八軒屋船着場跡


鳥羽・伏見の戦いで敗北した新選組は、大坂での定宿であった、天満橋南の八軒屋にある「京屋忠兵衛」方に入った。 しかし、時の将軍徳川慶喜は、同日夜、大坂から脱出するべく、この八軒屋の船着場から天保山沖まで川舟で下ってしまうのである。「たとえ、千騎没して一騎となるといえども退くべからず。」と、将軍自ら兵を鼓舞した直後の出来事であった‥。

発見難易度 ★☆☆☆☆
「永田屋昆布店」の軒先に「八軒屋船着場の跡」の石碑(上の写真)があります。八軒屋というからには、少なくとも8軒は宿屋があったんでしょうね。 現在は、川沿いに「八軒家浜船着場」と「川の駅・はちけんや」が作られています。


八軒家浜船着場
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