ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

「である体」と「ですます体」の混用

2022年02月03日 07時00分00秒 | 受験・学校

 毎年、期末試験やレポートなどを読んでいると、必ず何通について「である体」と「ですます体」との混用が見受けられます。

 引用部分があるのであればわかるのですが(むしろ、引用は原文に忠実でなければなりませんから)、地の文章で混用が見られるのです。

 何らかの意図があるということが明らかであれば、こちらも読んでわかりますから問題視はしません。

 おそらくは意図も何もなく混用していると思われる文章が目に付くのです。例えば、このような感じです。

 「憲法第29条第3項によれば、損失補償の中身は『正当な補償』でなければならないのですが、その意味については大きく分けると二つの見解が存在する。

 第一は、相当補償説です。この考え方によると、補償は、当時の経済状態において、社会国家の理念に基づき、客観的かつ合理的に算出された相当な額であることが必要であり、かつ、それで足りるということになります。

 第二は、完全補償説である。この考え方によると、私的財産の収用(など)の前後を通じて被収用者の財産価値を等しくするような補償が必要とされることになります。」

 とりあえず、このブログに掲載している行政法講義ノート〔第7版〕の「第42回 損失補償法制度(その2)」を修正の上で引用しましたが、いかがでしょうか。文体を混用させると、文章のリズムを崩すので、見た目にもよくありませんし、読みにくいでしょう。声を出して読めば、調子がおかしいことに気付くはずです。

 私も、講義の際には(口頭ですから)「ですます体」を基調にしつつも「である体」を混用することがあります。大抵は私なりの意図があるからですが、その場の流れや空気で混用することもあります。ただ、これはその場に聞き手が存在するからよい訳でして、仮に録音起こしで文章化するならば、よほどのことがない限りは文体を変えるでしょう。または、段落を分けるなり「 」を付けるなりということで対応するかもしれません。

 ともあれ、可能な限り、文体は統一しましょう。

 また、期末試験の答案やレポートにおいて「ですます体」を使うことが悪い訳ではないのですが、「である体」を使用することをお薦めします。そのほうが書き易いはずですし、文章も締まります。「ですます体」で書くことが悪い訳ではないのですが、「である体」に比べると文末表現の幅が狭くなり、単調になりがちですから。


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