターの塗装を剥がす事なのだが、ワイヤーの通っている孔の内側にも、塗装は塗られている。ワイヤーと孔の距離は非常に近く、塗料を剥がすには、どす黒いグリスでベタベタなワイヤーも一緒に、ガンで撃たなければならないのだ。
「だってさ木田さん、ワイヤーの孔に一発ジェットを入れるだけで、エアラインマスク(エアホースが頭頂部に付いていて、圧縮空気が頭上から供給される垂れ布付きのお面)の顔面に黒いグリスが飛び散るんだよ…」
ハルはエアラインマスクを持ち上げると、私にその惨状を見せてくれた。
「…酷いですね」
エアラインマスクは前面だけでなく、全体がドロドロに汚れ、目ガラスには、ねっちょりとグリスが纏わり付いている。
「工場で使っている洗剤なら落ちたかもしれないのにね…」
会社に戻れば、ペール缶(18kgの円筒形の缶)一つでニ万円近い特殊強力洗浄剤があるのだが、今回の現場で必要になるとは思っていなかったので、持って来てはいなかった。
「あ、佐野さんに教えて貰った『万能洗浄剤』ならありますよ」
「万能洗浄剤?何それ?」
私はハスキーの燃料タンクを指差した。
「軽油です」
「軽油ぅ?」
「ええ、本当は灯油が一番良いんですけどね。ま、油汚れには油が一番効きますから。難点はカッパが燃料臭くなることですかね」
「っちゃあ、それは頂けないねぇ…」
ハルはそう言い終わる前に、甲板を歩く幸四郎を発見した。
「四郎ちゃん!」
ハルは大声で幸四郎を呼び寄せる。
「何?」
「何じゃないよぉ、四郎ちゃんがエレベーターをやれって言うからやってあげたのに、何よ、カッパがこんな風にベトベトになっちゃったじゃんよ!」
確か、エレベーターをやる様に指示を出したのは、S社の伊沢の筈だったが、ハルには関係無いらしい。
「ああ、これ?これなら落ちるよ」
幸四郎はグリスで真っ黒なカッパを見ると、ハルの半分無茶苦茶な苦情を気にすることもなく笑顔で答えた。
「どうやって落とすのよ、ハルちゃんはこんなに苦労してるのに!」
ハルはグリスでベタベタなスポンジを、幸四郎の眼前に突きつけた。
「ちょっと待っててよ、今、『ネオス』を持って来るから」
幸四郎はそう言うと、右舷エレベーターの方に向かい歩いて行った。
五分後、幸四郎は蓋の開いたペール缶を一つ持って来た。
「はい、これが『ネオス』。この中に五分くらいカッパを浸して、それから洗ってごらん」
「本当によぉ?これかなり使ってあるじゃんよぉ、もう大分汚れてるし…」
「本当に落ちるって!」
幸四郎に促され、ハルは渋々ペール缶に、自分のカッパを上下とも沈めこんだ。
「っちゃあ、何かこの中の汁、黒くて汚いよぉ、本当に落ちんのよぉ?」
ハルは再び疑いの目で幸四郎を見るが、幸四郎は苦笑いをしながら歩いて行った。
五分後、ハルはどす黒い液体で満たされているペール缶からカッパを引きずり出した。
「・・・」
見た目はそれほど変わってはいない。いや、変化はほとんど無い。
「全然変わんないよ」
ハルはブツブツ言いながら、カッパをスポンジで洗い始めた。
「おお、おお!おおおっ!」
ハルが声を上げ、みるみる笑顔になって行く。
「凄いよ木田さん、落ちるよぉ!」
ハルは叫びながら、カッパを擦りまくる。あれほど粘りついていたグリスが、粘性をなくした様に、ポロポロと剥がれて行くのだ。
「なんか油の粘性が無くなった感じですね」
「うん、今までは擦っても伸びて拡がって行く感じだったけど、全然拡がらないんだよね」
ハルはカッパを裏返し、嬉々として擦りまくる。
「どうよ!取れるべ、そうだべ!」
幸四郎が大声で叫びながら、甲板を歩いて来る。
「うひゃひゃひゃ、本当に取れるねぇ」
ハルがニコニコと答える。
「だべぇ!右舷のエレベーターでずっと使ってたんだから」
「これはこういう油汚れを洗浄する製品なんですか?」
私は幸四郎に訊いた。
「いや、これはね、本来は『流出油処理剤』として使うらしいよ」
「流出油って言うと、海難事故とかで使うヤツですか?」
「うん、そうらしいよ。何でも重油を乳化(エマルション:例はマヨネーズの酢と油)する力があるらしいよ。しかも海面に直接散布できる製品だから、使い勝手も良いしね」
「なるほど、それでグリスが含んでいる油分が乳化されて、粘性が無くなるんだ」
私は感心して、ネオスのペール缶を見た。本来の使い方では無いが、非常に有効な使い方だ。
「これはいくら位するんですか?」
「えーとね、確か一万円くらいだと思うよ」
「うひゃひゃひゃ!」
ハルが幸四郎の足元で、カッパのパンツを洗い始める。
わざわざドロドロに汚れたカッパを洗って使うには、きちんとした理由がある。それは使っているカッパが、それなりの値段だからだ。
S社は、下請の職人たち全員にカッパを支給している。上下で五千円ほどの物だ。これをグリスで汚れたからといって、使い捨てにされてはたまらない。だが、グリスでベタベタのカッパを使わせる訳にも行かない。あちこちにグリス汚れが拡散するかもしれないからだ。
一缶一万円の流出油処理剤で、大勢の職人のカッパが再利用出来るのなら安いものだろう。
まして我がR社は、上下で一万数千円のカッパを使用している。これは水産業従事者、つまり漁師が着るカッパで、耐水性、動き易さ、丈夫さでは、折り紙付きの製品だ。この漁師用カッパの性能は、まさしくウォータージェット作業に向いており、S社の使うカッパの数倍は作業がし易いと、ハルも言っていた。もちろんその高価なカッパは、破れてダメになるまで、ずっと使用することになる。
「ぐははははは!どうよ木田さん!」
ハルが嬉しそうに綺麗になったカッパを、胸の前に掲げる。
「本当に、全くグリスが残っていませんね、マジで綺麗になりますね」
私は素直にハルに同意して喜んだ。
綺麗になったカッパを干したハルは、エアラインマスクの目ガラスを外すと、嬉しそうにネオスの中に浸けこんだ。
「木田さぁーん、取れないよー」
ハルがコンテナの前で、悲しそうな声を出して私を呼ぶ。綺麗好きなハルにとって、カッパに付着したその汚れは、許しがたい物らしい。
「やっぱり取れません?」
「無理だよぉ…」
ハルは左手に業務用の大きいママレモン、右手にスポンジを持ったまま、憮然としている。
「しかも、拡がっちゃうんだよね、このグリス」
ハルのカッパにはどす黒いグリスが、ベッタリと大量に付着していた。
「やっぱりエレベーターのワイヤーはダメだなぁ」
ハルは尚もスポンジでカッパを擦るが、グリスは取れそうに無い。
キティホークの艦載機用エレベーターは、太いワイヤーによって駆動している。
我々の現在の任務は、そのエレベーターの塗装を剥がす事なのだが、ワイヤーの通っている孔の内側にも、塗装は塗られている。ワイヤーと孔の距離は非常に近く、塗料を剥がすには、どす黒いグリスでベタベタなワイヤーも一緒に、ガンで撃たなければならないのだ。
「だってさ木田さん、ワイヤーの孔に一発ジェットを入れるだけで、エアラインマスク(エアホースが頭頂部に付いていて、圧縮空気が頭上から供給される垂れ布付きのお面)の顔面に黒いグリスが飛び散るんだよ…」
ハルはエアラインマスクを持ち上げると、私にその惨状を見せてくれた。
「…酷いですね」
エアラインマスクは前面だけでなく、全体がドロドロに汚れ、目ガラスには、ねっちょりとグリスが纏わり付いている。
「工場で使っている洗剤なら落ちたかもしれないのにね…」
会社に戻れば、ペール缶(18kgの円筒形の缶)一つでニ万円近い特殊強力洗浄剤があるのだが、今回の現場で必要になるとは思っていなかったので、持って来てはいなかった。
「あ、佐野さんに教えて貰った『万能洗浄剤』ならありますよ」
「万能洗浄剤?何それ?」
私はハスキーの燃料タンクを指差した。
「軽油です」
「軽油ぅ?」
「ええ、本当は灯油が一番良いんですけどね。ま、油汚れには油が一番効きますから。難点はカッパが燃料臭くなることですかね」
「っちゃあ、それは頂けないねぇ…」
ハルはそう言い終わる前に、甲板を歩く幸四郎を発見した。
「四郎ちゃん!」
ハルは大声で幸四郎を呼び寄せる。
「何?」
「何じゃないよぉ、四郎ちゃんがエレベーターをやれって言うからやってあげたのに、何よ、カッパがこんな風にベトベトになっちゃったじゃんよ!」
確か、エレベーターをやる様に指示を出したのは、S社の伊沢の筈だったが、ハルには関係無いらしい。
「ああ、これ?これなら落ちるよ」
幸四郎はグリスで真っ黒なカッパを見ると、ハルの半分無茶苦茶な苦情を気にすることもなく笑顔で答えた。
「どうやって落とすのよ、ハルちゃんはこんなに苦労してるのに!」
ハルはグリスでベタベタなスポンジを、幸四郎の眼前に突きつけた。
「ちょっと待っててよ、今、『ネオス』を持って来るから」
幸四郎はそう言うと、右舷エレベーターの方に向かい歩いて行った。
五分後、幸四郎は蓋の開いたペール缶を一つ持って来た。
「はい、これが『ネオス』。この中に五分くらいカッパを浸して、それから洗ってごらん」
「本当によぉ?これかなり使ってあるじゃんよぉ、もう大分汚れてるし…」
「本当に落ちるって!」
幸四郎に促され、ハルは渋々ペール缶に、自分のカッパを上下とも沈めこんだ。
「っちゃあ、何かこの中の汁、黒くて汚いよぉ、本当に落ちんのよぉ?」
ハルは再び疑いの目で幸四郎を見るが、幸四郎は苦笑いをしながら歩いて行った。
五分後、ハルはどす黒い液体で満たされているペール缶からカッパを引きずり出した。
「・・・」
見た目はそれほど変わってはいない。いや、変化はほとんど無い。
「全然変わんないよ」
ハルはブツブツ言いながら、カッパをスポンジで洗い始めた。
「おお、おお!おおおっ!」
ハルが声を上げ、みるみる笑顔になって行く。
「凄いよ木田さん、落ちるよぉ!」
ハルは叫びながら、カッパを擦りまくる。あれほど粘りついていたグリスが、粘性をなくした様に、ポロポロと剥がれて行くのだ。
「なんか油の粘性が無くなった感じですね」
「うん、今までは擦っても伸びて拡がって行く感じだったけど、全然拡がらないんだよね」
ハルはカッパを裏返し、嬉々として擦りまくる。
「どうよ!取れるべ、そうだべ!」
幸四郎が大声で叫びながら、甲板を歩いて来る。
「うひゃひゃひゃ、本当に取れるねぇ」
ハルがニコニコと答える。
「だべぇ!右舷のエレベーターでずっと使ってたんだから」
「これはこういう油汚れを洗浄する製品なんですか?」
私は幸四郎に訊いた。
「いや、これはね、本来は『流出油処理剤』として使うらしいよ」
「流出油って言うと、海難事故とかで使うヤツですか?」
「うん、そうらしいよ。何でも重油を乳化(エマルション:例はマヨネーズの酢と油)する力があるらしいよ。しかも海面に直接散布できる製品だから、使い勝手も良いしね」
「なるほど、それでグリスが含んでいる油分が乳化されて、粘性が無くなるんだ」
私は感心して、ネオスのペール缶を見た。本来の使い方では無いが、非常に有効な使い方だ。
「これはいくら位するんですか?」
「えーとね、確か一万円くらいだと思うよ」
「うひゃひゃひゃ!」
ハルが幸四郎の足元で、カッパのパンツを洗い始める。
わざわざドロドロに汚れたカッパを洗って使うには、きちんとした理由がある。それは使っているカッパが、それなりの値段だからだ。
S社は、下請の職人たち全員にカッパを支給している。上下で五千円ほどの物だ。これをグリスで汚れたからといって、使い捨てにされてはたまらない。だが、グリスでベタベタのカッパを使わせる訳にも行かない。あちこちにグリス汚れが拡散するかもしれないからだ。
一缶一万円の流出油処理剤で、大勢の職人のカッパが再利用出来るのなら安いものだろう。
まして我がR社は、上下で一万数千円のカッパを使用している。これは水産業従事者、つまり漁師が着るカッパで、耐水性、動き易さ、丈夫さでは、折り紙付きの製品だ。この漁師用カッパの性能は、まさしくウォータージェット作業に向いており、S社の使うカッパの数倍は作業がし易いと、ハルも言っていた。もちろんその高価なカッパは、破れてダメになるまで、ずっと使用することになる。
「ぐははははは!どうよ木田さん!」
ハルが嬉しそうに綺麗になったカッパを、胸の前に掲げる。
「本当に、全くグリスが残っていませんね、マジで綺麗になりますね」
私は素直にハルに同意して喜んだ。
綺麗になったカッパを干したハルは、エアラインマスクの目ガラスを外すと、嬉しそうにネオスの中に浸けこんだ。
現場で働く者にとって、足場は自分たちの命を預ける大切な生命線だ。
「下がったぁ?そんな筈は無いと思うけどなぁ」
幸四郎は、そう言いながら左舷エレベーターにやって来た。
「あれ?やけに水が溜まってるなぁ」
足場に降りた幸四郎は、不思議そうな顔をしながら、ハルがエレベーターの上から指をさしている場所に向かって、ゆっくりと歩いて行った。
「…どこよ?」
「だからこの辺だって」
「本当によぉ?」
「っちゃあ、ハルちゃんの言う事が信用出来ないのなら、そこでジャンプしてみたら?」
幸四郎はハルに促されてその場でジャンプをする。
「ギギギ、ググっ」
異様な金属音が響く。明らかに、縦地(縦方向の単管パイプ)のクランプ(単管パイプ用のジョイント)が荷重に負けて悲鳴を上げている。
「うぉおおおお!これヤバくねぇ?」
幸四郎が目を全開にして、大声で叫ぶ。
「うひゃひゃひゃひゃ!だぁーからハルちゃんが言った通りでしょう」
ハルはエレベーターの上から、幸四郎に勝ち誇った顔をする。
「でも、なんで足場が下がるんだ?」
「たぶん剥離水の重量だと思いますよ」
私が言うと、幸四郎はしばらく考え込んだ。
「あれ?そういえばここ、吸ポン(排水用の吸い込みポンプ)は設置したっけ?」
すでに足元には、3センチ近い剥離水が溜まっている。
そもそも、この足場は『吊り足場』と言われるタイプの足場で、チェーンで単管パイプを吊り下げ、その上に足場板を敷く構造の足場だ。
主に、地面が不安定で足場を下から組み上げるのが困難な場合や、非常に高所で、下から足場を組み上げるとコストが掛かり過ぎてしまう場合に使われる。
従って、キティホークのエレベータに足場を掛ける場合、やはり吊り足場で行うのが、最も有効な方法だった。
さらにこの足場は、全面に大きな防水シートを敷き詰めてしまったので、ウォータージェット作業を行っている今、完全に簡易水槽と化してしまっていた。
「あはは、やっぱり吸ポンの設置を忘れてるわ!」
足場を一周して来た幸四郎は、爽やかな笑顔で我々に言った。
「早くしないと足場が落ちちゃうよ!四郎ちゃん」
ハルの言葉に、我々も頷く。
「大丈夫だぉって言いたいけど、さすがにヤバイよね、すぐに吸ポンで排水するからさ」
幸四郎は吸い込みポンプの手配をする為に、ハンガーデッキの中に入って行った。
「木田さん、こんなにちょっとの水でも足場って落ちるんですか?」
ノリオが訊いて来た。
「まあ、今ここは、完全に水槽みたいになってるからなぁ。仮に足場上に均等に2センチの水が溜まったとして、エレベーターの面積を掛けると、8トン前後の荷重が足場全面に掛かる計算になるからねぇ。しかも俺たちが居る方はちょっと下がっているから、どんどん水が溜まって来てるし…。さすがに安全とは言えないよなぁ」
「うはっ、何か分からないけど、危ないって事だけは分かりました!」
ノリオがヘラヘラと笑う。
「ノリちゃん、このS社の現場はね、自分の身は自分で護らないと、生きて家に帰れないんだからね」
「分かったかノリ子!」
ハルが私の言葉に便乗して、ノリオの股間に、近くに落ちていたクランプを投げつける。
「あぶっ、危ないですよ!」
またハルとノリオが騒ぎ出した。
私は改めて、自分の危険予知の感覚をしっかりと磨いておこうと思った。
「下がったぁ?そんな筈は無いと思うけどなぁ」
幸四郎は、そう言いながら左舷エレベーターにやって来た。
「あれ?やけに水が溜まってるなぁ」
足場に降りた幸四郎は、不思議そうな顔をしながら、ハルがエレベーターの上から指をさしている場所に向かって、ゆっくりと歩いて行った。
「…どこよ?」
「だからこの辺だって」
「本当によぉ?」
「っちゃあ、ハルちゃんの言う事が信用出来ないのなら、そこでジャンプしてみたら?」
幸四郎はハルに促されてその場でジャンプをする。
「ギギギ、ググっ」
異様な金属音が響く。明らかに、縦地(縦方向の単管パイプ)のクランプ(単管パイプ用のジョイント)が荷重に負けて悲鳴を上げている。
「うぉおおおお!これヤバくねぇ?」
幸四郎が目を全開にして、大声で叫ぶ。
「うひゃひゃひゃひゃ!だぁーからハルちゃんが言った通りでしょう」
ハルはエレベーターの上から、幸四郎に勝ち誇った顔をする。
「でも、なんで足場が下がるんだ?」
「たぶん剥離水の重量だと思いますよ」
私が言うと、幸四郎はしばらく考え込んだ。
「あれ?そういえばここ、吸ポン(排水用の吸い込みポンプ)は設置したっけ?」
すでに足元には、3センチ近い剥離水が溜まっている。
そもそも、この足場は『吊り足場』と言われるタイプの足場で、チェーンで単管パイプを吊り下げ、その上に足場板を敷く構造の足場だ。
主に、地面が不安定で足場を下から組み上げるのが困難な場合や、非常に高所で、下から足場を組み上げるとコストが掛かり過ぎてしまう場合に使われる。
従って、キティホークのエレベータに足場を掛ける場合、やはり吊り足場で行うのが、最も有効な方法だった。
さらにこの足場は、全面に大きな防水シートを敷き詰めてしまったので、ウォータージェット作業を行っている今、完全に簡易水槽と化してしまっていた。
「あはは、やっぱり吸ポンの設置を忘れてるわ!」
足場を一周して来た幸四郎は、爽やかな笑顔で我々に言った。
「早くしないと足場が落ちちゃうよ!四郎ちゃん」
ハルの言葉に、我々も頷く。
「大丈夫だぉって言いたいけど、さすがにヤバイよね、すぐに吸ポンで排水するからさ」
幸四郎は吸い込みポンプの手配をする為に、ハンガーデッキの中に入って行った。
「木田さん、こんなにちょっとの水でも足場って落ちるんですか?」
ノリオが訊いて来た。
「まあ、今ここは、完全に水槽みたいになってるからなぁ。仮に足場上に均等に2センチの水が溜まったとして、エレベーターの面積を掛けると、8トン前後の荷重が足場全面に掛かる計算になるからねぇ。しかも俺たちが居る方はちょっと下がっているから、どんどん水が溜まって来てるし…。さすがに安全とは言えないよなぁ」
「うはっ、何か分からないけど、危ないって事だけは分かりました!」
ノリオがヘラヘラと笑う。
「ノリちゃん、このS社の現場はね、自分の身は自分で護らないと、生きて家に帰れないんだからね」
「分かったかノリ子!」
ハルが私の言葉に便乗して、ノリオの股間に、近くに落ちていたクランプを投げつける。
「あぶっ、危ないですよ!」
またハルとノリオが騒ぎ出した。
私は改めて、自分の危険予知の感覚をしっかりと磨いておこうと思った。
艦載機をハンガーデッキ(格納甲板)から、フライトデッキ(飛行甲板)へ運ぶための巨大な可動式のステージ、それが空母のエレベーターだ。
全長約20メートル、全幅約12メートルの艦載機や、様々な機材を運ぶ為のエレベーターなので、大きさは半端では無い。エレベーターの搭載重量は約60tにも及ぶ。
60tもの荷重に耐えると言うことは、それなりの補強をされていなければ、とても大きなステージを支える事は出来ない。その結果が、エレベーター裏側の、異様なまでの補強梁の数だった。
「木田さん、これ、半端じゃないね」
ハルが渋い顔をする。
「想像以上に細かく入ってますね、補強梁が…」
「しかも半端無く撃ち難いよ、これは」
ハルが、段取り換えをしたガンを構えて見せる。
「うわぁ、このIビーム(アルファベットのI型の鋼材)は曲者だね」
「しかも天井を撃つのはイイけど、梁の下はこんな体勢だからね」
今度は、梁の最下部を撃つときの姿勢をやって見せる。
「それはキツイねぇ、でも、こういう風にしか足場が組めないんじゃないの?」
ハルは笑いながら首を振った。
「いやぁ、多分適当だよ。俺が居た時も、結構適当だったからね」
以前、ここで仕事をしていたハルが言うのだから、間違い無いのだろう。
「まぁ、今までの足場を見ていれば、確かに想像が付くね」
私はハルと大笑いした。
ガンを打ち始めて三時間、補強梁が細かく入ったエレベーターは、剥離した面積の割には、パッと見の進捗があまり良くない。
「うひゃひゃひゃ、ちっとも進んでねぇじゃん!」
ハルが須藤を冷やかす。
「いや、結構真面目にやりましたよ」
須藤は苦笑いをしている。
「それよりも、ちょっと気になったんですけど、あの辺りの足場が下がった気がするんですよ」
須藤はエレベーターの丁度中心部辺りの足場を指差した。
「またまたぁ!」
「本当ですか?」
ハルとノリオは、須藤が指を指した場所に近寄る。
「何だと、何だとぉ、足場が下がるだとぉ?」
泉谷がハルとノリオに近づき、思いっ切りジャンプをした。
「うぉおおお!?」
「うわっ、うわっ!」
ハルとノリオが大声を出す。
「木田さん、下がったよ、本当だって!」
ハルが不思議な物を発見した子供の様に、嬉々とした顔で目を見開く。
「本当ですか?」
私はそう答えながら、エレベーターから足場の上に降りた。
「ん?」
足場は全面が完全に足場板で塞がれ、これまたその上に防水シートが全面に敷かれていた。そしてそのシートの上に、しっかりとやや透明な水が溜まっている。
「2センチ?いや、3センチは無いか?」
その水量が私の心に微妙に引っ掛かった。だが、今は足場をチェックしなければならない。
「どこ?」
「その辺です」
「ここ?」
ノリオが指を指す方向に近づく。
「この辺かな…」
安全ゴム長(鉄甲の入った長靴)でその辺りを踏みしめる。
「グギョギョギョ」
異様な感触が足裏に伝わる。
「沈んだ…よね」
確認の為に、もう一度、今度は強く踏みしめてみる。
「ゴゴっ!」
今度は明らかに足元が沈んだ。
「ヤバイ!出ろっ!今すぐ足場から出ろ!」
私はそう叫ぶと、立ち上がっている単管パイプの手摺に足を掛け、一気にエレベーターの上に体を押し上げた。
足場を見ると、何故かハルとノリオと須藤が、まだ足場の上で右往左往している。
「な、何をやってるんですか?早くエレベータの上に上がって下さいよ!」
軽いパニック状態なのだろうかと、私は思った。
三人は慌てて手摺をよじ登ると、エレベーターの上に上がって来た。
「ぎゃはははは、何であんな所で右往左往していたんですか!」
私は爆笑しながら、ハルを問い詰めた。
「うひょひょひょひょ!いや、ノリ子がさ、こっちから上がろうと思ったら、邪魔をするからさ!」
ノリオも爆笑しながら答える。
「だって僕が向こうから上がろうとしたら、、ハルさんがこっちに来るから、僕はハルさんに従ったんですよ!」
先に上がった泉谷は、ニヤリと笑い、須藤を責める。
「何をやってたんだよ」
「いや、二人のどっちについて行こうかと思って迷ったんですよ」
須藤は苦笑いをしている。
「兎に角、幸四郎さんに報告して、対処をしてもらってから仕事をしましょう」
全員が頷く。
私は胸ポケットから携帯電話を取り出すと、幸四郎の携帯を呼び出した。
全長約20メートル、全幅約12メートルの艦載機や、様々な機材を運ぶ為のエレベーターなので、大きさは半端では無い。エレベーターの搭載重量は約60tにも及ぶ。
60tもの荷重に耐えると言うことは、それなりの補強をされていなければ、とても大きなステージを支える事は出来ない。その結果が、エレベーター裏側の、異様なまでの補強梁の数だった。
「木田さん、これ、半端じゃないね」
ハルが渋い顔をする。
「想像以上に細かく入ってますね、補強梁が…」
「しかも半端無く撃ち難いよ、これは」
ハルが、段取り換えをしたガンを構えて見せる。
「うわぁ、このIビーム(アルファベットのI型の鋼材)は曲者だね」
「しかも天井を撃つのはイイけど、梁の下はこんな体勢だからね」
今度は、梁の最下部を撃つときの姿勢をやって見せる。
「それはキツイねぇ、でも、こういう風にしか足場が組めないんじゃないの?」
ハルは笑いながら首を振った。
「いやぁ、多分適当だよ。俺が居た時も、結構適当だったからね」
以前、ここで仕事をしていたハルが言うのだから、間違い無いのだろう。
「まぁ、今までの足場を見ていれば、確かに想像が付くね」
私はハルと大笑いした。
ガンを打ち始めて三時間、補強梁が細かく入ったエレベーターは、剥離した面積の割には、パッと見の進捗があまり良くない。
「うひゃひゃひゃ、ちっとも進んでねぇじゃん!」
ハルが須藤を冷やかす。
「いや、結構真面目にやりましたよ」
須藤は苦笑いをしている。
「それよりも、ちょっと気になったんですけど、あの辺りの足場が下がった気がするんですよ」
須藤はエレベーターの丁度中心部辺りの足場を指差した。
「またまたぁ!」
「本当ですか?」
ハルとノリオは、須藤が指を指した場所に近寄る。
「何だと、何だとぉ、足場が下がるだとぉ?」
泉谷がハルとノリオに近づき、思いっ切りジャンプをした。
「うぉおおお!?」
「うわっ、うわっ!」
ハルとノリオが大声を出す。
「木田さん、下がったよ、本当だって!」
ハルが不思議な物を発見した子供の様に、嬉々とした顔で目を見開く。
「本当ですか?」
私はそう答えながら、エレベーターから足場の上に降りた。
「ん?」
足場は全面が完全に足場板で塞がれ、これまたその上に防水シートが全面に敷かれていた。そしてそのシートの上に、しっかりとやや透明な水が溜まっている。
「2センチ?いや、3センチは無いか?」
その水量が私の心に微妙に引っ掛かった。だが、今は足場をチェックしなければならない。
「どこ?」
「その辺です」
「ここ?」
ノリオが指を指す方向に近づく。
「この辺かな…」
安全ゴム長(鉄甲の入った長靴)でその辺りを踏みしめる。
「グギョギョギョ」
異様な感触が足裏に伝わる。
「沈んだ…よね」
確認の為に、もう一度、今度は強く踏みしめてみる。
「ゴゴっ!」
今度は明らかに足元が沈んだ。
「ヤバイ!出ろっ!今すぐ足場から出ろ!」
私はそう叫ぶと、立ち上がっている単管パイプの手摺に足を掛け、一気にエレベーターの上に体を押し上げた。
足場を見ると、何故かハルとノリオと須藤が、まだ足場の上で右往左往している。
「な、何をやってるんですか?早くエレベータの上に上がって下さいよ!」
軽いパニック状態なのだろうかと、私は思った。
三人は慌てて手摺をよじ登ると、エレベーターの上に上がって来た。
「ぎゃはははは、何であんな所で右往左往していたんですか!」
私は爆笑しながら、ハルを問い詰めた。
「うひょひょひょひょ!いや、ノリ子がさ、こっちから上がろうと思ったら、邪魔をするからさ!」
ノリオも爆笑しながら答える。
「だって僕が向こうから上がろうとしたら、、ハルさんがこっちに来るから、僕はハルさんに従ったんですよ!」
先に上がった泉谷は、ニヤリと笑い、須藤を責める。
「何をやってたんだよ」
「いや、二人のどっちについて行こうかと思って迷ったんですよ」
須藤は苦笑いをしている。
「兎に角、幸四郎さんに報告して、対処をしてもらってから仕事をしましょう」
全員が頷く。
私は胸ポケットから携帯電話を取り出すと、幸四郎の携帯を呼び出した。
空母キティホークの艦尾から、沈没したバージ船が取り除かれた翌朝、いつもの様に岸壁ではS社による朝礼が行われていた。
S社の現場責任者である伊沢を中心に、下請各社の棒心(親方クラス)が周りに円陣を作る。
伊沢はやや言葉を溜めると、晴れ晴れとした顔で口を開いた。
「えー、昨日はね、バージ船のサルベージをね、何事も無く、無事に完了できました!」
伊沢は満足げに自分の言葉に頷く。だが、下請各社の棒心たちは沈黙し、何とも言えない空気が流れ出した。
「・・・(な、何事も無かったの?)」
「・・・(作業員が二人、海に落ちたよね)」
「・・・(あの太いワイヤー、二本とも切れちゃったし)」
「・・・(手前のバージ船に乗っかりかけてたよなぁ)」
「・・・(バージ船が浮いたのって、単なる偶然だよね)」
「・・・(無事ってね、いや、無事じゃないと思うけど)」
だが、そんな棒心たちの空気は、上機嫌な伊沢には一切伝わらない。
「じゃ、今日も一日ご安全に!」
伊沢は軽やかに朝礼を締めると、周りに残る棒心たちに、軽やかに細かい指示を始めた。
「木田君たちはね、今日から左舷のエレベーター(艦載機運搬用)ね」
「え、エレベーターですか?」
私は顔面で、
「出来ればそこは勘弁して下さい」
という表情を演出して見せた。だがそんな小技は、今の軽やかな伊沢には通用しない。
「最前列から奥に向かって撃って行ってくれる?奥はT工業にやらせているからさ」
「はーい…」
「一番手前だから楽勝だよ。奥の方は大変だよ、ガンのミスト(ガンから出る水蒸気)が篭っちゃってね」
伊沢は、
「もっとも仕事がやり易いエリアを分配してやったんだぞ!」
と言う顔で、私を見ている。
「分かりました。フライトデッキのフォークリフトを使ってもイイですか?」
「あれ?フォークの資格は持っていたっけ?」
「ええ、持ってますよ」
「じゃあ、自分たちでハスキーを移設出来るんだね」
「ええ、やれます」
私は伊沢に頭を下げると、岸壁を早足で歩き出した。
「エレベーターをやるとですか?」
後から聞き覚えのある九州弁の声がする。振り向くと、N県S市の工事会社の棒心である笹本の声だった。
笹本の所属する工事会社は、本来はN県S市周辺で仕事を行っているのだが、今回は応援要員として、ニ十数人の職人を引き連れてY市に出張して来ていた。
「ええ、今日から左舷のエレベーターに参戦ですよ」
「エレベーターは本当に大変ですかけん、いや、R社さんにこんな事を言うのは生意気ですけど」
笹本の会社の職人たちは、今回が初めてのウォータージェット工事だったが、オール初心者チームで、何故か一番大変な右舷エレベーターを任されていた。
「いえいえ、ずっと笹本さんたちを見ていましたけど、本当にエレベーターは大変そうですよね」
「そうなんですよ、ウチの若い奴らも、もうヘトヘトになってますけん、本当は休みが欲しかですよ」
「あはははは、ベース(B軍基地)の仕事に休みはありませんからね」
「でも、何とか数人ずつ交代で、休みを取らしているんですよ」
「そうですか、笹本さんの所は大所帯ですもんね。ウチは五人しか居ないんで、ぶっ通しですよ」
「うわぁ、それはそれでキツかですね」
「いや、でも笹本さんだって、一日も休んでいないでしょ?」
「台風の時だけです」
「あははは、僕も一緒ですよ」
笹本とは、同じ棒心として何となく気が合うので、お互いに話す事が多かった。
「エレベーター、ワイヤーの所が大変ですかけど、頑張って下さいね」
「ええ、ありがとうございます」
笹本は、右舷のエレベーターの方に歩いていった。
フライトデッキに上がると、ハルたちが壊れたF-14トムキャット(艦載戦闘機)の翼の下に座っていた。
「木田さん、ハスキー動かすの?」
ハルがかったるそうに訊いて来る。
「ええ、今から段取換えです。今度はなんと、左舷のエレベーターでぇーす!」
「最悪だぉ…」
ハルは嫌そうな顔をしながらも立ち上がると、コンテナに向かって歩き出し、モンキーレンチを持ち出して、超高圧ホースをハスキーから切り離し始めた。
「ノリ子、遊んでないで早く手伝えよ!」
「ハイっ!じゃあ僕はエアホースを外しますね!」
ノリオもテキパキと動き出し、釣られて須藤と泉谷も慌しく動き始めた。
ハルは、明らかに小磯が居なくなってから、仕事のリーダーシップを取り始めようとしていた。ずっと小磯の指示の元でしか動かなかった昔に比べ、ハルの中で少しずつ精神的な変化が起こり始めている様だった。
私はハルのその変化に感心しつつ、急いでハスキーの給排水ラインを外し始めた。
S社の現場責任者である伊沢を中心に、下請各社の棒心(親方クラス)が周りに円陣を作る。
伊沢はやや言葉を溜めると、晴れ晴れとした顔で口を開いた。
「えー、昨日はね、バージ船のサルベージをね、何事も無く、無事に完了できました!」
伊沢は満足げに自分の言葉に頷く。だが、下請各社の棒心たちは沈黙し、何とも言えない空気が流れ出した。
「・・・(な、何事も無かったの?)」
「・・・(作業員が二人、海に落ちたよね)」
「・・・(あの太いワイヤー、二本とも切れちゃったし)」
「・・・(手前のバージ船に乗っかりかけてたよなぁ)」
「・・・(バージ船が浮いたのって、単なる偶然だよね)」
「・・・(無事ってね、いや、無事じゃないと思うけど)」
だが、そんな棒心たちの空気は、上機嫌な伊沢には一切伝わらない。
「じゃ、今日も一日ご安全に!」
伊沢は軽やかに朝礼を締めると、周りに残る棒心たちに、軽やかに細かい指示を始めた。
「木田君たちはね、今日から左舷のエレベーター(艦載機運搬用)ね」
「え、エレベーターですか?」
私は顔面で、
「出来ればそこは勘弁して下さい」
という表情を演出して見せた。だがそんな小技は、今の軽やかな伊沢には通用しない。
「最前列から奥に向かって撃って行ってくれる?奥はT工業にやらせているからさ」
「はーい…」
「一番手前だから楽勝だよ。奥の方は大変だよ、ガンのミスト(ガンから出る水蒸気)が篭っちゃってね」
伊沢は、
「もっとも仕事がやり易いエリアを分配してやったんだぞ!」
と言う顔で、私を見ている。
「分かりました。フライトデッキのフォークリフトを使ってもイイですか?」
「あれ?フォークの資格は持っていたっけ?」
「ええ、持ってますよ」
「じゃあ、自分たちでハスキーを移設出来るんだね」
「ええ、やれます」
私は伊沢に頭を下げると、岸壁を早足で歩き出した。
「エレベーターをやるとですか?」
後から聞き覚えのある九州弁の声がする。振り向くと、N県S市の工事会社の棒心である笹本の声だった。
笹本の所属する工事会社は、本来はN県S市周辺で仕事を行っているのだが、今回は応援要員として、ニ十数人の職人を引き連れてY市に出張して来ていた。
「ええ、今日から左舷のエレベーターに参戦ですよ」
「エレベーターは本当に大変ですかけん、いや、R社さんにこんな事を言うのは生意気ですけど」
笹本の会社の職人たちは、今回が初めてのウォータージェット工事だったが、オール初心者チームで、何故か一番大変な右舷エレベーターを任されていた。
「いえいえ、ずっと笹本さんたちを見ていましたけど、本当にエレベーターは大変そうですよね」
「そうなんですよ、ウチの若い奴らも、もうヘトヘトになってますけん、本当は休みが欲しかですよ」
「あはははは、ベース(B軍基地)の仕事に休みはありませんからね」
「でも、何とか数人ずつ交代で、休みを取らしているんですよ」
「そうですか、笹本さんの所は大所帯ですもんね。ウチは五人しか居ないんで、ぶっ通しですよ」
「うわぁ、それはそれでキツかですね」
「いや、でも笹本さんだって、一日も休んでいないでしょ?」
「台風の時だけです」
「あははは、僕も一緒ですよ」
笹本とは、同じ棒心として何となく気が合うので、お互いに話す事が多かった。
「エレベーター、ワイヤーの所が大変ですかけど、頑張って下さいね」
「ええ、ありがとうございます」
笹本は、右舷のエレベーターの方に歩いていった。
フライトデッキに上がると、ハルたちが壊れたF-14トムキャット(艦載戦闘機)の翼の下に座っていた。
「木田さん、ハスキー動かすの?」
ハルがかったるそうに訊いて来る。
「ええ、今から段取換えです。今度はなんと、左舷のエレベーターでぇーす!」
「最悪だぉ…」
ハルは嫌そうな顔をしながらも立ち上がると、コンテナに向かって歩き出し、モンキーレンチを持ち出して、超高圧ホースをハスキーから切り離し始めた。
「ノリ子、遊んでないで早く手伝えよ!」
「ハイっ!じゃあ僕はエアホースを外しますね!」
ノリオもテキパキと動き出し、釣られて須藤と泉谷も慌しく動き始めた。
ハルは、明らかに小磯が居なくなってから、仕事のリーダーシップを取り始めようとしていた。ずっと小磯の指示の元でしか動かなかった昔に比べ、ハルの中で少しずつ精神的な変化が起こり始めている様だった。
私はハルのその変化に感心しつつ、急いでハスキーの給排水ラインを外し始めた。
二日後、再びキティホークに接近する、巨大な物体が現れた。
「木田さん、来たよ、来たよぉ!でっかいキリンさんが!」
ハルが大声で呼んでいる。
「おおっ!なんか前のヤツよりも更にデカイ?」
フライトデッキ(飛行甲板)から沖を見ると、前回よりもさらに大型の起重機船(クレーン船)が、タグボートに曳かれて、キティホークに近づいて来ていた。
「うひゃひゃひゃ、今回も失敗しちゃったりしてね」
「うはははは、いくら何でも、さすがにそれは無いでしょう」
「いやぁ、S社の事だから分からないよぉ」
ハルはニシャニシャと笑っている。
「木田君!」
「はい?」
またしてもS社の伊沢が、フライトデッキに現れた。
「伊沢さん、今回は大丈夫なんですか?」
「大丈夫だよ、今回は大丈夫だから」
私の質問に、伊沢は自信を持って答える。
「前回は150t吊のクレーンですよね、今回は?」
「倍だよ、倍!300t吊だよ!これなら揚がるでしょう」
「揚がるんですか?」
「揚がるよぉ」
伊沢は、嫌な事を言うなという顔をした。
「うひゃひゃひゃひゃ、本当によぉ?ワイヤーが切れて、また海の中に沈んじゃったりするんじゃないのぉ?」
「大丈夫だって、ワイヤーは直径80mmの物を使っているからね、切れることなんか有り得ないよ」
伊沢はハルの言葉にも動じない。
「今回もサルベージ作業の間は、剥離作業は中止ですよね」
「悪いね、頼むよ」
「いや、ウチは全然構いませんけど。とりあえず携帯に連絡を下さい、すぐに作業を中止しますから」
「うん、連絡するから」
伊沢はそう答えると、慌しく足場を降りて行った。
午後二時、私の携帯電話が胸ポケットで激しく振動した。
私はハスキーをアイドリング状態にすると、ハルと須藤の作業を中止させた。
「いよいよ始まるの?」
「ええ、伊沢さんから連絡が入ったんで」
フライトデッキの端に行き、全員でサルベージ作業を見学する事にする。
「おうおう、また失敗するんじゃねぇだろうなぁ!」
泉谷が大声で野次る。
300t吊の起重機船のジブ(腕)の頭(先端)は、遥か上方にあり、フライトデッキの上に居ても完全に見上げる様な状態だ。
「これでダメなら洒落にならないですよね」
ノリオの言う事は間違っていない。B海軍も、いつまでも空母の進路にバージ船(平底の台船)が沈んでいる事を良しとはしない筈だ。
岸壁から作業指揮者が合図をすると、ワイヤーが掛かった巨大なフックを、起重機船が巻き上げ始める。
「ボコっ、ボコボコボコっ!」
時折大きな水泡が海面に上がって来る。静かにゆっくりと、ピンと張り詰めた直径80mmのワイヤーを、起重機船の巨大なフックが引き上げて行く。
「あっ、海面まで来た!」
須藤が黒い影が映った海面を指差す。
前回、150t吊の起重機船は、バージ船をこれ以上持ち上げる事が出来なかったが、今回の300t吊の起重機船はパワーが違う。海面ギリギリで一旦停止をし、作業指揮者の合図と共に、再び慎重に巻上げを開始する。
ゆっくりと海面が盛り上がり、横倒しのバージ船のどてっ腹が、海面を突き破って現れる。さらに起重機船はフックを巻き上げ、バージ船の船体がゆっくりと海中から引きずり出される。
ついにバージ船の船体全てが、完全に水中から現れようとしていた。
「うぉぉ…」
私が息を飲んだその時、
「バギンっっっっ!!!ゴギンっっっっ!!!」
鈍い衝撃音が響いた。
瞬間、バージ船という名の鉄塊が、ゆっくりと空中から海面に向かって倒れ込む。
「ドぉッッッゴぉおおおおおおおおん!!」
衝撃と同時に大きな水柱が上がる。
「ガギギギギギギギ!」
異様な金属音が走る。
「グゥァガラガゴぉん、ゴバン、ガガん、グぅアらん!!」
我々の頭上で、300tの荷重に耐えるジブクレーンが、巨大なフックを振り回しながら、起重機船の船体ごと暴れまくる。海面には複数の大波が発生し、その波間から叫び声が聞こえる。
「うぉおおおお!」
「おーい、おーーい!」
「落ちたぞぉおおお!二人落ちたぞぉおおおお!」
作業を監視していたS社の手漕ぎボートが、木の葉の様に揺れている。
「こっちだ、こっちだぁ!」
海面に浮いている赤い救命胴衣を身に着けた作業員が、一人はボートに、もう一人は足場が組んであるバージ船に、他の作業員により引きずり上げられる。
「うひゃひゃひゃひゃ、ヤっちゃってんよぉ!」
「おいおいおいおい!」
「ヤバ過ぎだろう!」
ハルが爆笑し、私と泉谷は大声で叫ぶ。
まだ起重機船は、巨大なフックをガランガランと揺らしている。
「バージ船は!?」
ノリオが目を見開く。空中から海面に放り出された筈のバージ船は、驚いた事に、海面に正常な姿勢で浮いていた。
「うひゃひゃひゃ、バージ船が浮いてんよぉ!?何で浮いてんのよ!」
ハルはこの有り得ない状況が、楽しくて仕方がないらしい。
私は、足場が組んである方の台船に、大量の貝殻と海藻が山盛りになって載っているのに気付いた。
「あれは?」
ノリオも気付いた様だ。
「多分船底が、手前のバージ船にぶつかったんじゃないかなぁ、船体に付着していた貝や海藻が削り取られたんだと思うよ」
横倒しのまま空中に放り出されたバージ船は、隣のバージ船に船底を接触させ、海面に対して奇跡的に平行に着水し、そして海面に浮いている様だった。
「これって、吊りワイヤーが切れたんですよね、二本とも」
須藤がまだ揺れている起重機船のフックと、海面で大きく揺れているバージ船を交互に眺めている。
「そうみたいだね、しかし直径80mmのワイヤーが二本とも切れるとはねぇ…」
みんな、目の前の出来事があまりにも衝撃的過ぎて、しばらく呆然と海に浮かぶバージ船を見つめていた。
S社とサルベージ会社が行った第ニ回目の、
『どういう訳だか沈んじゃったバージ船のサルベージ大作戦』
は、バージ船が空中から転落したものの、負傷者ゼロ、物的損害はワイヤー二本のみ、という奇跡的な結果で終わったのだった。
「木田さん、来たよ、来たよぉ!でっかいキリンさんが!」
ハルが大声で呼んでいる。
「おおっ!なんか前のヤツよりも更にデカイ?」
フライトデッキ(飛行甲板)から沖を見ると、前回よりもさらに大型の起重機船(クレーン船)が、タグボートに曳かれて、キティホークに近づいて来ていた。
「うひゃひゃひゃ、今回も失敗しちゃったりしてね」
「うはははは、いくら何でも、さすがにそれは無いでしょう」
「いやぁ、S社の事だから分からないよぉ」
ハルはニシャニシャと笑っている。
「木田君!」
「はい?」
またしてもS社の伊沢が、フライトデッキに現れた。
「伊沢さん、今回は大丈夫なんですか?」
「大丈夫だよ、今回は大丈夫だから」
私の質問に、伊沢は自信を持って答える。
「前回は150t吊のクレーンですよね、今回は?」
「倍だよ、倍!300t吊だよ!これなら揚がるでしょう」
「揚がるんですか?」
「揚がるよぉ」
伊沢は、嫌な事を言うなという顔をした。
「うひゃひゃひゃひゃ、本当によぉ?ワイヤーが切れて、また海の中に沈んじゃったりするんじゃないのぉ?」
「大丈夫だって、ワイヤーは直径80mmの物を使っているからね、切れることなんか有り得ないよ」
伊沢はハルの言葉にも動じない。
「今回もサルベージ作業の間は、剥離作業は中止ですよね」
「悪いね、頼むよ」
「いや、ウチは全然構いませんけど。とりあえず携帯に連絡を下さい、すぐに作業を中止しますから」
「うん、連絡するから」
伊沢はそう答えると、慌しく足場を降りて行った。
午後二時、私の携帯電話が胸ポケットで激しく振動した。
私はハスキーをアイドリング状態にすると、ハルと須藤の作業を中止させた。
「いよいよ始まるの?」
「ええ、伊沢さんから連絡が入ったんで」
フライトデッキの端に行き、全員でサルベージ作業を見学する事にする。
「おうおう、また失敗するんじゃねぇだろうなぁ!」
泉谷が大声で野次る。
300t吊の起重機船のジブ(腕)の頭(先端)は、遥か上方にあり、フライトデッキの上に居ても完全に見上げる様な状態だ。
「これでダメなら洒落にならないですよね」
ノリオの言う事は間違っていない。B海軍も、いつまでも空母の進路にバージ船(平底の台船)が沈んでいる事を良しとはしない筈だ。
岸壁から作業指揮者が合図をすると、ワイヤーが掛かった巨大なフックを、起重機船が巻き上げ始める。
「ボコっ、ボコボコボコっ!」
時折大きな水泡が海面に上がって来る。静かにゆっくりと、ピンと張り詰めた直径80mmのワイヤーを、起重機船の巨大なフックが引き上げて行く。
「あっ、海面まで来た!」
須藤が黒い影が映った海面を指差す。
前回、150t吊の起重機船は、バージ船をこれ以上持ち上げる事が出来なかったが、今回の300t吊の起重機船はパワーが違う。海面ギリギリで一旦停止をし、作業指揮者の合図と共に、再び慎重に巻上げを開始する。
ゆっくりと海面が盛り上がり、横倒しのバージ船のどてっ腹が、海面を突き破って現れる。さらに起重機船はフックを巻き上げ、バージ船の船体がゆっくりと海中から引きずり出される。
ついにバージ船の船体全てが、完全に水中から現れようとしていた。
「うぉぉ…」
私が息を飲んだその時、
「バギンっっっっ!!!ゴギンっっっっ!!!」
鈍い衝撃音が響いた。
瞬間、バージ船という名の鉄塊が、ゆっくりと空中から海面に向かって倒れ込む。
「ドぉッッッゴぉおおおおおおおおん!!」
衝撃と同時に大きな水柱が上がる。
「ガギギギギギギギ!」
異様な金属音が走る。
「グゥァガラガゴぉん、ゴバン、ガガん、グぅアらん!!」
我々の頭上で、300tの荷重に耐えるジブクレーンが、巨大なフックを振り回しながら、起重機船の船体ごと暴れまくる。海面には複数の大波が発生し、その波間から叫び声が聞こえる。
「うぉおおおお!」
「おーい、おーーい!」
「落ちたぞぉおおお!二人落ちたぞぉおおおお!」
作業を監視していたS社の手漕ぎボートが、木の葉の様に揺れている。
「こっちだ、こっちだぁ!」
海面に浮いている赤い救命胴衣を身に着けた作業員が、一人はボートに、もう一人は足場が組んであるバージ船に、他の作業員により引きずり上げられる。
「うひゃひゃひゃひゃ、ヤっちゃってんよぉ!」
「おいおいおいおい!」
「ヤバ過ぎだろう!」
ハルが爆笑し、私と泉谷は大声で叫ぶ。
まだ起重機船は、巨大なフックをガランガランと揺らしている。
「バージ船は!?」
ノリオが目を見開く。空中から海面に放り出された筈のバージ船は、驚いた事に、海面に正常な姿勢で浮いていた。
「うひゃひゃひゃ、バージ船が浮いてんよぉ!?何で浮いてんのよ!」
ハルはこの有り得ない状況が、楽しくて仕方がないらしい。
私は、足場が組んである方の台船に、大量の貝殻と海藻が山盛りになって載っているのに気付いた。
「あれは?」
ノリオも気付いた様だ。
「多分船底が、手前のバージ船にぶつかったんじゃないかなぁ、船体に付着していた貝や海藻が削り取られたんだと思うよ」
横倒しのまま空中に放り出されたバージ船は、隣のバージ船に船底を接触させ、海面に対して奇跡的に平行に着水し、そして海面に浮いている様だった。
「これって、吊りワイヤーが切れたんですよね、二本とも」
須藤がまだ揺れている起重機船のフックと、海面で大きく揺れているバージ船を交互に眺めている。
「そうみたいだね、しかし直径80mmのワイヤーが二本とも切れるとはねぇ…」
みんな、目の前の出来事があまりにも衝撃的過ぎて、しばらく呆然と海に浮かぶバージ船を見つめていた。
S社とサルベージ会社が行った第ニ回目の、
『どういう訳だか沈んじゃったバージ船のサルベージ大作戦』
は、バージ船が空中から転落したものの、負傷者ゼロ、物的損害はワイヤー二本のみ、という奇跡的な結果で終わったのだった。
北海道で会った時から、行動的な人だとは思っていましたが、Mさん、今度は友人の方と韓国を縦断したそうです(笑)
スタートの大阪から下関までは青春18切符で輪行、下関から韓国の釜山までは、関釜フェリーを利用したそうです。
韓国のスタート地点、釜山駅
道路は右側通行、運転は台湾よりも乱暴で、事故を二件見たらしい。個人的には、台湾もかなり運転が荒いと思いますけど…。
国道4号線
高速道路にも見えますが、国道らしい。ガソリンスタンド、食堂、トイレが集まったサービスエリアの様な場所で、うどん定食を食べたそうです。『うどん』は、韓国でも『ウドン』と言うらしい。
世界文化遺産の慶州仏国寺
ソウルでは板門店バスツアー(現地日本語ガイド付)に参加したそうです。
『軍事停戦委員会本会議場』に行くまでにパスポートチェックが2回あり、1回目は韓国兵、2回目は国連軍の米兵が行い、この米兵は場内専用バスに乗り換えた時に一緒に乗り込み、護衛監視としてツアーについて来たそうです。
ビデオやカメラは撮影禁止場所があり、ガイドの指示により、許可された場所のみ撮影できるらしい。また、北朝鮮側に向かって手を振ったり指をさしたりしてはいけない等の細かい注意もあり、まだ朝鮮戦争が終わっておらず、あくまでも停戦中なんだと言う事を実感したそうです。
韓国側の展望台から見た、軍事停戦委員会本会議場(青い建物)
北朝鮮側から撮影した本会議場内部
テーブルの真ん中が軍事境界線になり、軍人の左側が韓国、右側が北朝鮮。この建物の中だけは北朝鮮側に入れるらしい。
軍人が蝋人形に見えるのは、私だけでしょうか…。
Mさんが食した韓国料理(美味しいが辛かったらしい)
私も韓国には一度行きましたが、気のせいか、日本で食べる韓国料理よりも、塩気が足りない気がしました。
食事は主に大衆食堂で、宿泊はチムジルバンだったそうです。
チムジルバン
いわゆる日本の健康ランド。24時間入れる浴場+サウナ施設で、利用料は日本円で700円位。休憩所で寝られるらしい。
世界文化遺産、水原の華城(北門の長安門)
さすがMさん、どこに行っても、まずは城を押さえますね(笑)
今年の2月10日に放火で焼失した崇礼門(通称:南大門)※仮設フェンスの写真
私は焼ける前に見ましたが、燃えちゃったんですねぇ…。
犯人は都市再開発事業の立ち退きの補償額に不満があり放火したそうです。
ゴール地点、ソウル駅
走行距離597.6kmを七日間かけて走破したそうです。
帰りはソウルから釜山まで韓国版新幹線「KTX」に乗り、自転車で一週間かけて来た所を、わずか2時間43分で戻ってしまったらしい。
釜山到着後は釜山タワーに登り、釜山港へ移動。
韓国船籍の『ソン・ヒー』で下関へ戻ります。
でも、Mさんと友人の方は、下関からすぐに帰らなかったらしい。
みもすそ川公園から見た関門橋
私もお仕事で何度か行った下関です。
渡っちゃったそうです(笑)
そして小倉城
やっぱり城は押さえますねぇ(笑)
さらに博多まで自転車で移動して、カプセルホテルに宿泊って、凄いですね。
そしてMさんはやはりこれも外しません。
元祖長浜屋のラーメン、400円
『替え玉』発祥の店らしいです。
もちろん翌日は『福岡城と大濠公園』を押さえたそうです。
帰りは博多駅から青春18切符を使用、約12時間、乗換8回だったそうです。
輪行でこの乗り換え回数は、マジで疲れると思います。すごい体力ですね。
Mさん、合計13日間の旅、お疲れ様でした!
スタートの大阪から下関までは青春18切符で輪行、下関から韓国の釜山までは、関釜フェリーを利用したそうです。
韓国のスタート地点、釜山駅
道路は右側通行、運転は台湾よりも乱暴で、事故を二件見たらしい。個人的には、台湾もかなり運転が荒いと思いますけど…。
国道4号線
高速道路にも見えますが、国道らしい。ガソリンスタンド、食堂、トイレが集まったサービスエリアの様な場所で、うどん定食を食べたそうです。『うどん』は、韓国でも『ウドン』と言うらしい。
世界文化遺産の慶州仏国寺
ソウルでは板門店バスツアー(現地日本語ガイド付)に参加したそうです。
『軍事停戦委員会本会議場』に行くまでにパスポートチェックが2回あり、1回目は韓国兵、2回目は国連軍の米兵が行い、この米兵は場内専用バスに乗り換えた時に一緒に乗り込み、護衛監視としてツアーについて来たそうです。
ビデオやカメラは撮影禁止場所があり、ガイドの指示により、許可された場所のみ撮影できるらしい。また、北朝鮮側に向かって手を振ったり指をさしたりしてはいけない等の細かい注意もあり、まだ朝鮮戦争が終わっておらず、あくまでも停戦中なんだと言う事を実感したそうです。
韓国側の展望台から見た、軍事停戦委員会本会議場(青い建物)
北朝鮮側から撮影した本会議場内部
テーブルの真ん中が軍事境界線になり、軍人の左側が韓国、右側が北朝鮮。この建物の中だけは北朝鮮側に入れるらしい。
軍人が蝋人形に見えるのは、私だけでしょうか…。
Mさんが食した韓国料理(美味しいが辛かったらしい)
私も韓国には一度行きましたが、気のせいか、日本で食べる韓国料理よりも、塩気が足りない気がしました。
食事は主に大衆食堂で、宿泊はチムジルバンだったそうです。
チムジルバン
いわゆる日本の健康ランド。24時間入れる浴場+サウナ施設で、利用料は日本円で700円位。休憩所で寝られるらしい。
世界文化遺産、水原の華城(北門の長安門)
さすがMさん、どこに行っても、まずは城を押さえますね(笑)
今年の2月10日に放火で焼失した崇礼門(通称:南大門)※仮設フェンスの写真
私は焼ける前に見ましたが、燃えちゃったんですねぇ…。
犯人は都市再開発事業の立ち退きの補償額に不満があり放火したそうです。
ゴール地点、ソウル駅
走行距離597.6kmを七日間かけて走破したそうです。
帰りはソウルから釜山まで韓国版新幹線「KTX」に乗り、自転車で一週間かけて来た所を、わずか2時間43分で戻ってしまったらしい。
釜山到着後は釜山タワーに登り、釜山港へ移動。
韓国船籍の『ソン・ヒー』で下関へ戻ります。
でも、Mさんと友人の方は、下関からすぐに帰らなかったらしい。
みもすそ川公園から見た関門橋
私もお仕事で何度か行った下関です。
渡っちゃったそうです(笑)
そして小倉城
やっぱり城は押さえますねぇ(笑)
さらに博多まで自転車で移動して、カプセルホテルに宿泊って、凄いですね。
そしてMさんはやはりこれも外しません。
元祖長浜屋のラーメン、400円
『替え玉』発祥の店らしいです。
もちろん翌日は『福岡城と大濠公園』を押さえたそうです。
帰りは博多駅から青春18切符を使用、約12時間、乗換8回だったそうです。
輪行でこの乗り換え回数は、マジで疲れると思います。すごい体力ですね。
Mさん、合計13日間の旅、お疲れ様でした!