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読書メモ マリノフスキー『西太平洋の遠洋航海者』

2024年09月06日 09時06分58秒 | 歴史

『西太平洋の遠洋航海者』 泉靖一・増田義郎編訳『世界の名著(59)マリノフスキー/レヴィ=ストロース』所収 中央公論社、1967年

 

トロブリアンド島人。未婚の少女。性的な自由を持つ。カトゥヤウシ。

 

P132.

首長はキリウィナのオマラカナに住んでいる。大変な権力を持っている。たくさんの村が彼に貢物を捧げ、彼の権威に服している。戦争のさいは、村々は首長の同盟軍となり、彼の村にはせ参じなければならない。大きな祭式では、首長は儀典長として行動する。首長は提供された奉仕に対し、支払いをしなければならない。また、貢物を受け取るときにも、蓄えた富によって支払いをする。

 

首長はどのようにして富を得るのか。

従属する村々の義務として、首長はそれぞれの村から妻を貰う。妻の家族はトロブリアンドの法により。彼に多量の作物を供給しなければならない。妻は村の頭の係累なので、村の共同体全体が首長のために働かねばならない。

首長は巨大な倉庫を持ち、収穫のたびごとに屋根がヤム芋でいっぱいになる。

首長は一夫多妻婚ができるという特権を利用して、食物や貴重品の形でいつも豊かに富の供給を受け、彼の高い地位を維持するためにその富を供給する。部族の祭祀や企業を組織したり、自分に認められた多くの個人的奉仕にたいし、習慣にしたがって支払いを行ったりして富を消費する。

 

首長の権威に関して、権力を握ることは、利得を得る可能性を持つばかりでなく、処罰の手段を持つことを意味する。これは、原則として妖術によってなされる。

 

母系社会子供は母の氏族に属す。真の親族関係は、男とその母方の親族の間にだけ存在すると考えられている。母方の伯父は法と慣習による権利である。

しかし、父は子供に一番近い友達であり、相続では子供に与えたいという個人的感情をもつ。

社会的地位や富は、父から息子でなく、母方の伯父から甥へ相続される。

 

呪術。言葉。日本の神事、キリスト教の祈り、と変わらない。初めにロゴスありき。

毎年の祭りの季節には、霊が村々に帰ってくる。日本人と同じ心性。

すべての経済的活動は呪術をともなう。

 

p198.

トロブリアンドの人々は継続して能率的に働く能力がある。

働くためにはある種の有効な刺激がいる。彼らは部族の慣習によって、定められた義務のために否応なしに労働するか、あるいは慣習と伝統に支配される野心や価値のためにすすんで労働するかのいずれかである。

文明社会では利得が労働のための刺激となることが多いが、純粋な原住民社会では、これは刺激としての役割を果たさない。

豊かな自然の恵みが熟して落ちてくるのを待つ怠け者、個人主義者、欲深の野蛮人ではない。

 

p204.

私の物とあなたの物という区別がないのが特徴の黄金時代、という世に流布する誤った観念、食物の個人的追求とか、孤立した家族による食料入手の段階を考える見方、原始人の経済の中に単に生命を維持するための行動しかみない理論、これらの見方にはトロブリアンドに見られる実情は反映されていない。

 

事実は、部族の全生活は継続的な授受関係が豊富に存在するあらゆる儀式、法的および慣習的行為は、具体的な贈与とその代償をともなう

富の授受は、社会を組織し、首長が権力を握り、親族がきずなをもって結び合い、法的な関係が成立するための有力な手段の一つである。

 

原始人類や未開人には私有財産がない、未開人の共産制という意見は唯物史観の著者たちが今でも抱いている昔ながらの偏見である。

 

食物の蓄積は、経済的に将来をおもんばかって行われるばかりでなく、富の所有によって社会的特権を高めたり、みせびらかしたいという欲望にうながされている。

 

宴会の主眼点は、食べることでなく、食物を展示し、儀式的に料理することにある。一頭の豚を屠殺するのは大変な椀飯振舞を意味する。どんなときでも、食物の多いことが一番重大である。食物が豊富にあると知って、彼らは社会的に楽しむのである。蓄積された食物がシンボルとなり、権力の媒介物となる。

 

原住民の習慣と心理に関する基本的事実、つまりギブアンドテイクをそれ自体のために愛すること、富を人に渡すことを通して、富の所有を心から楽しんでいる。

彼らは人にものをあげるということを熱心に考えるがゆえに、自分のものと他人のものとの間の区別がむしろひどくなる。

贈与の基本的な動機は、所有と権力を誇示したいという虚栄心であって、共産主義的傾向があると仮定することなど、元々できない。

富の贈与は多くの場合、贈与する側の、受け取る側への優越性の表現である。ある場合には、贈与は首長あるいは親族、姻族への従属を意味する。

贈与を通じて、社会的なきずなを作りたいという根強い傾向がある。

 

クラは商業的なものと儀礼的なものの中間にある。

 

トーテム、マナ、タブー。モースの贈与論。

 

経済上の事業と、呪術的儀礼が解き放ちがたい一つの全体を構成している。

 

合理主義的な人間として未開人を考えることへの批判。唯物史観の根底には、人間とは、功利主義

 



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