宮古湾


江差で軍艦「開陽」を失ってしまった旧幕府軍は、明治二(1869)年3月、宮古港に停泊する新政府軍の最新鋭艦「甲鉄」奪取の作戦を立てた。旧幕府軍は、「回天」「蟠龍」「高雄」の三隻の艦隊で箱館を出航したが、途中「蟠龍」は流され、「高雄」も故障してしまう。宮古での作戦決行時には、「回天」一隻となってしまっていた。
土方は、「回天」一隻で「甲鉄」への攻撃を強行。しかし、ガットリング銃など近代兵器を使う新政府軍による反撃にあい、わずか三十分あまりで惨敗してしまった。

発見難易度 ★☆☆☆☆


湾の写真は、上の海戦略図(クリックで拡大)の「魚市場」の場所から撮ったもの。
あの辺で回天が甲鉄にアボルダージュ!
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浄土ヶ浜


浄土ヶ浜へと降りていく坂道の途中、御台場展望台への入口に「宮古湾海戦記念碑」がある。記念碑は、昭和43(1968)年に、明治100年を記念して建てられたもので、大砲と砲台がかたどられている。
その美しさから「さながら極楽浄土のごとし」と名づけられた浄土ヶ浜。この海が宮古湾海戦での戦場となった。

発見難易度 ★★★☆☆
記念碑の題字は鈴木善幸元首相。岩手出身なんですね。


 
浄土ヶ浜は静かでキレイでした。


その昔、レストハウスの脇に、アボルダージュを再現した模型があったのですが‥。
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宮古湾海戦懐古之図


土方の執ったこの接舷攻撃(自艦を敵艦にぶつけて乗り込こみ、敵艦を奪い取る戦法)は、実はフランス語で「アボルダージュ」と呼ばれる戦術であった。
だが、思うに土方は、これをおそらく書物などから学んだのではなく、喧嘩屋として発想したのであろう。
 
発見難易度 ★★☆☆☆


浄土ヶ浜ターミナルビルの外階段踊り場にあります。アボルダージュが「イ」の字でなく、「リ」の字になっていれば‥。
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臼木山


眼下に宮古湾が広がる臼木山には「宮古湾海戦」の碑が立つ。海戦130年を記念して、平成11(1999)年に建てられたものであり、土方歳三と共に、当時、新政府軍の三等士官として軍艦「春日」に乗り込んでいた東郷平八郎も肖像写真入りで紹介されている。

 

発見難易度 ★★★★☆
どのルートで山を登るかで、発見難易度に大きな差が!
浄土ヶ浜・第1駐車場からの登山ルートはかなり大変そうなので、我々は第2駐車場からのルートで行きました。ちなみに、水産科学館の横の道が舗装されていて一番楽だと思います。(下りにはこのルートを使用しました。)
なお、頂上で、海戦の碑を探すのに少してこずるかもしれません。
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藤原観音堂


新選組隊士野村利三郎は、宮古湾海戦の際、アボルダージュした回天から真っ先に甲鉄の甲板に飛び降りていったが、回天に戻ってくることはなかった。後日、海岸に旧幕軍兵士と思われる首のない遺体が漂着、これが野村ではないかと言われている。
野村利三郎は、入隊時期は不明だが、近藤勇が流山で新政府軍へ出頭する際、近藤と共に捕縛されている。近藤が処刑される際、近藤の助命嘆願により相馬主計と共に釈放され、その後、相馬と共に土方の後を追った。

発見難易度 ★★☆☆☆


墓にはキレイなお花が添えられていました。
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