
昨日は私の住む地方のとある神社で正月飾りをお焚き上げしてもらう日だったので
行って来ました。
ここは昔からの由緒ある大きな神社で、人がわんさかと集まりまして、長蛇の列が
できていました。大きな炎に正月のお飾りや達磨さんなどを投げ入れ、新年の
無病息災などを願います。
で、私はなぜか3年位前から、写真を撮るといわゆるオーブというものが写って
しまいます。本当にしょっちゅう写ります。オーブとは、玉響(たまゆら)とも
言い、つまり高次のエネルギー体であったり、精霊であったり、死者の霊魂であったり
色々な説があります。
スピリチュアル否定者は、これは光の反射だとか、空気中の埃だとか、フレアという
現象だとか、何かと科学的に説明したがるようですがね。
私は断然、エネルギー体だという方を信じる派です。じゃなければヘミシンクなんか
やりませんしネ・・・
で、ここの神社の一角である所をふと撮影してみたら・・・
「うわ!」
いーーーっぱい!今まで撮った中で、最高に多い玉響の軍団が写りました。
10枚位撮りましたが、なんと全部写っています。
こーれーはー、すごい!!
ということは、この神社、神気があふれているようですね。
ちなみに撮影した場所は、神社の境内の端の方にある休憩所みたいなところで
缶ジュースなどの自販機が設置してあるところです。その天井を撮影したもの
です。
こんな休憩所でこれだけ写るってことは、もし本殿とかだったらもっとすごい
のかもしれませんね。ま、さすがに本殿では撮影は遠慮しましたけど。
ヘミシンクが上達するとこのようなエネルギー体との交信が可能になるのでしょう
が、私には今のところ、まだそのような能力はありません。
でも、交信できたらすごいだろうね・・・
話は戻りますが、この神社、本当に神が宿っている本物中の本物の神社のようです。
それにこの日はお祭りだったから、多くのエネルギー体が集まって来たのかも
しれませんね。
こういうのを見てしまうと、やっぱりあちらの世界ってのはあるんだなーと
あらためて思いますね。この世の人間としての生活ってのは、本当にひとつの
魂の修行の場であり、ここがすべてではないということ。辛いことがあったり
しても、それはそういうことを経験する為に与えられた試練なのかもしれないし、
それに、こういったエネルギー体が見守ってくれているのかなぁなんて思い、
辛い気持ちもやわらいだりします。
神がいるなら、こんなに辛い思いをするはずがないだろ的な考えも昔はしていま
したが、色々なことを悟ると、辛いことも成長の一環なんだと思います。
なんでもラクして、なんにも苦労しないことを人は望みますが、でも考えて
みたら、ラクして苦労のない人って、見てるとかなり薄っぺらい、しかも
やさしくない人間だったりすることが多い気がします。しかも、ラクばっかり
してきたが故に、なーんもできない人間だったりします。あまり結果の良い人間
にはなっていないように見えます。
だから、人は成長する為に、色々学ぶ為に、色々な苦労をしているのだと思い
ます。
神様たちもべつに、何も助けずに黙ってみているわけではないと思います。
人が辛い思いをするのを笑ってみているわけではないんですよね。