どんぴ帳

チョモランマな内容

はくりんちゅ251

2008-07-31 23:52:31 | 剥離人
 小磯が伝えて来た超高圧ホースの異常は、ポンプのプランジャー部から発生していた。

 私は防音ボックスの扉を開け、プランジャーに手を添えると、いつもと異なる鈍い振動を、右手の中指と薬指に感じた。
「やべぇ、もしかしたらプランジャーにダメージが出てるのか?」
 私は慌ててハスキーのエンジン回転数をアイドリングまで落とし、すぐにF社の三浦に電話を入れた。
「三浦さん、ハスキーが脈動を起こしてるんだけど」
「脈動?200時間メンテはいつやったの?」
「80時間前」
「じゃあ、まだダイナミックシールは劣化していないよね」
「そのはずだけど…」
「とにかく僕もすぐに行きますからね」
「三浦さん、悪いけどアセトン(揮発性の高い洗浄液)を貸してくれる?」
「え?アセトン?持ってないの?」
「う、うん、毎日会社に帰ってるから、必要になったら持って来ようと思ってたんで」
「ウチにも無いよ、アセトン…」
「えー?マジですか!?じゃあ今から会社に取りに行かないと…」
「僕が現場に行ってプランジャーをばらし始めますので、木田さんはアセトンを取りに行って下さい!」
 私はエンジンを停止すると、作業用コンテナのハスキー用工具を準備し、車に乗り込んだ。

 会社にアセトンを取りに行って帰って来ると、すでに一時間半が経過していた。
「三浦さん!」
「はぁ、はぁ、はぁ…」
 目つきは悪いが、貧血体質の三浦が、全身から汗を掻いている。
「木田さん、はぁ、はぁ、とりあえず、はぁ、はぁ、プランジャーはばらしたからね」
「す、すみません、本当に。で、原因は?」
「うーん、原因は分かるんだけど、これなんだよね」
 三浦は白色のダイナミックシール(ピストンを支えるリング状の樹脂部品)を差し出した。
「な、何ですか、これは!?」
 三個のダイナミックシールの内、一つは茶色に変色、残りの二つは変形し、大きさも変わっている。
「これ、どういう事だと思う?」
 三浦が私に訊いて来る。
「いや、こんなのあり得ませんよね、だって200時間使用したシールだって、こんなに変形しませんよ。これなんか通常の半分の長さになっているし…」
 私は三番プランジャーのダイナミックシールを、顔の前にかざして見せた。
「とにかく、セラミックプランジャーが無事で良かったですよ。新品のダイナミックシールを入れて、プランジャーを組みましょう!」
 私は三浦に促され、樹脂製の容器にアセトンをぶち込むと、すぐに部品の洗浄を始めた。
「三浦さん、今までにダイナミックシールが変形したり磨耗したりする事例はあったんですか?」
「いや、僅かな変形や微細な磨耗があることは木田さんも知っているでしょ」
「ええ」
 三浦が部品をばらし、私と小磯が洗浄し、ハルがエアブローをする。
「こんなのは僕も初めて見ましたよ」
「そうですか、もしかしたら剥離水を再利用しているのが原因かな…」
「剥離水のデータはあるんですか?」
「今、分析中です」
「水のデータ、何か分かったら教えて下さいね」
 三浦はそう言いながら、ダイナミックシールが装着されていた部品をじっと見つめていた。

 周囲が暗くなり始めた時、ようやくプランジャーの修理が終わり、ハスキーは再びエンジン音を響かせたのだった。

はくりんちゅ250

2008-07-30 23:19:33 | 剥離人
 物事の肝心な部分に無関心な経営者の視察が済んだ翌日、常務の渡から連絡が入った。

「どうでっか?順調でっか?」
「ええ、現場に来るのに、缶コーヒーの一本も差し入れしない、社員を労う気持ちの薄い経営者が、現場をウロウロしたこと以外は順調です」
「わっははははは、まあ、そう言うなぁ、あいつはそういう気遣いが出来やん人間やって、お前も分かっとるやろ」
 渡にとって、社長は自分の息子の様な年齢でもあり、社長も色々な相談を渡にしていたので、渡はいつも私に対して、社長の事を『あいつ』と呼んでいた。
「そうでしたね、うっかり忘れていました」
「わはははは、まあ順調ならええんやけどな。ところで、近いうちにK社の人間を何人か連れて行くから、また現場を見学させてくれや」
「それは別に構いませんよ」
「全国にはM資源公団の水管がまだまだあるんや、この工法をつかって、バンバン仕事を取りたいんや」
「そんなに都合良くバンバン取れますかね?」
「お前がそういうことを言うなや」
「あははは、失礼しました」
「ま、しっかりとK社の人間たちにも、この工法のメリットを印象付けようと思ってな」
「分かりました、事前に言って下さいね」

 私は電話を切ると、ノッチタンクの水量をチェックする為に、梯子に登った。
「やっぱり減ってるよなぁ」
 初日に10トン注水した水は、すでにかなり減って来ている。
 隣に置いてある3m3のノッチタンクに3トン、恐らく水処理ユニットにも2トンくらいの水が滞留しているはずだが、それにしても残量が少ない気がしていた。
 剥離した汚水はロボットが完全に回収し、水処理装置でろ過され、再びこのノッチタンクに戻って来ている。
「まあ、多少は塗膜片や汚泥にも、水分を持って行かれたんだろうけどなぁ…。近いうちにもう10トン追加した方がいいかもな」

 私がコンテナの前でそんな事を考えていた時、小礒がマンホールから出て来た。
 小磯はやや早足で、真っ直ぐ私に向かって歩いて来る。小礒がああいう歩き方をする時は、必ず何かトラブルが発生した時だ。
「小磯さん、どうかしましたか?」
 こういう時は自分から先に声を掛けた方が、小磯のトラブルに関する苦情に対して、とても前向きな姿勢を示すことになる。
 小磯は真剣な表情で私の前まで来ると、作った様に真面目な顔で言った。
「木田君、ポンプに何かトラブルは発生していない?」
「ポンプに!?」
「超高圧ホースの振動が物凄いんだよ」
 私は慌てて防音カバーから出ている、超高圧ホースを見に走った。
「ビュビビビビ、ブブブブブ」
 明らかにホースはいつもとは異なる、大きな振動音を出している。私はホースを右手で握り込んでみた。
「これは…、脈動?」
 私は大澤から聞いた言葉を思い出していた。
「ハスキーのプランジャー(ピストン部)の最大の特徴は、三連ピストンから発生する『脈動(脈拍の様にドクドクとする振動)』をチェックバルブとエンドキャップ内の形状で上手に打ち消している事なんですよ」

 理由は分からないが、今、ハスキーのプランジャー内では、脈動が発生している様だった。

はくりんちゅ249

2008-07-29 23:35:27 | 剥離人
 現場に、社長という名の男がやって来ていた。

 社長と言っても年齢は私より六つ上なだけで、社長としては若い方だろう。
 まだR社に入社したばかりの頃、彼は免許取立てで運転に不慣れな私に、こう言った。
「木田君、駐車する時に何度もハンドルを切り返すと、車のタイヤが早く減るんだわ。もっと少ない回数で駐車しないと、もったいないんだよね、タイヤが」
「はい…」
 私は車内に響くバックギアの、
「ピーっ、ピーっ、ピーっ」
 という音を聞きながら、この男はなんてセコイ男なんだろうと思ったのだった。

 しかしこのセコイ男、どうも現場に並んでいる、総額一億円ほどの機械が、どういう用途の機械なのかを理解していない様子だ。
「自分の会社の金で買ったんだろう…」
 私は心の中でブツブツと言いながら、社長を水管橋の中へ案内する。
「これが今回作った『管内ロボット』です」
 私の目の前には、小磯とハルが動かすベンツマーク型のロボットが、直径3.3メートルの管内を回転していた。
「ほー、すごいね!これを今回の工事の為に全部造ったの?」
「…いえ、この小さな四輪タイプのロボットは、以前からウチの会社にある物です」
「あー、そー、なるほどね」
「…」
 社員の仕事に、事細かに首を突っ込む社長よりはマシだが、あまりに無知な社長も如何な物かと思い、私は小さなため息を吐いた。
 小磯がコントローラーを持ったまま、私の表情を盗み見て、クスクスと笑っている。
「小磯さん、仕事、無駄に楽しそうですね」
「がはははは!」

 私は再び社長を地上に案内した。
「木田君、これは何?」
「さっき説明したバキューム装置です…」
「これが水処理装置だったよね」
「ええ、そうですね…」
 私は生返事をしながら、汚泥打ち込み槽の前にいる後藤に声を掛けた。
「後藤さん、ストレーナーは?」
「大丈夫です、きちんと掃除しましたよ」
 後藤も元はW運輸機工の人間なので、この程度の機械いじりは何の問題も無い。
「何が詰まってました?」
「これです、草ですよ」
 後藤が見せてくれたのは、細長い枯れ草の固まりだった。
「うーん、水管橋内壁にこびり付いている泥の中に入っていたのかなぁ…。ま、とにかくもう一度打ち込んでみますか」
 私は制御盤を開けると、各種スイッチを入れ、ポンプの動きを見守った。
「シュコっ、シュコっ、シュコっ、シュコっ」
 汚泥打ち込みポンプが動き出す。
「チョロ、チョロ、ジョロジョロ、ジョロジョロ」
 すぐに十数枚のフィルター板に付いている排水用の細い管から、透明に近い水が流れ出した。
「おー、打ち込んでる、打ち込んでる。これで大丈夫だね」
「ええ、時々私がストレーナーをチェックしますよ」
 私は後藤の申し出に礼を言うと、放置していた社長の元に戻り、どうでもいい案内を再開した。

「これは?」
「発電機です」
「これは?」
「ロボット用のコンテナです」
「これは?」
「エアコンプレッサーです」
「木田君、この白いのは何?」
 ここまで案内をすれば、残っているのは超高圧ポンプ『ハスキー』しかない。もちろんこの機械が、ウォータージェット工事の肝である。
「ハスキー、超高圧ポンプですよ…」
 私は防音カバーのガラス越しに、中を指差した。
「お、ああ、なぁんだ、カバーが付いているから分からなかったよ」
「…」

 私は、お願いだから早く帰って欲しいと、心の底から思った。
  


はくりんちゅ248

2008-07-28 23:50:16 | 剥離人
 順調に動き出したかの様に見えた現場だったが、すぐに次のトラブルが襲って来た。

「木田さん、ちょっと来て下さい!」
 水処理ユニット番の後藤が、作業用コンテナにやって来た。
「フィルターの機械の調子が悪いみたいなんですけど」
「フィルタープレス(泥汁を絞る機械)のこと?」
「ええ、今まではフィルターの排水パイプから、かなりの量の水が出ていたんですけど、水が全然出て来なくなったんですよ」
「本当?」
 私は後藤と一緒に水処理ユニットまで、早足で向かった。
「おお、一滴も水が出てないね」
「そうですよね」
 私はフィルタープレスのフィルター板を見て考えた。
「汚泥打ち込みポンプは動いてる…よねぇ」
 汚泥打ち込み槽の攪拌羽根は回転し、打ち込みポンプは、
「シュコっ、シュコっ」
 と音を出している。汚泥打ち込みの機能は正常に動いている。
「ウー、全然分からねぇ…」
 私は即座に携帯電話を胸ポケットから取り出すと、東正産業の新谷に連絡を入れた。
「新谷さん、汚泥打ち込みポンプが、作動しても汚泥を打ち込まないんだけど」
「えー…、フィルターが一杯ってことは無いですか?」
「そんな感じじゃ無いけどなぁ…、徐々にフィルターからの排水量が減るのならともかく、全然打ち込んでいない感じだね。一度フィルター板を開いてみます?」
「そうですね、フィルターの汚泥が少ない場合は、ストレーナーが原因かもしれませんけど」
「ストレーナー?ゴミ取りのこと?」
「ええ、フィルタープレスの手前にありますよね」
「そんな物あったっけ?」
「打ち込み用のホースのカプラー(ジョイント金具)部分にありますから。中に金属メッシュの筒がありますので、それを掃除して下さい」
「んー、分かりました」

 私は携帯を切ると、すぐにストレーナーを探した。
「このフグみたいな奴か?」
「木田君!」
 金属製のフグの様なストレーナーをばらそうとした時、私の背後から声がした。
「あ?ああ、どうも…」
 そこには我がR社の社長、大野が似合わない作業着姿で立っていた。
「どう、上手く行ってる?」
「上手く行ってねぇんだよ!レンチを持ってるのが分からないのかよ!」
 私は心の中で呟やいたが、口では社会人として正常な発言を行った。
「ええ、ほぼ順調ですけど、今はちょっとこの機械がトラブってます」
「何、どうしたの?案内してくれる時間はあるの?」」
 私はその頼り切りな姿勢にうんざりとしたが、相手は曲がりなりにも我が社の社長である。
「少し時間を貰えますか?この問題が解決したらすぐに案内しますから」
 私はそう答えながら、水処理ユニットの制御盤を開き、攪拌羽根と汚泥打ち込みポンプを停止し、汚泥引き抜きポンプのスイッチもOFFにした。
 その間も、大野は水処理ユニットの周りを歩き、装置を繁々と眺めると、いきなりあり得ない言葉を発した。
「木田君、これは水を綺麗にする機械なんだよね」
「…ええ、そう…ですけど…」

 私の心の不快指数は急上昇を始めた。


はくりんちゅ(画像編21)

2008-07-27 23:56:34 | 剥離人


供給水用のプレフィルター
 50μ(ミクロン)と10μの二本立て。この安価なプレフィルターにより、ハスキー本体の10μアブソリュートフィルター(かなり高価)の寿命を延ばします。


供給水用の分岐タンク(ステンレス製)
 こういうタンクは市販されていないので、製作物です。
 水圧計と、水道の蛇口(ちょっとした手洗いに便利)を装備しているのがポイント。


作業用コンテナ
 装備一式、部品、工具、作業台を備え付けてあります。
 作業台に備え付けた青色の万力は、無くてはならない重要アイテム。
 密かにエアコンを装備したかったのだが、現場はいつも電力不足なので、夏は卓上扇風機、冬は小型オイルヒーターで我慢。


ロボット用コンテナ
 主にロボットと、ロボット用タンブルボックス、制御盤、コントローラー、ケーブル等を運搬する為のコンテナ。
 天井にホイストを装備してみたが、あまり使用しなかった無用の長物…。
 とにかく現場では、鍵がかかるコンテナは非常に重宝します。


コンテナから見た景色
 発電機は土手の窪みに設置


防音シートの中の発電機
 いつもは125kVAの発電機だが、水処理ユニットを使用する為、150kVAの発電機をリース。


佐野のアート作品、ボンテージ風防音シート
 個人的な趣味かどうかは不明です(笑)


ボンテージ風防音シートの中身、バキューム装置
 通称『バキュームフェラ子ちゃん』!R社とW運輸機工では、そう呼ばれています(笑)
 


はくりんちゅ(画像編20)

2008-07-26 14:34:01 | 剥離人


毎日眺めるA用水K水管橋
 中で熱い(暑苦しい)男達が仕事をしています。


A環状鉄道の真横、コンクリートのスロープに機器を設置
 両脇に敷いてあるのが、通称『三六(さぶろく)』の敷き鉄板。
 左に見えるのは、二つのノッチタンク(鋼製水槽)。そしてグレーの防音シートの向こうには…


ハスキーS-200、防音カバー仕様
 防音カバーは、M社の下川のオヤジから激安で譲ってもらい、改修した物です。


中身はいつものハスキーちゃん


いつものコンプレッサー、エアマンPDS-175S


青色のノッチタンクの容量は10m3、つまり10トン
 梯子を掛けないと、中が覗けません。

 これらの機器の設置は、佐野の居るW運輸機工が行いました。
 さすがに重量屋さんだけあって、レベル出しはお手の物。かなりの勾配のスロープにも関わらず、ほとんどの機器が水平に設置されています。


はくりんちゅ247

2008-07-25 23:00:39 | 剥離人
 管内で塗料を剥離すると、今度はそれを処理しなければならない。

 私は土手を歩くと、水処理ユニットに近づき、後藤に声を掛けた。
「どうっすか、後藤さん!」
「うん、今のところは順調ですよ、おおっ?来ますよ、来ますよ!」
 突然、バキューム装置から伸びているφ65ミリのサクションホースから、大量の汚水が吹き出して来た。
「ゲェバぼぉおおおお!どぼぉ、どぼぼぼぼぼぼぼぼ!」
 サクションホースから吹き出す茶褐色の液体には、大量の塗膜片が含まれている。
「おおっと、おおっとぉ!」
 後藤はホースの先端をしっかりと押さえ、ザルの中心に汚水が入るように調整する。とは言っても、汚水にはかなり勢いがあり、大量の塗膜片が、ザルの外に飛び出し、受水槽の中に溜まって行く。
「ショぼぉおおぁああアアァァ…」
 まるで酔っ払いが、胃の中のものを大量に吐き出してスッキリしたかの様に、バキューム装置は汚水の吐出を停止した。
「木田さん、あのバキューム装置、どういうタイミングで汚水を吐き出すのかね?」
 後藤は樹脂製の柄杓で、槽内の塗膜片を集め、土嚢袋に入れ始めた。
「ああ、あれは中のタンクに水位センサーが入っていて、上限レベルまで汚水が溜まると、下限レベルのセンサー位置まで排出する仕組みなんですよ」
「へぇー」
 理解したのかどうかは分からないが、後藤は素直に頷いている。
 
 実はこのバキューム装置、そんなことよりも、タンク内の汚水の吐出を、負圧を掛けたまま行える事の方が凄いのだ。つまりそれは、
『掃除機で掃除をしながら、中に溜まったゴミを排出する』
 という行為を行っているのだ。
 もちろんそんな掃除機は一般的には存在しないが、F社のバキューム装置は、それが可能なのだ。
 しかし、そのシステムは驚くほど単純で、実際に見てしまうと、
「はぁ、なるほどね…。配管に二つの圧縮弁を持っていて、交互に開閉して負圧を維持したまま吐出する訳やね…」
 という程度のものだった。それでもこの装置、少なくともBMWの7シリーズを二台は買える程のお値段の、超高級なマシンだった。

「ごめんね、ウチの『バキュームフェラ子ちゃん』が、こんなにゲロゲロしちゃって」
 私の冗談に、後藤も笑っている。
「ギュボォオオオウ、ズベズベズベぼぼぼぼ!」
 いきなり受水槽の吸い込みポンプが異音を発して、汚水を汲み上げなくなった。
「おぉ?」
 驚く私を尻目に、後藤は落ち着いて吸い込みポンプを配管パイプごと揺すった。
「ギュボルルルル、ボォうしゅぼぉー!」
 再びポンプが汚水を吸い上げ始めた。
「あれ?こんな状態なの?」
「ええ、初日からこんな感じですわ」
 後藤は私の問いにさらりと答え、吸い込みポンプの周りの塗膜片を、どっさりとすくい上げる。
「なるほど、これじゃあザルが無きゃ仕事にならないよね。で、昨日買って来たこのザルの使い心地は?」
「ちょっと深さが浅い気もするけど、まあこれで十分凌げますよ」
 後藤はまたしてもさらりと答えると、塗膜片で一杯になった土嚢袋を、樹脂製の箱の中に置き、水切りを始めた。

 私は水処理ユニットの受水槽に針金でぶら下がる、ステンレス製のザルを見て複雑な気持ちになった。
「渡さんも、東正産業も、読みが甘いんだよなぁ…」
 もちろんこの装置を作った当時は、自分も完全な素人だったし、こんな事態は予想出来なかった。しかし、これだけの量の塗膜片が出るとなると、やはり受水槽の手前にスクリーン(水処理におけるゴミ取り装置)が必要になって来る。
「完全自動のスクリーンが欲しいなぁ…」

 私は六個に分割された水処理ユニットに、七個目の装置が追加されるのを妄想して、少し楽しい気分になった。

はくりんちゅ246

2008-07-24 23:22:35 | 剥離人
 この日、ついに佐野も現場から居なくなった。

 残ったメンバーは、私と小磯にハル、本村組の若手の柳川、そしてW運輸機工のOBである後藤の合計五人だった。
「木田さん、小磯さんが呼んでいます、ロボットが動かないとかで…」
 柳川が土手を走って来ると、私にそう告げた。
「動かないって、いきなりかよ…」
 そもそも機械というのは、きちんとメンテナンスを出来る人間が居る間は、故障しないと相場が決まっている。そして機械を熟知した人間が居なくなった途端に、トラブルを引き起こすのだ。

 私は小走りで水管橋を走ると、管内ロボットの前に到着した。
「小磯さん、どうしました?」
「いや、この位置で止まっちゃったんだよ」
 見ると、ハイドロキャットが右斜め下の位置で停止している。
「コントローラーの操作に反応しないんですか?」
「そうだね、ほら、自分で確認してごらんよ」
 小磯はコントローラーを私に突き出した。
「ん?これは…」
 コントローラーの周波数の数字が、表示されていない。
「電源?」
 私は管内ロボットの制御盤の蓋を開けた。今までは、ほとんど開ける必要が無かったので、マジマジと見る事も無かったのだが、さすがにそうも言っていられない。
「木田君、分かるの?」
 小磯が私の背後に立っている。
「ま、詳しくは分かりませんけどね」
 制御盤内の赤いデジタル計二つが『Err(エラー)』を表示している事は、理解できる。
「電源が遮断された訳じゃ無いね、そんじゃあ何が…」
 ふと気付くと、通常の物とはなにやら形状は異なるが、ブレーカーらしきスイッチを二つ発見した。
「これ、Offになってるよなぁ、入れてみるか…」
 私は二つのブレーカーを親指で押し上げてみた。
「木田さん、電気が来たよぉ!」
 ハルがコントローラーの前で大声で叫ぶ。
「リセットボタンを押して、少し動かしてみて下さい」
 ハルは黒色のリセットボタンを押すと、前後進レバーを前に倒した。
「きゅぃいいいいん」
「お、動くね!」
 どうやらここでの問題は解決した様だった。

 私は管内を出ると、すぐに協成の前山に連絡を入れた。
「…という訳で、制御盤内のブレーカーが落ちるんですよ」
 私の説明を聞いた前山は、すぐに一つの結論を出した。
「恐らく、過負荷が原因だと思います」
「過負荷?」
「ええ、キャットが時計回りに120度の位置に来た時、恐らくもっとも強い負荷が、モーターに掛かるんだと思います。それが原因としか考えられませんね」
「うーん、その過負荷の原因は、もしかしてエアシリンダーが原因?」
 前山は答え難そうに言った。
「キャットがその位置に来た時、まずはロボット自体の重量と、エアシリンダー二本の合力が、最も強く働くんだと思います」
「解決方法はあるの?」
「申し訳ありませんけど、現状ではありません。これは根本的な設計思想に起因する問題ですので…」
「過負荷が原因でオーバーロードしないの?」
「その為の制御盤ですんで、それは大丈夫です。ブレーカーが落ちるのも、回路の保護の為です」
「うーん、まあそれは納得するとして、その過負荷に対する許容範囲の設定値はあるの?」
「もちろんあります」
「じゃあ、その数値を再設定すれば、多少は違って来るの?」
「ええ、それはそうですけど、極端な数値を設定すると、モーターが焼ける危険性がありますね」
「じゃあ、ギリギリの数値を教えて下さいよ」
「分かりました」
「ところで、どうやってそれを設定するの?」
「あれ?マニュアルにありませんでしたっけ?」
「そんなページ、あったかなぁ?じゃあその説明書を、K建設の現場事務所にファックスしてくれる?」
「分かりました」

 三十分後、私は制御盤の中の設定値を修正した。これにより、管内ロボットがいきなり停止する事は、かなり減ったのだった。



はくりんちゅ245

2008-07-23 23:36:13 | 剥離人
 じわりじわりと、200ミリ(オーバーラップが前後50ミリ、計300ミリ)刻みで、管内ロボットは塗装を剥離して行った。

「木田君、これで勾配の部分は終わりだね」
 小磯がじっとロボットの動きを見守りながら、防塵マスクの中から言った。
 
 本来は我々の工事では、防塵マスクをする必要など無いのだが、この水管橋の上流では、鋼管のインサート作業が行われており、それに伴う溶接作業が行われていた。
 アーク溶接が行われると、そこでは必ず『ヒューム』が発生する。ヒュームとは、溶接時に発生する金属蒸気のことで、この金属微粒子が肺に沈着すると、塵肺の原因となるのだ。従って我々も、上流から流れてくるヒュームの吸引を防ぐために、管内では防塵マスクを着用していた。

「まだまだ先は長いですね」
「ハル、ちょっと手前に引っ張れ」
 小磯は頷きながら、ハルに指示を出す。
 管内ロボットの脚部には、ナイロンスリングが結びつけられていて、剥離しているリングがずれそうになると、その度にハルがナイロンスリングを引っ張って修正している。
「やっぱりステアリングは使えませんか」
「ああ、どうしても動きが一度止まるし、意外と微調整が効かないんだよね」
 小磯はそう言いながら、しっかりとロボットの軌道を監視している。
 いつの間にか、管内ロボットには直管蛍光灯が装備され、ハイドロキャットには、ノズル位置を示す、ピンクの絶縁テープが巻かれた針金が装着されている。とにかく小磯は、使用機器をカスタマイズするのが大好きだ。
「木田君、それよりも重大な事が分かったんだよ」
「何ですか?」
「足が痛いんだよ」
「足?どうかしたんですか?」
「いや、この管の中って、一箇所も平らな場所が無いんだよ」
「まあ、そうですね、『管』ですから…」
「物凄く足が疲れるんだよ」
 確かに、最初は気付かなかったのだが、この管の中に長時間居ると、だんだん足が疲れてくる。もう異様に足の裏が疲れるのだ。それはどこに立っていようと、常に足の裏に変な力が加わるのが原因の様だった。
「確かに疲れますね。平らな場所が無いことが、こんなに疲れるとは僕も思いませんでしたよ」
「木田君もずっとここに居てごらんよ、辛さが分かるから」
「ま、僕はずっとここに居る訳には行きませんけどね」
「木田君、俺もゆっくりと休憩したいんだよ」
「別に休憩して下さいよ」
「俺が居なきゃ、誰がロボットを動かすの?」
「ハルさんが居るじゃないですか。ハルさん、大丈夫ですよね?」
 水管の丸みに背を持たせてしゃがんでいたハルが、は?という顔をしている。
「ハルさん、このロボットの操作、そろそろ大丈夫ですよね」
 私はもう一度ハルに同じ事を訊いた。
「ん?難しい事は分からないけど、今と同じ様にやればイイんでしょ?」
 ハルは少し困った顔をしながら、腰を上げた。
「一人が休憩に行ってる間、これをもう一人でやるの?」
 小磯がムッとした顔で、ロボットを顎でしゃくった。
「だからその為に一人、ここに付けてるんじゃないですか。彼を有効に使って下さいよ」
 私は後ろでボーっと立っている、本村組の柳川を親指で指した。
「ハイハイ」
 ここの所、小磯は何が不満なのか、やけに突っかかって来ることが多かった。
「とにかく、ロボットに何か不具合があったら、すぐに連絡して下さいね」
 私はそう言うと、三人を残して水管橋を戻り始めた。
 協成の前山とF社の大澤が現場に顔を出してくれるのも今日までなので、私はやや神経質になっていた。

「キーちゃん、どうだいこの防音シートは!」
 マンホールから出ると、佐野がバキューム装置に追加の防音シートを掛けていた。バキューム装置のすぐ隣は民家になっており、佐野が率先して余っていた防音シートを追加してくれたのだった。
「イイですけど、なんか、ボンテージファッションみたいですね」
 佐野はまるでバキューム装置に服を着せるようにシートを巻き、背中の開いた衣装を紐で縛り上げるように、ビニール紐でシートを縛り上げていた。
「なんか、『バキュームフェラ子ちゃん』に、ボンテージ衣装を着せて、恐ろしく下品な現場ですよね」
 気まぐれで手伝っていた大澤も、隣で笑っている。
 佐野はさらに説明を続ける。
「しかもほら、このダクト」
「ああ、送風機用のダクトですね」
「ちょっと借りたんだけど、マフラーにこれを付けて、後藤の爺さんの暖房器具として使ってるから」
 確かにダクトはバキューム装置の中から出て、水処理装置で仕事をしている後藤の足元に向かって伸びていた。
「後藤さん、どう?これがあると違う?」
 私は後藤に近寄って訊いて見た。
「全然違うね、かなり足元が暖かいよ」

 私は佐野のアイデアに感謝すると同時に、明日からの現場に若干の不安を感じていた。

はくりんちゅ244

2008-07-22 14:34:33 | 剥離人
 翌日、朝から水管橋内では、管内ロボットによる剥離作業が始まっていた。

 今日は現場の人数もぐっと減り、R社以外のメンバーは、W運輸機構の佐野と後藤、協成の前山、F社の大澤に、本村組の柳川という職人だけになっていた。
「佐野さん…」
 私は作業用コンテナの中で、昨日から気になっていることを佐野に相談した。
「今の剥離スピード、かなりまずいですよね」
「ま、確かに遅いよね」
「管の内径が3.3メートルなんで、一周約10メートル。管内ロボットのスピードが、理論値で1.1メートル/分ですけど、実質それなりの負荷が掛かってますから、約1.0メートル/分とすると、計算上は一周10分掛かるんですよ。実際に今は一周10分掛かってますからねぇ。それに一周したら台車の移動作業もあるから、さらに数分掛かってますからね…」
「あのコントローラーに表示される周波数は、スピードの表示じゃないんだよね」
「ええ、計算式があって、『速度(m/min) = 120(定数) × F(周波数)/4 × 0.628(ホイル周長) × 1/200(減速比) × 0.97(効率)』っていう公式に当てはめる…らしいです。前山さんがそう言ってました」
 私は佐野に、前山がくれたA4の紙をヒラヒラとして見せた。
「普段はどの程度のスピードで剥離出来るの?」
「エポキシ系の塗料なら、20~25Hzですね。まあ、大体今の倍のスピードですよ」
「それから考えると、確かに厳しい数字だね」
「ええ、まあポンプに距離が近づけば近づくほど、ジェットの実効圧力は上がるはずなんで、大丈夫だとは思うんですけどね」
「まあ、大丈夫だべ。1,800kgf/cm2で剥がれる塗料なんだから、後半100メートルに入ったら、いつもの剥離作業と同じ条件になるんだし、そこからは早いと思うよ」
「そうですかね?」
「心配無いって」
 佐野はいつもの様にニヤリと笑い、飄々としている。今の自分に一番欠けているのは、やはり経験値だった。十年間塗装工事に携わっていた佐野の言葉は、私にとって何よりもありがたい精神安定剤だった。

「それよりもキーちゃん、あの宿の近くのフィリピンパブは凄いね」
「フィリピンパブ?」
「宿から徒歩二分の場所に、フィリピンパブがあるんだよ」
「あんな場所に?」
 W運輸機工のメンバーの為に用意した宿は、この工事現場に近く、住宅街の外れのパッとしない場所だった。とても近所にフィリピンパブがある様な環境とは思えなかった。
「しかもそのフィリピンパブ、食券制なんだよ」
 佐野は自分で言いながら大笑いをしている。
「は?食券?食事処なんですか?」
「いや、パブだよ」
「意味が分からないんですけど」
「店に入るでしょ、そうすると店の中に券売機があるんだよ」
「えー、牛丼屋とか、立ち食い蕎麦屋にあるみたいな?」
「そうそう、その券売機に一時間分の料金を入れると、ウィーン、ガチャンって、白い食券が出てくるんだよ」
 佐野は自分で言いながら、また大笑いしている。
「それ、本当の話ですか?」
「本当だって、他の食事のメニューとか、ボトルとかも、全部その券売機で食券を買うんだよ」
「うははは、マジですか?強烈な店ですね。でもなんで券売機なんですか?」
「それは行けば分かるから、この現場の終わりに行こうぜ」
「行きたいですね、その店は。でもちゃんと女の子は居るんですか?」
「居るよぉ、キーちゃんが好きそうなムチムチした子が何人も居るよ」
「おー、楽しみですね、めっちゃ行きたくなって来ましたよ!」
「だべぇ?」
 佐野はニヤニヤとしながら、腕組みをして頷く。
「じゃあ、この現場の片付けの時に、皆でその宿に泊まって、打ち上げをやりましょう!」

 現場仕事には、こういう楽しみを用意しておく必要があり、その点においても、佐野は良く現場仕事を理解していた。