いちご畑よ永遠に(旧アメーバブログ)

アメーバブログ「いちご畑よ永遠に(旧ヤフーブログ)」は2023年7月に全件削除されましたが一部復活

福島県郡山市 足利満直の篠川御所跡 篠川城跡 東舘稲荷神社

2024年07月04日 14時24分58秒 | 福島県

篠川城跡・篠川御所跡。東舘稲荷神社。福島県郡山市安積町笹川東舘。

2024年5月28日(火)。

東北最大規模の前方後方墳・大安場1号墳を見学後、南西に向かい、室町時代に鎌倉公方足利満兼から派遣された弟の足利満直の篠川御所跡(篠川城跡)を目指した。篠川御所跡はほとんど残っていないが、東舘稲荷神社がその痕跡だという。県道355線を南進し、神社が東側にある地点に来たが、進入路はないに等しく、駐車スペースもない。

県道355線は旧奥州街道らしく、県道の周囲は笹川宿であったようだ。笹川は、中世の応永年間には篠川とも書き、篠川御所が置かれていた。1604年(慶長9年)、奥州道中(奥州街道)が中世の篠川御所跡を南北に縦貫する道に整備された際に、集落も沿道に移され、1613年(慶長18年)に宿場と定められたという。

東北新幹線高架下に来て、左の高架下脇道に路肩駐車した。

徒歩で、東舘稲荷神社を探して歩き、入口の路地を何とか発見できた。

東舘稲荷神社の参道入口には篠川城跡の碑が立つ。

社殿のある丘まで登ったが、何もあるわけではない。周囲には土塁らしい高まりがあるが土塁かは確認できない。

篠川御所は、室町時代、関東統治のため設置された鎌倉府が奥羽両国を統治するため,陸奥国安積郡篠川に置いた足利一族の呼び名と居館である。1391年(明徳2)暮れから両国併管を認可された鎌倉府は,1399年(応永6)春,第3代関東公方足利満兼のとき,弟の足利満貞,足利満直を岩瀬郡稲村(福島県須賀川市)と篠川に配置し,両国を掌握しようとした。これを稲村御所,篠川御所という。

鎌倉府が南奥にかたより,近接した稲村,篠川の地に兄弟を配置したのは,大崎氏,最上氏ら奥羽の探題家や伊達氏,蘆名氏ら有力国人が反鎌倉府的気運を強めていたためといわれる。

稲村御所と篠川御所との間には支配命令関係や職務権限の相違などはみられず,両御所ともに知行安堵,充行(あておこない),軍勢催促,軍忠感状などの文書を発給しており,相互に協力しながら奥羽支配を展開しようとしたとみられる。しかし、両御所が影響力を持っていたのは南奥が中心であり,その権力基盤は仙道地域の国人一揆であった。

1416年の上杉禅秀の乱以後,両御所は分裂し,稲村御所は足利満兼の子で第4代鎌倉公方の足利持氏方に属し,室町幕府の支援を得た篠川御所と抗争するが,反持氏勢力を結集する篠川方に圧倒され,1424年(応永31)に鎌倉に帰府し,稲村御所は消滅した。鎌倉に帰還した足利満貞は,1439年永享の乱のさい鎌倉公方の足利持氏とともに自害した。この間が篠川公方の全盛期であり,一時は鎌倉公方の地位さえねらったという。

足利満直は1440年(永享12)6月下総結城合戦の最中に,結城方荷担の南奥諸氏に攻められて自殺し篠川公方も滅亡した。

篠川城は、安積町笹川字高瀬、字東舘、字篠川などに跨る東西300m、南北約2kmもの範囲に建てられた群郭式の城郭とみられる。築城の時期ははっきりしないが鎌倉時代に一帯を治めた北条氏一門の北条国時が築いたのが始まりと考えられる。1333年(元弘3年)、鎌倉幕府滅亡時に北条国時の子陸奥六郎が籠城し、石川光隆ら国人に攻められて落城した。1352年(文和元年)、宇津峰へ向かう北朝方の軍と南朝方の合戦が起こり、北朝方が布陣した。1399年(応永6年)篠川公方足利満直がこの地を拠点とし、篠川御所と呼ばれたが、1440年(永享12年)、結城合戦が起こり結城氏方に攻められた足利満直が自害し、篠川公方は滅亡した1580年(天正8年)、阿武隈川対岸の御代田城をめぐって佐竹義重らの連合軍と田村清顕との間で御代田合戦が起こり、佐竹方の須賀川城主・二階堂照行家臣の須田頼隆が布陣した。1589年(天正17年)に伊達政宗に攻められ落城した。

1608年(慶長8年)、江戸幕府の命令により廃城になり、跡地には集落が作られて奥州街道が貫くようになった。

往路を戻ると、明治天皇笹川御小休所碑がある。その南に熊野神社があり、参道を中に入っていくと、篠川御所に関連する記述のある説明版があった。

その南のガソリンスタンドが安かったので、安いガソリンを補給した。会津周遊の途につき、郡山市西端の磐梯熱海温泉・ユラックス熱海温泉に入湯するころには雨が止んだ。猪苗代町の道の駅「猪苗代」で車中泊。

福島県郡山市 大安場(おおやすば)史跡公園ガイダンス施設 古墳時代の郡山


釧路市 史跡北斗遺跡展示館②北斗遺跡の縄文時代

2024年07月04日 10時46分54秒 | 北海道

史跡北斗遺跡展示館。釧路市北斗。

2022年6月12日(日)。

北斗遺跡からは、旧石器時代最終段階に属する細石刃文化時代から、縄文時代早期の東釧路下層様式、前期の綱文土器様式、中期の北筒様式、後期末から晩期初頭の土器、続縄文土器及び擦文式土器、近世アイヌ時代の遺物などいろいろな時代の遺構遺物が出土した。

住居関連では、旧石器時代の火を焚いた跡、縄文時代の住居跡・墓や前期の小貝塚、擦文時代の住居跡などが確認されている。

 

土器では、縄文時代早期の東釧路下層様式前期の綱文土器様式中期の北筒様式後期末から晩期初頭の土器続縄文土器及び擦文式土器の時期が出土している。

東釧路下層様式は東釧路Ⅰ式土器から東釧路Ⅳ式土器までとされる。

東釧路式」の名称は釧路市東釧路貝塚でこのタイプの土器が層位的にまとまって出土したことに由来する。

「東釧路Ⅰ式土器」は筒形・薄手で、土器の表面に繊維質の工具で横方向に擦ったあとが残された特徴をもつグループである。同じような特徴の土器は北海道西南部にも分布する。

およそ8000年前になると、「東釧路Ⅱ式」と呼ばれる縄文が多用された土器が道内各地に分布するようになる。この土器は縄文のほかに、押引き文や貼付け文、刺突文など多様な文様が組み合わさるのが特徴である。

Ⅱ式の形や文様が変化して「東釧路Ⅲ式土器」へ移行し、さらに表面に細い粘土ヒモをいく段にも貼り付け、その間に細かな縄文を施文した「中茶路(なかちゃろ)式」土器へと変遷する。東釧路Ⅳ式土器は体部の縄文が羽状に施文されることに特徴がある。

綱文土器。縄文時代前期前葉の土器。縄文の縄目が太いことから「綱文式(つなもんしき)」という型式名がつけられた。底部が尖底になること、胎土に繊維を多く含むことも特徴である。

北筒式土器(ほくとうしきどき)。約4500年前から、4000年前ころまでの円筒形の縄文土器。円筒形の器形は、東北北部・道南部の円筒土器文化から引き継がれたものである。

これまで時期的な変遷が不明瞭であった北筒様式の土器群が層位的に発見され、第1段階から第5段階にいたる内容がはじめて明らかにされるにいたった。

北筒Ⅰ式土器は、のちにモコト式土器と呼称され、北筒式とは異なる型式として認識されている。

北筒Ⅱ式土器は初期の土器で、北見市常呂遺跡から出土した最古のトコロ6類土器と次の段階のトコロ5類土器・細岡式土器に相当する。

最も古いグループのものは「トコロ6類土器」と呼ばれている。これは北見市トコロ貝塚で発見された土器に由来して呼ばれている。口の部分がやや分厚く作られ、その下に丸い穴がめぐる。胴部は下まで隙間なく縄文がつけられている。

 

11時半ごろ、史跡北斗遺跡展示館から、釧路市街地にある釧路市立博物館へ向かった。翌日の月曜日は博物館系は休館になってしまうので、その後、北海道立釧路芸術館も見学した。釧路湿原は年中無休だが、西岸の温根内ビジターセンターは火曜日休みなので、温根内木道を翌月曜日に歩くことにした。

釧路市 史跡北斗遺跡展示館①北斗遺跡の擦文時代


過去最高の税収72兆円 「インフレ増税」と「円安」のWパンチが国民生活を襲う

2024年07月04日 09時07分28秒 | 社会

過去最高の税収72兆円でも喜べない…「インフレ増税」と「円安」のWパンチが国民生活を襲う

Yahoo news  2024/07/03(水) 日刊ゲンダイDIGITAL

 

金子勝@masaru_kaneko

インフレ増税路線】過去最高の税収72兆円だというが、これは理論的に破綻したリフレ派とMMTに乗っかった「インフレ増税」路線をとった結果。円安インフレは防衛費膨張を生む悪循環を生み、インフレによる実質賃金低下が国民生活を襲う。

勝手に増えていく「インフレ増税」は国には楽(C)日刊ゲンダイ

 

 岸田政権が雀の涙ほどの定額減税を「恩恵だ」と胸を張る一方、過去最高の税収増とは我慢ならない。昨年度の国の一般会計税収が72兆1000億円に上ることが1日、判明した。過去最高だった22年度の71兆1373億円を上回り、4年連続で過去最高を更新する。

 昨年度税収は想定を約2兆5000億円も上回る。今年度は税収70兆円弱を見込むが、想定より上振れの可能性もある。

 

 過去最高税収の要因は、歴史的な円安で輸出企業を中心に法人税収が堅調だったこと。物価高を背景に消費税収も増えたとみられる。経済評論家の斎藤満氏がこう言う。

「企業が儲かって税収が増えるのは良いとしても、問題は消費税収と所得税収です。実質消費が落ち込んでいるのに、物価高のせいで消費税収が増えている。加えて、実質所得が目減りしても、賃上げによって名目所得は増えているから所得税額も高くなる。社会保障負担も重い。過去最高の税収はいわば、国民生活の犠牲の上に成り立っているのであって、決して喜ばしいことではありません。一方、国にとっては、表立って増税しなくても、インフレによって勝手に税収が増える『インフレ増税』という楽なパターンなのです」

 

剰余金は防衛費に回るのが実態 ますます著しく進行する円安は放置で

 税収増を1人当たり4万円の定額減税で還元した気になっている岸田首相である。今さら期待できないどころか、22年度の一般会計の決算剰余金3兆3911億円のうち、法律で優先的に使うことが定められている国債償還費や地方交付税交付金に振り向けた約2兆円を除き、残る約1.4兆円を防衛力強化資金に積み立てたり、防衛関係費の一部に充てたり、防衛費増に回しているのが実態だ。

 

 一方、足元で進行する円安は放置の体たらくである。2日の東京外国為替市場の円相場は1ドル=161円台に下落。1986年以来、約37年半ぶりに安値を更新した。

「ドル円の購買力平価は1ドル=100円前後が望ましいとされる中、1ドル=160円は賃上げ分を吹き飛ばしています。このままでは海外からの輸入に頼るエネルギー価格などは上がっていくでしょう。円安に歯止めをかけるため利上げに踏み切ろうにも、政府・日銀は戦力の逐次投入よろしく動きが鈍い。利上げしても結局は国債の利払いが増えて歳出増になってしまい、税収分を国民に還元する余力が残るか怪しいものです」(斎藤満氏)

 

 インフレ増税と円安のダブルパンチで国民生活は苦しくなるばかり。「増税メガネ」には一刻も早く退場してもらいたい。

 

🍓インフレの原因は貨幣の膨張が原因。10年間のアベノミクスによる金融緩和で貨幣流通が膨らんだ。コロナ・ウクライナ戦争がトリガーとなって、インフレを顕在化させた。(量の質への転化)

大企業は減税優遇を受けているので、内部留保が溜まり、自社株買いにより株価を吊り上げ、役員報酬で経営者層は富を極大化させている。