試衛館跡


天保10(1839)年、天然理心流三代目近藤周助が創設。周助の養子となった近藤勇が四代目をを継いだ。試衛館には、後に新選組の中心メンバーとなる土方歳三、沖田総司、井上源三郎、山南敬助、食客として永倉新八、原田左之助、藤堂平助、斎藤一らがいたとされる。
試衛館は江戸市谷甲良屋敷にあり、現在の新宿区市谷柳25番地とされているが、市谷甲良町1番地とする説もある。なお、市谷甲良町1番地には、江戸後期には医学があったことが判明しており、現在は市谷柳町25番地に「試衛館跡」の碑が建てられている。


発見難易度 ★★☆☆☆
目立つところにあるわけではないものの、見つけるのが難しいというほどではありません。

  
路地の奥にひっそりとあります。横にあるのは稲荷神社。

  
この道の右が、碑がある市谷柳25番地。左が市谷甲良町1番地。

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近藤勇生家跡


天保5(1834)年10月9日、近藤勇は多摩郡上石原村で宮川久次郎の三男として生まれた。幼名は勝五郎。生家跡には現在「産湯の井戸」だけが残っており、脇には勇を祭った祠(近藤神社)が建てられている。
なお、建物は昭和18年に調布飛行場建設のために取り壊されているが、調布市郷土博物館に宮川邸を再現した模型が展示されている。

発見難易度 ★★★☆☆
龍源寺は三鷹市。生家は調布市。歩いている途中で市が変わります。
この2つの間は余裕で歩けますが、ここまでは車(バス)でないと来づらいかも。


産湯の井戸
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撥雲館


天然理心流五代目は、近藤勇五郎(勇の婿養子、勇の実兄・音五郎の次男)が継承し、屋敷内の納屋を改築したこの道場で流派の伝承に努めた。
「撥雲館」の名は、山岡鉄舟が命名したと言われる。「撥雲」とは「暗雲を取り除く」という意味。

発見難易度 ★★★☆☆
生家跡の向かいなので発見は容易いのですが、「龍源寺→生家跡」という同じコースを辿っていた人でも、ここを見ていくは少なかったように思います。観光でなく、新選組を追うのであれば、ココも是非。
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伝通院


文久3(1863)年、新選組の前身となる浪士組が結成された。近藤勇率いる試衛館メンバーを含む、二百名以上の大量の浪士が伝通院に結集した。
山門入口には、結成式が行われた伝通院塔頭・処静院の石柱が残されている。
墓地には徳川家康の生母や柴田錬三郎などといった著名人の墓があり、麻布一の橋で暗殺された浪士組提唱者・清河八郎の墓もここにある。

  
伝通院山門            伝通院鐘楼塔           伝通院塔頭・処静院の石柱

発見難易度 ★☆☆☆☆
伝通院を見つけるのは簡単です。

 
清河八郎の墓          案内板

発見難易度 ★★★★☆
問題は清河八郎の墓。お墓の案内板はあるのですが、微妙に場所が違っていて迷います。
案内板では、中央の建物がある道から入り、突き当たって「左」(写真の赤印)の所となっていたのですが、実際にはちょっと「右」にありました…。

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