板橋刑場跡地


慶応4(1868)年4月25日正午過ぎ、平尾の一里塚近くにおいて、新選組局長・近藤勇の処刑が執行された。享年35歳。
近藤の首は京に送られ、三条河原に晒された後、何者かが持ち去ったと言われている。また、胴体は刑場から親族が堀り出し、三鷹・龍源寺に埋葬したとも、板橋・寿徳寺境外墓地に埋葬したとも言われている。

発見難易度 ★★★★☆
史跡ではないので、発見しようとする人はあんまりいないのかも。
自分は図書館で住所を調べて行きました。
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