どんぴ帳

チョモランマな内容

ショボい巨塔(その9)

2008-12-31 15:08:53 | 病院
 去年の大晦日、私は病院に居ました。

 もちろん入院をしていた訳では無く、単なるアルバイトです。
 
 その日の夕方、病院に到着すると、私は驚愕しました。
「あれ?今日って普通の診察日だっけ?」
 そう錯覚するくらい、病院の待合ロビーには人が溢れていました。
「な、何事ですか?」
「さあ、知らないわよ…」
 看護師さんは完全にうんざりとしています。それもそうだ。事務員一人と、看護師一人、そして日直の医師一人で、大量の患者を捌いているからだ。

 その人波は、私が仕事を始めてからも一向に収まらなかった。この日が『輪番』という救急車の当番日だという事を考慮しても、その人数は異常だった。
 気付けば、内科医、そして小児科医、待機していた耳鼻科医までが呼び出され、さらにレントゲン技師と検査技師までもが呼び出されている。
 押し寄せる患者さんのほとんどは、
「急病です」
「救急です」
 と勝手に電話で申告して来る人たちばかりだ。実際は単なる風邪やインフルエンザの人たちだけど…。
「喉に魚の骨が刺さりました(まあ、仕方ない)」
「鼻に箸が刺さりました(どうして?)」」
「野良犬に手を咬まれました(なぜ大晦日に野良犬と戯れる?)」
 という人たちもやって来ます。

 この日だけ増員された二人の看護師は、本当にバタバタと走り回っていました。
 さらにそこへ、
「○○分署救急隊です!急病患者さんを一名お願いします!」
 なんて電話が入る。

 気が付くと、『紅白歌合戦』が終わり、ついに『ゆく年くる年』が始まっている。しかし、病院のロビーにはまだ付き添いの人間も含めて、十数人が椅子に座っている。
「あ…」
 そしてついに、この十数人の人たちは、病院の待合ロビーで新年を迎えてしまったのだ。
「理解出来ねぇ…」
 こっちは仕事だから構わないが、この人たちは何が悲しくて病院の待合ロビーで新年を迎えているのだろうか、私には本当に理解が出来なかった。
 
 そして新年一発目の電話は、
「オイ、この野郎!診療拒否をするってのか!?たらい回しかぁ!?」
 と叫ぶ幼稚園児の父親…。あんはっぴーなにゅういやぁでした…。
 
 大晦日は家でテレビを見て、大人しくしていましょう。
(格闘技を見て盛り上がるのは可です)
 そして、新年は自宅で迎えましょう。
(神社やお寺は可です)

 では、良い御年を…。

はくりんちゅ356

2008-12-30 14:28:06 | 剥離人
 私は完全に分解し、清掃したエアモータを組み上げ始める。

 最初に、エアモータのハウジング(本体)に、分解清掃したトリガー(引き金)を組み付ける。
 ハウジングにトリガーを差し込むと、その心棒に空いた孔に、コマのような部品をセットする。中心軸をきっちりと孔に合わせて落とさねばならず、微妙なピンセット捌きが必要となる。首尾よくセットしたら、スプリングをその上に落とし込む。そぐにグリップエンドに当たる、排気口付きの樹脂部品を差し込み、金属のロック部品を装着する。この金属部品は、圧縮空気の導入口になっていて、ここにオスのエアカプラー(圧縮空気用のワンタッチ金具)をセットする。
 次に、ケーシングの底のローターベアリングに、『KURE スーパー5-56(CMでお馴染みの防錆・潤滑スプレー)』を僅かに噴射する。本来はグリススプレーを噴射したいところだが、エアモータのブレードに悪影響を及ぼすので、粘性の低い油を選択する。
 四枚の樹脂製ブレードを、シリコンスプレーで再度洗浄し、ウェスで拭きあげる。ブレードを格納する溝を切った回転軸部品に、四枚のブレードをセットし、効率よく圧縮空気を排出する為の穴が空いている、円筒形のパーツに通す。最後に圧縮空気導入口がある円盤状の部品を被せ、リテーナー(C型の金具)でロックする。このリテーナーという小さなステンレスの部品は、固定にに失敗すると明後日の方向に飛んで行って紛失してしまうので、細心の注意が必要となる。
 エアモータのハウジング内に、潤滑用のシリコンスプレーを噴霧し、そこへブレードを内包した回転軸部品を押し込む。この時、回転軸の圧縮空気導入口を正常な位置にセットする為に、ステンレスの細い丸棒も一緒に押し込む。この位置が一発で決まらないと、再度やり直しになるのだ。
 ここまでが終わると、今度はエアモータの頭部にあたる部品、大きなベアリングを埋め込んだ金属のヘッドパーツに、『遊星歯車機構』を組み付ける。
 『遊星歯車機構』とは、『太陽歯車』と呼ばれる歯車を中心に配置し、周囲に複数(このエアモータは三個)の遊星歯車がセットされ、この遊星歯車が自転しつつ公転する構造を持った減速機構だ。また、このベアリングを埋め込んだ金属パーツの内側にある歯車溝を、外輪歯車と呼ぶ。
 この遊星歯車機構に各歯車をセットし、モリブデン(有機モリブデン、高速回転する機器に有効)を含有するグリススプレーをしっかりと噴射し、ドーナツ状の仕切り板を入れて、ケーシング本体と合体させる。これでエアモータが完成だ。
 このエアモータをガンのブラケット(土台となる金具)に固定し、プーリーギヤ(滑車型歯車)を取り付け、超高圧水が流入するスピンドル(超高圧用の回転軸部品)にもキーレスカップリング(軸に対して、ナットの締め付けのみで固定する金具)を使用してプーリーギヤを取り付け、これをベルトで繋ぐと、毎分三千回転のガンの駆動部が完成する。
 スイベルハウジング(スピンドルを内蔵する本体)の後部にあるバックアップリングとインレットアダプター(超高圧水の入口となる部品)を清掃し、スイベルシールを押し込み、これらをセットしてリテーニングナットで固定する。
 スピンドルにカップリング(接合金具)を取り付け、ハイプレッシャーステム(超高圧配管部品)を繋ぎ、ガンの銃身部カバーを取り付ける。
 ブッシングと呼ばれるハイプレッシャーステムのぶれを押さえ込む部品を取り付け、グリスフィッティング(グリス注入口)で固定、スプラッシュシールドと呼ばれるガンの内部に異物が侵入するのを防止するシールド部品を、ブッシングの上から重ねて取り付ける。
 ハイプレッシャーステムの先端にチュービングシールという部品を乗せ、ホーネットの交換が終わったノズルを取り付ける。二箇所のグリスアップポイントに、モリブデンを含んだグリスを注入し、余分なグリスを拭き取る。ガン底部のカプラーからは、『KURE スーパー5-56』を注入すれば完了だ。

 最後に作業用コンテナに引き込んである圧縮空気のホースを、ガングリップ底部のエアカプラーにジョイントして、トリガーを引く。
「ギュゥうううううううううううううん!」
 ガンが小気味良い音を立てて、ノズルをガンガン回転させる。
「プシっ!」
 私はエアホースを外すと、ガンをいつもの棚に置こうとした。
「木田さん…、あの、ガンのお尻から高圧水が漏れました」
「・・・・・・」
 振り返ると、堂本がドロドロのカッパを着て、コンテナの前に立っている。右手には外してきたばかりの、コンクリート汁に塗れたガンが握られている。
「…はい、頑張ってね」
 私は整備が済んだばかりのガンを、堂本に手渡した。

 またしても私の前に、未整備のガンが二丁転がっていた。

はくりんちゅ355

2008-12-29 22:58:17 | 剥離人
 大澤との電話は、まだ続いていた。

「でさぁ、ホーネットはそっちで組んでくれるの?」
「いやぁ、多少部品代は安くしますから、木田さんに組んでもらえると助かります」
「…ホーネット組むの、現場でやると結構面倒なんだよね。そうじゃなくても、今回はガンのトラブルが多いんだよ」
「ある程度は協力しますから…」
 大澤の社交辞令だと、私は思った。
「それとさ、ノズルカバーだけど、あれ、金属製の物を作ってよ」
「この前のウレタンじゃ駄目ですか?」
「駄目じゃないけど、ハツったコンクリートにカバーが接触すると、一瞬ノズルの回転が止まるんだよ」
「どういう意味ですか?」
「ハツった凹凸にウレタン樹脂が接触すると、強力なブレーキになっちゃうんだよ。ウレタン製はまだマシだけど、ゴム製のカバーは酷いね。完全にノズルが止まるからね」
「止まる以外の影響は?」
「止まった時に駆動ベルトが破断するね」
「ええっ?そんな勢いで止まるんですか?」
「それだけが原因じゃないけど、細かいコンクリートの破片がたくさんガンの中に入り込むんだよね。で、プーリーギヤ(滑車型歯車)とベルトの間に挟まって、ゴム製のベルトに喰い込むんだよ。で、そこがウィークポイントになって、一気に破断するって訳。もう三本もいかれたよ」
「なんか想像以上にコンクリートのハツリって過酷ですね」
「マジで泣きが入りそうだよ」
 思わず愚痴が出る。
「それから、コンクリート専用ノズルのカバー、早くも薄くなって亀裂が入ってるから、新型のカバーは、最低でも5mmは厚さが欲しいね」
「コンクリート専用ノズルのカバー、もう亀裂が入ってるんですか?」
「そうだね、今は使ってないけど、これ以上使うと、たぶん割れて欠損すると思うよ」
「・・・」
 どうやら大澤の想像を遥かに超えている様だった。
「分かりました。至急、金属製のカバーについても設計して見積を出しますね」
「まあ、どっちにしろ作るんだから、何でもいいけどね」
「あははは、分かりました」
 大澤は半分呆れながら電話を切った。

 私は携帯電話を胸ポケットに入れると、目の前の作業台に置いてある、整備途中のガンを見た。
「はぁあああ」
 思わずため息が出る。この現場に入ってから、明らかに全てのガンの調子が悪くなっていた。普段はバラさないエアモーター(圧縮空気の力で回転するモーター)の中まで、きっちりと清掃をしないと、ガンが正常に作動してくれないのだ。
 ふと気付くと、視線の右端に青色のカッパが入ってくる。まだ交代までには時間があるので、それはガンのトラブルが発生したことを意味していた。
「木田さん」
「…はいはい」
 私はちらりと須藤の右手を見る。
「ガンが回らなくなりました」
「…了解」
 予備のガンを取り出し、須藤に手渡す。
「あいがとうございます」
 これで整備が必要なガンは二丁になり、予備のガンはゼロとなった。
「早く直さないと、やばいなぁ…」

 私は急いで分解したエアモータを組み上げ始めた。

はくりんちゅ354

2008-12-28 19:04:27 | 剥離人
 電話で18/1000インチのホーネット(サファイヤを内蔵した部品)の在庫を確認した私に、大澤はあっさりと答えた。

「うーん、それがねぇ木田さん、ホーネットの在庫は、18番(18/1000インチ)が二十五個しか無いんだよ」
「…全然足りないじゃん。じゃあ17番は?」
「17番はねぇ、三十七個かな」
「本当にそれだけしか無いの?」
「あとは本国にどれだけあるかだね」
「17番と18番の在庫を確認してよ」
「取り寄せる?」
「取り寄せなきゃ、仕事にならないよ。もちろん飛行機だからね」
「UPS(世界最大の小口貨物輸送会社)の航空便で送ってもらいますよ」
「とにかく在庫数量を教えてよ」
「了解です」
 電話を切って、頭の中で計算を始める。手持ちとF社の在庫を合計しても、十日から、持ってせいぜい二週間だ。
 程なくして、大澤から携帯電話に連絡が入る。
「木田さん、ホーネットとして組み上がってるのは、どっちも十数個しか無いみたいなんだよ。でも、オリフィス(孔空きのサファイヤ)は、18番が約80個、17番が120個はあるね」
「じゃあ、全部頂戴」
「ぜ、全部ぅうう?」
 さすがに大澤が大声を上げる。
「全部買っちゃうの?木田さん!」
「買うよ、買うに決まってるでしょ」
「だって確か工期は一ヵ月半じゃなかったっけ?」
「絶対に終わらないと思うよ」
「だって、17番や18番なんて、コンクリート以外ではあんまり使わないでしょ」
「ホーネットが足りなくなって、工事が進まなくなる方が、よっぽどお金が出て行くんだよ。二人の給与と、三人の人工賃だけでも一日十数万円が出て行くんだよ、それと比較したらオリフィス200個なんて、安いもんだよ」
「でも木田さん、空のホーネットと、シールも買うんだよ」
「分かってるよ、全部でいくらだ?えーとぉ」
「き、木田さん、ホーネットの代金だけで、120万円だよ?本当に買うの?」
「120万円かぁ、もはや正気の沙汰とは思えないけど、買うよ」
「いいの?常務の許可とかはいらないの?」
「そんなもんいらないよ。こんな馬鹿げた工事を受注したのは、その常務なんだからさ」
「木田さん、ホーネットだけでこれだけの金額を使うと、工事の利益なんて出ないんじゃないの?」
「そんなもん、この工事を受注した瞬間から予想できたことだよ」

 ここまで来ると、もはや後には引けない。何が何でも、この工事をきっちりと終わらせてやる、私にあるのは、そんな思いだけだった。



ショボい巨塔(その8)

2008-12-27 13:28:40 | 病院
 小児科のお話は、まだ続きます。

 世の中の親御さんは、自分のお子様を非常に大切に思っています。
 まあ、大切に思うのは自由だけど、過剰にそれが作用します。

「娘が胸が痛いと言ってるんです!」
 夜十時、母親の悲痛な声が受話器から聞こえて来ます。
「はい、胸のどのあたりですか?」
「わき腹です。あばら骨の辺りです。少し腫れていると思います」
「・・・(な、何の病気だ?)」
 医師に内線で伝えます。
「うーーーん、それは…、診てみないと分からないなぁ」
 この六歳の女の子の体に、一体何が起きているのか、それはまだ誰にも分からなかった。

 二十分後、両親に伴われ、六歳の女の子が病院にやって来る。
「こちらのお子さん、ですよね」
「はい、そうです」
 見た目は健康体だ。痛がっているそぶりも見せない。だが、お母さんの目付きは真剣そのものだ。
 受付を済ませた母親と娘は、診察室の中に入る。何故か父親は、虚ろな目で診察室前のベンチ椅子に腰掛けている。
 診察室の中では、医師と看護師が問題の脇腹の痛みに対処していた。(看護師談)
「先生、この子の右の脇腹がおかしいんです」
「どの辺りですか?」
「ここです」
 母親が自信を持って、右の脇腹を指さす。
「んー…っと、見た目はあまり変わりませんけどね」
「良く見て下さい、左と比較すると、右側の方が少し出っ張っていますでしょう?」
「んー…、まあ言われて見れば、そう見えなくも…」
 医師と看護師は、何度も右と左を比較する。
「腫れているんだと思います」
 母親は断言する。
「腫れて…いますかねぇ?」
 医師の言葉に、母親はムッとして言う。
「先生、あばらを押すと、この子は痛がるんですよっ!」
 医師はおもむろに娘の右脇腹を押さえる。
「どう、痛い?」
「ううん、痛くなぁーい」
「じゃあ、ここは?」
「ウフフフ、くすぐったぁーい!」
「・・・・・・」
 母親は業を煮やして、娘の脇腹を指で押さえる。
「ここが痛いんでしょ?」
 良く見ると、母親の指があばら骨の間に入り込んでいる。
「お、お母さん、そういうふうにあばら骨を押さえたら、大人でも痛がりますよ」
「えっ?」
「・・・」
 嫌な沈黙が流れる。
「それにお母さん、人間の体は完全に左右が対称な訳ではありませんし、お子さんの脇腹も至って正常だと思いますよ」
「そうでしょうか?私には腫れて見えるんですけど…」
「ま、まあ、お母さん。とりあえず大丈夫だと思いますんで、様子を見てあげて下さい」
「あの、じゃあ診察は終わりですか?」
「ええ、出すべきお薬もありませんのでね」
「・・・」
 母親は非常に不満そうだったが、渋々診察室を出ると、ツカツカと受付にやって来た。
「五千円の御預かり金になります」
「…ハァ」
 母親は小さなため息を吐くと、私に五千円札を突き出した。診察に対して非常に不満がある人のお金の払い方だ。
「お大事にどうぞ」
 何を大事にするのかは分からないが、母親は娘と父親を伴い、先頭に立って病院を出て行った。

 診察室から戻って来た看護師から、私はカルテを受け取った。
「あのお父さん、ずっと虚ろな目付きでしたね」
「うーん、たぶん諦めてるんじゃないの?ああいうお父さん、たまに見るね」
「結局脇腹は?」
「何も無かったよ。でもあのお母さん、『自分が発見したのよ、どうよ!』って感じだったわ」
「じゃあ、四六時中あんな感じなんですかね?」
「じゃないの?お父さんはもう、完全に諦めて、嵐が過ぎ去るのを待っている感じだったしね」
「な、なんとも言えませんねぇ…」

 この場合、父親は完全に醒めているが、父親が熱い場合もある。

 深夜三時過ぎ、外線が鳴り、私は叩き起こされる。
「先生、五歳の男の子です。耳が痛いそうです」
 この日当直の耳鼻科の医師を叩き起こす。
「…んー、たぶん中耳炎だね。こんな時間にわざわざ来る必要はないと思うよ」
「じゃあ、そう伝えます」
 だが、この電話を掛けて来た父親の剣幕は凄まじかった。
「痛がって一時間も泣き叫んでいるんだ!ウチの子が、お宅の病院で治療を受けたいと言ってるんだ!!」
「・・・(五歳の子供がそんなことを言う訳が無かろうに…)」
 診察をしなければ告訴すると言わんばかりの勢いだ。再び内線で医師に連絡する。
「はぁ…、じゃあ診察はするけど、こんな時間に鼓膜の切開なんて出来ないし、痛み止めを出すだけだからね。検査は出来ませんって言ってくれる?」
「分かりました」
「診察は致しますけど、痛み止めをお出しする程度しか出来ませんがよろしいですか?それと詳しい検査も今のお時間は出来ませんので」
「検査が出来ない?」
「ええ」
「検査はしてもらわないと困るよ」
「困るって言われましても…」
「分かった、じゃあそっちに行ってから話し合おうじゃないか!」
「・・・(な、何を?)」
 もう完全に意味不明です。

 十五分後、両親に連れられて、五歳のお子様がやって来ます。そのご尊顔は、満面の笑みで一杯です。
「おいっ!痛くて泣き叫んでいるんじゃないのかよ!!」
 怒り心頭に発しますが、ここはポーカーフェイスです。保険証を拝見すると、誰もが知っている、理系の大学生なら誰でも入りたがるこの地域のトップ企業の社員の方です。
「・・・」
 疲れ果てた耳鼻科の医師が、診察室にやって来ます。
 入院病棟から駆り出された看護師が、五歳の男の子に質問します。
「ぼく、右の耳は痛い?」
「ううん、痛くなぁーい!」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
 早朝四時、耳鼻科診察室前の待合で、私と医師と看護師は、心の中で絶句しました。

 お願いだから、通常の診察時間に病院に行って下さい。中耳炎じゃ急死しません。痛いだけです。この子は痛がってもいなかったけど…。


 

ショボい巨塔(その7)

2008-12-26 12:19:39 | 病院
 世にも恐ろしい日がある。

 それは当直医師が小児科の時だ。
 輪番日という、救急車の当番日があるが、ある意味それよりも大変で恐ろしい日なのだ。

 今のお母さんたちは、もう病院が大好きだ。ちょっと何かあるとすぐに病院だ。
「五歳の男の子なんですけど、熱が、熱が38.5℃もあるんです!」
 大丈夫です、その程度なら。
「吐いたんですよ!とにかく診て下さい!」
 一回や二回嘔吐した程度なら、たぶん大丈夫だ。
 別に診察が不必要な訳ではないが、夜間病院に連れてくる必要があるかと言われると、かなり疑問だ。
 とにかく今のお母さんは、『発熱=悪いこと=病院』という回路が出来上がっているらしく、すぐに病院に行こうとします。
 実際のところ、人体は発熱により、体内に侵入したウイルスの活性化を抑制し、白血球の活動を活発化させます。これは人間に備わった『防御反応』であり、むしろこれを抑え込むことは、症状を長引かせることにも繋がります。

 でも、お母さんたちは病院にやって来ます。一日分の薬を求めて…。そして、連れて来る子供たちのほぼ九割はめちゃめちゃ元気です。
 もうケロッとした顔をしています。中には待合ロビーを走り回る子供もいます。
「そんなに元気なのに、どうしてこんな深夜三時に子供を連れて来るんだ!!」
 病院のスタッフは内心そう思っています。
 そして面白いことに、病院に来た子供の多くが、体温が下がっていることです。お母さんの申告よりも、大体0.5~1.0℃程下がっている場合が多いです。
 これは、
「風邪なんだから!」
 という理由で、子供が居る部屋を必要以上に暖めたり、必要以上に厚着をさせているのが原因と思われます。病院に行くために外に出ると、外はひんやりとして気持ちがイイ。厚着により火照った体が冷まされ、子供は途端に元気になり、そして病院の中を走り回るのです。
 こういう時、お母さんたちはやはり無表情を装って受付を済ませ、そして医師にどんなに子供の具合が悪いかを、切々と訴えます。
「昨夜から熱が下がらなくて、食欲もありませんし、今朝は少し吐きましたし、あ、それからやや下痢気味です」
 訴えますが、当の本人は診察室の椅子に腰掛け、足をブラブラとさせ、元気そのものです。
「ま、熱は37.5℃程度だし、解熱剤もお持ちのようだし、大丈夫でしょう」
 こう言って、薬の処方も無しで返されるお母さんも珍しくはありません。

 発熱や風邪なら分かりますが、意味不明な電話も掛かって来ます。
「あの、子供が便秘気味なんで、下剤を入れたんですけど…」
 深夜二時半、外線が入ります。
「下剤ですか?」
「ええ、肛門から入れるものです。でもまだ出ないんです」
「えーと、座薬を入れたのは何時ですか?」
「三十分前です」
 深夜二時?どうして夜中の二時に子供の肛門に座薬を入れる?そんなに子供は苦しんでいるのか?
「で、今のお子さんの容態は?」
「えー、寝てます」
「は?えーと、眠っているってことですか?」
「ええ、ぐっすりと寝ています」
「・・・」
 なんだかさっぱり意味が分かりません。
「…じゃ、じゃあ寝かしといてあげれば?」
 と思いますが、それも言えません。仕方が無いので、内線で医師を叩き起こします。
「…寝てるんですよね」
「ええ、ぐっすりと寝ているそうです」
「…じゃあ、寝かせて置くように言って下さい、それじゃ…」
 医師はガチャリと受話器を置きます。外線に切り替えます。
「寝かせて置いて下さい」
「寝かせて置いてイイんですか?」
「ぐっすりと安眠してるんですよね」
「ええ、寝てます」
「じゃ、寝かせて置いて下さい。で、明日小児科に行って下さいね」
「それで大丈夫なんですよね?」
「…ええ、寝てるんであれば。急に苦しみ出したりした場合は、ご連絡を頂けますか?」
 そう言って電話を切る。

 最近の親御さんは、こういう人が多いです。
「大丈夫ですよね?」
 自分の目で見て、自分の子供が大丈夫か、そうでないのか、さっぱりと分からないらしい。ほんの十分か十五分ほど診察する医師よりも、日々の生活を共にしている親御さんの方が、よほど分かるのではないかと思うが、
「本当に大丈夫なんですよね?」
 と確認を求める親御さんが非常に多い。その言葉は、本当に子供の為を思って言っているのか、それとも自分に自信が無いので、それを補完する為に訊いているのか、非常にあやふやな印象を受けます。
「医者が言ったから大丈夫」
 という保険が欲しいのかもしれませんが、所詮は医師も赤の他人です。そしてその子のことに目が行くのは、診察時間という短い間だけなのです。

 本当に子供のことをきちんと見ていれば、例え40℃熱があっても、元気そうなら大丈夫なのです。
 むしろ熱が低めでも、完全にぐったりとしているとか、痙攣しているとか、引き付けを起こしているとか、そういう時は迷わず受診したり、場合によっては救急車を呼んだ方が良いと思われます。そして、当直の小児科の医師は、そんな子供たちの為に病院に待機しているのです。

 現在、小児科の医師になる人は非常に少ないです。
 理由は、当直で激務を強いられ、独立しても儲からないからです。
「だってウチの子に何かがあったらどうするのよ!」
 というお母さんが、深夜早朝に関わらず、ワラワラと押寄せて来ます。
「熱が37℃以上あると、保育園で預かってもらえないんで、解熱剤を下さい」
 なんて言う無茶苦茶な(事情があるのでしょうが…)お母さんが夜中にやって来ます。

 そういう人達が押し寄せ、小児科の医師を酷使すると、将来さらに小児科の医師は減ることになるでしょう。いや、間違いなく減ります。
 そもそも小児科は、診療報酬は安いし、当直をすれば激務を強いられるし、開業しても普通の診療科の倍は人数をこなさないと飯が喰えません。
 それが分かっていても小児科の医師になるなんて、これはもう非常に貴重な人的資源です。たかが風邪ごときで、真夜中に叩き起こして酷使しちゃダメだと思います。

 さて、次回はさらに奇奇怪怪な小児科の患者さん(親御さん?)たちの登場です。
 

ショボい巨塔(その6)

2008-12-25 10:30:33 | 病院
 救急車で運ばれて来るのは、何も急病人には限りません。交通事故で負傷した人たちも運ばれて来ます。

 運ばれて来るのは一向に構いませんが、深夜に運ばれてくると、私は非常にウンザリとします。
 別に運ばれて来る人に対して、ウンザリする訳ではありません。みのもんたの様にズバッと言うと、警察官にウンザリとするのです。

 救急隊から連絡が入ると、交通事故専用カルテ(健康保険が使えないので、一般傷病の場合と区別されます)と基本票(処方箋)を作製して、救急車の到着を待ちます。
 救急隊が到着すると、レントゲンを撮ったり、CT(コンピューター断層撮影装置)の撮影を行ったり、受傷部位への処置が行われたりします。
 一般の受傷患者さんの場合は、これで入院の必要が無ければ、お会計をして帰ってもらう所ですが、交通事故の場合は、そうは行きません。
 患者さんの治療中、あるいは治療が終わる頃になると、必ず病院に電話が入ります。
「あ、もしもし、○○警察ですがね、そちらに交通事故で搬送された、△△さん、いらっしゃいますよね」
「ええ、現在治療中ですね」
「我々が到着するまで、そちらで待っているように伝えて頂けますか?」
「…嫌です」
 と答えたいのだが、中々そうは言えない。
「分かりました」
 と答え、事故の被害者である△△さんにその旨を伝えに行く。
「…ここで待っていればイイんですか?」
 大概の人は、事故による軽い精神的なショック状態なので、この警察の申し入れを素直に受け入れる。
 それから程なくすると、今度は事故の加害者が現れる。
「本当に申し訳ありませんでした」
「・・・」
 非常に重い空気が待合ロビーに流れる事になる。
「ふざけんじゃねぇ!手前のせいでこんな怪我をしちまったんじゃねぇか!」
「あんたが、いきなり飛び出して来るからだろう!」
 なんて怒鳴り合いは、幸いにも見たことが無い。これは加害者も被害者も、一種のショック状態なので、自分たちの現状を完全には把握しきれていないのが原因だろう。
 被害者と加害者、そして駆けつけたそれぞれの家族や知り合いが集う、非常に気まずい待合ロビー。

 それから三十分後(場合によっては一時間後)、ようやく警察官が病院に現れる。
「えーと、△△さんですね?」
「…はい」
「それから、□□さんは…」
「あ、はい、私です」
「ああ、はいはい。じゃあね、まず最初に△△さんのお話を聞きますから、□□さんは、ちょっとあちらの方に離れていてもらってもいいですか?」
「はい、分かりました」
 被害者の△△さんが、深夜一時に搬送されてからすでに一時間半が経過している。
「はいはぁい、なるほどね、で、△△さんの車が、直進しようとしたところに、相手の車が突っ込んで来た訳ですね」
「ええ、で、その時にぃ…」
 延々と警察官は、被害者の△△さんから事情を聴取している。
「もう帰ってよ…」
 すでに時刻は深夜三時…。警察官と事故当事者が全員帰らなければ、私が宿直室で寝ることも出来ない。
 ちなみにこの病院の目と鼻の先(ドアtoドアで徒歩二分)には、この地域を統括する大きな警察署がある。だが、警察官たちは必ず病院のロビーで、事情聴取を行う。理由は、『管轄が違うから』&『手っ取り早いから』です。季節を問わずエアコンの効いている(厳密には、患者さんが来るから点けるだけのこと)待合ロビーは、彼らにとって非常に好都合な事情聴取場所なのです。
 病院側としても、患者さんがそこに居る以上、
「出て行って下さい!」
 なんて言えません。

 この日、病院にやって来た警察官は、待合ロビーで取調べを行うだけでは済みませんでした。いきなり物凄い事を言い出します。
「すみません!」
「あー、ちょっと、こちらの△△さんの診断書を出してあげてもらえますか?」
「は?」
 いきなり警察官と被害者が、セットになって詰め寄って来ます。
「人身事故の届けを出したいので、診断書を下さい!」
 △△さんもさらに詰め寄って来ます。
 ちなみに、人身事故の届出は、当日でなくても大丈夫です。常識的には、一週間から十日以内に診断書を持参して、事故を取り扱った警察署に出向けば、物損事故から人身事故に切り替えられます。従って、当日に無理やり人身事故として届け出る必要性は、一切ありません。
「あの、診断書は当日にはお出し出来ないんです」
「そうなんですか?」
「君、先生がいらっしゃるんだから、診断書は出せるでしょう」
 警察官がさらに詰め寄ります。

 診断書を当日に出さない理由は、いくつかあります。
 一つは、夜間救急においては、医師の絶対数が少ない為に、診断書なんて物をじっくりと書いている時間がないからです。
 次から次へと患者さんが押寄せて来る中、患者さんのカルテをじっくりと見て、文章に気を遣い、患者さんに不利益の無いように、きちんと診断書を書き上げる。そんな時間は夜間に勤務している医師には、基本的にはありません。
 もう一つは、診療科の違いです。夜間救急の場合、多少診療科が異なっていても、医師は診られる範囲なら診ます。内科の医師でもナート(針と糸で傷口を縫合すること)まで行う人もいますし、外科の医師でも簡単な内科治療なら行います。しかし、それらはあくまでも緊急的な処置であって、本来は翌日にでも自分の症状と整合した診療科を、きちんと受診するのが望ましいのです。そういう理由もあって、時間外診療では、薬も一日分しか出ていません。
 夜間救急で受診してすぐに診断書を求めるということは、本来、その担当科ではない医師が診断書を書くという事になる場合が多いのです。それは、後々患者さんにとって、大きな不利益を被る場合もあるのです。
 ちなみに、昼間、通常の診察をしている医師に、
「すぐに診断書を下さい」
 と言っても、それも難しいです。患者さんはあなた一人では無く、待合ロビーで座っている大勢の患者さんを、どんどん診て行かないと診察が終わりません。診察が終わって、医師に時間の余裕が出来た時、初めて医師は診断書を書き上げるのです。

 さて、警察官と△△さんに詰め寄られた私は、医師に内線で相談します。
「分かってるだろう、診断書は当日には出ないんだよ」
 医師は非常に不機嫌です。
「警察官と一緒になって、食い下がってますけど…」
「△△さんは、首(軽いムチ打ち症)なんだから、本当は明日、整形外科を受診するべきなんだよ。俺は外科の医師だけど、それでも診断書が必要なのかどうか、確認してくれ。それでも良きゃ、書いてやる」
 私は仕方なく、△△さんに確認をします。
「あの、△△さんの症状ですと、本来は整形外科を受診されて、整形外科の医師に診断書を書いてもらうのが最良だと思いますけど」
「それですと、今日は診断書をもらえないんですよね」
「…ええ、そうですね」
 △△さんは、当日に診断書をもらう事に異様な執着心を見せます。
「外科の医師の診断書になりますけど、本当によろしいですか?専門外ですよ?」
「ええ、すぐに頂けるんでしたら、お願いします」
 もはや何を言っても無駄なようなので、内線で医師に依頼をします。
「診断書の用紙を持って来てくれ…」
 三十分後、ようやく外科の医師が診断書を書き上げました。
「こちらが診断書になります」
 頼まれたコピーも一緒にして、△△さんに手渡します。
 早朝四時半、これでようやく全員が病院の待合ロビーから居なくなりました。すでに私にはほとんど睡眠時間が残されていません。
「はぁ…」
 異様な疲労感が漂います。

 △△さんは、恐らくは警察官に、
「すぐに人身事故の届けを出した方が良い、人身事故の届けを出すには、診断書が必要だ。従ってすぐに診断書をもらった方が良い!」
 と吹き込まれたのでしょう。一度物損事故で届出をした後、後日人身事故で届けを出されると、警察官にとっては二度手間になるので、最初から人身事故として診断書を出すように言われたのだと思います。でなければ、警察官まで一緒になって、
「診断書を出せ!」
 なんて、病院側に詰め寄りません。
 これにより△△さんは、当日に診断書を得ることが出来ましたが、同時に大きなデメリットも手にすることになりました。それは、首のムチ打ち症というのは、むしろ当日ではなく、翌日以降に症状が出る場合が多いからです。
「じゃあ、再度整形外科の診察を受け、新しい診断書を出せば良いじゃないか」
 と思うかもしれませんが、それは甘い考えです。
 以前、私が損害保険の取扱業務を行っていた経験からすると、最初の診断書、つまり人身事故として届け出た時の診断書は、非常に大きな効力を発生させます。
 後にこの事故により、首周りの後遺症が発生した場合、保険会社はこの最初の診断書を保険金支払いの算定における、大きな判断基準としてしまいます。診断書とは、そういう意味でも、非常に大切な物なのです。
 本来△△さんは、翌日に整形外科を受診し、数日間首の様子を見て、違和感があるようなら治療を開始し、その上で診断書を書いてもらっても十分間に合ったのです。もちろん警察への届出も、それからで十分間に合います。

 何でもかんでも早ければ良いという物ではありません。

 もしも交通事故にあった場合、自分の都合しか考えていない警察官にそそのかされない様、十分に注意しましょう。

ショボい巨塔(その5)

2008-12-24 11:39:49 | 病院
 救急車で搬送される必要の無い人たちは、私の直感で、なんと言っても八割もいますので、まだまだたくさん紹介します。

 世の中には、病院を愛している人がいます。
 どのくらい愛しているかというと、経営者よりも愛しています。もう好きで好きで仕方がありません。
 どのくらい好きかというと、24時間病院にいたくて仕方が無いのです。
 えー、つまり入院したい人ですね。

「入院の予約をしたいんやけど…」
 夜になるとこんな電話が掛かって来ます。
「ほーう、いつから病院はホテルみたいに予約出来るようになったんだ!?」
 私は心の中で思いますが、口には出しません。
「申し訳ありませんが、入院に予約制はございません」
「なに?じゃあどうやったら入院させてもらえるんや?」
「・・・」
 どうやったらも糞もありません。入院とは、したい人がするのではなく、『入院治療が必要な人』が入院するのです。入院治療が必要かどうかは、当然医師が判断します。
「医師の診察を受けて頂いて、その上で医師が必要と判断をすれば、入院となります」
「じゃ、じゃあ、診察を受ければ入院出来るんやなっ!」
「・・・」
 根本的に日本語が通じません。いや、通じないと言うよりも、自分にとって都合の良い部分を、掻い摘んで脳内にインプットしているようです。
「ですから、入院が必要かどうかは、『医師』が判断しますので、診察を受けたからと言って、必ず入院できる訳ではありません」
「そ、そうなんか…。なんとか先生に頼んでもらえんやろか?」
「…えーと、何をですかねぇ…」
 分かっていても、わざと訊きます。
「そりゃ、入院出来るようにやわ」
「…出来ません」
 そもそもこういう人は、治療が受けたいのか、それとも単に病院に泊まりたいのか、もうその辺からしてあやふやです。私が勝手に推測すると、単純に淋しいのと、自分の健康に自信が持てないので、誰かに側に居てもらいたいのだと思います。
「そうなんか、もうええわ…」
 その年配の男性は、渋々ながらも納得をすると電話を切りました。

 三十分後、救急隊から連絡が入ります。
「65歳、男性の方、胸が苦しいと言うことで、そちらへの搬送を希望されています!」
 何となく嫌な予感がしますが、ここはそういう先入観で判断する事は許されません。
「はい、受け入れます!」
 医師に確認を取ると、救急車を受け入れる準備をします。私は救急車が到着するまでにカルテと基本票を準備し、看護師さんは救急外来の電気を点け、必要になりそうな道具を準備します。
 程なくして、医師も当直室から下りて来て、救急車が病院の前に到着します。
「ガラガラガラガラ…」
 三人の救急隊員によって、ストレッチャーが救急外来室に運び込まれ、患者さんはすぐに病院のストレッチャーに移し変えられます。
「○○さん、気分はどう?胸がどういう風に苦しいの?」
 医師が声を掛けます。看護師はすぐに血圧とSpO2(動脈血酸素飽和度)を測定します。
「先生、もう苦しくて苦しくて、入院させてもらえやんやろか?」
「!!」
 この人はもしかして、いや、やっぱり電話の年配男性だ…。と、言う事は、この胸の苦しいのも…。

「○○さん、保険証はお持ちですかね?」
 治療らしき(本当は急病じゃないからね…)行為が一段落すると、保険証の有無を確認します。
「そこの、白いバッグの中に入っとるわ…」
 救急隊がストレッチャーと一緒に運んで来た、やけに表面が埃っぽいバッグを、本人の了承の下に開けます。
「ジジジ、ジジ…」
 すべりの悪いチャックをスライドさせると、荷物の一番上にきちんと保険証が置かれています。
「・・・」
 保険証の下には、着替えの下着と、歯ブラシセット、小さなポーチが入っています。私は看護師さんに目配せをすると、看護師さんも中を覗き込みます。
「・・・」
 二人で声を出さずに、苦笑いをします。

 本来救急車とは、『救急患者』が乗るべき車です。ご自身の手で入院の準備を万全に行えるような人の事を、果たして『救急患者』と呼んでも良いのでしょうか?

「○○さん、症状的には大したことは無いから、念の為に点滴はするけど、今夜は帰ってもらうからね」
 医師も当然ながらプロです。仮病かどうかはすぐに見抜けます。
「先生、なんとか入院できまへんやろか?」
「入院するべき症状は見当たりませんから、無理ですね」
「・・・」

 点滴が終了すると、その男性は病院内の公衆電話からあちこちへ電話を始めました。
「入院させて欲しいんやけど…」
 同じセリフを繰り返しています。しばらくすると、男性は受付にやって来ました。
「救急車を呼んでくれるか?」
「は?」
「△△病院まで行きたいんや、救急車を呼んでくれ!」
「・・・」
 もはや救急車は、この男性の中では無料タクシーと化しています。
「こちらから救急車を呼ぶ事は出来ませんけど、お電話ならお貸ししますよ」
 私はコードレスの受話器を、外線発信状態にして男性に手渡した。
「いち、いち、きゅっと…」
 男性はブツブツと言いながら救急車を呼び始める。
 十五分後、サイレンをかなり手前で停止させた救急車が、病院の前に停車する。
 ムッとした救急隊員が、病院の中に入って来る。
「△△病院がな、診てくれるそうなんや、頼むわ…」
 男性と救急車は、ここからかなり離れた△△病院を目指して、夜の幹線道路に消えて行ったのだった。

 果たしてあの男性は入院できたのだろうか?

 ちなみに、この年配男性の為に、貴重な医療費と税金が無駄遣いされていることは、言うまでも無い…。

ショボい巨塔(その4)

2008-12-23 10:12:26 | 病院
 今回は救急車のお話です。
 そうです、けたたましいサイレンを鳴らし、LEDの赤色フラッシュをビカビカとさせながら、時に、
「ハイ、緊急車輌が通ります!」
 と赤信号の交差点を突き切って行く『連邦の白い奴(連邦は関係ありません…)』、そう、あいつの話です。

 皆さんがご存知の通り、救急車は『急病患者』や、事故等で負傷した『受傷患者』を医療機関まで運ぶのが、主なお仕事です。
 そうは言っても、コンビニ受診が大人気な今日この頃、
「ええっ…?何故にキミは救急車でやって来たの?」
 と言うような人や、
「おいおい、それは本当に救急車を使わなければならない病気、怪我なのか?」
 と言うような人たちが、ゴロゴロといます。どのくらいゴロゴロといるかと言うと、やっぱり八割は救急車を呼ぶ必要が無い人たちが、救急車を利用しています。
 内訳としては、本当に治療が必要な『急病患者』が一割、交通事故等で治療が必要な『受傷患者』が一割、残りの八割は…。
 
 では、私がアルバイトをしている病院に運び込まれた、残りの八割の『救急患者』の人たちの一例をご紹介しましょう。

 まずは小学生の男子から。
 とある健康ランド(入浴や食事が出来、小さなゲームコーナーなんかもある施設)から救急搬送されて来ました。
 主訴(病状の主たる症状、通常は『激しい腹痛』とか)は、
「鼻にBB弾(エアガンで弾丸として使用される、直径6mmの樹脂製の玉)が入って取れない」
 です。
 なんじゃそりゃ?しかも同乗して来たのは、おばあちゃんが一人です。
「えーっと、ご両親は?」
「健康ランドに居ます」
「後からいらっしゃるのですか?」
「いえ、二人ともお酒を飲んでしまったので、車には乗れません。ですから、来ません」
「はぁ…」
 子供を救急車で搬送しておいて、自分たちは健康ランドで酒を呑んでいます。まあ、百歩譲って飲酒運転をしないのは良しとしても、やはり救急車に同乗して来るのは父親か母親の役目じゃないのか?
 さて、主訴である鼻の取れないBB弾ですが、普通に考えれば、よほど深くに押し込まなければ、片方の鼻の穴を押さえて、
「ふんっ!」
 とやれば取れるんじゃないのか?と思いますが…。
「ハイ、取れました」
 光速よりも速く、看護師さんがカルテを持って帰って来ます。
「もう終了?」
「うん、先生が『片方の鼻を押さえて、フンッてやってごらん?』って言ったの。で、取れました…」
「・・・」
 カルテには、鼻から取れたBB弾がセロテープで貼り付けてあります。

 それを見て、私はふと思い出しました。小学生の頃、友人宅に七、八人が集まり、銀玉鉄砲(昭和40年代、小学生男児の間で非常に流行った遊戯銃。バネの力を利用し、ストライカー(U字型の部品)で銀玉を撃ち出す方式。弾は直径5mm程度で、石膏や紙粘土を丸めた物に、銀色の塗装がしてあった。今のエアガンとは比較にならないほど非力で、比較的安全な玩具だったと言える)で、撃ち合いをして遊んでいたことがありました。
「!?」
 ほんの偶然だったのですが、床に散らばった銀玉の上で転がっていると、私の耳の穴の中に、すっぽりと銀玉が入り込んでしまいました。かなり焦りましたが、友人に頼んで、耳掻きで銀玉を取り出してもらった記憶があります。
 まあ、今にして思えば、耳鼻科に行って取ってもらえば良かったのかも知れませんが、この当時の子供たちには、
「とりあえあず自分たちでなんとかしてみる」
 という気持ちがありました。ましてそんな事で救急車を呼ばれたら、即、
「銀玉が耳に入った程度で救急車を呼ぶ、軟弱な奴」
 扱いでした。

 それが現在では、片方の鼻にBB弾が詰まった程度で救急車です。
 はっきりと言えば、この小学生、自分で鼻の穴にBB弾を詰めて遊んでいたのでしょう。これは良くある話ですが、こんなことで救急車を呼ぶ事が恥ずかしくない、親のその神経が理解できません。この間にこの地域で事故や急病人が発生した場合、救急車は他の消防署から出動する事もあり得ます。当然、到着時間は遅れます。
 この小学生に窒息死する危険性があるのならまだしも、通常の健康な児童の場合、片方の鼻の穴が詰まった程度では絶対に死にません。それよりも酷い、両鼻が完全に詰まっている蓄膿症の人だって、いくらでもいらっしゃいます。

 この小学生とおばあちゃんは、最終的にタクシーを呼んで『健康ランド』に、そうです、『健康ランド』に帰って行きました。
「おいおい、自宅に帰らないのかよ…」
 つまりそれは、健康ランドにこの家族が車で来ていることを意味します(そもそもこの健康ランドの客は、車で来る人が99パーセントだと思われます)。歩けるほど自宅が近所にあるのなら、一度自宅に帰り、自宅から救急車を呼ぶのが普通の行動です。わざわざ健康ランドに救急車を呼びつける理由、それは自分たちの家がそこから離れていることを意味します。この小学生の両親は、最終的には飲酒運転で自宅に帰るのでしょう。

 飲酒運転で病院に来る事を防ぐために(自宅には飲酒運転で帰るけど)、救急車を呼ぶ。うん、正しい救急車の使い方ですな。

 いや、違うな、医療費と税金の完全なる無駄遣いだな…。


 

ショボい巨塔(その3)

2008-12-22 14:37:36 | 病院
 さて、特にこの季節は深夜、早朝を問わず、患者さんが診察を希望されます。

 だからさ、昼間病院に行ったらどうでしょうか…。だけど、仮に患者さんにそう言ったとすると、必ずこう答えるだろう。
「昼間は仕事なんだよ!」
 極論を言うと、だったら諦めれば良いと思います。
 昼間仕事をする気力と体力があるのなら、帰りにドラッグストアで風邪薬を買って帰り、大人しく家で寝ていれば良いと思います。
 診察時間が終わった病院は、急病患者にのみ対応しています。これはどこの病院も同じです。深夜に電話を掛けて病院に行き、わざわざ医師や看護師を酷使する必要はありません。
 特に日本人は『仕事』という単語を使うと、何でも許されると思っている人が多いです。
 常識的に考えれば、病気になったのなら、会社に事情を話して遅刻をするなり、早退をするなりして、病院の診療時間内に、普通に受診すれば良いことだと思います。

「病院?我が社の現在の厳しい状況の中で、そんな甘えた事が許されると思っているのか!」
 とおっしゃる社長や上司が居るのなら、それはそんな会社が悪いのです。そして病気の時に病院にも行けない会社を選択したのは、ご本人様です。その『ツケ』を病院に持ち込むのはいかがなものでしょうか…。
 もちろん命に関わる急病などは例外ですが、ドラッグストアの市販薬で治る程度の病気でしたら、病院に行く事が出来ない『ツケ』は、自力で払ってはいかがでしょうか?

「俺が抜けた穴を誰が埋めるんだ!」
 そうおっしゃる燃える仕事人もいる事でしょう。でも安心して下さい。例えあなたが倒れても、いきなり交通事故で亡くなっても、会社は必ず代役を立てて、あなたがやっていた仕事を続けて行きます。本来組織とは、そういう機能を持っているから組織なのです。
 もしそれでもあなたが仕事に固執するのなら、それはあなたが会社での地位や立場、肩書を守りたいからでしょう。そのために昼間の時間を使い切るのは、もちろん個人の自由ですが、そこには『病院には行けない』という『リスク』が発生します。
 しかし仕事人たちは深夜の仕事帰り、薬をもらうために、何の連絡も無しにスーツ姿や作業着姿で病院にやって来ます。そうです、自分が被ったはずの『リスク』を病院に押し付けるために、無表情を装って受付を済ませ、診察室の椅子にふてくされて座ります。
 もちろん命に関わる急病などは例外ですが、ドラッグストアの市販薬で治る程度の病気でしたら、病院に行く事が出来ない『リスク』は、自力で被ってはいかがでしょうか?

「課長に前から同行するように言われているんです!」
 カワイイ部下かもしれませんが、上司が健康体な場合、風邪やインフルエンザに感染した部下など、例え一分でも同じ空気を吸いたくは無いはずです。
「おお、風邪だけど頑張ってるな!」
 と表面上は言いますが、本音では、
「おいおい、他の部下にうつすなよ、出来れば早く帰ってくれ!」
 と思っています。これは、年末や決算期等の忙しい時期ほどそう思われています。つまり上司は忙しい時期ほど、
「風邪を引いた人間には消えてもらいたい」
 と思っています。だから安心して休んで下さい。風邪を引いた時点で、あなたは戦力外です。有給を取って、昼間の暖かい時間に病院へ行って下さい。

 つまり、昼間病院に行けないのは会社や本人の問題であり、夕方までしか診療を行っていない病院の責任ではありません。
 そして病院という所は、何故か深夜、早朝でも、やってて当然!と思われています。
 確かに当直の医師はいます。しかしそれは、本来は入院患者さんの為にいるのです。容態が急変した場合、即座に対応しなければならないから、医師がいるのです。
 間違っても、次から次へと押寄せて来る、コンビニ受診の為にスタンバっている訳ではありません。

 考えても見て下さい。
 仮にあなたがクリーニング屋の雇われ店長だとしましょう。お店に住み込んでいるあなたは、毎晩叩き起こされます。
「昼間は仕事で服を取りに来れなかったんだよ!」
 とか、
「急に寒くなったんで、コートを受け取りに来ました」
 とか、そんな客が毎晩来て、深夜、早朝に関わらずあなたを叩き起こすのです。
「なんて理不尽なお客さんなんだ!」
 きっとそう思うはずです。
 でも、
「急に祖父が亡くなりまして、お願いしてある喪服を、こんな時間ですが出してもらえないでしょうか?」
 と言われれば、
「実は今日の夕方、仕上がったばかりなんですよ」
 と、嫌な顔をせずに、お客さんに応対すると思います。

 医療現場では、ほぼ全員がそんな気持ちになっています。毎晩やって来るのは『コンビニ受診』の患者が九割以上。これでは医療関係者はどんどん疲弊して行きます。
 病院は、その地域に住む人たちが、いざという時に運び込まれる場所です。いたずらに医療現場を疲弊させれば、そのツケは必ず自分たちに返って来ます。

 深夜、早朝に病院に電話をする前に、いきなり押しかける前に、本当に今、その必要性があるのかどうかを、再度確認してみてはいかがでしょか…。