どんぴ帳

チョモランマな内容

はくりんちゅ197

2008-05-31 10:18:15 | 剥離人
 渡が、民家の側で工事をやることになりそうだと言い出し、私は困惑していた。

 いったいどういう状況で工事を行うことになるのか、それが問題だった。
 通常、発電所やプラントは、そうそう民家の近くに在ることは無い。そういう施設は工業地帯や、人里はなれた海岸沿いにあるのが相場である。

「民家の近くって、一体何の工事ですか?」
 渡は私の困惑した表情を気にせず、ソファーにもたれかかったまま答えた。
「A用水の『すいかんきょう』や」
「すいかんきょう?」
「よく川の上にあるやろ」
「ああ、あの『水管橋』ですか?」
「そうや、それや」
 渡はようやく私に話が通じたので、笑っている。
「え?でも外面の塗装ですよね」
「いや、内面やわ」
「内面?水管橋なんて直径500ミリとか、せいぜい1,000ミリ程度ですよね」
 渡はニヤニヤとすると、首を横に振った。
「内径3,300ミリや」
「内径3.3メートル?そんなデカイのがあるんですか?」
「そうや、しかもお前、長さは200メートルや!」
「…200メートル?」
「やりがいがあるやろ」
「えーと、直径×3×200は…、約2,000平方メートルってところですね」
「ウチにピッタリの仕事やろ」
「まあ、そうですね。もちろんガンですよね」
「いや、先方はロボットでの作業をご希望や」
「ろ、ロボット!?いや、ちょっと待って下さい、水管橋ですよね、しかも外面ならともかく、内面ですよね」
「そうや」
「どうやってワイヤーを取ればいいんだ?」
「オートテンションウインチとか言うのは使えんのか?」
 私はテーブルにA4用紙を一枚置くと、渡に『オートテンションウインチ』の構造を説明した。

 オートテンションウインチは、ロボットの動きに合わせて、地上に置いた二つのウインチが、転落防止用ワイヤーを、自動で送り出したり、巻いたりする装置だ。
 ワイヤーは、ロボットが移動する最上部近くに設置した滑車を経由し、たるみが出ないように調節される。万が一、ロボットのバキュームの負圧がブレイクした場合(ロボットはバキュームの吸い込み負圧により、吸盤で貼り付く構造になっている)、オートテンションウインチのワイヤーが瞬時にロックされ、高価なロボットが落下して損傷するのを防ぐ仕組みになっている。
 ロボットに天井を剥離させる場合は、ワイヤーをロボットの前後に設置し、やはり転落を防止する仕組みだ。

「つまりなんや、内径3,300ミリの管内ではオートテンションウインチは使えんという訳か」
「ええ、不可能では無いですけど、作業効率から考えると、とても現実的とは思えませんよ。それにウインチ用制御盤の追加が必要になりますし…」
 R社のロボットは、制御盤とコントローラーはオートテンションウインチに対応していたが、ウインチ本体とウインチ用制御盤は、まだ購入していなかった。
「金を掛けてウインチを買っても、現実的にはあんまり使えんという訳か…」
「ええ」
 私は少し考え、もっとも現実的な意見を出した。
「常務、先方にお願いして、ガンでやらせてもらいましょうよ」
 渡は渋い顔をして、首を左右に振った。
「ガンじゃ駄目なんやわ」
「駄目な理由があるんですか?」
「そうや」

 渡は、なぜガン作業が出来ないのかを、私に説明し始めた。

はくりんちゅ(画像編14)

2008-05-30 00:10:36 | 剥離人

 さて、沈殿した水中浮遊物はどうするかと言うと、


沈殿槽の最下部から、汚泥引き抜きポンプで抜き取り、攪拌しながら、


フィルタープレス(脱水機)に打ち込みます。


フィルター板の間に、固形物のみが蓄積されて行きます。搾り出されたお水は、もう一度、受水槽へ送られます。
 ちなみにこのフィルタープレスという装置、日本酒を絞る時にも使用されることがあります。

そしてこれがこの水処理装置『WRS-1440(木田の命名)』の実力です。

左:ろ過前のゴム汁  右:ろ過後の清水
 公共下水道への放流基準を完全にクリアしています。
 もちろんM県K郡K町の正式な許可を得て、下水道へ放流しています。

 水処理装置を作った新垣氏曰く、
「木田さん、水質的には飲んでも全然問題ないですよ!」
 とのことでしたが、さすがに飲む気は、一ミリも起きませんでした。 


はくりんちゅ(画像編13)

2008-05-29 05:11:06 | 剥離人

 さて、剥離で発生した汚水は、R社が特注したオリジナル水処理装置が綺麗にします。


受水槽。汚水が入ります。


凝集反応槽。まずは攪拌しながらpH(ペーハー:水素イオン指数、酸性とかアルカリ性のこと)を調整します。
 ※中央の透明なパイプの先に、pH測定用ガラス電極があり、パイプの中はpH7の溶液が入っています。


PAC(ポリ塩化アルミニウム)やポリマー(高分子凝集剤)を滴下して、水中の細かい浮遊物を大きな塊にします。


沈殿槽。真ん中の波板は『越流板(えつりゅうばん)』。
 水中浮遊物のほとんどは、ここで沈殿します。


ろ過原水槽。沈殿槽から越流した水は、この油分を吸収するフィルターを通り、


砂ろ過塔と、さらに活性炭吸着塔を通ります。
 可搬型の水処理装置で、ここまでやっている業者は、ほとんどいないと思われます。


放流槽。この段階で、汚水は綺麗で透き通ったお水になっています。



はくりんちゅ(画像編12)

2008-05-28 05:00:19 | 剥離人

 お仕事完了の図。


綺麗にライニングを剥がされたでんでん虫。


すり鉢も完了。
 バーナーで炙って剥離を行うと、外側の塗装も全てやり直しですが、ウォータージェットなら、塗装はほぼ無傷です。


素材が錆びない物(ステンレス等)は、


そのままライニングの工程に入れます。
 ※アンカーパターン(梨地に荒らした表面)がそのまま再利用できる為


はくりんちゅ(画像編11)

2008-05-27 04:58:30 | 剥離人

 Y県ST共同火力発電所から送られて来た『でんでん虫』の皆さん。


全部で三匹!内面は軟質ゴムライニングで覆われています。


一匹の重量は3トン。後の装置は水処理ユニット。


でんでん虫はこんな大きさです。


超高圧水のミストを噴き上げるでんでん虫。


おまけの『すり鉢』も剥がします。
 もう、まわりはベチョベチョで、ゴムの破片は工場中に飛び散っています。


はくりんちゅ196(M資源公団水管橋・前編スタート!)

2008-05-26 04:07:56 | 剥離人
 Y県から戻って一ヵ月後、私は渡から本社へ呼び出された。

「おうおう、よう来たの」 
 渡はいつもの様に応接室を指差し、自分用の灰皿を手に持って歩き始めた。
「どうでっか、調子は?」
「まあ、結構暇ですね」
「わははは、そうでっか」
「ええ…」
 渡は応接室のソファにゆったりと座ると、ゆっくりとした動作でタバコに火を点けた。
「健康に悪いですよ」
「わははは、お前までそういうことを言うなぁ!そうでなくても家では小さくなって吸ってとるんやで」
 渡と私は、声を出して大笑いをした。
「で、どうや、工場で作業は出来そうか?」
「いやぁ、無理だと思いますよ」
 私は二週間前の事を思い出していた。

 Y県のST共同火力発電所から戻って二週間後、そのY県から一台の10トン車がやって来た。
「木田さん、この『でんでん虫』は何?」
「ああ、ポンプのケーシングですよ」
 私はハルに荷物の説明をした。
「木田君、この内側の軟質ゴムライニングを、全部剥がせばイイんだね」
 小磯が天井クレーンを操作して、重量3トンの巨大でんでん虫をトラックから下ろす。
「トラックの帰り便は、二日後だそうです。早速やりましょう!」
 私はハスキーのエンジンを掛け、小磯とハルにガン撃ち作業を始めさせたのだった。
 二時間後、工場の敷地前に数人の男女が立ち止まり、こちらを頻りに覗き込んでいる。彼らの両手は、しっかりと両耳を塞いでいる。そのただならぬ雰囲気に、私は彼らに近寄って見たのだった。
「あの、何か?」
 私は耳栓を耳から引き抜くと、年配の男性に話し掛けた。
「失礼ですが、この作業はこれからずっとやられるのですか?」
「いえ、いつもはしませんけど…」
「私はこの町の町内会長をしている武野と申します」
「あ、どうも」
 物凄い騒音の中、お互いに名刺を交換する。
「あの、こっちの表側は大きな鉄工所ですし、左隣は線路、右隣は塗装屋ですけど、一体どこから苦情が?」
 私は準工業地域のこの場所で、一体誰が苦情を言っているのかと思っていた。
「実はお宅の裏の家からなんです」
「裏?」
「ええ」
 私は武野の案内で、歩いた事のない道路を歩き、工場の裏手の個人宅の前まで連れて来られた。
「ここ、ですか?」
「ここです」
 それは工場の裏手から、畑を挟んだ反対側、一戸建ての住宅の前だった。

「で、音は凄かったんか?」
 渡は憮然とした表情で、事務員の松野が持って来たコーヒーを啜った。
「ええ、その個人宅まで、約五十メートルは離れているんですけど、凄いですよ」
「お?確か業者に測定させるって言わんかったか?」
「ええ、古谷建設の古谷さんの紹介で、資格を持った測定士に計測させましたよ。十万円ほど掛かりましたけど」
「まあ、それは必要経費や。それで結果は?」
「ポンプやガンの側は、100~110dB(デシベル:音の単位)ですね」
「110デシベル?それはどの位の音なんや?」
「まあ、例えるなら電車が通過する鉄橋の真下に居るような物ですね」
「鉄橋の真下か、そりゃ凄いな」
「ええ、しかも電車は通り過ぎますけど、ハスキーやガンは、そのまま音を出し続けますからね」
「えらい事やな、で、その民家の数値は?」
「凄いですよ、驚いたことに、敷地境界線で85dBもあったんですよ」
「そらぁ…あかんな」
「ええ、あきまへんわ」
「発電所の部品はどうしたんや?」
「二日で終わらせる条件で町内会長に頼み込んで、とりあえず今回は見逃してもらいました。でも次は…」
「無理やろな」
「ええ」
 渡は急に腕組みをしながら、考え込んだ。
「次の仕事の話が出とるんやけどな…」
「まさか!?」
「民家の側や…」
「それはちょっと…」

 だが渡の目つきは、一向に諦める気配が無かった。
 




はくりんちゅ195

2008-05-25 02:06:44 | 剥離人
 夜、指定された居酒屋に行くと、大きな広間に学生やOBがぞくぞくと集結していた。

 私は杉本を見つけると、杉本と同じ卓に座り、周りを見回した。
 各大学のOBたちは、広間の舞台に近い最前列の方の卓に集まってごちゃ混ぜに座っており、それより後は、各大学の学生たちが座り、ワイワイと騒がしい。
 周りを観察してぼーっとしていると、いきなり隣のおじさんにお酌をされる。
「あ、どうもありがとうございます」
 私はお返しにお酌をした。
「君はどこの大学なんだね?」
「M大のOBです」
「そうかね、私はN大だよ」
「そうですか」
「君もTMN戦は懐かしいだろう」
「…ええっと、実は僕は現役の時、TMN戦には一度も出ていないんですよ」
「ほう、それはどうしてなんだね?」
「基本的にTMN戦は自由参加なので、二年生の時はあんまり気乗りがしなかったので出ませんでした。三、四年生の時は忙しくて…」
「そうかい、じゃあOBになって初めて来た訳だ」
「ええ、まあ出張ついでですけど」
「いやいや、今夜ここに居る事が大切なんだよ、わははは!」
 すでにN大のOBは上機嫌になり始めている。

 私は再び学生時代の事を思い出していた。
 その頃の私は、自分のダンスのパートナーとは別に、付き合っている彼女が居た。普通は自分のダンスのパートナーと試合に出場すれば良かったのだが、TMN戦には特別なルールがあった。それはこの試合に限っては、自分の正式なパートナーと出場する必要は無く、だれと出場しても良かったのだ。
 これは大きな問題だった。なぜなら彼女とダンスのパートナーは、同じサークル且つ、同学年である。
 彼女と出場すればパートナーに角が立ち、パートナーと出場すれば彼女に角が立つ。
「TMN戦においても、自分の正式なパートナーと出場するべし!」
 と言われれば気も楽なのだが、そういう訳には行かない。
 結局私は、『出場しない』という、男として実に卑怯な結論を出していた。

 だがそんな話を、見も知らないN大のOBに話しても仕方が無く、私はやはりぼーっと自分のグラスを見つめていた。
 学生たちはそれなりに盛り上がり始め、ワイワイと楽しそうに男女を問わず話し込んでいる。自分が学生だった頃に比べると幾分大人しい感じで、和気あいあいとお酒を楽しんでいる。
 この酒宴の雰囲気は、自分が学生の頃に感じた物に近いのだが、今、この場に居るのは自分だけで、その頃のメンバーは誰も居ない。そのことが原因なのか、私はなんとも言えない不思議な淋しさを感じていた。

 その不思議な淋しさは最後まで消えることはなく、私は何となく夜のN市の街をふらふらと歩きながら、ゆっくりとホテルに戻ったのだった。

はくりんちゅ194

2008-05-24 00:53:46 | 剥離人
 午後一時から開始された1級土木施工管理技士実地試験だったが、私は二度も見直しをゆっくりとして、午後三時過ぎには教室を出てしまっていた。

 七月に終えていた学術試験から少し間が開いていたので、多少の不安はあったが、試験の出来は非常に良く、恐らく合格は間違いないだろうと、私は思った。
 
 現場が終わった開放感に、さらに試験が終わった開放感がプラスされ、私は上機嫌でキャンパスを歩き、N大学の体育館に向かった。
 体育館からは軽やかなダンス音楽が聞こえてくる。私は体育館の中に入ると、真っ直ぐに観客席に向かった。
 体育館の真ん中では、色鮮やかなドレスを着た大学生達が曲に合わせて踊っている。スローフォックストロット(流れる様な踊り、フォックストロットの意味は、キツネの小走り)だ。

「どーも、杉本OB」
 私はパイプ椅子が並べられた観客席に近寄り、一人の中年男性に挨拶をした。
「いやぁ、試験は終わったの」
「ええ、無事に」
「出来は?」
「たぶん合格だと思います」
「お、さすがだね」
 私に気付いた現役の学生が、立ち上がって席を譲ってくれた。
「ありがとう」
 私は杉本の隣に腰掛けた。
「いやぁ、君が昼前に現れた時には、驚いたよ」
「僕もびっくりしましたよ。Y県に仕事で来ていて、しかもN県には単なる資格試験を受けに来ただけですからね」
「それがN大学で、しかもその日が伝統のTMN戦なんだから、すごい偶然だね。いや、さすが舞踏研究部のOBだね」
 少し早めにN大学に到着していた私は、校内をフラフラと散歩していると、偶然、体育館で試合をしている我が母校の、しかも自分が所属していた舞踏研究部の後輩たちの姿を発見してしまったのだった。

 私が学生時代に所属していた舞踏研究部とは、『学生競技ダンス』という競技活動を中心とした社交ダンスを行う学生サークルのことだ。
 ここ、N大学で行われているのは、1962年から続くT大、M大、N大の三校で行う対抗戦のことだった。 
 杉本はM大学舞踏研究部のOBで、私が大学生の頃から、いや、それ以前からずっとM大舞研(通称:ぶけん)を見守っている熱心な人だった。
「ところで木田君、今夜の予定は?」
「いえ、特にありませんけど」
「N市に泊まるんだよね」
「ええ」
「じゃあ今夜の三校合同の打ち上げに参加したら?」
「え、いいんですかねぇ?」
「もちろん僕も参加するよ。それに君はれっきとしたOBじゃないか」
「まあ、そうですね。じゃあ参加しますよ」
 いつの間にか、フロアの学生たちの踊りは、派手なドレスのラテン競技、サンバに変わっている。

 私が大学を卒業して、すでに八年余りが経過していたが、私は思わず自分の学生時代をリアルに思い出していた。それは不思議な感覚で、現場仕事に追われて忘れていた、とても懐かしい感情だった。

はくりんちゅ193(管理技士試験編スタート!)

2008-05-23 03:14:53 | 剥離人
 日曜日、私はN県にあるN大学のキャンパスに居た。
 ここが『一級土木施工管理技士』試験の試験会場だ。

 去年は試験を完全に舐め切っていたので、失敗してしまったが、今年は何としても合格しなければならなかった。
 なぜなら、会社は私がこの資格を取ることに多大な期待を抱き、N建学院という資格取得学校にまで行かせてくれたからだ。これで落ちたら、私はまさに馬鹿全開を証明することになる。
 さすがに馬鹿全開を証明するのは嫌だったので、今年は真面目に勉強をし、N建学院の授業内小テストでは、常に上位をキープしていた。もちろん上位であることよりも、問題と回答をきちんと理解している事が重要である。

 私は指定された教室に入ると、試験に備えてトイレに小用を足しに行った。
「すみませーん、誰かいますか?」
 小用を足していると、何故かトイレの大用ブースから声を掛けられる。
「はぁ、何か?」
 ブース内の彼が何を望んでいるのかは九割九分想像出来るが、念の為に彼の要望を聞いてみる。万が一、カンニング用小型発信機の所持を頼まれたら、丁重に断らなければならない。
「あのぉ、紙が無くなってしまいまして、トイレットペーパーを取って頂けないでしょうか?」
 彼は、完全に予想通りの要望を、私に要求した。
「ああ、ちょっと待って下さいね…」
 私は別のブースを覗き込むが、どのブースにも予備のトイレットペーパーが置かれていない。少しだけ考えたが、目下困っている人を助けるのが最優先である。私は迷わず隣のブースから、一つしかないトイレットペーパーを取り外した。
「いいですか、ここから落としますよ」
「はい、お願いします」
 私はブースの上にトイレットペーパーをかざすと、真下に落下させた。
「あ、ありがとうございます!助かりました!」
 ブース内の彼は、心からの謝礼を私に述べた。
「いえいえ、気にしないで下さい」
 私はそう答えると洗面台に近寄り、手早く手を洗った。このまま長居をすると、尻を拭き終わった彼がブースから飛び出して来て、
「いやぁ、本当に助かりました!なんとお礼を言ったら良い物か!」
 などと言いながら、選挙期間中の市会議員が如く、洗っていない手で握手を求めて来るかも知れない。もしそうなったら、気の弱い私は、彼のワイルドな握手を断れないかもしれないからだ。
 
 足早にトイレを出ようとした時、隣のブースの、一つしかないトイレットペーパーを私が外してしまった事が、ふと気になった。
 だが、すぐに私は思い直した。もしもまた誰かがそのブースに入ってしまったら、きっと他の人に、
「すみませんが、トイレットペーパーを取って頂けないでしょうか?」
 と声を掛ける筈である。
「そうだよな、そこから人と人との温かいコミュニケーションが産まれるんだよな…」
 私は一人で納得をすると、爽やかな気持ちでトイレを後にした。

 自分の受験番号の席に戻ると、ふと大切な事に気付いた。
「その前に、トイレットペーパーがあるかどうか位、自分で確認しろよな…」
 そうなのだ、それこそが『一級土木施工管理技士』に求められる資質なのだ。
「むっ!?私がこの工程で作業を行った場合、排便後の工程ではトイレットペーパーが必要になる。つまりトイレットペーパーの残量確認を行う必要がある!」
 
 これこそが現場で求められる『真の管理能力』なのだと、私は気付いたのだった。

※ 本気にしないで下さい。
  間違っても(財)全国建設研修センターに問い合わせたりしないよーに。

はくりんちゅ192

2008-05-22 01:06:37 | 剥離人
 ハルは若干不機嫌だったが、私と小磯はこの宿を楽しんでいた。

「ハルさん、新品の卓上醤油と、新品のソースですよ」
 私は宿の奥さんからその二品を受け取ると、真っ先にハルに手渡した。
「ちゃあ、今度のは大丈夫なのぉ?」
 ハルは新品の醤油にも係わらず、慎重に醤油を注している。
「いやぁ、木田君、なかなか楽しませてくれるね、この宿は」
「はははは、まだまだこんな物じゃないですよ」
「がはははは!もう十分だよ」
 私の言葉は冗談のつもりだった。

 深夜二時過ぎ、またしても窓の外でけたたましいブザー音が鳴り出す。
「プーっ、プーっ、プーっ、プーっ、プーっ、プーっ、プーっ!」
 私は強制的に、浅い眠りから引きずり戻された。
「プーっ、プーっ、プーっ、プーっ、プーっ、プーっ、プーっ!」
 もう一箇所でも同じ音が鳴り出す。
 ハルの布団がゴソゴソと動く。
「ハルさん、起きてるの?」
 私はブザーに負けない様、普通の声で聞いてみた。
「眠れないよぉ…」
 ついでに小磯に声を掛ける。
「小磯さん!小磯さん!」
「・・・」
「小磯さぁん!」
「がははは!起きてるよ、起きてるぅ!眠れるわけ無いでしょ!大体、なんでこの辺の踏み切りは、あんなブザーの音なの?」
「いや、僕も初めて聴きましたよ、ブザー音の踏み切りなんて」
 その時、鉄のレールを振動させながら突き進んで来た列車が、窓の外の暗闇に飛び込んで来た。
「ガたンガドン、ガたンガドン、ガたンガドン、ガたンガドン、ガたンガドン…」
 この列車、ヘッドライトを装備している先頭車両以外は、何の照明も点いていない。
「ガたンガドン、ガたンガドン、ガたンガドン、ガたンガドン、ガたンガドン…」
 窓の外の薄暗闇の中を、四角い形状の物体とタンク形状の物体が、網戸を透かして右から左へ流れて行く。
「また貨物?」
 小磯が暗闇の中で叫ぶ。線路が窓から数メートルの位置なので、大声を出さないと声が聞こえない。
「この貨物、めちゃめちゃ長いですよ!」
「ガたンガドン、ガたンガドン、ガたンガドン、ガたンガドン、ガたンガドン…」
 冗談かと思うくらい、貨物列車の連結台数が多い。
「ガたンガドン、ガたンガドン、ガたンガドン、ガたンガドン、ガたンガドン…」
 列車の通過音に混じり、踏み切りのブザー音が聞こえて来る。
「プーっ、プーっ、プーっ、プーっ、プーっ、プーっ、プーっ!」
「ガたンガドン、ガたンガドン、ガたンガドン、ガたンガドン、ガたンガドン…」
「あー、もう木田さん、ハルちゃんは眠れなくておかしくなっちゃうよー!」
 ハルが叫んでいる。
「がはははは、うるせえぞハル!」
「うはははは、でもこれで何回目の貨物列車ですかね?」
「二回目?三回目?」
「ガたンガドン、ガたンガドン、ガたンガドン、ガたンガドン、ガたンガドン…」
「プーっ、プーっ、プーっ、プーっ、プーっ、プーっ、プーっ!」
「ガたンガドン、ガたンガドン、ガたンガドン、ガたンガドン、ガたンガドン…」
 ハルの就寝時間に付き合って夜の十時に寝たのだが、まさか二時間おきに、この長大編成の貨物列車に起こされるとは思いもしなかった。
「あーっ!あーっ!あーっ!眠れねぇー!」
「がはははは!」
「プーっ、プーっ、プーっ、プーっ、プーっ、プーっ、プーっ!」
「ガたンガドン、ガたンガドン、ガたンガドン、ガたンガドン、ガたンガドン…」
「木田さん、線路に飛び込んで来て!」
「あはははは!」
「プーっ、プーっ、プーっ、プーっ、プーっ、プーっ、プーっ!」
「ガたンガドン、ガたンガドン、ガたンガドン、ガたンガドン、ガたンガドン…」
 
 この夜、我々はほとんど満足に眠ることは出来なかった。