3月3日(土)
肘をつく上がり框の吊るし雛
一週間ほどどうしようか迷っていたこの頃花には興味を失っていた。たかが野草だひたすら1時間走るのも辛いとも考えていた。それでも生息地がどうなっているのやら確認したくなったのだった。荒らされていればそれっきりいまだひっそりと棲息していればそれはそれでいいじゃない。実に17年ぶりに出向いてみる。去年は少し遅く影も形もなかったことを記憶している。野草求めるカメラマン垂涎の節分草だ。節分草名の通り節分に咲く花がここでは一か月遅く咲く。
あったものを撮っただけのことだ。ひな祭りの今日出向いて正解。花の命は短くて苦しきことこそ多かりき。
タイミングよくキャッチできるとは限らない。ドンピシャ今日が咲きはじめ幸運に感謝する。雪になっていて車で飛ばして来たこともある。
ここぞとばかり持って出た一眼は撮れたもののくたびれる。古い一眼でバリアングルの機能が付いてない。ファインダーでのぞくだけだ。昔は這いつくばって撮ったものだった。そのうえ手振れ機能もない。久しぶりに斜面に這いつくばる。
念の為と用意してあったコンデジが活躍する。コンパクトなコンデジバンザイ。
膝は傷むし斜面だし屈むむことが辛い。それでも頑張る。棲息は減っていたようだったが聖地は誰も来てないようだった。ここでヒトを見たことは一度だけだ。熟年の二人が来ていた。15年も昔。
お昼に現着。撮り終ったのは2時半だった。
斜面に這いつくばっているときにCメールの着信が入る。普段は着信音など聞いたこともなかったが設定した<キューピー3分クッキング>の音が静かな山間に流れたのだった。
こんな山間でauが入るのか。びっくりする。この山間のどこに立っているアンテナ。
そう、できるだけ歩きなさい。歩いていいことはないかもしれないけれど悪いことは絶対ない。小さなポケットカメラを携帯するのもいいものです。カメラのキタムラはないかな。中古でもいいのです古い看板古い貼り紙やっているかいないかの古い店日常の郵便局。インスタはボクはやってないけれど文字を連ねるのはそれだけ労力もいる撮るは一瞬。今日の日常或は断片を確実に切り取れます。短歌はだらだらと長い、ゴメン 俳句の切り取り方です。あれもこれも語ってはいけない、切り取るだけ。できるかな。日常を切り取ることは短歌にもつながる。
明日は隣町のもう少し隣町のもう少し遠い隣町への撮影会。何やらはだか祭があるようだ。女子のハダカではござんせん、ふんどしですがな。彩にはならないものの参加した。間違ってもアタシふんどしは撮りません。ぜったい。
厨房メモ
本日の撮りたて画像。
でもいつみても節分草のたたずまいは楚々としていていいなあ。他に何もない出向いてよかった。帰りにチェーンソーで切り取られた根っこの付いている切株を拾ってくる。何に使うかは考えてない。これ使えそう、
この秘境ヒトに教えたらあっという間に踏み荒らされる。教えるものですかお墓に持っていく。
重かった。
誰にも言ってない、これからもヒトには教えない唯一無二のアタシの17年ぶりに出会った秘境。
咲いていたか、