平野屋跡


平野屋は両替商を営む大坂の豪商。代々「五兵衛」を名乗った。
文久3(1863)年4月、新選組は平野屋に百両を出させ、その金で隊服を制作した。八木為三郎が「浅葱のうすい色、袖口と袖に白い山型を三角に染め抜いてある」と語ったあの隊服である。その意匠は、忠臣蔵「赤穂浪士」の装束からであったと言われている。

発見難易度 ★★☆☆☆
「天五に平五 十兵衛横町」の碑が残っています。
当時、同じ両替商の「天王寺屋五兵衛」と「平野屋五兵衛」の2軒が道を挟んで店を構えており、「天五+平五で十兵衛」ってことですな。

東横堀橋に架かる「今橋」の近くです。
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