どんぴ帳

チョモランマな内容

はくりんちゅ38

2007-11-30 15:37:37 | 剥離人

 今日もメンテナンスコンテナには、樋口のオッサンが居る。

 アメリカに行った伊沢は、まだ帰ってこない。
 私にはたくさんの切実な問題があった。その中の一つが、機器のメンテナンスだ。今後は自分一人で現場に入り、自分一人で機器をメンテナンスしなければならない。だがこんなマニアックな機器のメンテナンス方法をレクチャーしてくれる人は、そうは居ない。
 もちろんF社のメカニック担当に聞けば良いのだが、佐藤は本来関西担当、三浦とは現在非常に険悪な関係である。営業の大澤ともしっくりと来ない。私に残された手段は、この現場である程度のメンテナンス手順を覚えてしまう事だった。
 
 そこで私は、他に用事が無ければ常にメンテナンスコンテナに張り付き、好きでもない樋口の後について回り、樋口の行動をつぶさに観察した。
「何でこんな仕事を始めたんだ?」
 樋口は作業台に装備してある大型の万力で、ガンの台座を固定しながら言った。
「別に私が始めた訳じゃ無いですよ。会社が勝手に始めたんで・・・」
 樋口は5(ファイブ)ジェットノズルをレンチで外すと、ブッシングに付いているグリスニップルを外し、ブッシングも抜き取った。ウェスで塗膜片まみれの汚れたグリスを拭い取る。
「じゃあ、前は何の仕事をしてたんだ」
「営業ですよ。建設現場を回って、注文を取って来るんです」
 樋口は六角レンチでガンの銃身部のカバーを外す。純正品の場合はこの場所はマイナスネジの筈だが、これもS社が改造したのだろう。
「工事の経験は?」
「無いことは無いです。でも手摺やちょっとした資材を取り付けるだけで、それも私はただ見ているだけでしたから」
「じゃあ、こんな現場に来るとキツイだろう」
「ええ、まあ・・・」
 銃身部は超高圧配管とスイベルと呼ばれる部品で構成され、その銃身部をエアモーターが回転させている。樋口は超高圧配管をばらすと、エアモーターとスイベルを繋ぐ黒いゴム製のベルトと二つのプーリーギヤを外した。
「大学は出ているのか?」
「ええ、一応」
 樋口はガンの台座を一度万力から外すと、今度は反対向きにして固定した。スイベル部のリング状の部品を外し、さらに中の金色の部品も外す。
「しかし大学まで卒業してこんな仕事とはなぁ、情け無い気持ちだろう」
「そうでも無いですけど」
 樋口は私の言葉を聞いて、変な表情でニヤリとした。
「そうか?こんな仕事、大卒がやる様な仕事じゃねえよ」
 樋口がこの仕事にあまり情熱を持ってい理由が、少し見えた気がした。樋口はエアモーターをガンの台座から外すと、今度はプラスチックハンマーを取り出した。
「で、R社の機械のメンテナンスは、これからはあんたがやるのか?」
「ええ、自動的にそうなります」
 樋口はプラスチックハンマーでスイベルを何度も叩くと、台座に付いている円筒形のケースから抜き取った。
「それ、交換するんですか?」
「おお、もうコイツは中のベアリングがダメになっているからな」
「これ、もらってもイイですか?」
 私は思わず樋口に言った。
「別に構わないけど、こんな物どうするんだ?」
 私は作業台の隅に置いてあった金属製の部品を手に取って言った。
「ウチもこれを作ります」
 それは超高圧水を射出するパーツの劣化度合いを確認する為の、S社オリジナルの検査器具だった。短い超高圧配管にステンレスのカプラー(雄)を溶接してある。ノズルにこのパーツを装着し、水道圧で水を通水すると、ノズルに装着されたジェット射出パーツの劣化度合いを判断することが出来た。
「でも自分の所で先端を切断して、カプラーに溶接なんか出来るのか?」
「大丈夫です。下請に馴染みの鉄工所が有りますから」
「そうか」
 樋口は納得すると、グリスでベタベタのスイベルを手渡してくれた。

 今の私には、どんなことでも貪欲に吸収して行くしか手段は無かった。 
 


はくりんちゅ37

2007-11-29 23:28:09 | 剥離人

 夕方、我々が仕事を終えて基地から帰ると、夜勤のチームが岸壁に現れる。そして翌朝、我々が岸壁にやって来る頃に帰って行く。

 今朝も我々の仕事は『捜し物』から始まる。
「木田さん、今日も延長コードがありません」
「こっちの照明もごっそり無くなっています」
 バラストタンクの中は大騒ぎだ。そもそもS社の下請の人間たちは、「モラルが欠落しているのでは?」と思わせる行動が多い。照明器具や延長コードなど、仕事に必要な機材を、昼勤のチームから奪い取って行く事が日常的に行なわれているのだ。
 こうなると大変だ。昼勤のチームは、何が無いのか、それがどこにあるのかを捜しに行かなければならない。
「延長コード、タンク最深部にありました!」
「照明器具、左舷のタンクで使われていました!」
 酷い場合は、エアホースさえも盗まれることがある。
「木田さん!俺のガン、ジェットが出ないんです」
 職人に言われ慌てて原因を探ると、ライン真ん中のエアホース、一本だけを盗まれていたりさえする。
 夜勤が始まって以来、スムーズに朝一から仕事に入れることはまず無かった。機材が完全に行方不明になることもある。そうすると朝からS社の事務所に車で機材を取りに行くことになる。それも一度や二度では無い。

 船の中には、足場、溶接、超高圧ジェット、ショットブラスト(鉄の球を撃ち付けて塗装を剥がす)、塗装など、大勢の人間が入り乱れて仕事をしている。油断をすれば、すぐに物が無くなる。モンキーレンチ一本でも油断ならない。タンクの入口に五分も置いておけば、すぐに無くなる。それを十五分かけて周辺を捜索し、発見しなければならない。とにかく非効率的な仕事の進め方なのだ。
 最早周りの人間が全て盗人に見える心境になり、こんな日々を過ごしていると、だんだん人間が荒んで来る。

 そんな時に、我がR社からまた一人気楽な見学者がやって来た。幸村部長、元はゼネコンのT建設で現場所長をやっていた人だ。
「木田君、どうもご苦労様!」
 やはり皆同じ様に、初めて入るB軍基地に興奮している。
「木田君、凄いね、これが空母かね!」
「強襲揚陸艦です」
 すでに単なる仕事場になってしまった私には、どうでも良いことだった。
 私にとって現在、R社の上司は全員裏切り者だった。何の現場経験も無い私を、無責任にもこんな現場にいきなり放り込んだからだ。
「木田君、さっそくガンを撃っている場所に案内してくれるかね」
 幸村は洗濯された綺麗な作業着を着て、わくわくしている。私はすでに三日洗濯していないドロドロの作業着で、幸村を案内した。
 
 船体内壁面に溶断して空けられた入口、これを上手に入るにはコツが必要だ。
 うつ伏せになり足から入り、その爪先を天井のビーム(梁)に引っ掛け、上体を引きずり込み、そして片足ずつを手前の壁面のビームに下ろし、最後に頭を入れる。かなりアクロバティックな動作が必要となるのだ。
 だが、このやり方を物見遊山で来た上司に教える必要は無い。先にタンクの中に入り、幸村の動きを見守る。
「こうか?あれ?こうか?」
 幸村は私の真似をして足から入るが、どこへ足を持って行っても置き場所が無い。すぐに溶断された入口に一番柔らかい腹部を載せて、宙ぶらりんになり、子供の様に足をバタつかせた。
「き、木田君、足が、いやお腹が!」
 少し笑える。だがやはり上司なので助けることにする。幸村の足を持って、手前壁面のビームに置いてやった。
「いや、こ、これは大変な入口だね」
 続いて職人のいるタンクに案内する。
「ブァアアアアン、バーボ、バーボ、バーボ、バシュゥウウウ!」
 複雑な金属壁に囲まれた空間は、高周波の音圧が狂ったように暴れている。幸村は顔を歪めて必死で耳を押さえる。もちろん私はきちんと耳栓をしている。
「す、凄い音だね」
 笑える。だがやはり上司なので助けることにする。幸村に新品の耳栓を差し出した。
「おお、助かるよ」
 幸村は慌てて耳栓を装着した。

 その夜、常務の渡から聞いていたのか、幸村は私を居酒屋に誘った。
 やはりイカ刺しを注文する。
「いやぁ、想像以上に物凄い現場だね」
 幸村は自分が居たどの現場よりも厳しい現場だと言い、いきなり自分の服を捲ってお腹を見せた。
「これ、見てよ」
 幸村のへその辺りには、真横に一本、紫色の線が走っていた。
「どうしたんですか?」
 あえて聞いてみた。
「いや、あの入口だよ。あれはいかんね!」
 かなり笑える。だがやはり上司なので同情することにした。
「そうですよね、私も最初はそうなりました」

 この日、私は『嘘も方便』という言葉を覚え、そして少しだけ反省した。
 


はくりんちゅ36

2007-11-28 23:56:36 | 剥離人

 三浦は組み上げたハスキーのエンジンを始動した。

 アイドリングを完了すると、一気に40,000psiまで圧力を掛ける。
「?」
 三浦の表情が変わる。見ると一旦安定したプレッシャーゲージの針が、徐々に下降して行く。
「36,000psi?」
 三浦は呟き、私に大声で聴いて来た。
「ECVのポッペトとシートは、いつ頃変えました?」
「二、三日前ですけど」
 私の答えを聞いた三浦は、再びポンプを見つめる。プランジャー部に手を添えると、指先で温度を確かめた。
「木田さん、ハスキーのエンジンを止めてください。ECVをチェックします」
 私は三浦の指示に従って、ハスキーのエンジンを停止した。

 三浦は、ばらしたECVのポペット・シートを観察し、続いてECVの中を覗き込んだ。
「割れてるなぁ・・・」
 三浦はブツブツと言うと、ECV本体をばらし始めた。
「何か問題がありました?」
「ええ、ちょっと」
 三浦は答えながらECVの前面金属板を外した。
「あ・・・」
 三浦が声を上げる。見ると、金属の棒が根元から折れていた。
「それは?」
「ECVプランジャーです。これが油圧でECVのポペット・シートにおける超高圧水の流量を調整しています」
 私は折れた金属棒をしげしげと眺めた。
「先端の金属部品も割れていますけど」
「ええ、それはたまにあるんですよ。でもプランジャー本体が完全に折れることは滅多に無いです」
 そう言うと三浦は、自分の部品箱から新品のECVプランジャーを取り出した。
「今回はウチの保証期間ということで、無償で交換しますね」

 ECVプランジャーの交換を終えたハスキーのエンジンを再び始動する。
 今度は圧力の低下は起こらない。ハイプレッシャーゲージの針は、きっちりと40,000psiを指したまま微動だにしない。
「中でガンを撃ちますか?」
 私は提案した。そうしなければECVの動作が正常かは判断できない。三浦も、
「そうしてもらえると助かります」
 と言ったので、一人でバラストタンクの中に入り、適当にトリガーを引いて岸壁に戻った。
「どうでしたか?」
「ECVの動作は正常です。大丈夫です」
 三浦の言葉に私も納得をして、この日の仕事を終えることにした。

 工具を片付け終わった三浦に、私は提案した。
「駅まで送りましょうか?」
 私の申し出に、体力がやや回復した三浦は眼光鋭く答えた。
「結構です。タクシーで帰ります」

 多分、三浦の個人的な意地だと思った。
 


はくりんちゅ35

2007-11-27 20:44:15 | 剥離人
 長さ1.5メートルの巨大トルクレンチを持って、F社の三浦は肩で息をしていた。

 三浦は次にナットで固定されていたステンレス製の部品を外す。とても片手で持てるような重量では無い。同じ様にステンレス製の円筒形の部品をいくつか引き抜くと、中からくすんだ乳白色のピストンが出て来た。
「これがこのポンプの心臓部、セラミック製のプランジャーです」
 三浦は私と目を合わせずに説明する。プランジャーの太さは人差指程度で、見えている長さは二十センチ程度、ポンプ本体のクランクケースから三本がニョッキリと飛び出していた。
 三浦は外した部品を目視でチェックする。
「とりあえずまだアワーメーターは85時間ですし、シールなどにも異常は見当たりませんね。ですが念のために部品を洗浄します」
 三浦はステンレスの部品から、樹脂製のシールなどを外し始めた。私も見よう見真似でやってみる。
「私がやりますので、いいですよ」
 三浦に軽く拒絶されるが、軽く無視する。

 三浦はS社から『アセトン』というシンナーよりも揮発性の高い溶剤を借りると、金属製の部品をそれで洗い出した。辺りには有機溶剤独特の臭気が広がる。なんだか胸焼けをしそうな臭いだ。
 三浦は部品を洗うと、今度はエアダスターで部品をエアブローし始めた。
「俺がやりますよ」
 私の申し出に三浦は一瞬考えたが、黙ってエアダスターを私に手渡した。
「その部分にある穴の中をしっかりとブローして下さい。その穴は冷却水の通り道です。そこがゴミで詰まると、プランジャーの冷却が上手く行かないんで」
「分かりました」
 私は頷いた。
 三浦は黙々と部品を洗浄し、私は黙々とエアブローする。二人で三十分かけて全ての部品を洗浄すると、今度は部品の組み付けだ。こればかりは私はまだ分からないので、黙って見学する。三浦はマニュアルを見るでもなく、樹脂製のシールにフードグリスを塗りながら部品を組みつけて行った。その間、会話らしい会話はほとんど無い。
 一時間後、とりあえずプランジャー部の部品は元の場所に収まった。だがまだボルトとナットが残っている。
「ふぅ!」
 三浦は小さくため息をつくと、五十センチくらいのトルクレンチを手に持った。
 
 トルクレンチとは、規定の締め付け力で均一にボルトやナットを締めるための、特殊なレンチだ。グリップエンドを回転させると、ゲージ内の目盛りが動き、締め付けトルクが表示される。これでトルクを決定して使う。使用時、規定の力がボルトやナットに掛かると、「カッチン」という音と、「カックン」という手応えがする。それが定めた締め付けトルクに達したことの合図となる。

 三浦は最初に、ステンレス製のブロック形状の部品にボルトを六本差込み、トルクレンチで締め始めた。「カッチン」という音を六回させると、今度はプランジャーヘッドの十二個のナットに取り掛かる。今度はレンチのソケットを大きな物に交換し、トルクを変更すると、十二個のナットを順序良く締め始めた。この段階で三浦の額には汗が出ている。
 いよいよ、長さ1.5メートルの巨大トルクレンチが登場する。三浦は同じ様に十二個のナットにこのレンチを掛ける。

 三浦が体重を掛けると、巨大なレンチがグイっと下がる。力を緩めてグリップを持ち上げると「チキチキチキ」という音を出しながらレンチが上にあがる。再び三浦がレンチに体重を掛ける。単に締め付けるのでは無く、規定のトルクに達する箇所を見逃す訳には行かない。トルクレンチは、トルクに達したことを知らせてはくれるが、無神経にそのまま力を掛ければ、あっという間にオーバートルクになってしまう。力を掛けながら、ギリギリを見極めなければならない。
「はぁっ」
 三浦が短く息を吐き出す。すでに彼は汗だくだ。さすがに私も、
「手伝いましょうか?」
 と声を掛けたが、三浦に拒絶された。恐らくは彼の意地だ。
 そのトルクで十二個のナットを締め終わると、三浦はさらにトルクを上げた。数値は370ニュートンメートル。ちなみに自動車のタイヤのナットの締め付けトルクは、十数ニュートンメートルだ。
 三浦は顔を真っ赤にしてトルクレンチに体重を掛け、ついに十二個のナットを締め付け終わった。仕上げにステンレス製のブロックのボルト六本を、トルクレンチで締めあげると、ヘロヘロとしながらECVや油圧ホース、冷却水ホースを繋げエンジンを掛けた。

 言葉には出さないが、三浦のエネルギーゲージは空に近そうだった。

はくりんちゅ34

2007-11-26 23:57:59 | 剥離人
 昨夜、私は色々な意味で頑張ってしまった。

 だが、江藤は朝から元気だ。
「おはようございます!」
「おはようっす」
 私はやや眠そうに答えた。心なしか江藤とは一昨日までと比べると、親密になった気がする。今朝もハスキーのエンジンを掛けて、国旗掲揚を直立不動で見届ける。

 昨日から少し気になっていたのだが、心なしかハスキーの圧力が安定しない。S社の樋口に聞いてみるが、
「大丈夫だ、機械なんてそんな物だ」
 と言って、取り合ってくれない。今日は様子見だ。

 午後に入ると、一段と圧力が安定しなくなって来た。こうなったらF社に頼るしかない。営業の大澤に電話をすると、今回はすぐに電話に出た。
「ハスキーの圧力が安定しないんだけど」
 大澤はしばし沈黙した。
「今、アワーメーターは200時間まで行きましたか?」
「いや、まだ85時間程度ですね」
「もしかしたらECVという部品の中のポペット・シートかも」
「それは最近交換したばかりです」
 大澤はまた沈黙した。
「S社の樋口さんはどう言っていますか?」
 私は思わずため息をついた。
「『機械なんてそんな物だ』と言われましたけど・・・。まだ工事は続くので、出来れば原因を突き止めて直したいんですよ」
 また大澤が沈黙する。真剣に考えているのか、それともうんざりしているのか、それは私には分からない。
「分かりました!ではなるべく急いで技術の人間を行かせます」
「佐藤さんですか?」
「いえ、三浦になると思います」
 それは私の知らない人だ。だが直して貰えるのなら誰でも良かった。

 二日後、ポンプメーカーであるF社の三浦がやって来た。
 よりにもよって今日はB軍側の都合による、唯一の休日だ。強襲揚陸艦ベローウッドのフライトデッキで、何かの式典をやるらしかった。工事業者は邪魔になるので、全員休むように指示されたのが今日だったのだ。
 慣れない仕事に疲れ切っていた私は、F社の大澤に三浦の訪問日をずらすように頼んでいた。恐らくはこの工事での唯一の休日になることが分かっていたからだ。
 だが、どうしても三浦のスケジュールの調整が付かないと言う事で、渋々了承していた。

 基地の外にあるS社の事務所の駐車場で会った三浦は、メガネを掛けた眼光鋭い細身の男だった。いかにも昔は「悪かった」感じの男臭さを感じる。
「おはようございます」
 挨拶をする私に、彼は無言で一瞥をくれると、二階の事務所に上がって行った。どうやらS社の所長と話があるらしかった。
 だが、顧客である私に一言の説明も無しに素通りする三浦の態度に、私の中で何かが切れた。恐らく彼は今日に至る経緯の中で、私と営業の大澤との激しいやり取りを聞いているのだろう。だがその態度を私は許せなかった。
 私は自分の車に一人で乗り、さっさとB軍基地内に入り、誰も居ない岸壁でぼーっとしていた。

 三十分後、三浦がやって来た。どうやらタクシーで来た様子だった。私と彼の間にはひたすら険悪な空気が流れる。だがハスキーをメンテナンスしなければならない。
「じゃあ、プランジャーをばらしましょうか」
 三浦は冷静さを装い、淡々と進めようとした。
「トルクレンチはありますか?」
 そう言えば車のトランクに一本、異様に長い柄のレンチがあった。その長さ1.5メートル。
 十分後、そのトルクレンチを使って、三連のプランジャーに付いているナット計12個と、その上の部品に付いているをボルト六本も、50センチのトルクレンチを使って外した。

 見るからに華奢な三浦は、ナットとボルトを18個外しただけで、軽く肩で息をしていた。

はくりんちゅ33

2007-11-25 22:34:02 | 剥離人
 仕事が終わった午後六時半、私は助手席に江藤を乗せて、隣県のU温泉に向かっていた。

 KT社の職人たちとはかなり仲良くなって来たものの、今一つ超えられない壁の様な物を感じていた。やはりチームワークは今後の仕事に大きく影響する。
 私はこれまでにも彼らと親睦を深める為に、何度か江藤と氷室を呼び出しては、呑みに行っていた。クラブに行って大騒ぎをして、いつの間にか我々のテーブルは『お触りパブ』状態になったりもしたが、女の子たちが本気で嫌がっていないのと(確証は無い)、来る度にボトルを入れる『バカ呑み』度合いで、店の人間からは黙認されていた。
 今日は気分を変えて、棒心である江藤をU温泉のソープランドに誘ったのだった。私たちが滞在しているN県は、どういう訳だがそういう施設に対しては非常に厳しく、隣のS県は大らかだった。

「木田さんは、U温泉に行った事があるんですか?」
 私は江藤の質問に対して、返答に困ったが、正直に答えた。
「ええ、昨日・・・」
「昨日?」
「わははは、人を誘う以上は下見は大切ですよ」
 私は好き者では無いことを江藤にアピールしたが、高速道路を走って片道一時間掛かるソープランドに、二日連続で出動する男の言う事など、何の説得力も持たなかった。

 程なくして私たちは周囲のライバル店に負けじと、ネオンをきらめかせている一軒のソープランドへ入った。もちろん私が下見をした店だ。私が入浴料を二人分、まとめて支払う。
「いいんですか?」
 江藤はその金額に、かなり困惑している。
「もしろん!」
 さらに私は江藤に、女の子に支払うサービス料分も現金を手渡した。
「いや、いいですよ。その位は自分で払います」
「いやいや、今日は私の奢りです。今夜は何も考えずに楽しんで下さい」
「え、でも・・・」
「気にしないで下さい」
「じゃ、じゃあ今夜は遠慮無く、ありがとうございます!」
 江藤はやや恐縮している。

 店員が待合に居る私たちの前に、女の子が載っている写真リストを持って来た。リストといっても、都会のお店ほど多くの女性が在籍している訳では無い。今日のリストに載っている女性の総数は六人だ。
「先に選んで下さい」
 私は店員が差し出した女の子の写真リストを、丸ごと江藤に手渡した。こういう店での私のポリシーは、『誰に当たっても絶対にパスをしない』という実に男らしい(?)物である。いつも遊びに行くA県のマジックミラー店で鍛え上げた『全球ヒッティング精神』だ。従って、江藤がどの女の子を選ぼうが、私には一切文句は無かった。
「本当に俺が先に選んでも良いんですか?」
 江藤はやや遠慮しながらもかなり喜んでいる。
「どーぞどーぞ、私は誰にあたっても全く気にしないんで」
 私は悠然と構えた。きっと江藤の目には、細かいことを気にしないナイスな男に見えているのだろう。いや、見えているはずだ。だが江藤は、意外にも私の判定基準では、『星半分!』の女の子をチョイスすると、嬉々として『お風呂』に入りに行った。
 私は昨夜と同じ『星二つ』の女の子を指名して、お風呂に入る。
「今日も来てくれたんだぁ」
 どんなに忘れっぽい女の子でも、昨日の今日でやって来れば覚えているのは当たり前だ。昨日と同じサービスに身を任せ、しばし私は天上界の住人となった。

 全てが終わった後、私はソープの受付で領収書を要求していた。
「領収書ですか?入浴料の領収書は出せますが、サービス料までは・・・」
「ええ、構いませんよ。入浴料の分だけで結構です」
 領収書が出てきた。私はN県S市で仕事をしているのに、領収書の発行人は、S県U市の『有限会社〇〇興業』、但書は『ご飲食代として』。

 経費で落ちる!筈だ・・・。

はくりんちゅ32

2007-11-24 16:02:58 | 剥離人

 T工業の幸四郎にガンの修理を頼んで一夜が明けた。

 私は岸壁に着くと、真っ先にメンテナンスコンテナに向かった。
 幸四郎はすでに帰った様だったが、修理が完了したガンとホースがきちんと並べられて置いてあった。エアホースが純正のグレーの物から、緑色の物に変わっていた事に少し驚いたが、問題だった金具はきちんとした物に交換されていた。

 江藤たちと一緒にタンクに入り、エアホースを取り付けた。問題は無さそうだ。ネジ山を舐めてしまった張本人のトモオも、ようやく安堵した表情を見せる。
「みんなにお願いがあるんだけど」
 私は四人全員に言った。
「今度からは、金具を締めるときは、必ず手で締まる所まで締めてから、レンチを使って欲しいんだ」
「分かりました」
「分かったか、トモオ」
 江藤がトモオに声を掛けると、トモオは恐縮した表情で頷いた。
「じゃあ、今日も怪我をしないように、それが一番大事ですから、気を付けてがんばりましょう!」
 私はそう言うと、ハスキーの圧力を上げに、岸壁に向かった。

 岸壁に戻ると、夜勤を終えたはずの幸四郎がウロウロとしていた。
「あ、幸四郎さん!」
 私は幸四郎に駆け寄った。
「ああ、おはよう」
「ガンの修理、ありがとうございました。今、タンクの中で付けて来た所ですよ」
「どう、問題無かった?」
「ええ、全然問題無いです。本当にありがとうございました」
「エアホースだけど、金具を外すのにホースを切ったら長さが足りなくなったから、別のホースに交換したけど、問題無いよね」
「全く問題無いですよ。本当に助かりました、ありがとうございます」
「いや、あの位気にしなくてもイイよ」
 幸四郎は笑ってくれたが、疲れからか目がドロンとしている。
「あの、夜勤って朝の七時までですよね」
「そうなんだけど、フライトデッキのハスキーを下に降ろせって言われているんだ」
「今からですか?」
「うん、そう」
 幸四郎はうんざりとした表情で、やや自嘲気味に笑った。
「おーい、四郎!ハスキー降ろすのか?」
 そこへ小磯がやって来た。
「ははは、四郎、顔が死んでるぞ!」
 小磯は朝から元気だ。
「四郎ちゃーん、おっはよー!」
 ハルもやって来た。
「どう、夜勤は楽しいの?」
 ハルはウヒョウヒョと笑っている。
「夜勤だけなら別にイイよ。でも明けに仕事を言いつけられると、堪えるよね」
「わははは、ホント、S社は人使いが荒いからなぁ」
 小磯は爆笑している。
「笑ってる場合じゃ無いよ。小磯さんも来週から夜勤だからね」
「はぁ?聞いて無いよ」
 小磯の笑顔が固まった。
「しかも多分溶接だおー」
 幸四郎はしてやったりという顔をしている。
「よ、溶接ぅ?」
 小磯にとっては晴天の霹靂らしい。
「じゃ、タンクのガン撃ちはどうなっちゃうのよ?」
 ハルが大声を出す。
「決まってんべぇ、一人一ガンだぉ」
 幸四郎がニヤニヤして言った。
「ちょっと、小磯さん、あんなこと言ってんよぉー!」
 ハルが騒ぎ出す。朝から岸壁は大騒ぎだ。

 どうも、S社はかなり人使いが荒い様だった。 


はくりんちゅ31

2007-11-23 15:12:53 | 剥離人

 夜勤が始まることになった。
 
 工事の進捗状況から、S社は夜勤が必要だと判断したらしい。ついでに私たちも残業を命じられ、一時間の残業となった。
「いいですよ、一時間くらい」
 江藤は淡々とした表情で、残業を受け入れてくれた。S社の下請が残業をやっているのに、自分達だけが早く帰る訳には行かないと、常々思っていたらしい。
 
 だがこの残業が思わぬトラブルを引き起こした。その日の夕方だった。
「木田さん、ちょっと来てもらえるかな」
 段取り換えをしていた江藤に呼ばれてバラストタンクの中に入ると、そこにはガンに付いているエアーホースを持って、タンブルボックスの前で呆然としているトモオが居た。
「どうしたの?」
 私は悪い予感を感じながら、トモオに聞いた。
「いや、ちょっとエアーホースがはまらないんですよ」
 私はトモオと代わると、ガンから伸びているエアーホースの金具を手に持ち、慎重にネジを回して行った。
「お、おお?」
 数回ネジを回すと、金具が突然外れてしまった。もう一度挑戦するが同じ事になった。
「・・・」
どうやらねじ山を舐めてしまっているらしい。
「直りますか?」
 トモオが心配そうに覗き込む。
「大丈夫だよ」
 私はそう答えたが、内心どうするべきか困っていた。

 私はタンクの中から、ガンとホースのセットを引きずり出した。舐めてしまった金具のねじ山を修正するべく、ねじ山に向かい合ってみるが、全く上手く行かなかった。時間は夕方五時半を回った。
「今日はもう帰ってもらっていいですよ」
 江藤達に言った。
「何か出来ることはありますか?」
「いや、後は私がやります。それよりも早く帰って体を休めて下さい」
 江藤は頷くと、みんなを連れて帰って行った。


 私は尚も思案した。S社のメンテナンスコンテナの中で、交換用の金具を探してみたが、S社はこの部分の金具を全てワンタッチのエアカプラーに交換してしまっている。予備の部品など必要ない。
 あれこれと試してみたが、やはり上手く行かない。タップ(ネジ切り工具)でもあればなんとかなるのだが、F社の製品はB国製、金具のネジ山は全てインチやユニファイという規格で作られていた。インチや、ましてユニファイなんてタップが、そんなに簡単に手に入るとは思えない。それよりも明日の仕事に間に合わなければ意味が無い。
 
 外は徐々に暗くなり、岸壁にはもう作業員は誰も居ない。時折B軍の兵隊が行き交うだけだ。ダメ元でもう一度ガンとホースを持って、タンブルボックスに取り付けてみることにする。船の入口のスロープに向かい岸壁を歩くが、足取りが重い。腹も減ってきている。フラフラとした足取りで、滑り止め塗装がしてあるスロープを上り切った。
 船の入口には24時間体制(交代制)で担当の兵隊が居て、船に立ち入る人間の身分証をチェックしている。私は入口で立ち止まると作業着の胸元からA5サイズの紙のパスを取り出した。この安っぽい紙製のパスをきちんと船の入口で見せなければ、船の中へは立ち入れない。 
 身分証を提示した場合、チェック役の兵隊は、私たちのようなワーカーや、自分たちと同じ制服(キャップとパンツが紺色、シャツが水色)の兵隊には、胸元で敬礼をする。上級士官であるカーキイエローの制服には、顔の横で敬礼をする。それが「通ってもヨシ!」という合図なのだ。兵隊たちは、昼間大勢のワーカーが入口に並ぶと流れ作業のように、人によっては面倒臭そうに、胸元の敬礼をかなり省略的に連続して行なうことも多い。
 だがこの時は違っていた。
 私が胸元から取り出したパスを見たメガネの兵隊は、突然姿勢を正して丁寧に顔の前で敬礼をした。
「?」
 疲れ切っていた私は、一瞬意味が分からずノロノロとそのまま通り過ぎた。そこでハッと気が付いた私は後ろを振り返った。メガネの兵隊はまだ私を見ていて、そして静かに頷いた。その表情から私は彼の取った行動を理解した。彼は遅くまで自分たちの乗る船をメンテナンスしている一人のワーカーに、最大限の敬意を表してくれたのだ。言葉を交わした訳ではないが、彼と私は理解し合うことが出来たのだ。

 これにより、かなり陰鬱な気分だった私は元気を取り戻し、バラストタンクの中に潜り込んだ。エアホースの接続を何度も挑戦してみたが、やはり上手く行かない。私は諦めて再びタンクからガンとホースを引きずり出して岸壁に戻り、しばらく呆然とした。
「あれ、どうしたのこんな時間まで」
 背後で声がした。見るとT工業の幸四郎が立っている。
「ああ、こんばんは。あれ?四郎さんこそ、こんな時間にどうしたんですか?」
「俺は夜勤だよ。今から朝の七時まで」
 私は今夜から夜勤が始まることを思い出した。
「いやぁ、エアホースの金具のネジ山を舐めちゃって、交換部品も無いし、困っていた所なんですよ」
 私は思わず愚痴を言った。
「カプラーに交換しちゃったら?」
 幸四郎が提案してくれた。
「それも考えたんですけど、交換するにはタンブルボックス側の金具をミリに変換しなきゃいけないですよね」
「ああ、あの金具か・・・。たしか今は一個も予備が無いはずだよなぁ」
 S社はユニファイ規格のネジ山を、ミリに変換するオリジナルの部品をそこに取り付けていた。
「明日の朝には仕事が始まるんで、それまでになんとかしたいんですけど、行き詰まりましたよ」
 そこで幸四郎が思わぬ事を言い出した。
「俺がやっておこうか?」
「え?でも部品も無いですよね」
「探せばあると思うよ。それに夜勤のメカニックは結構暇なんだ、朝までの暇つぶしに丁度いいよ」
「でも、そんなことを頼んじゃ悪いですよ」
「あ、全然平気だよ。それに帰って休まないと、明日がキツイよ」
「・・・じゃあ、悪いですけど、お願いしても良いですか?」
「うん、気にしないで」

 私には彼が神に見えた。


日本一周・マジでがんばれYさん!

2007-11-22 00:32:58 | 北海道一周(その後)
 変速機無しの自転車で日本一周中のYさん、苦戦を強いられています。

 青森の日本海側で、寒さと吹雪、そして氷に攻め込まれています。
「もっと計画的に旅をすれば良いのに」
 とおっしゃる方も居るかもしれません。
 でも、面白い街や、面白い人に出会うと、Yさんはカメラを向けずには居られないのでしょう。私はそれで良いと思います。

 それにしても寒そうです。ブログを見ているだけで凍えそうです。このままでは、一時日本海側の走行を中断しなければならないかもしれません。それも選択肢の一つです。

 どちらにしろ、マジでがんばれYさん!応援していますよ!

 Yさんのブログ(旅の動画有り)
 『東京から遠く離れて

職人さんの給料は?

2007-11-21 18:25:12 | Weblog

 職人さんの給料はいくらなんだ?
 職人さんの世界を知らない人達には、多分大きな疑問だと思います。
 
 まず、最初に『職人さん』という言葉を明確にしましょう。ここでいう職人さんは、一般的に工事現場などで「作業員」と呼ばれる人達の事です。伝統工芸に携わり、時には『人間国宝』に選ばれる様な『職人』とは別ですので、誤解しないようにお願いします。 

 職人さんの給与は、以下の三つの条件によって異なって来ます。

1.職種
 足場、鉄筋、型枠、塗装、内装、電気、舗装など、細かく分けていったら際限がありません。一般的には高い技能を要求される職種ほど、給与は良いです。

2.地域
 都市部では同じ仕事でも賃金が高く、地方に行くほど安くなります。

3.雇用形態
 一人親方なら、全額が自分の給料になります。親方の下で働いているなら、親方が決めた日当。会社に雇用されているなら、その会社が決めた日給、あるいは月給になります。

 私の周りに居た職人さんは、中部地区と関東地区の塗装工、足場とびの人達でした。ほとんどの人達が日当で、10,000円 ~ 15,000円を貰っていました。
 これに一ヶ月の労働日数、25日(週休二日の職人さんはほとんど居ません)を掛けると月収で、250,000円 ~ 375,000円となります。
 つまり年収では、3,000,000円 ~ 4,500,000円と推測されます。

 ただし、これは一年間、毎月潤沢に仕事があった場合の計算です。日当で働いている場合、仕事が無い日は無給です。塗装工に関しては、雨が降ったらどんなに勤労意欲があってもお休みです。結果、上記の年収から場合によっては一割から二割ほど減収になる可能性もあります。
 
 特別な技術が必要な仕事や、資格が必要な仕事の場合、元請に対する人工賃を高く設定できるので、その分は職人さんに対する賃金も良くなります。危険性が高い仕事もやはり人工賃は高目になります。人によっては一流企業の社員並みの年収を得ている職人さんも居るはずです。
 
 職人さん達の中で意欲がある人は、自分で親方をやったり、人によっては会社を興します。仕事を取ってこなければなりませんが、元請から支払いを受けた人工賃から、必要経費やマージンを抜いて、自分が使っている職人さん達に賃金を支払います。
 
 職人さんが「いくら貰うか」は、最終的にその会社や親方次第です。エグい親方の下では、日当一万円未満という残酷物語もありえます。

 でも私の周りに居た職人さん達はパチンコとスロットが大好きで、せっかく給料を貰っても、ほとんどそれにつぎ込んでいたなぁ・・・。