石田寺


5月11日は、新選組副長・土方歳三が35年の生涯を閉じた日。
石田寺は、土方歳三の墓石が立てられている寺である。戒名は「歳進院殿誠山義豊大居士」。
なお、石田寺の墓はいわゆる「引き墓」であり、ここに歳三が埋葬されているわけではない。歳三の遺体は、五稜郭に埋葬されたとも、別の場所に安置されたとも言われているが、その場所は特定されていない。
2005年、函館で歳三を埋葬したと伝えられる土を子孫の方が持ち帰り、供養をしてここに納めたそうである。

辞世の句 よしや身は蝦夷が島辺に朽ちぬとも 魂は東の君やまもらん

発見難易度 ★★★☆☆
奥まったところにありますが、日野高校が目印です。
死後百年以上過ぎた今も、5月の第2日曜日に行われる「歳三忌」には、追悼に訪れた人々で埋まります。

 
土方歳三義豊之碑       左:土方家墓 右:土方歳三墓
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新選組のふるさと歴史館


新選組のふるさとだけあって、新選組関係の展示物が非常に充実している。新選組を研究する上でたいへん貴重な資料もある。また、大河ドラマで使用された小道具なども展示されており、歴史好きならずとも楽しめる。

発見難易度 ★★☆☆☆
場所はわかりやすいのですが、新選組の史跡からはちょっと離れるので、車で移動するのが無難です。
館内では、天然理心流の木刀も振れます。(とんでもなく太かった!) ちなみに天然理心流の形は、日本剣道形よりも難しい気がします。
これでミュージアムギャラリーみたいな売店があれば最高。…というわけで、大河で屯所移転の際に近所に配っていた「手ぬぐい」は、土方歳三資料館でゲットしておきましょう。

  
歴史館エントランス        箱館戦争ジオラマ        斉藤一のこけし
 
八木為三郎の日記        おまさの店の暖簾       

新選組隊旗


日野市立新選組のふるさと歴史館
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流山本陣


慶応4年4月1日、新選組は流山に本拠を移すが、武装集団が集結しているとの知らせを受け、3日には薩摩の有馬藤太が本陣を包囲。近藤は切腹を決心するが、土方の説得により「大久保大和」として出頭する。
なお、写真の「長岡屋(鶴屋)」が本陣とされるが、これについては異論もある。

発見難易度 ★★★★☆
大きな通りにあるわけではないので、偶然に発見することはまずないでしょう。ただ、道路に案内板が出ているので、目印に進むとよいかと思います。なお、混雑時は近くに駐車は難しいかも。


近藤勇陣屋跡の碑
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光明院


新選組が流山に本陣を置いた際、隊士たちは光明院や流山寺などに分宿した。本陣が新政府軍に包囲されたとき、隊士たちは光明院で調練を行っていたという。近藤は、新政府軍を光明院に案内している。

発見難易度 ★★★☆☆
本陣から500mほど離れたところに位置する。分かりにくいが、駐車はしやすい。


流山寺の大黒様
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流山市立博物館


流山における新選組本陣の様子や、新政府軍の行軍行路、合戦の状況などが記されている資料など、新選組に関するコーナーあり。陣屋に残った階段も展示されている。

発見難易度 ★☆☆☆☆
図書館と並んであります。駐車場もあり。駐車場に止めた後は、ほんのちょっと山を登ります。


陣屋に残った階段
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五兵衛新田(金子邸)


鳥羽・伏見の戦で井上源三郎が戦死、沖田総司も病気で離隊、そのうえ永倉・原田も去ってしまった新選組。
慶応4(1868)年3月中旬、近藤と土方は新選組の再起のため、五兵衛新田(東京都足立区)に拠点を移した。その際に滞在したのが、この「金子左内宅」である。この地で新隊士を募集し、230人近くまでその勢力を復活させた新選組は、4月1日、流山へ移動していくのである。
なお、勝沼で新政府軍に抗戦してしまったため、近藤は「大久保剛」から「大久保大和」に変名している。

発見難易度 ★★★☆☆
大きな通りから一本入った細い路地にあります。車もほとんど通りません。なお、家の前に説明版があります。
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五兵衛新田(観音寺)


五兵衛新田では、金子邸を本陣とした新選組だが、新規に募集した隊士の数も増え、金子邸だけでは収容しきれなくなったっため、隊士を付近に分宿させた。その一つが観音寺である。

発見難易度 ★☆☆☆☆
結構わかりやすいです。偶然通りかかった人も山門前の説明版を読んでます。平成18年に本堂がリニューアルされやようで、やたらキレイです。
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柏尾古戦場


鳥羽・伏見の戦いに敗れた新選組は、江戸に戻って「甲州鎮撫隊」に名を変え、巻き返しを図った。官軍の進撃を阻止しようと甲府城に向かったものの、すでに城は開城された後。近藤は、勝沼の柏尾山に本陣を置き、大砲2門を据えたが官軍に包囲され、全軍敗走することになる。

発見難易度 ★★★☆☆
近くに大善寺があるので位置の把握は簡単ですが、意外と見逃すのかも。まぁ、これが第一目的で勝沼に行く人はあんましいないのでは?ということで。
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近藤勇像


柏尾古戦場に建っている像。甲陽鎮撫隊の陣頭指揮を執った近藤勇であったが、檄も届かず、多くの脱走兵を出すなど足並みも揃わず、官軍とは勝負にならなかった。

発見難易度 ★★☆☆☆
柏尾古戦場跡とセットで発見できます。数ある近藤勇の像の中でも、群を抜いてカッコ悪いところが、敗軍の将としての悲しさを、より際立たせていると思います。
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大善寺東神願鳥居跡


勝沼戦争時、甲陽鎮撫隊(新選組)は、大善寺に本陣を構えようとしたが、名利が戦禍で失われることを憂いた近藤の思いから中止になったという。そこで、鳥居の前に大砲2門が据えられたが、実戦ではその役割をほとんど果たさなかったという。

発見難易度 ★★★☆☆
近藤勇の像だけを発見して帰ってはいけません。せっかくここまできたのですから、道路の反対側も見ましょう。
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