昨日(2023年5月3日)、無伴奏チェロのコンサートが開かれ、聴きに行ってきました。
実は4月22日にもそのチェロ奏者の演奏を聴いています。ドヴォルザークのチェロ協奏曲の第1楽章と第2楽章との間にファゴット奏者が急にステージを離れ、テクニカルなチェロのソロを聴くことができたのでした。
その独奏者がジョヴァンニ・ソッリマさんです。
4月22日の演奏は、テクニカルな上に自由奔放とも言えるものでしたが、実は計算もされているはずで、その点において本質的には作曲家であり即興演奏家なのであろうと感じました。勿論、チェロ奏者として卓越した技術をお持ちであることは当然で、それがあってこそ、自由闊達な演奏が行われるのです。
それから10日ほど経過して、昨日です。フィリアホールのリニューアル兼30周年ということでした。当初予定されていたプログラムから変更されており、さらに変更もありうるということでしたが、実際に変更があったようです。
当日の演奏曲目として、次のように案内されました(括弧の中は作曲者または編曲者)。
前半
・ヘル1(ジョヴァンニ・ソッリマ)
・ロマネッラ/タランテラ(ジュリオ・デ・ル−ヴォ)
・鶴(コミタス・ヴァルダペット)
・無伴奏チェロ組曲第1番ト長調BWV1007(J.S.バッハ)
・ナチュラル・ソングブックNo. 1「プレリューディオ」/ナチュラル・ソングブックNo. 6「サティの『ジムノペディ第1番』より再創造」(ジョヴァンニ・ソッリマ)
(実際には、ナチュラル・ソングブックNo. 6は演奏されていません。別の曲に置き換えられた可能性があります。)
後半
・美しきモレアよ(シチリアのアルバニア系住民に伝わる伝承曲、ジョヴァンニ・ソッリマ編曲)
・無伴奏チェロ組曲第4番変ホ長調BWV1010(J.S.バッハ)
・田舎の歌 「コロノスのオイディプス」(1975)より(エリオドーロ・ソッリマ)
・ラメンタチオ(ジョヴァンニ・ソッリマ)
・カプリス・ド・シャコンヌ(フランチェスコ・コルベッタ、ジョヴァンニ・ソッリマ編曲)
・聖パウロのピッツィカ(サレント地方の伝承曲、ジョヴァンニ・ソッリマ編曲)
・ファンダンゴ ボッケリーニへのオマージュ(ジョヴァンニ・ソッリマ)
そして、アンコール曲は下の写真の通りです。
ソッリマさんは、前半で二種類、後半で三種類の弓を使いました。大別すれば二種類で、現代の弓と、バロック期に使われた弓を模したと思われる弓です。形が異なり、持ち方も違うのですぐにわかります。現在の弓は棹が内側(毛が貼られている側)に反るのに対し、バロック期の弓は反らないか外側に反ります。バッハの曲などはバロック期形の弓で演奏されました。
そのバッハの無伴奏チェロ組曲第1番および第4番を聴いて、先程記したこと、つまりソッリマさんは本質的には作曲家であり即興演奏家なのであろう、と改めて感じました。カザルス、ロストロポーヴィチ、ミッシャ・マイスキーなどの演奏とは全く異なるもので、楽譜に書かれていない音がたくさん入ります(私は或る理由によってモーリス・ジャンドロン校訂の楽譜を持っていたので、完全ではありませんが覚えています)。多くのバッハ愛好者などからは異端と言われかねない演奏でした。
もっとも、或る時代までは、楽譜に書かれていることが全てではなく、むしろ演奏者に(或る程度の)即興を許すものであったようですし、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンは即興演奏家としても優れていたとのことですから、曲の形を破壊するのでなければ、楽譜に書かれていない音を入れることは許されたのでしょう。
また、昨日のバッハは全体的にかなり速い演奏でした。その中で、第4番の第5曲、ブーレを聴いた時、バッハの無伴奏チェロ組曲は概ね舞曲で構成されているということを再確認することができました。ソッリマさんの演奏は、ブーレを舞曲らしく弾いたものであったからです。意外に、というべきか、こういう演奏はあまりなく、舞曲であったことを忘れさせてしまうような演奏のほうが多いくらいです。それは、おそらく、無伴奏チェロ組曲が長らく練習曲くらいにしか扱われてこず、それから或る時点を境として古典として崇められたからでしょう。
バッハの曲に限らず、ソッリマさんの演奏にはリズム感あるいは躍動感が溢れていました。これは、曲によって彼自身の足踏み、あるいはスタンリー・クラークと見紛うまでの打楽器的奏法が行われるためでもありますが、それだけではなく、リズム感と即興感を引き出すのがオリジナル曲であるのかもしれません。
チェロの可能性を最大限に引き出す名人芸。それがソッリマさんの演奏です。この目で見ることができたのは幸いでした。