新国立競技場は今からでもやり直せる
必要なのは安倍首相の「聖断」だけだ
2015.7.14(火) 池田 信夫
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44291?page=3
笑っちゃいけないけど、この程度の(戦争と比べればだけど)問題でも、「聖断」並の大きな決断が必要なのが日本というシステムだよなぁと改めて思う。
この件については池田さんのご説明、論旨に大賛成。とにかく、あの案にこだわるのはやめて、もっと実行可能性の高いものに変更すべき。
対米戦に突っ込んでいったのも、満州事変も、シベリア出兵も、みんな、最終的に、いやせめて3手先にどうなるのかの全体ピクチャーがまったくないまま突っ込んでいったのが日本なわけですよ。ついでにいえば原発、核技術、核兵器に関する話も同じだと思う。いや、あることはあるんですよ概要とか作戦計画とか。でもそれがみんな希望的観測に基づくような、穴だらけのものなわけですね。
で、こうやって並べてみると日本には日本の不可解な物事の決定方式というのがあるんだろうと思う。一つのカギは、是非とfeasability studies、つまり実現または実行可能性が組み合わさって判断が固まっていく、という形式ではなさそうだ、いや、その形式を取れといったら今度はそれを形骸化させる仕掛けが生まれる。なんなんだろう、これ。
是非が先に来て、その是非もまた非常にあいまいなので、常に同床異夢的、希望的観測込みの言説があふれかえり、そのうち是非を検討できなくなって、「ここまで来たから」という理由で通っちゃう、と。
このへんでちょっと書いた。
「戦後秩序からの脱却」と「満蒙は日本の生命線」
思うにこれは、帰納法的推論が好まれない傾向があるな、って話と同根なのかもしれない。そのうちまた考える。
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