予想された通りというのもなんだが、パレスチナが惨いことになっている。
トルコが米とイスラエルから大使を召還すると発表したニュースが目を引く。
トルコ、米とイスラエルから大使召還 大使館移転に抗議
https://www.cnn.co.jp/world/35119182.html
まぁトルコはいろいろ難題のある国だが、中東において大きな声を出せるちゃんとした国は、トルコ、イラン、そしてシリアしかない。
イラク、リビアがなくなったんだなとあらためて思う。
だけど、パレスチナ問題に関していえば、これは、英米仏とイスラエル、そしてエジプトが前に立って解決するのが筋だと思うけどね、私は。
最近多くの人が、パレスチナ人が気の毒、イスラエルは野蛮だ変態だという声をあげていて、それはそれでよいことだと思うけど、私はやっぱりこれは欺瞞だという考えを拭い去れない。
よくパレスチナ人は丸腰だというけど、いつから丸腰なんだと考えてみればいい。
これは戦争なのに、片一方だけを戦争適格じゃなくしたからこうなった、って話でしょう。
つまり、イスラエル建国以来、イスラエル vs アラブで戦っていた。イスラエルには英米仏がついていたのは誰でも知ってる。アラブ側にはソ連が加勢していた。
そこで、エジプトを「親米派」にして、ソ連の軍事顧問団を送り返して、アラブナショナリズムを捨てて、エジプトとイスラエルが和解した。
サダト大統領の就任といわゆるキャンプデービット合意というやつですね。
wikiにもそこはかとなくあるじゃん。でもソ連の顧問団を送り返した話はないね。
1970年9月28日、ナセル大統領が死去すると副大統領として大統領代行を務めることになったサダトは、国民へ大統領の死去を伝えるスピーチを行った。同年10月15日、サダトは正式に大統領に就任する。大統領就任後はナセルの社会主義的経済政策を改めて経済自由化を進めるとともに、イスラーム主義の運動を解禁してエジプトの路線を大きく右旋回させた。これらの政策に対する反対派は一掃し、国有メディアはそれを革命の矯正と名付けた。さらに1961年にシリアが離脱して以来、連合国家の体をなしていなかったアラブ連合共和国の正式な解体を決断し1971年9月2日、国号をエジプト・アラブ共和国に改めた。
これをみんなして、合意ですって、停戦ですって、戦争状態じゃなくなるんですって、しかも、親米派よ、ソ連と手を切ったんですって、よかったわねと歓迎したらしいわけですよ、西側っつーところでは。
しかしですね、これは、パレスチナの人たちの保護をみんなしてむしり取った、一方トラ(イスラエル)は今まで通りって話でしょ?
ということは、いずれパレスチナ一般人は食われる蓋然性は高かったという仕様だと思うんですが、違うんでしょう?
あるいはシリア、レバノンあたりの強いとまでは言えない国だけ保護者にしたって、要するに時間の問題でしょ?
つまりね、ソ連を倒すことを第一目標にして、パレスチナは犠牲にしたという話ではないの? ムジャヒディーンを作ってそこら中で非正規の武装軍団作っていったのもこの流れ。
政権はニクソンからカーター。カーター時代って戦後最もくそ意地の悪い異常なアメリカの時代だったんだなとここでも思う。まぁブレジンスキーの時代なわけですが。
冷戦時代は少女だったもんでリアルタイムのごたごたがよくわからないんだけど、よくこんな薄情なことをしたもんだな、と私はずっと思っているのだが、誰もそれを指摘してくれる人がいない。
だから、私が何か見落としているんだろうか、勘違いなんだろうかと思っていたのだが、最近、前から書いてる私の好きなアレックスが、パレスチナ、イスラエルの問題を書いていた記事の中で、ロシアから見たものとして、そりゃだってロシアはそこまで関われない、ソ連の顧問団を送り返されて、その上、アラブ地区の人たちはムジャヒディーンとなってソ連に襲い掛かったんだから、と書いていて、ああ、やっぱりかと思って心を強くした。
で、エジプトはその後30数年もムバラク時代で、何が自由で民主的なんだかさっぱりわからなかったがそういうラベルの組に入った独裁体制となり(笑)、ムバラクは最近いわゆるアラブの春で倒された。
サダト大統領の導入って、多分、アラブナショナリズムを倒して、中央銀行を作ったとかいうまたそういう下らない話なんだろうね、多分。血だらけの中央銀行ばっかりですやんと笑いたい。
別にソ連を外すなら外すでもいいけど、同時にしっかりとイスラエルから追い出された難民状態の人たちの行方を決してからじゃなければ、トラの前の無防備集団になるのは必定だったわけで、こんなのフェアじゃない。
いいですか、英米仏+日本+ドイツ他がイスラエルについて、追い出された人たちにとって最も頼りになったエジプトをむしりとって、わ~い停戦よとか言って、残された人たちらの今後がどうなるのかわからない状態を作ったわけですよ。プーチンじゃないけど、do you realize what you have done?とか言いたいわ、わたしは。
さらにもう一歩。ではどうしてこんなに地中海東岸に拘るのかというと、これはやっぱり英仏+米による、スエズ防衛なんじゃなかろうか。
1956年にスエズ危機があって、スエズをエジプトに国営化されたことに腹を立てた英がフランス、イスラエルを誘ってエジプト侵攻するが、米ソが反対してこれは失敗。これが一般に大英帝国の末路と言われている。
が、しかし、スエズをエジプトに国営化されたことに腹を立てて失敗した十数年後、エジプトごと属国にした、と考えれば英仏米は防衛に成功したことになるでしょう。
以降ずっと持ってるわけだし、今だって、サウジを使ってイエメンをぐじゃぐじゃにしてるけど、これは結局紅海を安定化させないためでしょ?
この間のシリアへのミサイル攻撃も紅海から出撃してるし。
考えてみると、英仏の植民地主義者というか、世界支配構想はまだまだ全然死んでませんでしたという話だと思うな。冷戦というのはそこに別のストーリーをかぶせただけ。
さてしかし、現在イランは強くなってそこにいるし、ソ連を捨てたロシアは、ソ連時代には考えらなかったほどに人気の存在として中東にいる。
こんなこともやってるしね。赤いのが南北回廊と呼ばれる鉄道。青は従来のスエズ経由。
どうなるんでしょうかね。少なくとも、パレスチナ問題をロシアに片づけさせようってのは基本的にお門違いと言うべきでしょう。
毎回、感心して読ませてもらってますが、今回驚いたのは記事の内容ではなく、自分の偏見に気がついたからです。
地政学や国際情勢を深く分析するのは、無意識に男であると決めつけて、ずっと読んできました。
TAKUMIさんは、「冷戦時代は少女だった」んですね!
これからも楽しみにしています。