住吉楼跡

文久3(1863)年6月3日、蜆橋でのいさかいをきっかけに、芹沢鴨らと大坂力士が住吉楼の門前で乱闘となった(「大坂角力事件」)。 この事件では、関取の熊川が死亡、負傷者も多数出たという。後日、芹沢と近藤は連名で大坂東町奉行所に届け出を出している。
なお、この事件は、新選組が8月に相撲興行を催したのを機に、無事和解をしている。

発見難易度 ★★★☆☆
跡地は不明です。現在もこの辺り(キタの新地)は歓楽街となっています。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )