ドクターリコの明日もHappy!

形成外科医リコの、美容と医療と育児と趣味のブログ。http://kitamurariko.com/

Kくんの言葉

2011-05-10 19:42:37 | 日記
お休み期間中に、以前勤めていた長崎医療センターへ、ご挨拶(遊びに)・・・
地元の大村市を含めた長崎県央地区で一番大きな基幹病院、研修医時代の1年間を含めてトータル5年間勤務した病院です

外来や病棟を歩くと、あちこちで懐かしい顔に「理子先生」と声を掛けて頂いて・・・
売店のお姉さんにまで、「先生、久しぶりですねぇ~」って言われちゃいました



そこで・・・偶然にも、久しぶりに外来受診していたKくんと再会しました。


救命病棟に入院していたKくん・・・その時Kくんはまだ小学生でした。
全身の60%以上という大やけどを負ったKくん。救命病棟の個室で、熱傷患者さん用の特殊なベッドに寝かされて、何本もの点滴、モニター類、おしっこの管などなど、たくさんのチューブにつながれていました。
もちろん私はKくんの命を助けたい、という思いで一杯・・・一日何度もKくんの個室へ行き、尿量や検査データのチェック、血圧や心拍数などのバイタルの数値とにらめっこをしていました・・・・が。
ある時、データをチェックして部屋を出ようとした私に、薬で眠っているとばかり思っていたKくんがささやいたのです。

「ぼくのところに来たんだから、ぼくと話をしていって・・・」

ガツンと。殴られたくらいの衝撃でした。
「ごめんね・・・・・ごめんね、Kくん。Kくんの言うとおりだね。」

病を診て人を診ず。あやうく、頭でっかちの医者になってしまうところを、Kくんが救ってくれました。


それから毎日、Kくんと話をしました。
意識レベルが落ち、何度も呼びかけても返事がないこともありました。
10回以上、全身麻酔の手術もしました。
一般病棟に移ってから、毎日毎日、治療のためにお風呂に入って、処置をしました。
すごくすごく辛いリハビリも、一緒にリハビリ室へ通いました。
・・・状態が悪くなって、人の顔が見分けられなくなった時・・・「お父さん」「お母さん」「理子先生」だけは呼んでくれました。


Kくんの入院は3年間に及びました。




久しぶりに会ったKくん。
小さかったKくんは、私の身長を追い越して・・・今月、二十歳の誕生日を迎えます。
「ありがとうございました」と言うKくんと握手しながら、
「私こそ、Kくんにありがとうを言わなきゃなんだよ」と、この話をしましたが・・・

Kくんはちょっと照れ臭そうに「おぼえとらんよ・・・」とつぶやいていました。

コメント (3)
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