ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

第3部:地方税財政制度  第10回:地方税財政法の基本原則(地方財政権その2)

2020年11月19日 16時59分43秒 | 財政法講義ノート〔第6版〕

 地方自治といえども、日本国憲法の下にある以上、議会制民主主義など、基本的には国政と同様の原則に服することは当然である。もとより、現行の地方自治法には、例えば住民の条例制定改廃請求権(第74条)、監査請求権(第75条)、議会解散請求権(第76条)、議員解職請求権(第80条)、長の解職請求権(第81条)のように、国政にない直接民主主義的な性格を示す制度が存在する〈普通地方公共団体の長の選挙も、当然、直接民主主義的な性格を示す制度である〉。しかし、このような制度は、日本国憲法の趣旨に合致した上で、その方向性を拡張したものであり、単なる特別規定でもなければ、議会制民主主義の原則そのものに対する全面的な修正を示すものでもない。

 地方自治法第74条は、最近、市町村合併に関する住民投票条例の制定などに際して活用されているが、第1項において地方税や分担金、使用料や手数料に関する条例制定改廃請求を除外する。住民の間における民主主義が未熟であった昭和20年代であればともあれ、現在において、地方自治の根幹とも言いうる地方税財政法を除外する理由は何であろうか。

 地方税財政法についても、日本国憲法の下にあるため、国の財政法と同様の原則が通用すると考えるのが自然であろう。議会制民主主義は、まさに地方税財政法にも適用される原則であり、財政民主主義として現れるのである。また、「第2部:国の財政法制度  第7回:国債の法的問題」において取り上げた、財政法第4条に示される赤字国債発行禁止の原則、より一般的に言うならば健全財政の原則も、同様に妥当する(地方財政法第5条)。この他、既に説明した諸原則についても同様である。

 ただ、地方税財政法に独自の原則が妥当する場合があるし、国の財政制度と異なるものが採用されることがある。碓井光明教授は「自治体財政・財務法の基本原則」として、次のものをあげる〈碓井光明『要説自治体財政・財務法』〔改訂版〕(1999年、学陽書房)10頁〉

 (1)自治体活動を担保するための諸原則

 ①地方自治の保障手段の原則(地方財政法第1条を参照)

 ②自治体財政自律主義(同第2条を参照)

 ③公金・公財産尊重主義

 ④最小経費最大効果原則(地方財政法第4条および第8条、地方自治法第2条第13項を参照)

 (2)自治体財政議会主義

 ⑤自治体財政「地方議会」主義

 ⑥人権尊重主義

 (3)住民財政主義

 ⑦住民財政主義

 この講義においては、上記の碓井教授の説を参照しつつ、次のように原則をまとめておきたい。

 (1)地方に関する財政民主主義

 上述のように、財政民主主義は地方税財政についても妥当する。このことは、日本国憲法第92条ないし第94条からもうかがえる。

 財政民主主義が地方税財政法にも妥当するとなると、憲法第83条との関係が問題となりうる。佐藤功教授は、憲法第83条の適用範囲が国の財政に限られるとしつつも「地方公共団体の権能は国の統治権の授権に基づく伝来的な権能で」あること、「地方公共団体の財政を処理する権限も国の法律の定めるところによって行使され、また国の法律の定めるところによって国の特別の監督を受ける」ことから、同条の趣旨が地方税財政法にも及ぶと理解する〈佐藤功『憲法(下)』〔新版〕(1984年、有斐閣)1091頁〉。しかし、この考え方を徹底すると、地方自治の一つの原則でもある住民自治の要素が消滅することになる。そのため、憲法第83条の趣旨が地方税財政法にも及ぶことを認めつつも、地方税財政法における財政民主主義は第一に普通地方公共団体の議会による関与、そして住民による統制が優先されるべきことを前提としたものであると理解しておきたい〈碓井・前掲書12頁を参照。もっとも、碓井教授が示す二つの説については、根本的な差異があるものとは思えない〉。そうでなければ、地方自治法第242条に規定される住民監査請求制度や同第242条の2に規定される住民訴訟制度の趣旨が不明なものとなり、あるいは徹底しないものとなる。

 とくに、憲法および地方自治法の趣旨を生かすのであれば、地方税財政法における財政民主主義は、単に普通地方公共団体の議会中心主義を意味するのみならず、住民の参画を伴うものである、と理解すべきである〈これは、碓井教授のいう「住民財政主義」とほぼ同義ではないかと思われる〉。住民監査請求および住民訴訟は、その一端である。

 なお、碓井教授は、地方税財政法における財政民主主義を「自治体財政議会主義」あるいは「自治体財政『地方議会』主義」と称し、「公金・公財産尊重主義」を担保し、補充するものとしての「財政公開主義」をあげる。その例として、地方自治法に定められる予算の要領の公表(第219条第2項)、決算の要領の公表(第233条第6項)、財政状況の公表(第243条の3第1項)、監査委員による監査結果の公表(第199条第9項。同第12項も参照)が示されている。国の財政についても、憲法第91条により、国の財政状況公開の原則が定められているので、これに対応するものと考えてよいであろう。しかし、憲法第91条に規定されているところよりも、地方税財政法における「財政公開主義」のほうが、原則としての意味が強い。

 (2)地方税財政自律主義

 碓井教授があげる「地方自治の保障手段の原則」および「自治体財政自律主義」は、それぞれ別個の原則として捉えるべきであるかもしれないが、「自治体財政自律主義」は「地方自治の保障手段の原則」を前提とするものと考えられる。また、地方自治を保障するということは、基本的に地方公共団体の財政の自律性をも要請するということである。

 そのため、私は、碓井教授があげる両者の原則をひとまとめにし、さらに地方税制における自律性をも強調する意味で「地方税財政自律主義」としておきたい。

 日本国憲法が想定する地方税財政制度について、既に疑念を述べた。それでも認めなければならないのは、憲法が地方自治を保障する以上、しかも、地方自治法第2条第1項が地方公共団体を法人と位置づけ、一応は国から独立した人格を与える以上、地方税財政法が地方自治の発展に資するように設計されなければならない、ということである。問題は、これだけを述べたとしても、具体的な制度設計にどれほど生かされるのか、ということである。

 そして、地方財政法第2条は、第1項において地方財政健全主義を、そして国の政策に反する施策などを行ってはならない旨を規定するとともに、第2項において、国が「地方財政の自主的な且つ健全な運営を助長することに努め」なければならず、地方公共団体の「自律性をそこな」うような施策を行い、または「地方公共団体に負担を転嫁するような施策」を行ってはならない旨を規定する。ここに、地方税財政自立主義が現れている。

 もっとも、第1項に定められる事柄と第2項に定められる地方税財政自律主義は、相互に矛盾する関係にある、とは言わないまでも、緊張関係にある。どちらを優先するかは国の政策次第というのが現状である。1990年代に景気回復策として全国の地方公共団体により行われた公共事業には、地方公共団体の単独事業として行われたものが多かったのであるが、実際には、国からの補助金を削減する一方、地方交付税が活用され、国の政策に動員されていたのである。しかも、この時、国は、普通地方公共団体に地方債を大量に発行させ、その元利償還に地方交付税を利用するという方策を使ったのである〈当時、地方債の起債は許可制だったので、これを利用した訳であり、しかも、公共事業を優先するなど、順位をつけていた〉。これは、地方税財政自律主義に反するものであったと評価せざるをえないし、地方交付税制度の濫用と考えざるをえない。それだけでなく、普通地方公共団体の多くが財政赤字を抱えるようになると、或る意味では手軽な手段として市町村合併という政策を推進させてきたし、今もその段階は完全に終了した訳でもない。

 (3)公金・公財産尊重主義

 碓井教授が掲げるこの原則は、その内容が不明確ではないのかという疑問があるものの、地方税財政法のうち、主に国の財政における財政管理法に相当する法領域(財務法規と称される)において妥当するものとされている。公金であれ公財産であれ、元々の出所は普通地方公共団体自身の財産などではなく、国民・住民の租税である。そのために、例えば支出の際には適正な価格(金額)にて行うこと、などが求められることになるであろう。

 私なりにこの原則を捉えるならば(碓井教授と同一ではない)、次に示すような事柄が内容として考えられるであろう。

 第一に、地方公共団体の予算編成である。地方財政法第3条は、第1項において「法令の定めるところに従い、且つ、合理的な基準によりその経費を算定し、これを予算に計上しなければならない」と定め、第2項において「あらゆる資料に基づいて正確にその財源を補そくし、且つ、経済の現実に即応してその収入を算定し、これを予算に計上しなければならない」と規定する。ここにいう「合理的な基準」の具体的な意味について、本来であれば検討を加える必要はあるが、この講義においては控えておく。しかし、予算においては、当然ながら歳入の見積もりがなされる訳で、その際には地方税による収入、地方交付税、地方債、負担金などの収入について予測が立てられるのである。地方税は住民の負担であり、地方交付税も、直接的には国からの交付金であるが、原資は所得税や消費税など、国民の負担である。地方債も、結局のところは現在および将来の住民の負担に帰することになる。そのため、歳入予算を過大に見積もることは許されない。また、歳出予算を決定するに際しても、適正な支出額を算定することなどが求められることとなる。

 第二に、予算の執行などである。地方財政法第4条は、第1項において「地方公共団体の経費は、その目的を達成するための必要且つ最小の限度をこえて、これを支出してはならない」と定め、第2項において「地方公共団体の収入は、適実且つ厳正に、これを確保しなければならない」と定める。碓井教授は、この規定を「最小経費最大効果原則」の現れであると述べるが〈碓井・前掲書11頁〉、これと公金・公財産尊重主義とは全くの別物ではなく、むしろ、公金・公財産尊重主義の一つの表現形態が「最小経費最大効果原則」と捉えるべきではなかろうか。地方税財政法の領域において「最小経費最大効果原則」が提唱される最大の理由は、先にも述べたように、収入源が地方税であれ地方交付税であれ、終局的には国民・住民の負担に帰するべきものであることに求められる。そのために、国民・住民の負担に見合うだけの効果、可能な限りにおいてそれを超える効果が生じなければならないのである。このことは、地方公共団体が保有する財産についても同様に妥当する。地方財政法第8条は「地方公共団体の財産は、常に良好の状態においてこれを管理し、その所有の目的に応じて最も効率的に、これを運用しなければならない」と定めている。

 なお、碓井教授も指摘されるように、地方自治法第2条第14項は「最小経費最大効果原則」を正面から定めている〈碓井・前掲書11頁〉

 しかし、現実の財政運営などをみると、公金・公財産尊重主義、そして「最小経費最大効果原則」がどの程度までに実現されているか、疑問を抱かせるような事例が多い。例えば、情報公開制度の活用などによって明らかになった、いわゆる塩漬け土地問題が典型的である。これは、真正面から地方財政法第8条の規定に反する。およそ適正とは言えないような不当に高い価格により、利用価値の低い、売却価格も低いような土地を購入し、これといった用途のないままに保有されているのである。

 また、入札制度も、地方財政法第4条第1項との関連において問題があるものと思われる。地方自治法第234条第1項は、地方公共団体が契約を行うには、一般競争入札、指名競争入札、随意契約または競売のいずれかに拠ることを定めている。このうち、本来であれば一般競争入札が採用されるべきである(同第2項)。

 一般競争入札以外の方法は、地方自治法施行令第167条で定められる場合に限られる。

 最近でこそ、一般競争入札が用いられる場合が増えつつあるが、公共事業などについて一般競争入札はほとんど利用されず、指名競争入札が多用された。これは、普通地方公共団体の側で、入札に参加しうるための要件を定め〈例えば、工事、製造、販売の実績、従業員の額、資本金の額などがある。業種などによって、要件は異なりうる。また、本社の所在地などを要件とする場合もある(地元優先の指名基準である)〉、業者側の申請についてこの要件に基づいて審査がなされ、格付けなどがなされた上で入札参加資格を認めるというものである〈これが指名ということになる〉。しかし、行政内部はともあれ、この指名の過程などは不透明な部分が多い。しかも、入札参加資格を予め決定しておく訳であるから、参加者(企業)は限定されることになる。このようにすると、業種などによっては談合が生じやすい。それに、一般競争入札よりは、どうしても落札価格が高くなる。

 指名競争入札は、一般競争入札と随意契約の中間に位置するので、公正性と経済性、そして参加の機会の平等という点においては一般競争入札に劣る。しかし、実際には、一般競争入札によると不誠実な者(業者)が参加しやすくなるので公正な競争ができなくなったり、あるいは地方公共団体の側が不測の損害を受けたりするおそれがあること、契約の経費などがかさんでしまうことなどがあげられ、指名競争入札が行われた。実際のところは、一般競争入札にすると、入札者の側が落札予定価格を引き下げる競争を行い、多くの業者が共倒れになる、あるいは、落札業者自身の経営を圧迫すること、などが理由ではないかと思われる。

 (4)基本的人権の尊重

 とくに地方税財政法に限らなくとも、国、地方公共団体を問わず、国民・住民の基本的人権の尊重は、日本国憲法の三大原則の一つであるほどであるから、当然、あらゆる作用に求められるものである。しかし、地方税財政法の分野に独特の問題が存在する。なお、以下は複合的性格を有するものばかりであり、便宜的に一つの側面から捉えている。

 第一に、経済的自由権との関連である。これは、地方分権一括法による地方税法の改正によって規定された法定外目的税、制定の可能性が上昇した法定外普通税の導入の動きが全国各地に広まったことで、大きな問題になりつつある。

 地方税法第261条は都道府県の法定外普通税について、第671条は市町村の法定外普通税について、第733条は法定外目的税について、総務大臣の不同意事由を掲げており、これらに共通する第2号は「地方団体間における物の流通に重大な障害を与える場合」を不同意事由とする。実際のところ、これによる不同意はほとんど存在しないと思われるが、第1号にいう「住民の負担が著しく過重になること」、および第3号にいう「国の経済施策に照らして適当でないこと」については、経済的自由権との抵触という問題が生じうるであろう。特定の業種(事業者)のみに、合理的な範囲を超えると思われる負担を強いる租税を課すことなどが、これに該当しうる。

 横浜市の場外馬券売場課税構想は、地方税法第733号第3号の不同意事由にあたるとされたが、その後、国地方係争処理委員会の勧告が出され、再協議中であった。しかし、結局、2003(平成15)年9月に、横浜市は課税の断念を表明した。

 第二に、受益者負担論との関連である。これは、碓井教授によると生存権や教育を受ける権利などとの関連で問題となるが〈碓井・前掲書13頁〉、それだけではなく、最近では、あらゆる領域で問題とされている。そもそも、財政学の伝統的な理論などによると国の租税については応能負担の原則、地方税は応益負担の原則によるべきである、とされている。地方自治法第10条第2項の規定が、このことを裏付けるとも考えられているが、この規定などから地方税制度の基本構造が一義的に導かれる訳ではない。

 碓井光明『要説地方税のしくみと法』(2001年、学陽書房)33頁は、負担分任原則が地方自治法第10条第2項にも示されているとした上で「同条項は、住民の義務としての基本精神を述べたものであって、具体の税制をリードするだけの規範内容を有しているとは言いがたい」と述べる。

 受益者負担論は、一見すると非常にわかりやすい論であるが、実は不明確な部分が多い。受益に対する負担ということは、当然、受ける利益にいくらかの金銭的な価値があることを前提とする。しかし、それをどのように算定するのか、市場価格が存在するのであれば理解しやすいかもしれないが、その市場価格が適正であると誰が保証しうるのか。

 この点について、岡田正則「税条例と地方税法」『地方税の法的課題(日税研論集第46号)』(2001年)11頁は、利益の「明確な算定可能性は断念されている」と述べる。また、この論文においては、応益原則に対する検討および批判もなされている。

 第三に、平等権との関係である。これには様々な態様があるので、説明にも困難が存在するが、典型的なものを少しばかりあげておく。

 一つめは、国民健康保険などで問題となっている滞納率の上昇である。これは、保険料(税)の設定に際しての問題も存在するかもしれないが、基本的には執行の問題である。やむをえない滞納もあるが、明らかに悪質な滞納もある。現在のところ、有効な手だてがなかなか見つからないのであるが、滞納を放置することは、平等との関連で問題が生じるし、制度の正当性そのものをも失わせる。

 二つめは、外形標準課税である。東京都の、法人事業税の特例としての外形標準課税条例〈銀行業界のうち「資金の総額が5兆円未満の事業年度及び清算中の各事業年度を」除外したものについて、外形標準課税による税率を適用するという趣旨の条例であった〉の効力が裁判において争われ、東京地方裁判所、そして東京高等裁判所が条例を無効とする判決を出したことは、記憶に新しい。この条例には様々な問題点が存在するが、平等権との関連も重要である。

 また、平成15年改正により、法人事業税に導入された付加価値割および資本割は、外形標準課税の一種である。これらは、赤字法人にも課税しうるために法人事業税収入が安定するという長所が存在するものの、この課税方式を採用した場合、あらゆる産業の経営状況を圧迫し、ひいてはその負担が結局のところ消費者に転嫁されることになろう(消費税で証明されている)。また、導入にあたっては、免税制度、課税最低限の設定、最低税額の設定(複数税率の設定)など、中小企業(事業者)への配慮が検討されることになると思われる。しかし、このことには矛盾が潜んでいる。形式的な平等を貫けば、日本の事業者の大部分を占める中小、そして零細企業の大部分が生命を絶たれることになりかねない。逆に、免税制度、課税最低限の設定、最低税額の設定(複数税率の設定)の方法如何によっては、業種間の不平等などを惹起し、税の正当性に問題が生じるであろう。

 付加価値割は、各事業年度における付加価値額を課税標準とするものである(地方税法第72条の12第1号イ)。これは、各事業年度の報酬給与額(同第72条の15に算定方法が規定される)、純支払利子(同第72条の16に算定方法が規定される)および純支払賃借料(同第72条の17に算定方法が規定される)の合計額(これを収益配分額という)と各事業年度の単年度損益(同第72条の18に算定方法が規定される)との合計額として算出される。

 資本割は、各事業年度における資本金等の額を課税標準とするものである(地方税法第72条の12第1号ロ)。これは、各事業年度終了の日における資本金等(法人税法第2条第16号)の額、または連結個別資本金等(同第17号の2)の額である(地方税法第72条の21第1項)。但し、資本金が1000億円を超える法人については、同第4項により、1000億円に、1000億円を超えて5000億円以下の部分についてはその50%を加算し、5000億円を超えて1兆円以下の部分についてはその25%を加算することとされている(資本金が1兆円を超えている場合には1兆円とする)。

 三つめは、法定外普通税や法定外目的税である。導入からしばらくの間、太宰府市歴史と文化の環境税条例については、太宰府市 当局と駐車場業者(太宰府天満宮を含む)との間で深刻な対立があり、業者側が納税の非協力という方針を打ち出していた。その後も、何度か再燃している。この税自体についての検討は機会を改めて行いたいが、憲法第14条との関連において問題が生じるばかりでなく、場合によっては憲法第20条との関連における問題が生じるのではないかと思われる。

 これについては、1980年代の京都市古都保存協力税条例問題を、先例としてあげることができる。京都の観光に打撃を与えたばかりでなく、憲法第14条や第20条に違反するとして裁判にもなった。

 京都市は、1983年、指定社寺の文化財の観賞について観賞者に一回当たり50円を課す条例を制定し、自治大臣の許可(地方税法第669条)を得ようとしていた。仁和寺などの宗教法人(原告)は、この税が宗教行為自体への課税であって布教の自由および信教の自由(観賞者)に対する侵害である、この税が政教分離に違反する、指定社寺のみについてこの税を課すことが平等原則違反であるなどとして訴えた。京都地判昭和59年3月30日行裁例集35巻3号352頁は、この税が観賞者の内心に関係なく一律に課されること、税額が物価水準に比して僅少であり、観賞者の個人的な宗教的信仰の自由を規制・制限するものではない、原告は納税義務者でもなく担税者でもないので原告らの布教活動を制約するものでもない、などの理由で原告敗訴とした。

 宗教的側面自体を否定している訳ではないが、対価を支払って有償の文化財の鑑賞という行為の客観的かつ外形的な側面に担税力、すなわち租税を負担する能力を見出している。

 この税が観賞者の内心に関係なく一律に課されること、という理由には合理性があるとも言いうるが、租税の納付手続を見るならば、観賞者が納税義務者とは言え、実際には消費税のように観賞者は実際の負担者、納税義務者は特定社寺であるとも考えられる。また、課税金額や課税方法によっては信教の自由や布教の自由を侵害しうる。特定社寺のみに課税するには、それなりの合理的な理由を要する。そうでなければ憲法第14条第1項に違反することになる。なお、この税は、結局、ほとんど成果をあげないまま、廃止された。

 この他にも、特定の公共施設の利用などについて、憲法の人権規定に抵触するのではないかと考えられる事例などが多い。

 

 ▲第6版における履歴:第9回として2020年9月5日掲載。

             2022年12月23日、第10回に繰り下げ。

 ▲第5版における履歴:未掲載。


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