仙台城址


慶応4(1868)年9月3日、土方歳三は、榎本武揚と共に仙台城に登城、本丸大広間での奥羽越列藩同盟の会議に参加をした。その際、土方は同盟の総督に推挙されるが、承諾の条件として「総督の生殺与奪の権限」を提示した。身分を問わず、逆らうものは剣で制裁するという土方の言葉に、二本松藩主の安部井磐根が反対、他のものも賛成できずに黙していると、土方は席を蹴って退出したという。
その後、9月15日に奥羽越列藩同盟の盟主であった仙台藩が降伏すると、旧幕府軍は、蝦夷地を目指し、北へ向かったのであった。

発見難易度 ★★★☆☆
仙台城の発見ではありません。本丸大広間跡の発見です。現在本丸は残っていませんが、大広間は本丸の北部に位置し、430畳にも及ぶ大規模なものでありました。上記「安部井磐根」は土方さんのことを「美男子」と評した人ですな。
ちなみに、大平間跡は、あの伊達政宗騎馬像の背後(裏手)になります。さすがに伊達政宗公のお尻を写真に収めている人はいませんでしたね(笑)。

   
城址の碑    伊達政宗騎馬像      護国神社      仙台市内展望




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林香院


林香院は新選組の仙台での屯所であった。仙台での新選組には、桑名藩などの藩士らが加わり、蝦夷地に向かう際には、再び100人を超える大所帯となっている。

発見難易度 ★☆☆☆☆
大きなお寺なので、すぐにわかるかと思います。林香院は、仙台七福神のひとつであり、弁財天が祀られています。
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外人屋跡


幕府の役人や他藩の大名など、仙台藩の「外からの人」の宿舎となったところ。榎本武揚、土方歳三も仙台城に登城する際に宿泊している。

発見難易度 ★★★★☆
仙台の中心、「国分町」にあったとされています。この辺りは太平洋戦争の空襲で焼けてしまったため、外人屋は残っていません。
我々は、新選組資料の住所を頼りに探しました。該当住所の場所は、資料の写真では「明治生命ビル」だったのですが、テナントが変わってしまっていました‥。
(現在は「TSUTAYA」となっています。)

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土方歳三書状


仙台城三の丸跡にある「仙台市博物館」には、土方が小島鹿之助(土方の縁者で新選組の支援者)に書いた、元治元(1864)年9月21日の手紙が展示されている。火事見舞いの無沙汰を詫び、近藤勇が江戸に行く際に京都の情勢を伝えます、と書かれている。

発見難易度 ★★★★☆
平成23年9月の時点では、常設展からは外れています。‥が、ちょうど開館50年「館蔵名品百選」の特別展が行われており、見ることができました。
書状には「土方がもらったラブレターも送るので見てくれ」とも書かれていましたが、もらった小島鹿之助さんはいったいどうしたんでしょうかね?
  
クリックで拡大します。

なお、書状は掲載できません‥。


代わりに、かわいいトイレのマークを。
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日和山鹿島御児神社


日和山では旧幕府軍の軍事演習が行われた。この日和山山頂にある鹿島御児神社が土方の宿舎であった。(現在の本殿は改築されている。)
日和山は標高56mの丘。頂上からは、石巻の町や海が見渡せる。土方も、ここから海を眺めていたのであろう。

発見難易度 ★★☆☆☆


日和山を登るルートは大きく2通りありますが、車では廻り道をするルートのほうがよいかと思います。
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旧毛利邸跡


石巻の豪商毛利家の邸宅は榎本武揚の宿舎となり、土方や大鳥圭介ら旧幕府軍幹部による軍議も開かれた。二階の柱には、土方がつけたと言われている刀傷(「土方歳三怒りの刀傷」と伝えられている)が残っていた。

発見難易度 ★★★★☆
毛利邸は‥、現在発見できません。残念ながら、老朽化で解体されてしまいました。我々は、新選組資料に掲載されていた住所と写真を頼りに跡地を探しました。(決め手は残された柱とポストです。)
なお、刀傷の柱は、家の所有者の方が保存されているそうです。
ちなみに、土方が何に対して激昂したのかはわかりません。奥羽越列藩同盟の中で煮え切らない態度にあった仙台藩に対し‥という説もあります。
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折浜


折浜は、蝦夷地を目指す榎本武揚艦隊が集結した漁村である。折浜では、土方歳三が、土地の者に「いろいろ世話になるので、これで一杯やってくれ」と言ってお金を渡したそうである。記録には「土方歳三は礼正しく、紳士的だった」と残っている。
なお、新選組は、艦隊に積み込むための物資の輸送を担当し、輸送船・大江丸に乗って蝦夷地へと出航した。

 

発見難易度 ★★★★★★
折浜を見下ろす風越峠には「榎本武揚艦隊集結地」の木柱が立っています。しかし、この風越峠に行く道は、現在通行止めとなってしまいました。というか、上の写真でわかるよう、マジで通行できません。(クリックで拡大します。) 加え、今はこの木柱自体があるかどうか‥。
なお、この記事トップの写真に見える海は、厳密には蛤浜の海であると思われ、折浜はこの奥になります。ちなみに、折浜の浜辺にも「榎本武揚艦隊集結地」の木柱があるのですが、平成23年9月現在、そこまで車で行くのは無理なようです。そして、こちらの木柱も、今はもうなくなっているのかと‥。
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