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新選組史跡踏査
植木屋平五郎宅跡

沖田総司終焉の地と言われている千駄ヶ谷池尻橋・植木屋平五郎宅。沖田総司は甲陽鎮撫隊に加わったものの、労咳の症状が悪化、江戸に引き返していた。浅草の今戸神社の境内にあった松本良順の寓居で療養していのだが、良順が会津に向かったため、平五郎宅に移った。近藤勇の刑死は知らされなかったため、総司は「先生はどうされたのだろう」と最後まで近藤のことを案じていたという。慶応4(1868)年5月30日、総司は一人、その生涯を終えた。享年二十七。

発見難易度 ★★☆☆☆
「新選組!」では、「燃えよ剣」で総司を演じた島田順司さんが植木屋平五郎を演じるという憎い配役が!



川の跡 この辺が離れ? この辺!?
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沖田総司終焉の地 (今戸神社)

沖田総司終焉の地には諸説あるが、そのうちの一つである「今戸神社」。
今戸説は、永倉新八の「同士連名記」によるもの。
慶応4(1868)年、沖田の主治医である松本良順がこの地に転居した際、加療中の沖田を同行したとも伝えられている。
境内には「沖田総司終焉之地」の碑がある。

発見難易度 ★☆☆☆☆
すぐにわかります。
ちなみに、沖田総司終焉の地としてよりも、「招き猫発祥の地」や、浅草七福神・福禄寿の「縁結び神社」としての方が有名なのかもしれません。



今戸神社 拝殿 中には「巨大招き猫」が…!
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板橋刑場跡地

慶応4(1868)年4月25日正午過ぎ、平尾の一里塚近くにおいて、新選組局長・近藤勇の処刑が執行された。享年35歳。
近藤の首は京に送られ、三条河原に晒された後、何者かが持ち去ったと言われている。また、胴体は刑場から親族が堀り出し、三鷹・龍源寺に埋葬したとも、板橋・寿徳寺境外墓地に埋葬したとも言われている。

発見難易度 ★★★★☆
史跡ではないので、発見しようとする人はあんまりいないのかも。
自分は図書館で住所を調べて行きました。
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