近藤勇墓


新選組の屯所として使用された天寧寺。 この寺の本堂から続く山道を辿っていくと、そこには松平容保によって建てられた近藤勇の墓がある。 墓が建つ間、土方が作業を見守っていたとも伝わっている。

発見難易度 ★★★☆☆
本堂からの山道は一本道なので、迷うことはないとは思いますが、けっこうな距離を歩きます。 近藤の墓の隣に並んで、土方の慰霊碑もあります。
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如来堂


新選組殉難の地。 斎藤一(山口次郎)や久米部正親らがここに布陣していたが、新政府軍の奇襲により10名ほどが落命、敗走したと伝えられる。 現在は「新選組殉難地」の碑が建てられている。

発見難易度 ★★★★★★
田んぼの中の集落の中にあり、カーナビもお手上げ。 とても容易には発見できません。 やるな、新政府軍…。 ちなみに、車じゃないと行くのはちょっとキツいのかな…と。 
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阿弥陀寺(斎藤一墓)


境内には戊辰戦争で戦死した会津方の約1,300名が葬られている。 ここには、会津新選組の隊長であった斉藤一の墓もある。 斎藤は、明治維新後、上京して警視庁に就職、藤田五郎として西南戦争にも出征している。

発見難易度★☆☆☆☆
阿弥陀寺がわかれば、難なく発見できます。 当然、斎藤家ではなく藤田家の墓となっているので、注意。 なお、他の墓とは別に建っています。
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阿弥陀寺(御三階)


戊辰戦争の際に、重臣たちが密議で使用した若松城の御三階(やぐら)。 弾痕の跡も残されている。

発見難易度 ★☆☆☆☆
斎藤一の墓が発見できれば、すぐにわかります。 ちなみに、阿弥陀寺は、混雑期でなければ、境内に車を停めることができますよ。
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滝沢本陣


戊辰戦争では会津藩の本営となった。 松平容保が白虎隊に出陣を命じた所でもある。 また、土方も滞陣し、新選組も出陣を命じられている。 建物内部には、刀傷や弾痕が多数残り、戦いの激しさが伝わる。 なお、写真中央奥の像は松平容保公。

発見難易度 ☆☆☆☆☆
カンタンにわかるでしょう。 受付のおじいちゃんの声と、館内に流れるガイドテープの声が同じで、微笑ましいです。 館内に駐車も可能。
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清水屋旅館


宇都宮城の戦いで脚に負傷をした土方が、治療のために宿泊したところ。 松平容保公の侍医・馬島瑞園の治療を受けたそうである。

発見難易度 ★★☆☆☆
建物は昭和初期に取り壊され、現在は「大東銀行会津支店」となっています。 けっこう大きな説明板があるので目立ちます。
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会津武家屋敷


敷地内には、清河八郎を暗殺し、坂本龍馬の暗殺も指示したと言われている、見廻組佐々木只三郎の墓が、和歌山の紀三井寺から移されている。 また、ここで大河「新選組!」のロケも行われています。

発見難易度 ★☆☆☆☆
超観光スポットなのですぐに分かりますが、入場料が高いです。
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白虎隊記念館


白虎隊のみならず、新選組関連の貴重な資料も充実している。 目玉は「土方歳三の鎖帷子」だったのですが、2005年に土方家に返還されたそうです。

発見難易度 ★☆☆☆☆
発見は難なくできますが、土方の鎖帷子がなくなっていたショックはでかかったです。 なお、飯盛山下には土産物屋が並び、店の駐車場に誘導する客引きがたくさんいます。
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