断章5 1995年 秋 清涼寺
三番の囃子が微かに聞こえる、年によってバラつきはあるものの、洛東・洛南はおろかこの辺りに比べても、この寺では半月から一月ほど紅葉が早い。方丈の縁側に腰かけて小堀遠州作庭と言われる枯山水と燃え上がる色に染まった紅葉をぼーと見ていると、横に座ったDeeがふと呟いた。「土蜘蛛だったから、こちらに退避したのかい。」
「うん、いやまつろわぬものの子孫としてはね。これは冗談、半分本気。紅葉狩り、初めてかい。」
「京都にもうかれこれ30年近く住んでるけど、直に見るのはこれが初めて。退屈極まりない繰り返しと急転直下のグランギニョール。Damがつついてくれなかったら見落とすところだった。」
「ぼくは何度目かになるが、それでも見落としそうになる。コツはお地蔵様が出てくるまではテンションを落として置くこと、そうじゃないと繰り返しの性で催眠状態になってしまうか、退屈しのぎに何か別の事を考えるようになってしまう。とにかく紅葉狩りを見終わるとぐったりしてしまいこんが続かなくなってしまう。これは本気で、半分冗談。」
「繰り返しのメスメリズム。日常世界そのものへのハレの吸い込まれ、いやハレとしての象徴性が日常へと溶け込んで行く世界。言い換えれば、「古典の観劇」と言う枠組みへの参加がハレであり、その内容は、我々には無縁の「オハナシ」と言う事かい。」
「保存の対象、古典芸能とされていく過程での落下いや顛落。日常生活に突然刺さりこんで我々を漁る働きを失い、非日常の飾りつけとしての機能だけを残して尊ばれる状況。」
「今日の話題は、それかい。血を失った代わりにイデオロギーを注入された蝋人形館でのネクロマンシーの話。ヤンコットでもやるのかい。」
「いや、今日はすこし違った観点から喋る。この国で歴史を少し齧った事がある人間なら、室町中期以降の御所巻や戦国期の乱妨取りそして江戸期の鈴ヶ森や小塚原。エロスの涙なんぞ読んでいれば凌遅を持ち出してなんと野蛮な、それに比べて西欧は・・・と蘊蓄を始める。この辺りの機序、それも中途半端な釈義だから、折角きれいにカケハギされたものが彼らの口を通すと金継ぎになってしまう。受け取る側は更にひどく、舶来物は別して・・・などと見当違いな拝跪をしてしまう。この辺りについて少し話をしてみたい。取分け三王国戦争から合衆国独立までを枠組みにしてね。」
「形而上詩人から産業革命までか、場所は基本的にブリテン島。これでいいかい。」
「同意。」
「分かったけど、今日はやめよう。ぶっそうな領域に踏み込む事になるし、準備も必要だ。お互いに断片でいいから思い付きをやり取りし、再来年の春、君の故郷の廃城で桜の散るのを楽しみながら、と言うのは如何かい。今日は只、紅葉を見る事にしたい。」
「了解。」
書庫にある、手稿・断片の保管箪笥から電子メールで取り交わした往復書簡を取り出してみる。丁度「Gun-powder Empireとキジルバシ:織豊政権と鉄砲組」というテーマで世界中を廻って資料収集をする一方、家業を継ぐため、電気・ボイラー関連の資格を取得する。そんなアクロバットを行っていた事も有って、次にDeeに会ったのは結局21世紀に入ってからだった。
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