いちご畑よ永遠に(旧アメーバブログ)

アメーバブログ「いちご畑よ永遠に(旧ヤフーブログ)」は2023年7月に全件削除されましたが一部復活

福島県 会津坂下町埋蔵文化財センター①古墳時代 亀ヶ森古墳 鎮守森古墳

2024年07月11日 16時17分49秒 | 福島県

会津坂下町埋蔵文化財センター。福島県会津坂下町青木字青木。

2024年5月30日(木)。

湯川村の道の駅で起床。会津坂下町埋蔵文化財センターは偶然に知った。国史跡で福島県最大の古墳・亀ヶ森古墳と隣接する前方後方墳の鎮守森古墳を見学するルート確認のため、自宅でグーグルマップで眺めているとルート途中に埋文センターがあることを知り、古墳見学前のガイダンス施設かと思い、訪問することにした。グーグルマップには8時30分開館とあったのも日程消化上都合がいい。ただし、それ以外は9時開館になっている。

8時30分ごろ駐車場に入ると、よくある学校校舎の再利用だった。受付で尋ねると、2階にあると言われた。展示室に入ると、終始女性職員が横で質問に答えてくれた。古墳だけかと思ったが縄文から近世までの埋蔵文化財が展示されていた。会津若松市の福島県立博物館が休館状態だったので会津の古代史を理解する点で参考になった。

会津地方には、古くから阿賀野川(阿賀川)をさかのぼって多くの人や文化の流入があった。盆地西側の丘陵には出崎山遺跡や鍛冶山遺跡など旧石器時代の遺跡がある。

古墳時代になると県内最古級の杵ヶ森古墳(4世紀前半)や県内で最大の亀ヶ森古墳(墳丘の長さ127m)、東北地方の前方後方墳で初めて銅鏡が出土した森北1号墳などがあり、この地に有力豪族が勢力を伸ばしていたことが分かる。また、高寺山伝承が物語るように、仏教に関する文化財が多数存在し、仏教文化が花開いていた。

近世には、阿賀川・只見川を利用した水上交通網とともに陸上交通網も発達し、越後街道の宿場町として発展してきた。

宇内青津(うないあおつ)古墳群は、会津坂下町にある16基の古墳からなる古墳群である。前方後円墳13基と前方後方墳3基が残る全国有数の大型古墳群である。この古墳群の主要古墳のほとんどは前期古墳と考えられる。古墳時代前期を通じて古墳が継続的に築造された地域は、大和などの中枢を除けば列島内を見渡してもほとんど存在しない。

福島県会津美里町 続日本100名城・向羽黒山城跡 伊佐須美神社 中田観音


北海道立釧路芸術館 毛綱毅曠設計「反住器」 木島誠悟の絵本原画 岸田劉生

2024年07月11日 10時15分21秒 | 北海道

展覧会「日本の洋画130年 具象表現の栄光」②。北海道立釧路芸術館。釧路市幸町。

2022年6月12日(日)。

 

35 岸田劉生   寒山風麗子像 1922-23(大正11-12) 紙本墨画淡彩 笠間日動美術館

36 岸田劉生   村娘之図  1919(大正8) 木炭・パステル・水彩、紙 笠間日動美術館

40 安井曾太郎 実る柿 1937(昭和12)頃 油彩、カンヴァス 笠間日動美術

42 佐伯祐三   パリの街角  1927(昭和2) 油彩、カンヴァス 笠間日動美術館

「新収蔵展示 木島誠悟の絵本原画・毛綱毅曠(もづなきこう)の設計図」

 4月23日(土)~6月19日(日)も開催されていた。

釧路在住のアートディレクター・木島誠悟(1949年生)の絵本原画、釧路市生まれの建築家・毛綱毅曠(もづなきこう、1941~2001)の代表作「反住器」の設計図(複写)が展示されていた。

昨年秋、安曇野市のいわさきちひろ美術館で絵本画もいいなと思ったので丁度いい機会となった。

 

毛綱毅曠の「反住器」は、パースもないし建物の写真もないので理解不能だった。翌日、住宅街にある現物を見て、ようやく理解できた。

毛綱毅曠設計「反住器」。釧路市富士見1丁目5。

 

16時30分を過ぎ、釧路フィッシャーマンズワーフの「港の屋台」が17時からなので、芸術館を出た。

釧路フィッシャーマンズワーフ。毛綱毅曠の設計作品。

17時前に2階の「港の屋台」コーナー前に行ってみたが、17時を過ぎてもオープンしない。観光客数人も待っていたが、店内を覗いても人の気配はなかった。巡回してきた警備員に尋ねたが返事はなかった。諦めて、翌日の和商市場の「勝手丼」を期待することにして、道の駅「白糠」へ向かった。道の駅は海岸にあり、風雨が強かった。翌朝は釧路湿原の温根内での湿原見学散歩から始まる。

北海道立釧路芸術館 展覧会「日本の洋画130年 具象表現の栄光」①高橋由一 長谷川利行 萬鉄五郎