史跡北斗遺跡展示館。釧路市北斗。
2022年6月12日(日)。
北斗遺跡からは、旧石器時代最終段階に属する細石刃文化時代から、縄文時代早期の東釧路下層様式、前期の綱文土器様式、中期の北筒様式、後期末から晩期初頭の土器、続縄文土器及び擦文式土器、近世アイヌ時代の遺物などいろいろな時代の遺構遺物が出土した。
住居関連では、旧石器時代の火を焚いた跡、縄文時代の住居跡・墓や前期の小貝塚、擦文時代の住居跡などが確認されている。
土器では、縄文時代早期の東釧路下層様式、前期の綱文土器様式、中期の北筒様式、後期末から晩期初頭の土器、続縄文土器及び擦文式土器の時期が出土している。
東釧路下層様式は東釧路Ⅰ式土器から東釧路Ⅳ式土器までとされる。
「東釧路式」の名称は釧路市東釧路貝塚でこのタイプの土器が層位的にまとまって出土したことに由来する。
「東釧路Ⅰ式土器」は筒形・薄手で、土器の表面に繊維質の工具で横方向に擦ったあとが残された特徴をもつグループである。同じような特徴の土器は北海道西南部にも分布する。
およそ8000年前になると、「東釧路Ⅱ式」と呼ばれる縄文が多用された土器が道内各地に分布するようになる。この土器は縄文のほかに、押引き文や貼付け文、刺突文など多様な文様が組み合わさるのが特徴である。
Ⅱ式の形や文様が変化して「東釧路Ⅲ式土器」へ移行し、さらに表面に細い粘土ヒモをいく段にも貼り付け、その間に細かな縄文を施文した「中茶路(なかちゃろ)式」土器へと変遷する。東釧路Ⅳ式土器は体部の縄文が羽状に施文されることに特徴がある。
綱文土器。縄文時代前期前葉の土器。縄文の縄目が太いことから「綱文式(つなもんしき)」という型式名がつけられた。底部が尖底になること、胎土に繊維を多く含むことも特徴である。
北筒式土器(ほくとうしきどき)。約4500年前から、4000年前ころまでの円筒形の縄文土器。円筒形の器形は、東北北部・道南部の円筒土器文化から引き継がれたものである。
これまで時期的な変遷が不明瞭であった北筒様式の土器群が層位的に発見され、第1段階から第5段階にいたる内容がはじめて明らかにされるにいたった。
北筒Ⅰ式土器は、のちにモコト式土器と呼称され、北筒式とは異なる型式として認識されている。
北筒Ⅱ式土器は初期の土器で、北見市常呂遺跡から出土した最古のトコロ6類土器と次の段階のトコロ5類土器・細岡式土器に相当する。
最も古いグループのものは「トコロ6類土器」と呼ばれている。これは北見市トコロ貝塚で発見された土器に由来して呼ばれている。口の部分がやや分厚く作られ、その下に丸い穴がめぐる。胴部は下まで隙間なく縄文がつけられている。
11時半ごろ、史跡北斗遺跡展示館から、釧路市街地にある釧路市立博物館へ向かった。翌日の月曜日は博物館系は休館になってしまうので、その後、北海道立釧路芸術館も見学した。釧路湿原は年中無休だが、西岸の温根内ビジターセンターは火曜日休みなので、温根内木道を翌月曜日に歩くことにした。