ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

第2部:国の財政法制度  第4回:国家予算(1)

2020年02月23日 11時37分00秒 | 財政法講義ノート〔第6版〕

 1.予算とは何か

 国であれ、地方公共団体であれ、公的な団体は、その任務を計画的に、かつ能率的に遂行することを求められる。また、国民主権国家において、国家の収入(歳入)および支出(歳出)は、主権者たる国民の予測を可能とし、監督を可能とするようなものでなければならない。こうした要請に応えるために、予算が存在し、法的な規律を受けるのである。

 もっとも、憲法など、日本の法制度において用語法に少々の混乱もみられる。例えば、憲法第60条第1項は衆議院の「予算」先議権を定めるが、この条文にいう「予算」は予算案のことであり、国会の議決によって成立する予算ではない。憲法第73条第5号および第86条にいう「予算」も予算案のことである。法律案と法律とを区別する憲法が予算については予算案との区別をなしていないことについては、予算案の作成権および提出権が内閣にあること、法律と予算とが法的性質において異なること、などが理由として考えられる。以下、必要に応じて予算案と予算とを区別して用いる。

 憲法は、予算について直接的な定義を規定していない。しかし、日常的な用語としても、予算が一定期間の収入および支出の見込み、ないし計画である、と理解されているはずである。国の予算もまさにそれである。すなわち、予算とは、国の一会計年度における収入(歳入)および支出(歳出)を見積もったものであり、歳入および歳出を系統的に、かつ計数的に表示した計画のことをいう。

 これまで、収入、支出、歳入および歳出という用語を、この講義においても何度となく使用してきたが、整理のため、ここで、これらの意味について言及しておく。

 財政法第2条は、収入、支出、歳入および歳出のそれぞれについて、定義を示している。

 収入とは「国の各般の需要を充たすための支払の財源となるべき現金の収納」であり(第1項前段)、「他の財産の処分又は新らたな債務の負担により生ずるものをも」含む(第2項前段)。この規定から、国の予算においては現金主義が採られていることも理解されよう。この点が、発生主義を採る企業会計と異なり、一部の財政法学者などから批判を受けるところでもある。なお、念のために記しておくが、ここにいう現金は、租税は勿論、課徴金、国債なども含む。

 支出とは「国の各般の需要を充たすための現金の支払」であり(第1項後段)」、「他の財産の取得又は債務の減少を生ずるものをも」含む(第2項後段)。

 なお、第3項により、「会計間の繰入その他国庫内において行う移換によるものも」収入および支出に含まれることとなっている。

 そして、第4項により「歳入とは、一会計年度における一切の収入をいい、歳出とは、一会計年度における一切の支出をいう」と定義される。

 また、予算は、国の財政高権を発動するための根拠となる形式とも言える。すなわち、予算は、内閣がその執行になすに際して国会から権限を付与されるために必要なものであり、国(厳密に言えば内閣であろう)が各国家機関に、予定されている歳出金額の範囲内において支出を行う権限を付与するために必要なものである。

 見方によっては、予算は内閣などの行政機関による財政高権の発動に対する国会の同意であるとも考えられる。租税法律主義は、元来、かような思考方法に基づくものである。

 財政法第16条は、予算を、予算総則、歳入歳出予算(第24条により、予備費も含めることができる)、継続費、繰越明許費および国庫債務負担行為から構成されるものと定義する。中心となるのは歳入歳出予算である。

 杉村章三郎『財政法』〔新版〕(1982年、有斐閣)77頁は、歳入歳出予算を狭義の予算と位置づけ、第16条に規定される予算を広義の予算と位置づける。

 

 2.予算の効力など

 憲法学の教科書においては、通常、予算の法的性格に関する議論、予算に関する国会の審議権の範囲などが紹介される程度である。しかし、効力などを度外視する訳にもいかない。予算の法的性格とも関連する事項であるが、便宜上、先に効力などについて述べる。

 憲法第73条第5号および第86条に規定されるように、予算案の提出権限は内閣のみが有する。しかし、予算となるためには国会の議決が必要である。これが成立要件であり、効力要件でもある。法律と異なり、予算を最後に議決した院の議長から内閣に送付されるに留まる(国会法第65条第1項。なお、憲法第60条第2項を参照)。

 後に予算の法的性格に関して検討を加えるが、そこにおいて述べるように、日本国憲法は、予算と法律とを、形式的にも、そして実質的にも区別している。そのため、両者の取り扱い、そして効力などが異なることになる。

 法律の場合、規定の性格は雑多なので一概に言えないのであるが、公布され、施行されることにより、国民の権利や自由に大きな影響を与える。すなわち、本来ならば国民が有する権利や自由が制約され、もしくは、新たな義務が課され、または、新たに権利や自由が設定され(確認され)、義務が免除される、というようなことが生じる。行政組織法のように、国民の権利や自由に直接の影響を及ぼさないこともあるが、行政行為などをなす権限を特定の機関に与える、などの規定などは、間接的ながら影響を及ぼすことになる。

 これに対し、予算は、基本的に国民の権利や自由に直接的な影響を与えるものではない。予算が国民の納税義務などを確定する訳ではないからである。既に述べたように、予算は、国の一会計年度における収入(歳入)および支出(歳出)を見積もったものであり、歳入および歳出を系統的に、かつ計数的に表示した計画である。そして、国会は、予算により、内閣に執行権限を与えるものである。従って、予算は、国会と内閣との間において効力を発生し、内閣を通じて国家機関を拘束するものであるが、範囲はそこに留まる

 そして、性質上、歳入予算と歳出予算とでは効力が異なる。

 まず、歳出予算について記すならば、各国家機関は、予定されている歳出金額の範囲内において支出を行う権限を付与され、かつ、その範囲内において支出することを義務づけられる(財政法第31条を参照)。しかも、仮に歳出金額の範囲内であっても、予算の各項目に定める目的以外のもののために支出することは禁じられる(同第32条)。また、省庁の各部局等について定められた金額や経費の金額については、原則として各部局間または各項間にて移用をなすことができない(同第33条)※。さらに、予備費が認められている場合であっても、それを実際に使用するためには、国会の議決または承諾などを必要とする(同第36条)。

 ※同第33条によって移用が全く認められない、という訳ではない。しかし、移用をなす際は、事前に国会の議決を必要とする。従って、予算において認められなければならない。

 歳入予算の場合は、歳出予算と異なる部分がある。それは、歳入予算が見積もりにすぎない点に由来する。例えば、租税収入である。これについては、歳入金額の範囲内における徴収に留まることが望ましいとも言えるのであるが、予算と租税法とが別物であることからすれば、予算に示された歳入金額の範囲を超えることが直ちに違法であるとは言えないであろう。逆に、租税収入が、予算に示された歳入金額に充たない場合であっても、それが直ちに違法と評価される訳でもない。仮にそのような場合になったとしても、租税法の規定を無視してまで、予算に示された歳入金額に達するまで徴税をすることは、それこそ租税法律主義に違反し、許されないこととなる。しかも、このような場合には、課税処分などの形で国と私人との間に具体的な法律関係が生じているため、違法な課税処分であるとして裁判にて争いうることとなる。

 しかし、歳出予算と同様に考えることが可能であり、かつ、歳出予算と同様に考えるべき場合もあろう。とくに、国債の発行がそうである。財政法第2条の規定から明らかなように、国債による資金調達は収入とされているが、これは、とりもなおさず債務を負うことに他ならない訳であるから、予定された歳入金額の範囲を超えることは許されない、と考えるべきであろう。また、国有財産の処分についても同様であると思われる。

 

 3.予算の法的性格

 諸外国の例をみると、予算も法律の形式をとることが多い。例えば、ドイツ連邦共和国基本法第110条によると、連邦の全収入および全支出が計上された予算案(Haushaltsplan)は、会計年度が始まる前に(複数会計年度にまたがる場合は、最初の会計年度が始まる前に)、予算法律(Haushaltsgesetz)によって確定されることとなっている。予算を法律の形式とする例は、アメリカ合衆国憲法第1条第9節第7号、オーストラリア連邦憲法第54条、フランス共和国憲法第47条にもみられる。それだけではなく、ドイツの場合は予算が形式的に法律であるが、アメリカやイギリス、そしてフランスでは、予算は形式的にも実質的にも法律なのである手島孝『憲法解釈二十講』(1980年、有斐閣)245頁

 イギリスの場合、憲法典が存在しないが、慣習法として、予算は法律の形式をとることとなっている。これが、他のヨーロッパ諸国に広まったのである小嶋和司「日本財政制度の比較法史的分析」『憲法と財政制度』(1988年、有斐閣)3頁を参照

 しかし、日本国憲法は、大日本帝国憲法を引き継ぎ、予算と法律とを区別している。管見の限りではあるが、先進国においては他に例がない。このように異質な扱いとなったのは、大日本帝国憲法制定の際、プロイセンにおける憲法争議の経験に学んだことに由来する、と言われているが、日本国憲法が引き継いだ理由は明確でない。このことが、日本において、予算の法的性格に関する議論を生み出す原因になったようである。

 この点については、小嶋・前掲6頁を参照。この論文は、プロイセン憲法争議の解説、そして明治期日本の立法への影響などを分析しており、有益である。

 予算の法的性格については、学説上、概ね、次の三説に分けることができる。

 (1)予算行政措置説

 既に過去の学説となっており、現在、支持する者は皆無であると思われる。少し細分するならば、訓令説と承認説とが存在する。訓令説は、予算を、天皇から各行政機関に与える訓令であると理解する。承認説は、予算を、議会が国に対して(大日本帝国憲法の下では天皇に対して)行う歳出の承認であると理解する。かように、両説の構成は異なるのであるが、予算を法的規範と捉えず、単なる行政措置として理解する点において共通する。従って、予算の法的拘束力を否定することとなる。しかし、これでは財政民主主義と合致しない。日本国憲法の下において両説を採りえないのは当然である。

 (2)予算法形式説(予算法規範説)

 日本国憲法の下においては通説となっている。この説によると、予算は、一種の法規範であり、国会の議決を経て制定される、国法の一形式である。国会の議決によって制定されるという点においては法律と同様なのであるが、法律と異なるものと考えるのである。

 この説が広く支持される理由は、主に、日本国憲法の構成に存する。諸規定から明らかなように、法律と予算とでは、提案権の所在が異なり、審議および議決の方式も異なる。また、既に述べたように、法律と予算とでは、その効力範囲も異なる。予算は、基本的に国家そのもの、より精確に記すなら国会と内閣との間において効力を発生し、内閣を通じて国家機関を拘束するものであるが、範囲はそこに留まる。また、日本の場合、歳入に関しては永久税主義が採用されている各租税法律は1年限りの効力とされていない。そのために、歳入予算は単なる見積もりとならざるをえない。これに対し、予算は、憲法の諸規定からも明らかであるように、会計年度毎に提出され、審議され、成立するのである。これらの点に鑑みれば、予算を法律と同視できない。

 (3)予算法律説

 これは、日本国憲法制定以後になってから有力に主張されるものである。既に述べたように、ドイツ、アメリカ、オーストラリア、フランスなどでは、予算が法律の形式によって定められる。予算法律説は、おそらくこの点に着目し、日本国憲法の下においても予算は法律であると理解するのである。

 この説は、次のように述べて予算法形式説(予算法規範説)を批判する。

 第一に、日本国憲法には予算の効力が明記されていない。そのため、効力について予算と法律とを区別する必要がない。

 第二に、憲法第7条第1号において、天皇の国事行為としての公布に予算があげられていないが、そのことを理由として予算の公布を不要と解するのは財政民主主義に反する。

 第三に、予算と法律との間に矛盾が生じる場合に、予算法形式説(予算法規範説)によるといかなる解決がなされるべきかという問題が生じる。予算法律説によれば、予算も法律なのであるから、こうした矛盾は起こりえない。予算の中に租税法規の改正法案を含めてしまえばよいからである。

 第四に、予算法形式説(予算法規範説)によると、国会の予算修正権に限界が生じ、その範囲についての論議が生じるが、予算法律説であれば、そうした論議は生じない。

 しかし、これらの主張について、杉村博士は「根本的に予算の本質として予算が法規範性を有することの本質の問題と、わが国憲法上予算が制度的にどのように位置づけられているのかという形式の問題を混同するものである」と批判する杉村・前掲書97頁。同書91頁も参照。私も、同じように考えている。予算法形式説(予算法規範説)の立場からすれば、予算法律説については、次のように批判しうるであろう。

 第一の点については、明らかに憲法の諸規定を無視した議論である、と評さざるをえない。憲法第86条によれば、予算は「毎会計年度」作成され、国会に提出され、国会の議決を受けなければならない。憲法は会計年度について明示していないが、第52条において通常国会が「毎年一回」召集されることからすれば、会計年度が一年とされているのは明らかである。従って、憲法が、予算の効力を1年としていることは明白である。これに対し、法律については同様の規定が存在しない。

 杉村・前掲書97頁は、「法律および予算の効力については憲法の個々の条文から解釈されるべきであって、予算が法律であるかどうかということから一律にその効力が決まるものではない」と述べる。趣旨は理解できるが、やや不明確な論述である。

 第二の点については、予算法律説の主張にも一理あるが、予算の公布を不要とすることが直ちに財政民主主義に反するのか、疑問がある。財政民主主義は国会による財政高権の統制に主眼が置かれるのであって、天皇の国事行為とは関係のないことであると言いうる。逆に、わざわざ天皇の国事行為に予算の公布を含めることは、国事行為あるいは公的行為の拡大につながる。憲法学は、こうしたことを望ましいものと考えていないはずである。

 第三の点については、予算法律説を採用したから予算と法律との矛盾が生じないと断言しうるのか、という疑問を投げかけておきたい。勿論、こうした矛盾(不一致とも表現しうる)は、全くありえない訳ではないが、生じないのが望ましい。しかし、そもそも、法律にも時限法律があるように、法律予算説であっても予算の効力などについては法律で規定せざるをえない。そうなると、予算たる法律と別の法律との矛盾が生じる可能性もある。

 また、予算法律説によると、或る法律が制定されたがそれを執行するための予算案が国会において否決された場合、その法律は予算によって廃止されることになるのであろうか※。後法は前法を破る、などの成文法の一般原則からすれば、肯定せざるをえない。しかし、このように解した場合、予算の効力が一会計年度限りであるとすれば(そのように理解するしかないが)、多くの法律は非常に不安定な状態に置かれることとなる。また、合理的理由もないのにこのような効果を認めるとするならば、立法権の自殺的行為にならないのであろうか。

 ※宍戸常寿「法秩序における憲法」安西文雄他『憲法学の現代的論点』〔第2版〕(2009年、有斐閣)43頁は、「仮に予算を『法律』と呼ぶとしても、それは『政治のルール』(60条、73条5号)の定めに基づき、内閣の予算(案)作成権、衆議院先議権・衆議院の議決の優越が認められ、一会計年度の効力しかもたないという、特殊な『法律』である」とした上で、予算法律説について「予算の所管事項の捉え方や予算と法律との間に前法・後法関係を想定しうるかどうかの問題である」と述べる。

 逆に、或る事項についての法律が存在していなかったが新たにその事項を執行するための予算案が国会において可決された場合、予算によって新たな法律が制定されたことになるのであろうか。予算法律説の主張からすれば、これについても肯定せざるをえない。しかし、予算は、あくまでも歳入(収入)および歳出(支出)の根拠になるだけであって、具体的な作用(行為)の根拠となる訳ではない。或る行政事務について予算が決定されたとしても、例えば、その行政事務を担当し、予算を執行する機関が存在しなければ、予算が法律であったとしても、遵守されえない法律になるであろう。あるいは、予算によってそうした機関が設置されるのであるとしても、具体的な事務の所掌範囲(管轄範囲)や、他の機関との関係などが自動的に決定される訳ではないであろう。それに、予算が、例えば行政行為の根拠規定になるというのは、どう考えてもおかしい。予算の中に行政行為の具体的な根拠規定を置く、というのであれば話は別であるが、立法技術などの観点からすれば、これは非常に困難なことであろう。予算とは別に、行政作用法などの根拠規定を置かざるをえないのである。

 第四の点については、たしかに、予算法律説の主張にも肯首しうる部分がある。国会の予算修正権は、なるべく広く解釈するほうが、財政民主主義の趣旨にも合致する。しかし、予算法律説のほうが予算法形式説(予算法規範説)よりも国会の予算修正権を広く認めやすいとは言え、それは傾向的なものであり、論理必然的なものではない、と言えないであろうか長尾一紘『日本国憲法』〔第3版〕(1997年、世界思想社)510頁も同旨。同書の第4版(2011年、世界思想社)には、この点に関する記述がない。予算法律説であっても、予算修正権の範囲は、結局のところ、国会法その他の法律によって決定せざるをえない。逆に、予算法形式説(予算法規範説)であっても、予算修正権の範囲を広く解することも可能なのである長谷部泰男『憲法』〔第5版〕(2011年、新世社)349頁は、端的にこのことを指摘している

 そればかりか、予算法律説は、憲法において予算案の作成権限および提出権限が内閣にあるということを軽視していないであろうか。

 国会法第57条の2は予算修正の動議を、第57条の3は予算増額修正および内閣の意見陳述を規定する。国会による予算修正権が認められている訳である。問題はその範囲であるが、いかに予算修正権が認められるとは言え、予算案の作成権限および提出権限が内閣にあることからすれば、国会の予算修正権が内閣の権限を害する程度にまで行使されることは、許されないと解するべきではないか。

 以上から、私は、日本国憲法の下において予算法形式説(予算法規範説)が妥当であると考える。予算法律説は、憲法の構造からして問題があるし、その他にも難点が多く、また、不明確な部分もあり、妥当でないと考える。

 なお、手島・前掲書248頁は、基本的に予算法律説の枠組みを採用する「特殊法律説」を提唱する。これは、予算を、とくにそのように呼ぶ法律の一種とするものである。

 

 ▲第6版における履歴:2020年2月23日掲載。

 ▲第5版における履歴:2014年4月1日掲載。

            2014年5月17日修正。

            2016年6月28日修正。


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